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2018年11月

2018年11月30日 (金)

面白い「よりそう」についての分析

 26日の朝日新聞朝刊「政治断簡」に「首相が『ヨリソッタ』のは」という記事が載った。筆者は編集委員の高橋純子氏であった。

  安倍首相がこれまでに国会で述べた「よりそう」を使った話の内容を国会議事録を検索して取りあげたものである。それによると、首相が「心に寄り添う」相手は三者に絞られるという。

  ◎先月の所信表明演説で、「沖縄のみなさんの心に寄り添い」

  ◎2013年2月5日  「被災地の心に寄り添う現場主義で」

  ◎2015年8月24日 「戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた

             過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そう

             した女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい」

  被災者・被災地、慰安婦、沖縄の三つの場合に「心に寄り添う」を使っていることに驚いたと言っている。

  なぜ驚いたのかというと、「寄り添う」は、具体的に何をすると寄り添ったことになるのか、判然としないし、仮に何もしなくても寄り添ったことになる便利な常套句だというのだ。

  なるほど政治家が使う玉虫色の便利語なのかと気づかされた。首相は沖縄の心に寄り添うどころか反対を押し切って辺野古基地建設を進めている。沖縄特別予算も削ってしまって。

 この「寄り添う」は誤魔化しの言葉としてだけでなく、「寄り添って貰っているのにわがままだ」と攻撃の口実に転化することすらあると指摘する。

 議事録を検索して安倍首相の言葉のまやかしを鋭く突いたのは見事である。「座布団五枚」である。

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2018年11月29日 (木)

えごま油を買いに行ったら売り切れていた

 先週のNHKのガッテンで「油の真実」というのをやった。番組によると、えごま油を一日小匙1杯摂るとよいということであった。それで翌日スーパーへ行ったが、午後に行ったので売り切れていた。

  2日後イオンに行ったら売っていた。私が見ていると中年の女性が来て2個買って行った。どうしようか迷っていると、今度は男性が来て1個籠に入れた。残りは少なくなった。それで私も1個試しに買うことにした。

  それにしてもガッテンで放送しただけで売り切れるとはテレビの影響力に驚いた。私がよく行く八百鮮ではえごま油を置いてなかったので、後悔しているのではないかと思ったことだ。

  ネットではえごま油がスーパーで売り切れ続出というblogが何本もあった。また製造会社のお詫びというのもあった。そんなに売れるのかと思った。

  油は大きく4つのグループに分けることができる。

  ●飽和脂肪酸    バター、牛肉、ココナツオイル、パーム油など。

  ●オメガ9脂肪酸  オリーブ油、なたね油、アーモンド油、米油など。

  ●オメガ6脂肪酸  サラダ油、コーン油、ゴマ油、大豆油など。

  ●オメガ3脂肪酸  えごま油、アマニ油、魚油、アザラシ油など。

  この4つのグループの中で、オメガ6脂肪酸とオメガ3脂肪酸が重要だというのだ。なぜかというとこの二つは身体の中で作ることができないのだ。それで「必須脂肪酸」と言われているそうだ。

  昔のように魚を食べなくなった日本人は、オメガ3脂肪酸を摂る量が大きく減ってしまったのだという。番組によると脂肪酸を摂るにはバランスが大事だそうで、オメガ6脂肪酸とオメガ3脂肪酸の比率を2:1にすることが大事だというのだ。

  そのために一日に小匙1杯(約4g)のえごまオイル、または亜麻仁油を摂るのがお勧めだという。この油は無味無臭なので何にでも合うし、そのまま飲んでもよいという。サラダ、味噌汁、ヨーグルト、コーヒー、納豆、おひたし・・・など。

  注意する点は、酸化しやすく、熱と光に弱いので加熱してはいけないそうだ。また保存は冷蔵庫のような冷暗所に置き早く消費すること。

 オメガ3脂肪酸の効用は、血液を固まりにくくしたり、炎症を抑える働きがあり、中性脂肪の合成を抑える働きや代謝を上げる効果が期待できることが判って来た。摂り続けることで体重減ることも期待できるという。

 

 

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2018年11月28日 (水)

強欲ゴーン元会長と日産の共謀罪だ。労働者よ怒れ!

 日産自動車のゴーン元会長が逮捕された件で、日が経つにつれて、隠していたのは50億円どころではないことが明らかになってきた。その他に30億円とか、住宅を建てさせた出費とか、月100万円といわれる家賃とか、ゴーン社長の家族の旅費を日産が負担したとか・・・・次々と暴露された。

 さらに退職後も年に10億円を5年間支払うという契約まで日産自動車としていたというのだから呆れて物が言えない。いったいゴーン氏はどこまで強欲なのか。

 しかし、この問題はゴーン氏とグレッグ・ケリー氏の企みだけでは済まない。日産自動車も関係していたからできたことなのだ。つまり共謀罪である。

 新聞によると日産自動車は司法取引で罪を軽くしてもらうようだが、とんでもない話だと思う。いくらゴーン氏が経営者として特別な手腕を発揮したとはいえ、一人のトップが受け取る報酬はべらぼうに多すぎる。その上住居とか旅行とかペーパーカンパニーの設立とか様々な出費を日産にさせているのだ。

 日産は日夜コツコツと働く社員や非正規雇用者のことを考えたことがあるのだろうか。労働者からは搾りとれるだけ搾り取り、経営者はぬくぬくと太り巨額の報酬を掠め取る。まさにマルクスが昔指摘した通りのことが行なわれているのだ。

 労働者から搾取し、内部留保を増やし、経営者たちだけお手盛りで大金を貰うという構図であったのだ。日産の労働者は怒るべきである。旗を振って抗議のデモや集会をしたらどうか。「俺たちにももっとよこせ」と。それは当然の叫びである。

 検察は日産とゴーン氏の共謀を徹底的に暴いて厳しく処分すべきである。

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2018年11月27日 (火)

面白い「長寿の心得」という警句

 叔父の家の遺品を整理したら「長寿の心得」という警句を書いた湯呑が見つかった。この警句、以前落語で前振りに喋っていたのを聞いたことがあり、面白いのでしっかり見てみたいと思っていたがその後はこの警句に出逢わなかった。

  湯呑を妻に見せたら面白いと言っていた。ブログに記録しておこうと思って「長寿の心得」で検索したら一杯ヒットした。

  分かったのはこの警句を使った商品がたくさんあることだ。安いのはただ印刷しただけのもので200円ぐらいから、高いのは額で何万円というのもありびっくりした。湯呑でも私が見つけたのは950円であったが、美濃焼の湯飲みは何と23600円の値がついていた。

  「長寿の心得」という警句を調べたら、バリエーションがあるようで、一番多いのは次のものであった。

  「人生は山坂の多い旅の道」という前置きがあり、

  還暦(かんれき)――60歳でお迎えの来た時は、只今、留守といえ

  古稀(こ   き)――70歳でお迎えの来た時は、まだまだ早いといえ

  喜寿(き じ ゅ)――77歳でお迎えの来た時は、せくな老楽、これからといえ

  傘寿(さんじゅ)――80歳でお迎えの来た時は、なんのまだまだ役に立つといえ

  米寿(べいじゅ)――88歳でお迎えの来た時は、もう少しお米を食べてからといえ

  卒寿(そつじゅ)――90歳でお迎えの来た時は、そう急がずともよいといえ

  白寿(はくじゅ)――99歳でお迎えの来た時は、頃を見てこちらからボツボツ行くといえ

 気はながく、心はまるく、腹たてず、口をつつしめば、命ながらえる

 

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2018年11月26日 (月)

国会前では今も続く原発反対集会―③―

 

★たんぽぽ舎の女性ボランティア、奥内さんが話した。

 最近体調を崩したが、腹の底の声、東海第二の再稼働、うずうず、みんなでもっと声を出そう。黙っていられるか。

 

 私は毎週水曜は六本木の規制委に、月一回は東京電力本社に、元気な時は国会前に来るのがルーティン。

 「原子力の平和利用」「という言葉に騙されていた。電化生活は便利だ。でも、変だな。こうした中で、原子力のことを知れば知るほど、危険で、リスクの大きいことを学んだ。

 11月27日のアクション。地下鉄神田駅のB6番出口、そこに日本原電(東海第二原発)の本社がある。看板も出せぬ会社なのか。再稼働やめるよう求める署名も受け取らない。でも、「北風と太陽」の例えもあり、みなさんに呼び掛けたい。「潰してしまえ!」だけでは、ことは進まない。

 

★たんぽぽ舎の柳田さんが付け加え発言した。

 抗議行動で自転車で引き回している例の核ドラム缶のモックを製作したのは奥内さんだ。

また、白倉さんの描いた絵も、11月27日のアクションに使う。

 東海第二・再稼働反対の署名(2000筆)には、公明党の人も入っている。防潮堤の建設、改良工事を考えると再稼働には、あと二年四か月先になる。この間、しっかりと声を上げ、再稼働を取りやめにしよう。

 東海第二に事故が起きたら、放射能を含む風はどの方向に吹くか、みなさんご存知か? 村上・元東海村村長が殆ど東京、神奈川に吹くと、10月20日、教育会館での講演会で語った。三千万から四千万人の市民の力で止めよう。

★日本共産党の岩渕・参議院議員が登壇、スピーチを始めた。すると、スピーチ台の後ろに、白色のワンボックスカーが突如現れ、横断歩道にすれすれに駐車、「違法なデモだ、この野郎!さっさと帰りなさい」と、運転席から叫ぶ。

 ラウドスピーカーからは進軍ラッパの音が大きく響く。ワンボックスカーには「全国愛国者団体会議「」、関東協議会と大きく黒字で書かれている。ナンバープレートは、足立339 せ11-09。横の窓に共産党、竹島と書いたポスター。

 およそ20名近い警官が、車を取り巻き、右往左往するが、何らか規制している様子は!見られない。

 岩渕議員は妨害をものともせず、労働者不足と外国人労働者の問題、拙速な審議で許せない、廃案を求め野党は一致したとスピーチを続け、東海第二の再稼働につき周辺市村の同意が必要だが、那珂市の海野市長(69)が、いち早く反対表明をした。

 子孫に優良な環境を残したいと~このあたりから、妨害で聞き取りできず~

 岩渕議員は、東海第二・再稼働取りやめには、もっともっと世論の盛り上がりと運動が大切であると大きな声で述べた。

 さらにもう一台、国防色の街宣車が現れた。大きなスピーカーが五つも搭載されており、警察の規制に国会正門前で急遽Uターン(交通規則違反)、白色のワンボックスカーの後ろに駐車した。

 警察はまるで彼らの護送車のごとく追尾するのみ。ワンボックスカーからスキンヘッドの男性がハンドマイクを手に現れ、「おい、オジイ、オバア、さっさと帰れ」と罵詈雑言。彼がスピーチ台に接近しないよう、警察は人垣でブロック、

 黒いスーツを着た背の高い男性が警官に交じり何やら対応している。いっこうに罵詈雑言と進軍ラッパは絶えない。

 国会周辺の静謐規制、都騒音条例、駐車違反、Uターン禁止違反、素人の目にも明らかだが、警察は無為無策の感。

 富永さんは、こうした一連の威圧行為は暴力に該当しないのかと警察に訊いたが教科書通りの回答しか返ってこなかったと。

 

 

 

 

  

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2018年11月25日 (日)

国会前では今も続く原発反対集会―②―

 

★たんぽぽ舎の女性のボランティア、白倉さんが、前田さんと登壇し、報告した。

東海第二・再稼働反対の意見書を、国と原子力規制委に出すべく葛飾区議会に提出したが不採択となった。国が決めたことだから賛成だと一人ひとりの議員を訪ねて分かったが、自分で、「自分の判断をしろ」と言いたい。

 私は店で葉書を配る、勇気がいる、自公の支持者も受け取ってくれる。オール葛飾ができたらいいなとの思いで活動を続けている。

★キャンドルコーナーの前田さんが報告した。

 昨日、神奈川で真山順・参議院議員の主宰する「原発ゼロの会」(毎週木曜日)があった。

 福島第一原発のトリチウム水処理の問題、国会の「国際エネルギー調査会」は、ALPSで除去不可能のものも含め、そのままにして置けない、海洋投棄するほかないと、いまだにそんなことを言っている。

 週刊女性に春橋さんのコメントが載った。汚染水貯留タンクの容量は4万トンの余裕(全能力は126万トン)があり、毎日220トンの汚染水が溜まると、あと一年九か月でいっぱいになる。もっと大きなタンクを建設するのか、放射能が少し落ち着いてからなのか、ともかく東京五輪が終わってから、実はこうだった・・・・・と!ならないように、今のうちから警鐘を鳴らさなくてはだめだ。

 安倍首相はオリンピック誘致にアンダーコントロールと言っておきながら、五輪が終わったら良いではないか、それでは済まされない。

 この場所で言っているだけては動かない。アンケートは11月末締め切り、もっと声を上げよう。

 

★川崎の春橋さんが二週間ぶりの参加だと話した。

 

 週刊誌の記事、また日曜日のWEBでも発信した。もんじゅの燃料棒は11月15日時点で、55体残った。(全体では530体抜き出すのだが)11月8日時点での福一タンクは112万トン貯留、うち97万トンをALPS処理済み。

 

 建屋の増築、11月中にALPS 処理で抜き取る。海洋中にトリチウム水、2018年上半期、福島第一原発は906億ベクレルとかなり減っているが、東海第二は690億ベクレル、

 

 六ケ所村は42億ベクレル。2017年は100兆ベクレルであった。再稼働が進むほど増える。

 

 関電は安全性を向上し、美浜原発、高浜原発を20年延長を目論んでいる、工事進捗率は美浜18%、高浜13%。

 

 まだ、時間が掛かる、あらゆる機会をとらえて、再稼働を先に延ばそう。

 

~シュプレヒコールが入る~

 

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2018年11月24日 (土)

国会前では今も続く原発反対集会―①―

 友人から送られてきた11月16日の原発反対集会の模様のルポである。あの3.11以来ずっと毎週金曜日に反対集会が行われていることに深い敬意を表したい。レポーターは竹山さん。

 ―以下に転載する―

 ★肌寒い秋の夜、筆者は予後、夜の外出を控えていたが、先週も参加者が少なかったと聞

 き、9月28日以来、久しぶりに顔を出した。私たちの仲間が参加した。仲間たちから、いろいろと声をかけられ嬉し、懐かし、同志朋友の意を改めて強くした。

 集会の後半になって愛国者団体の街宣車が集会を妨害する行為があり、この刺激も手伝ってスピーチする人、コールする人の声は一段と高くなり、妨害に負けてはならぬと、今週の金官デモは燃え!た。

 

 ★原発をめぐる直近のトピックスは、四国電力・伊方原発三号機(MOX燃料、1994年から稼働)の運転差し止めを住民が求めた仮処分の抗告審。11月15日、高松高裁は松山地裁の決定を認めるとした。

 三号機は既に10月27日から再稼働させており、運転を継続する。避難対策計画は不十分と指摘はしたが、阿蘇火山の破局的噴火は根拠不十分だという。

 なお、一号機(1997年~)、二号機(1982年~)いずれも56.6KWは巨額の安全対策投資に採算が見合わないと廃炉が決まった。

 

 ★抗議集会は、東海第二・再稼働反対、柏崎刈羽・・再稼働反対、伊方原発・再稼働反対、再稼働反対、原発やめろ、安倍晋三は原発やめろ、こどものために大間原発・建設反対、上関原発・建設反対、東通原発・建設反対、島根三号・設反対、日本中の全原発をやめろ、再稼働絶対反対と、対象原発の名前を具体的に挙げたコールでスタートした。

★茨城から来た男性が訴えた。

 

 私はラテン系の仕事をしている田舎者、今日はここに早めに出て来た。国会前の、この運動から一人、ひとりが声をあげていいのだと分かった。

 水戸でも金曜行動を続けており、この11月で三百回を超えた。手に、「命がけの電気はいらない」と書いた水色の大きな幟旗を掲げ、私たち一人、ひとりの声が重要だと強調した。(拍手) 

 

 沖縄の知事選、一票、一票の重さが8万票の差になった。人を信頼する、裏切らない、名前も知らない、ここにいる皆さん、じいちゃん、ばあちゃん(そうだ!そうよ!と会場は失笑を交え)、

私の兄は「結果が出ていない、やっても駄目だ」と言う。権力を取った人はうそを言う、裏切る、やがて潰れる。

 

 労働者不足と言われる問題、安倍首相は正しいか、正しくないかではない、必要だからだと意味不明の答弁、多くの声が民主主義の基本、福島第一原発の汚染水処理問題、正しい、正しくないではない、必要なのだ。

 この安倍発言で!、福島第一原発は一歩前に出た。放射能被害、難しい、妊婦、体の弱い人・・・・自衛隊員の皆さん、小出裕章さんは、放射能を浴びても、ここまでなら大丈夫というような閾値(しきいち)はない、必ず害がある、安心はないと言う。

 

 今なお、福島第一原発は非常事態宣言を出したままであり、今度、東海第二で事故が起こったらすべて終わりだ。

 

自衛隊員の皆さん、ここにいる警察、機動隊の皆さんも似たようなもの、一人の大人として判断しなくては。

 

一人、ひとりの力は小さくとも、集まれば大きな力となる。そして言い続ける、それが未来に繋がる。

 

水戸流のコール、再稼働反対、東海第二、再稼働は“犯罪”“。父ちゃん、東海第二・再稼働は”犯罪“。

 

母ちゃん、頑張れ!子どもの前に、誇りうる未来を引き継ごう。

 

 

 

 

 

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2018年11月23日 (金)

NHKスペシャル「人生100年時代を生きる」を見て

 NHKスペシャル「人生100年時代を生きる あなたはどう終わりたいですか」を見た。人生の終末、身体が弱り救急車で病院に運ばれるかもしれない。そういう事態になったときどうしたらよいのかを考えておこうという番組だと思った。

  高齢化社会になって100歳以上の人口が7万人になったが、さらに増え続けると予想されている。私は新聞の訃報をよく見るが、死亡年齢と葬儀の方法を見るためである。最近は80歳後半から90歳半ば辺りで亡くなる人が多いと感じる。私もその年に近くなったが、何歳まで生きられるかは分からない。

  ただ思うのは、若い時予想も出来なかった高齢まで生きて来たので、もういつ人生を終えてもいいかなと思うようになった。生への欲望が弱くなったのだ。

  健康には私なりのやり方で気をつけているので、今のところ普通に生活できている。「健康寿命」を延ばしていると自分では思っている。

  政府の政策の転換によって在宅医療が進められるようになった。NHKスペシャルでは、在宅医療を受け自宅で死ぬことを選んでいた人が、脳梗塞とか心不全とかで倒れ、救急車で病院に入り治療を受ける場面を取り上げていた。

  まず救急車を呼ぶかどうかが、家族にとって最初の決断を迫られるところである。家族は事態の急変に驚いて救急車を呼ぶが、もし呼ばなければ静かに命が消えていくのを待つことができた例を取り上げていた。

  次は病院に運ばれたとして、救急治療によって延命医療を希望するかどうかを決めることである。延命医療を希望すれば、いわゆるスパゲティ状態にされて集中治療室に入り、その後どこかの病院に転院することになる。

  胃瘻などの延命措置によって5年も6年も生きる人がいるそうだが、ただベッドの上で拘束されるだけで生活のQOL(Quority Of Life)はゼロと言ってよい。そのような状態で命を長らえることが幸せとはいえないと私は思う。

  アンケートによると94%(だったと思う)の人が延命治療を望んでいないという。しかし、事態が急変したときに、本人は意思の表示が困難なので、家族など周りの人が判断を迫られることになる。しかも緊急の事態なので10分とか15分という短い時間で決断しなければならい。家族の情で少しでも命を延ばしてやりたいというのは理解できる。それが本人の望とところかどうかが問題である。

  大事なことは、本人は意思表示ができないので、元気なうちに家族などと話し合うとか、文書にして置くとかによって、どのような措置を望むのかを明らかにして置くことである。番組ではそのことを強調していた。

 もう一つ大事なことは、最近では一旦装着した救命装置、酸素呼吸とか胃瘻などを取り外してもよいことになったと番組では言っていた。全国の半数ぐらいの病院や医者は取り外しに賛成だという。だから本人も家族も平安な死を望むのなら取り外しを要求することだ。

  私も延命治療は望まないし、倒れてそのまま息を引き取れるのならそれがよいと思っている。

  私の養父母が亡くなった時は自宅で看取った。近所の内科医が来てくれたが、点滴をやっただけであった。養父は1週間自ら何も食べずに静かに息を引き取った。養母は大きく息をして亡くなった。今でもその様子が目に浮かぶ。私は何人もの死に立ち合って来た。昔はみな自宅で亡くなったのである。老衰は苦しむこともなく自然の死である。私も何とかして自宅で静かに逝きたいと願っている。

 

 

 

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2018年11月22日 (木)

日産ゴーン会長の逮捕

 11月20日の新聞の朝刊一面は、朝日も日経も「日産ゴーン会長の逮捕」であった。東京地検特捜部がゴーン会長と代表取締役のグレッグ・ケリーを金融商品取引法違反の疑いで逮捕したのだ。二人は共謀してゴーン会長の報酬を約50億円少なく有価証券報告書に記載した疑いがあるという。

 日産の西川社長は、報酬の過小記載の他に会社の資金を私的に支出、目的を偽った投資資金の支出の3点を確認したと発表した。

 ゴーン会長の役員報酬はいつも約10億円と高額なので話題になっていた。ゴーン会長は、それぐらいの報酬を受けるのはグローバル基準から考えれば当然だと言っていたという。

 10億円といえば、年俸1000万円の人を100人雇える額である。一般の労働者の賃金は幾らか知らないが、500万円なら200人分の給料に相当する。

 ゴーン会長は日産の業績をV字型に回復されたということで、その手腕を高く評価されているというが、大企業のトップというのはそんなにも高額の報酬に値するというのか。

 今回の逮捕は、有価証券報告書に約50億円も過小記載をした疑いだが、ということは実際には倍以上の報酬を得ていたということ。一般の労働者から見ると天文学的数字である。

 新聞によると、報酬はゴーン会長が決定権を持っていたと言われる。つまりお手盛りが可能であったのだ。グローバルスタンダードに合わせるために自分で高額報酬にしていたのだ。

 それにしてもゴーン会長は、どうして報酬を誤魔化さねばならなかったのだろう。収入が多いほど欲が深くなると言われるから、彼もその類の人間だったということか。

 ブラジル、フランス、レバノンなど4か国に広壮なマンションを会社に建てさせ、優雅な暮らしをしているらしい。庶民から見ると想像もできない天国のようなものだ。

 ゴーン会長はビルゲイツのような慈善の寄付はしていないのだろうか。儲けた金は何のために使うのだろうか。

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2018年11月21日 (水)

遺品整理を体験

 叔父が6月に急逝して、叔父には子どもがいなかったのと、叔母を7年ほど前に亡くしていたので、私たち兄弟姉妹4人が相続人となり、それに伴う後始末をやってきた。実際の仕事は私一人がやることになりいろいろと大変であった。

  住んでいた家は取り壊すので遺品を処分する必要かあった。1か月ほど前に見積もりをしてもらい、その業者に依頼することになった。

  遺品整理というか、処分は2日にわたってやることになった。そして整理の日がやってきた。私は以前にNHKスペシャルやプロフェッショナルで遺品整理を取り上げたのを見たことがあった。

  プロフェッショナルだけあって、遺品整理の要領をよく心得ていて、貴重品の在処なども的確に見つけていた。

  そういうこともあって今回はどのようにやるのか興味深く見ていた。業者は大きなトラックと中型のトラックの2台でやってきた。

  ユニホームを着た若いスタッフが6~7人来て、主任の指示に従って仕事をしていた。多分社員はその人だけで後はアルバイトかも知れないと思った。

  私は一番大事な納戸の荷物の整理に立ち合った。そこを担当したのは主任であった。妹たちは他の部屋の整理に立ち合った。

  彼らは社名の入った専用段ボールを持ち込んで、それを組み立てて、専用のテープで壊れないように留めて箱を造り、その中に品物を放り込んでいった。紙屑も何もかもいっしょくたであった。

 社に持ち帰ってから、売れそうなものと捨てるものに仕分けるのだと思われた。納戸には什器と衣服や寝具が多かった。もらい物の箱入りのコップとかお皿とかお椀などや重箱類がたくさんあった。そういうものはどこかへ寄付をすればよかったと後悔をした。

 骨董的なものは掛け軸など僅かであったが、それは別にして持って行ってもらい評価をしてもらうことにした。また、着物がたくさんあったが、着物は戦傷に段ボールを組み立てて入れて行った。5箱できた。

 昔の長持ちが2棹、昔の箪笥が2棹あった。箪笥はNHK番組では外国でよい値で売れそうなものであったが、そのまま持って行ってもらった。結局期待していた貴金属などは出てこなかった。また古いものは家を建て替えるときに処分したのだろうと思った。

  NHKプロフェショナルの番組で見た遺品整理士とは違い、ただ片づけているだけという感じの仕事ぶりであった。

 私たちには欲しいものはほとんどなかったので、もったいないという思いはあったが、気楽に廃棄の決断ができた。

 

 

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2018年11月20日 (火)

酷過ぎるJAL,ANAの飲酒乗務

 blogに書いた様に先日バンコクへ行ってきた。出発の2日前に新聞やテレビで日航副操縦士が乗務前の飲酒でロンドン警察当局に逮捕されたというニュースが報じられた。

  私たちは日航機(JAL)でタイへ行くことになっていたので、「オイ、オイ、日航機は大丈夫か?」と一抹の不安が横切った。でも、事件の直後だから気をつけるだろうと思い直した。

  無事にJALで往復できたのでホッとしたが、帰って来るとANAの機長も飲酒問題を起こしていたことが判った。

  空で何百人もの命を預かり、高い機材を操縦する機長や副操縦士などが、乗務前に酒を浴びるほど飲むとはどういうことかと唖然とした。

  もし飲酒が原因で事故を起こせば、自らの命も危ないのに、酒を飲むことで気が大きくなり大胆になるのだろうか。

  どちらの人間だったか忘れたが、ビールを1.5Lも飲んだと言っていたが、その他にウイスキーだかワインだか忘れたが飲んだようだ。

  JALの副操縦士は飲酒がばれないように他の同僚との接触を避けたり、口中清涼剤を使っていたという。検査も適当なやり方で誤魔化したというのだ。

  JALもANAも乗務員のアルコール検査はいい加減なやり方だったことが判った。これから厳しく改善すると新聞に出ていた。乗務員の良識に任せていたというのだろうか。

  今回の事件で分かったことは航空会社のずさんさである。毎日多くの人の命と高価な機材を扱う会社としては無責任としか言いようがない。

  これまでにときどきバスの運転手の飲酒運転が問題にされたが、バスの場合は地上を走るから飛行機のよりは事故が大きくならないだろう。

  我々一般人が飲酒運転をしても厳しく罰せられるのに、航空機の乗務員が甘い検査で飲酒乗務を見過ごしていたのは許せない。

 私は酒を飲むが量を決めていて飲み過ぎることはない。ましてや飲酒運転はしたことがない。いくら酒が好きだと言っても、機長や副操縦士とあろう者が酒を自制できないとは情けない。そんな人間は即刻乗務から外すべきである。

 また航空会社も深く反省をして、2度とこういうことが起こらないような体制をとるべきである。

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2018年11月19日 (月)

すき焼きとしゃぶしゃぶ

 17日の朝日新聞「B」に「しゃぶしゃぶVSすき焼き」という調査記事があった。それによると「すき焼き」が好きと答えたのが64%、「しゃぶしゃぶ」が好きというのが36%であった。

 私もどちらかというとすき焼き派である。食べ物のバラエティということでしゃぶしゃぶも食べる。しかし、どちらも値段が髙い牛肉を使うが、ご馳走感はすき焼きである。

 このすき焼きのやり方に、関東風と関西風があるのを初めて知った。関西風は「醤油と砂糖などで焼きつける」で52%なのに対し、関東風は「割り下で煮る」で48%だったそうだ。

 私は成人まで関西に住んでいたし、その後もずっと名古屋だが、すき焼きはラードを使って最初に肉を炒め、そこに酒や醤油や砂糖などを加え、さらに野菜を入れるやり方であった。でも、妻はいつの頃からか割り下を使うこともあり、先日は東京から娘夫婦が来たとき割り下ですき焼きをした。

 すき焼きが美味しく感じられるのは、料理研究家の服部幸応氏によると、「メーラード反応」によるものだという。この言葉も初めて知った。砂糖と醤油を使うすき焼きはアミノ酸と糖が結合して、メイラード反応を起こし、お美味しそうな茶褐色の色合いと、食欲をそそる匂いを生じるというのだ。甘辛い味は、ご飯との相性が最高で、卵の黄色でさらによくなると服部氏は言う。

 ついでにいうと、卵を生で食べるのは日本で、外国では菌が多く付着しているので生卵を食べないということを聞いたことがある。すき焼きには卵が付き物である。

 この記事の中に、「日本を代表する料理」というのがあって、「寿司」が第1位、「天ぷらが第2位、「刺し身」が第3位であった。その後に「味噌汁」が第4位、「すき焼き」が第5位と続いた。

 寿司と天ぷらは世界に進出しているから外国でも有名である。刺身は生ものだから新鮮でおいしい魚が手に入らないといけない。すき焼きはやはり「和牛」の肉だろう。

 すき焼きを食べる頻度について、2~3か月に1回が25%、半年に1回が24%となっていた。美味しくても和牛は高いからなかなか食べられないのが実情で我が家も同じである。

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2018年11月18日 (日)

タイ旅行―⑫―

 ランチと買い物を済ませてホテルに戻った。預けてあった荷物を受け取り早めに空港へ向かった。BTSから空港へ行く列車に乗り換えた。黒い丸いトークンを買って改札を通った。列車は混んでいた。

  車窓から見ていると次第に日が暮れて行くのが分かった。しまいには陽が沈んで夜景に変わった。

  出発は午前1時なので時間はありすぎた。どうやって時間を過ごそうかと思った。チェックインを済ませると土産物屋を見た。自分の家の土産を買っていなかったので残っていた400バーツほどを全部使うことにした。

  最初干しバナナとマンゴを買ったが、金を払った後思い直してバナナやめてドライグアバに替えてもらうことにした。店の人は渋っていたが何度も交渉して替えてくれることになった。私はコインの価格を知らなかったので相手に任せたが、後で気が付くと50バーツを10バーツと間違えて取られていた。でもどうしようもなかった。

  時間はたっぷりあったが、みな腹が減っていないから食事はしないと言ったのでしなかった。それぞれが勝手に時間をつぶすことにした。

  搭乗ゲートがなかなか決まらなかったが10時ごろになってやっと決まって表示された。それまでは7番と聞いていたが、11番ゲートに変わっていた。こういうことはよくあることなので電光掲示板を見ていなければならない。

  サリーに遭って11番まで行き確認をして戻った。7番に行ったらテルエさんが寝ていた。ヅルさんは椅子に座っていた。ゲートが変ったことを知らなかったのだ。イチローさんはラウンジが使えるのでそちらに行っているということであった。 

  サリーはまたどこかへ行き、テルエさんはベンチで寝ていた。時間が来るまでそこで過ごすことにした。11時ごろみんなが集まった。私はストローを出して手品の復習を教えた。その後チヅルさんが持っていたロープを使って手品を教えた。

  かわるがわる覚えている内に搭乗時間が来た。手品で時間をつぶすことができてよかったと思った。

  搭乗して安定飛行に入り飲み物が配られた。私は恵比寿ビールを注文した。おつまみのあられでビールを飲むと寝ることにした。

  ふと気が付くと電灯が明るくつき、アテンダントが食べ物を配ると言っていた。時計を見たら4時を回っていた。早い朝食が配られた。今度はワインを貰って飲んだ。簡単な朝食だと聞いていたがご飯ものの他にサラダやパンや卵や果物などが付いていた。

  帰りは5時間15分ぐらいで気流の関係で速かった。タイ時間6時15分、日本時間で8時15分にランディングした。タイ旅行は無事に終わった。

  2度目のタイ旅行であったが、イチローさんの案内でいろんなところを歩いて見て回ることができてよかった。ツアーでは経験できないよい旅であった。

 タイのBTSの改札は、日本と同じようにカードをタッチするやり方だが、ちょっと不安定さが感じられた。カードを買ったりチャージをするのは窓口なので行列ができた。改札出口の前には警官が常駐していて持ち物を調べていた。

タイも日本と同じで電車の中では多くの人がスマホをいじっていた。

 タイにはトゥクトゥクがいっぱいあって客待ちをしていた。バスや旧式の列車には人が危険な乗り方をしていることがあった。

 線路脇にはトタンのバラックが並び極貧の人が住んでいたし、ホームレスもたくさん見かけた。人通りが多い道路には物乞いの人がいた。子どもや老人や赤子を連れた母親などもいた。

 一方、高層ビルはたくさん立ち、日本にはないデザインばかりであった。スーパーやデパートなどは巨大で、有名ブランド店のビルもあった。

 仏像や仏教関係の建物が多いのも目についた。仏教国だと思った。朱色の衣を着て丸坊主の僧侶もよく見かけた。日本より戒律が厳しいのだ。

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               泰緬鉄道で行ったれると蘭の変わったトイレ

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                       タッチ式の改札

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                     人待ちのトゥクトゥク

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                       巨大なタイ空港

 

 

 

 

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2018年11月17日 (土)

タイ旅行―⑪―

 ジム・トムプソンハウスを見た後、ランチに行った。大きなビルにあるコンプレックスであった。伊勢丹百貨店にもつながっていた。

 伊勢丹では日本の商品を売っていた。新潟の米を1800円ぐらいで売っていたので日本より安いと思った。他のものも日本より若干安いと感じた。

 伊勢丹の5階と6階だったと思うが、ツーフロアを使って日本料理専門店がたくさん出店していたので驚いた。

 

 ランチに何を食べるか食堂街を見て回って、結局タイ料理の店に入った。それぞれが食べたいものを注文した。そして少しずつ味見をしたが、どれももの凄い辛さであった。口の中がカッカとしてどうしようもなかった。

 私は西瓜ジュースを注文したが、甘い西瓜ジュースでもかえって辛くなる始末であった。みんなは辛い辛いと言いながら少しずつ食べていた。野菜のサラダさえものすごく辛かったのだ。

 タイ料理を選んでしまったと思ったが後の祭りであった。それにしてもタイの人はどうしてこんなに辛い物を好むのだろうと不思議であった。

 ランチの後その辺りの店を見て回った。テルエさんが大判焼きの店を見つけたので大判焼きを買った。甘くてとても美味しかった。

 紀伊国屋書店があったが、売っている本のほとんどが日本の書籍だったので驚いた。文庫本や新書の他に単行本もいろいろあったが日本語で書かれている。いったい誰が買うのだろうと思った。バンコクにそんなにたくさんの日本人が住んでいるのだろうか。

 それからスーパーへ買い物に行った。とても大きなスーパーだった。カートの大きさが学習机一つ分ぐらいあるのでびっくりした。日本では見たことがなかった。

 そのカートを押してみんなが買った物を積んで行った。私はドライマンゴの小さな袋を一つ買っただけであったが、他の人たちはいろいろと買っていた。

 広い店なのではぐれることがよくあった。私もはぐれて探して回ったが、チヅルさんもはぐれて私たちが探し回った。サリーもはぐれた。

 中国人たちは大きなカートに一杯買っている人が多かった。どのレジもレジの係りは1人なので行列ができていた。

 タイでイチローさんが案内してくれたスーパーやコンプレックスやデパートはどこも日本にないような大きさだった。

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                     商店街の入る高いビル

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                    辛いタイ料理手前はサラダ
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                   向うはサリーが注文したカレー
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                      紀伊国屋書店
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                      ビルの前の広場

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                    大きなカートとレジの行列       

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2018年11月16日 (金)

タイ旅行―⑩―

 5日の朝食は初めてゆっくりと摂ることができた。私はバイキングが好きなのでいろんな種類の食べ物をとってくる。ヨーグルトもたっぷり食べた。果物はスイカ、パイナップル、メロンだった。自動コーヒーサーバーがあることを初めて知った。レギュラー、カフェラテ、エスプレッソなど6種類選べた。

  イチローさんはみんなが食べ終わるのに来ないので、電話をしたら時間を間違えて部屋で過していたと言った。

  チェックアウトを済ませて荷物はホテルに預けた。この日はサリーの提案でジム・トンプソンの家に行くことになった。BTSに乗って駅から歩いた。写真のような入口があった。

  案内をしてくれるというので、日本語を選んだ。中に入ると繭の見本が置いてあった。写真のように赤茶色の素敵な建物であった。

  ジム・トンプソンはアメリカ人で、第2次世界大戦以前は建築家であった。それで彼は、タイの古い建築様式を多く取り入れ、チーク材でできた家を6軒集めて造ったのだ。大部分は100年から200年以上経ており、何軒かはアユタヤから運んできたという。

  昔の建築法に従って復元したが、シャンデリアだけが電化されている。そのシャンデリアは18世紀から19世紀のものだという。メインの部屋に大きなシャンデリアが下がっていた。

  最初日本語の案内で回り始めたが、分かりにくいというので戻って英語の案内に代わった。英語の案内は30分ほど待たされた。サリーには英語の方がよかっただろう。聞き取れないところもあったが、リスニングの勉強と思った。

  案内の内容は日本語と英語では違っていることが判った。日本語では前を流れる運河の大切な役目やその向こうにある家にイスラム教徒が住んでいてその人たちが繭から絹をとったり加工しているのだと言っていたが、英語ではなかった。

  ジム・トンプソンは34歳のとき、アメリカ陸軍に志願してヨーロッパに行き、第二次世界大戦の終了間際にOSSの情報将校としてタイに派遣され、退役後はタイに永住した。

 彼は家内産業であったシルクの手織りに興味を持ち、その普及に没頭した。彼はデザイナーとしても染色家としても、才能を持っていたので、プリント模様のシルクを生み出し、タイシルクの名を世界に広めたという。

 けれは1967年3月26日、マレーシアのキャメロン高原で休暇中、謎の失踪を遂げた。未だに手がかりもつかめていないという。生きていれば120歳だとか。

 寝室や食堂や居室などを見て回った。質素な暮らしをしていたようだ。彼が収集した古美術品も展示されていた。室内は撮影禁止なので見て回っただけで残念であった。

 戻ると男の人が繭から糸を引くのを演じていた。非常に工夫されているので驚いた。シルク製品の展示販売場があり、覗いたが値段がべらぼうに高くてただ見ただけであった。

 帰る時電気トゥクトゥクで送ってくれるサービスがあるというので駅近くまで送ってもらった。

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                                         ジム・トンプソンハウス入口
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                        珍しい花

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                         繭の見本

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                       バナナの花
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                         英語ガイド

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                          糸繰り

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                       展示販売場

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2018年11月15日 (木)

タイ旅行―⑨―

 ホテルに戻るとしばらく休憩して街に出た。タイの通貨が足りなくなったので交換所へ行った。円は少し値下がりしていた。私は10000円替えた。3250バーツぐらいだったと思う。最初より50バーツぐらい少なかった。

 交換をした後BTSで国立競技場まで行った。夕食を食べに行くのだ。駅を出ると歩いたが、テルエさんが「この前来た時は暗くて道が凸凹していたが、すっかりよくなった明るくなったね」と言っていた。

 店までは少し距離があった。大きなレストランで英語で「SONBOON SEAFOOD」中国語で「建興酒家」と看板が出ていた。多分中国人の経営する店だと思った。入口に小泉首相が来たときの写真がかざってあり、中には小泉首相の他に秋篠宮の写真も飾ってあった。権威づけに使われているのだ。

 店の1回はダダ広くてテーブルと椅子がずらーっと並んでいて、多くの人が食事をしていた。私たちは2階に上がったが、2階も広い部屋であった。こんなにたくさん収容するほどお客が来るのかと思った。

 料理はこの店の看板メニューである「蟹のカレー」であった。例によって私とチヅルさんはビールを注文した。今回は一番いいと言われるタイガービールがあったのでそれにした。下のような蟹カレーが運ばれてきた。他にも大きな魚と野菜炒めの2品注文したものが来た。みんなでシェアをして食べた。魚は川魚なのでテルエさんが「泥臭い」と言った。私もそう思った。英語でどういうのか話題になり、「muddyだろう」と言った。

 蟹はワタリガニで、いくつかに割ったものが入っていた。「蟹を食べるときは静かになるね」と言いながら黙って食べた。黄色い汁はカレー味ではなく甘みがあったが美味しかった。

 全部食べ終わった後、誰かが「マンゴスチックライスを食べたい」と言ってた。「まだ食べられる?」とイチローさんが言ったら大丈夫だというので注文をした。残念ながら先日食べた方より味がよくなかった。

 外に出ると入口の脇に写真のような蟹を入れたザルがずらっと積んであった。いったい何千匹の蟹があるのだろうか、これを何日で食べるのだろうかと思った。生き物だから1日か2日で食べてしまわないと駄目だろう。そんなに客が来るのかと驚いて眺めた。店の前で写真を撮った。 

レストランを出ると、テルエさんたちが買い物をしたいというので少し歩いて大きな集合店舗に行った。巨大な店舗でいろんな店が集まっていた。

 私は土産のドライマンゴを探した。広い食品売り場にはそうした商品がたくさん並んでいた。どれがよいか見て歩いた。そして袋入りのドライマンゴを4袋買った。

 その後ホテルに戻って就寝した。

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                     レストランの看板
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                         2階の一部
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                         ビール
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                         蟹カレー

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                          川 魚

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                        野菜炒め

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                  マンゴスティッキーライス
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                         渡 蟹

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                      商店の一部

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2018年11月14日 (水)

タイ旅行―⑧―

 JEATH MUSIUMの次はセミトリーに行った。そこには連合国軍の犠牲者6700名の墓があった。タイの人々によって造られたものだという。

  英国、オーストラリアなどに分けてあった。墓碑には埋葬されている人の事績が簡単に記してあった。

  こうしたセミトリーはもう一か所あるそうだ。しかし、10万人を超すと言われるアジア人犠牲者は今も密林の奥深くに眠ったままだという。泰緬鉄道(死の鉄道)は多くの犠牲やによって造られたが、アジアからの強制労働者の墓地がないということはどういう差別かと思う。昭和19年に日本軍によって建てられた慰霊碑があったが、それだけで済まされないと思う。

  戦争とはいえ人権を無視した非道な扱いに心胸が痛んだ。日本人もソ連によるシベリア抑留など非道な扱いを受けている。改めてもう戦争をくりかえしてはならないと思った。

  次はクワイ川にかかる鉄橋を見た。今見る景色はゆったりとした川の流れ、のどかな風景で平和そのものであった。ここで悲劇の建設があったとはとても想像ができなかった。

  映画「戦場にかける橋」は早川雪舟主演の名画であるが、あの有名な音楽「クワイ川マーチ」しか覚えていない。もう一度観てみたいと思う。

  鉄橋は歩いて渡ることができ、時間が少しあったので途中まで歩いた。本当に美しい景色で心が休まった。橋のたもとに駅があり、その前に露店が並んでいた。クワイ川観光記念の帽子が一個100バーツで並んでいた。私はガイドさんに言って負けてもらえないか聞いてもらったら、即座に80バーツにしてくれた。他の人たちも80バーツで買った。

  しばらく待っていると列車が入ってきた。私たちは3号車で指定席であった。客車が13両ぐらいつながっている長い列車であった。

  鉄橋を渡ってミャンマーの方向へ向かった。畑が広がる平原を進んだ。サトウキビ、バナナ、米、その他の畑が次々に現れた。遠くの方には面白い形をした山が望まれた。

  30分ぐらい走ったであろうか。そこで降りた。店や食堂などがあった。降りて洞窟を見に行った。中には金色の仏像が安置されていた。外に出ると川がありその辺りは難工事であったようだ。仏像は慰霊のためなのか聞き洩らした。

  大きな食堂でバイキングの昼食を食べた。鉄道は現在タイの国営だという。1日に1本だけ走っているのだそうだ。乗客は観光客ばかりで、観光列車である。車内では物品の販売や写真を撮影して到着までに売るというものもあった。私以外の人はみな写真を買っていた。

 泰緬鉄道が今はミャンマーとの交通ではなく、観光のために利用されているのが不思議であった。

  帰りはそこまで来ていたバンであった。バンコクまで3時間余りかかった。車の中でうつらうつらしていた。

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                    セミトリー右半分

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                    セミトリー入口


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                  日本軍による慰霊碑
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                    難工事の付近
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                   バイキングの食堂



 

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2018年11月13日 (火)

タイ旅行―⑦―

 11月4日朝この日も6時15分ごろ出発というので、4時半ごろに起きて、朝の行事を全て済ませた。前日の経験から5時45分ごろに食堂に行ったら入ることができた。お粥や野菜や果物、ヨーグルトなどを食べた。

  ホテルに迎えに来たバンに乗って20分ごろ出発した。もう一つのホテルに寄って男性客を3人乗せた。

  今日は映画「戦場に掛ける橋」で有名なクワイ川の鉄橋を見に行くのだ。市中を走って行くとまた王様やお妃など王室関係の大きな写真が道路に沿って立っていた。

  高速道路に入ったと思うのだが、日本のとは違っていて一般道路みたいであった。見渡す限り平坦な土地が続いていて、バンコク周辺は大平原なのだと思った。

  道路沿いにはトヨタやマツダやホンダなど日本の自動車の店があった。タイに来てトヨタの車が目立った。ガイドの話しでは70%は日本車だということであった。とにかく日本車が多く走っている。誇らしい気分になった。バンももちろん日本車であった。

  走ること3時間余り、遠くの方に山が見えてきた。タイにも山があるのだと思った。山の形が面白い形をしていた。

  カンチャナブリに着くと、まず「戦争博物館」に行った。博物館というから立派な建物を想像していたが、何と細い竹で囲まれた簡素なものであった。この小屋は当時の捕虜の住居を忠実に復元したものだという。竹の壁に写真や絵が掛けてあった。写真は鉄橋建設に関係した古い白黒写真であった。褌一つの裸で働かされていたようだ。

 この博物館はDEATH MUSIUMと呼ばれていたが、残酷な印象を与えるためDをJに置き換えてJEATH MUSIUMと呼ばれている。Japan,Engrand,Austuralia & America,Thailand,Holandの頭文字。

 写真は捕虜やタイ人によって撮影されたもので、その写真も工事の後期には、証拠が残ることを恐れた日本軍によって禁止された。絵は生き残った捕虜経験者やインタビューをした作家や友人などによって描かれたものだという。

  泰緬鉄道は1942~43年にかけて日本軍によって作られたもので、別名を「DEATH RAILWAY」と呼ばれている。それはこの鉄道建設に携わった約3万人の捕虜や10万人以上のアジア人強制労働者のうち、約1万6千人の捕虜、10万人のアジア人労働者が、過酷な労働や疫病などのもとで死亡したからである。

 全長415km(タイ側263km、ビルマ側152km)にわたる鉄道は、当初完成に5年を要すると言われたが、日本軍は人海作戦で僅か15か月で完成させた。現代の技術をもってしても不可能と言われるはやさであった。死者の数からみても如何に過酷であったかが分かる。

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                      カンチャナブリ

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                        街への入り口

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                JEATH(国旗の頭文字)博物館入口

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                         博物館

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2018年11月12日 (月)

タイ旅行―⑥―

 マッサージが終わると、ナイトマーケットへ出かけた。BTSで渡し船乗場のある駅まで行った。駅を出ると大きな川が流れており船着き場があった。たくさんの人が並んでいた。川の両岸遠くの方にはビルディングが望まれた。10分余り乗って対岸の観覧車が見える船着き場で降りた。ナイトマーケットの場所が広がっていた。小さな店がいっぱい続いていた。

  イチローさんが、入口の方の店はよいが後半の奥の方の店は値段や品物に気をつけた方がよいと言った。何でも100バーツという小物を売る店で品物を見た。チヅルさんやテルエさんが象のチッシュ箱カバーを買ったので、どこにあるか尋ねて私も土産に一つ買った。 

  その店の裏がイチローさんのお勧めの店であった。これまで土産にもらった物はここで買ったと言っていた。イチローさんも女性もいろいろ買っていた。私は興味はないのでただ見ているだけであった。タイは象に関係した土産と仏像が多い。仏像は仏教の国だからで象はタイを象徴する動物なのだろう。

  お土産に干しマンゴを買っている人たちもいた。私は荷物になるので最後の日に買おうと思って値段だけチェックした。

  マーケットは広いが小さな店がたくさんあって鞄、小物、シルク、土産物・・・・など、同じ種類の物を売る店がいっぱいで、商売がやっていけるのだろうかと思った。

  一回りして夕食を食べるためレストランが並んでいる区画へ行った。食堂街は大変賑わっていた。レストランと言っても建物がある訳ではなく、椅子やテーブルを並べて調理しているオープンなものだ。

  お客が多い店がよいということで中華の店に入った。各自が下の写真のような食べたいものを選んで少しずつシェアした。

 食事が済むと船着き場へ戻った。観覧車が早いスピードで回っていた。中国人の団体などたくさんの人が並んでいた。ナイトクルーズの船が泊まっていてそれが出て行くと船が入ってきた。

 早くから待っていたので帰りの船は座ることができた。川の両側の夜景がきれいであった。ホテルに戻るとシャワーを使ってベッドに入った。

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                                       船着き場のある駅

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                       河
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                      船着き場
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                      渡し船

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                 ナイトマーケット入口

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                      観覧車

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                  違ったビールを飲む         


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2018年11月11日 (日)

タイ旅行―⑤―

 ホテルで少し休憩をして、ランチを食べるために街へでかけた。午後は「タイ古式マッサージ」店へ行く予定なのでそちらの方へ行った。

 途中、仏像が置いてあってその前に線香や花などを置いて人々がお祈りをしている場所があった。お供えの花などは箱に寄付金を入れるともらえるのだ。

 またその前では女性の踊り子たちが踊りを奉納していた。これも箱に寄付金を入れるとやってもらえるのだ。2分、4分、6分と寄付の金額によって違いがあった。面白い風景であった。

  ランチは百貨店のフードコートで食べた。いろいろな食べ物が並んでいて、好きな物を注文すすのだ。私たちは食べたいと思っていた「マンゴ・スティキーライス」を注文した。下の写真のようにお皿にマンゴともち米のおにぎりとココナツミルクが載っていた。私とチヅルさんはビールをを、他の人は西瓜のジュースを注文した。

  食べてみるととても美味しかった。ココナツミルクをつけると甘かった。もち米の粘りが食感を誘った。食べた後、ストローがあったので、隣の席の女の子とお母さんにストローを使った手品を見せた。不思議がっていた。向うの席のタイの若い男性も見ていて驚いていた。

 ランチが済むと「古式マッサージ」に行くのだが、イチローさんへBTSで1区だから歩いて行こうと言った。近いと思ったが意外に遠く汗はかくし疲れてしまった。

 その店はイチローさんお得意の店であった。入って行くと入口にいた女性が案内してくれた。2階に上がってまず足を洗って貰った。スリッパに履き替えて3階に上がった。

 大きな部屋に布団が6枚敷いてあり、服を脱いでパンツ一つになり備え付けの着物に着替えて、一人ずつ横になった。間はカーテンで仕切れるようになっていた。扇風機が回っていた。

 女性のマッサージ師が入ってきた。私の担当はちょっと太った中年の女性であった。隣はイチローさんでやはり中年の女性であった。

 マッサージは足から始まった。時間をかけて丁寧に揉んでくれたが、筋のところを揉まれると痛かった。イチローさんは声を上げていた。サリーは極めて静かであった。

 30分余り足のマッサージをした。それから上体に移った。観察をしているとイチローさんの担当と私の担当ではやり方が違っていた。頭から背中までまんべんなくマッサージをした。

 再び足に戻った時、左足が釣ったので「痛い」と言った。以前タイの古式マッサージを2回やってもらったが、その時はそれほど痛いとは思わなかった。

 マッサージは2時間であった。終わると下に行って代金の400バーツ(約1200円)を払い、担当のマッサージ師にチップを20バーツ上げた。私はさらに持っていたKさんが作ったお守りを上げた。

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2018年11月10日 (土)

タイ旅行―④―

 王宮へ行く途中あちらこちらに国王や親族の大きな写真が道路に立っていた。国民に親近感をもたせるためか、それとも権威としてかは分からない。

 王宮の前に広い芝の広場があり、その付近の駐車場に車を停めた。入り口近くから大勢の人でにぎわっていた。中に入るとガイドのドンさんの指示で動いた。ドンさんは「話がよく聞こえるように近くに来て」とか「暑いから日陰へ」などと気を使ってくれた。大きな建物がいくつも並び、外面に細かい飾りが施してあった。

 下の写真のような大きいな搭から見て回った。建物の中に入ったのはエメラルドでできた小さな仏像のところだけであった。

 建物の入り口には写真のように護衛の仏像?が立っていた。日本や英国などと違って王宮の中が観光スポットになっているのが興味深い。

  王宮を見て午前のツアーは終わりで、私たちはホテルまで送ってもらった。

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                       王宮前広場

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                     金箔を貼った高い搭
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                       強そうな護衛
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                   細かい飾りの建物

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                        金箔の仏像
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                      面白い形の護衛
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                      王宮の中の賑わい
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                     細かい飾りの建物

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               季節でエメラルド仏の衣装が変ると説明


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                    エメラルドでできた仏

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              王宮正面、前回ツァーできた時はここだけ見た

 

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2018年11月 9日 (金)

タイ旅行―③―

 11月3日旅行2日目。この日は出発が6時20分であった。食堂が開くのは6時なので5時55分に食堂に行くことに決めた。

  前夜寝るのが遅かったが、私は4時半に目が覚めた。トイレをすまし、顔を洗って、シャワーを浴びて汗をとった。30分余りかかった。イチローさんは5時過ぎに起きた。

  食堂に行くと、一人食べている人がいた。「なんだ、開く時間前に来てもいいのだ」と思った。バイキングなので急いで最低限食べられそうなものをテーブルに運んだ。そして念のためにパンを2~3個持って行くことにした。

  迎えのバンは時間通りに来た。我々のあともう一つホテルに寄って2人の若い女性を乗せた。さらにもう一つのホテルで2人の男性を乗せた。「後の方のホテルならゆっくりと食べられたのに」と言った。このバンはガイド一人と運転手が1人で、午前はバンコク市内、午後はアユタヤに行くのだ。我々は午前の観光であった。

  最初の目的地「暁の寺」に行くために「ワット・ポー」の前から渡し船に乗り換えた。ラオスから流れて来ているというメコン河を渡るのだ。空は雲一つなく晴れ渡っていたが、河の水は黄土色に濁っていて、水草が流れていた。

  対岸に着くと目の前に白っぽい「暁の寺」があった。私はこの寺もワット・ポーも王宮も以前に来たことがあった。

  暁の寺は小さな陶器で表面がモザイク状に蔽われている珍しい搭である。2階までしか登れないというので2階に上って、写真を撮りながらぐるっと回り、1階に下りてまた一回りした。

  これは次の日カンチャナブリのお寺に行ったときに知ったことであるが、タイでは時計回りがよくて、反時計回りは葬式のときだけだという。暁の寺ではそのことを知らなかったが時計回りに回ったのであった。小さな陶器をはめて素敵なデザインをしているのに感心しながら見て回った。

  暁の寺を見て再び船で戻った。渡るのは時間にすれば僅かですぐに着いた。次は「ワット・ポー」だ。この寺は巨大な涅槃仏で有名なのだ。

  寺院に入る時は靴を脱いで帽子をとらなければならない。面白いことに「刺青はお断り」という注意書きがあった。西洋人はもちろん、タイ人の若者も刺青が多い。シャツで隠して入るのだろうが首や手など露出部分に刺青がある人はどうしようもない。

  涅槃仏は以前にも見たが、頭の部分から入って足の方に行って背中側を通って戻る。全体に金箔が貼られて金色である。足の裏は螺鈿の飾りが施してあった。最近完成したという。

  全体の写真を撮るには足の方から撮る。戻る時20バーツでコインを買い、ボウルに1枚ずつ入れで行く仕組みになっていた。賢い寄付の集め方である。以前にはなかったように思うのだが。

  出口に女子高校生のボランティアが3人いたので持っていた手品を見せて、その手品の紙を上げたら喜んでいた。

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2018年11月 8日 (木)

タイ旅行-②ー

 6時間の飛行の後現地時間14時30分に着陸した。ちょうど2本見終わったところであった。これまでの海外旅行では映画を観たことはなかった。音楽を聴いていた。

   タイ空港に入るとその巨大さに驚いた。到着ロビーまでまっすぐのエスカレーターが伸びていた。デトロイト空港や韓国の仁川空港も大きいと思ったが、負けてはいないぐらいであった。

   イミグレーションで入国審査を受けた。カメラを向けられて写真を撮られた。この頃はどこでも同じだ。

  空港にはホテルのピックアップバンが迎えに来ることになっていた。出迎え場所に行ったがそれらしい人はいなかった。探していたら隅っこイチローさんの名前を書いた紙を持った男が座っていた。それでは分からないはずだ。

  空港からバンコク市内まで高速道路?を走った。車窓から過ぎていく景色を眺めた。30分ぐらい走ったであろうか、喧騒な街を通りホテルに着いた。「Ambasador Hotl」というホテルで大きな立派なホテルであった。

  仕事が手際よくない感じでチェックインに時間がかかった。部屋は2階で長い廊下の両側に部屋が並んでいた。1時間ほど休憩をして街に出ることにした。

  顔を洗って部屋のベットで休んだ。Wifiをつなごうとしたがなぜかうまくいかなかった。イチローさんは履き替えのスリッパを持ってきていたが、私は迂闊にも忘れていた。家には旅行用のスリッパが一杯あるのにだ。海外旅行は久しぶりで、国内ではどこに行ってもスリッパがあるので忘れたのであった。

  ホテルを出ると、まずタイバーツに交換に行った。「Exchange」という店は沿道にたくさんあったが、イチローさんはBTS付近の店に案内をした。その日のレートは29.9であった。「ちょっと高い」と言った。私は取り合えず1万円を交換した。

  ホテルがあるBTSの駅は「NANA」という。アナウンスを聞いた時n「?」と思ったが、覚えやすかった。駅で「ラビットカード」というカードを買った。名古屋のマナカに似たカードである。1000バーツを入れたが、100バーツの保証料を取られた。あとで分かったのだが、保証料は返却されない。だから100バーツで買ったのと同じである。

  土曜日の夕方のせいかBTSは混んでいた。案内のイチローさん任せなのでどこの駅で降りるのかは知らなかったが、女性たちは熱心に確認していた。

  TARMINAL 21というビルに入った。ショッピングモルのようであった。中央が天井まで吹き抜けでエスカレーターが上下している面白いデザインであった。

  上の階のレストラン街へ行った。この日の夕食はタイ式鍋料理ということであったが、見たところは中国の「火鍋(フオグオ)」と同じで、金属鍋に仕切り板があった。

 2人前ずついろんな材料を注文してシェアした。私とチヅルさんはビールを注文した。「CHANG}というタイのビールで150バーツであった。他の人は西瓜のジュースを注文した。

  店にはタイ人などが来ていたが暑いタイで熱い鍋料理を食べるのはどうしてかなと思った。

 店を出て次はジャズライブの店に行った。中に入ると客がたくさんいてよい席はほとんどなかった。5人のコンボが演奏をしていた。

  私とチヅルさんはビールを注文した。8時から9時まで演奏し、15分ぐらいの休憩があって違うグループが演奏をした。私のイメージしたジャズというより新しいタイプのポップミュージックのように感じた。

  2番目のグループはドラムス、サックス、キーボードとギターが3人で、その中の一人がときどきボーカルを担当していた。

 
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                       Tarminal21

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                      エスカレーター
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                        鍋の材料

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                      西瓜のジュース            


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                         ビール
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                      店の外観
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                        ジャズの店

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                       ボーカリスト

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                         店の入り口
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                      鳥の骨付きから揚げ
 
 

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2018年11月 7日 (水)

タイ旅行―①―

 11月2日から6日までタイへ旅行に行ってきた。この旅行は英会話のSECの仲間で今年の春ごろ決まったものであった。メンバーの一人イチローさんがタイに何度も旅行していて詳しいので案内をしてもらおうということであった。

  熱心に進めたのは前にもタイに行ったことがあるヨーコさんとテルエさんで、私も誘われたので参加することにしたのであった。インストラクターのサリーも参加することになった。

  イチローさんは飛行機やホテルなどの予約を早くからやってくれた。それでホテル代も安くなったのだ。

  7月になってヨーコさんが目の手術をすることになり、難しい手術なので旅行には行けないと言った。それでイチローさんの知人のチヅルさんが参加することになった。

  2日の朝9時に中部国際空港のJALカウンターの近くに集合した。LCCなら10900円でバンコクまで行けると地下鉄に広告があった。でも6時間もかかる長旅だし、座席が窮屈とか荷物の制限や機内サービスも有料なので、JALにしたのであった。

  私はタイへは阪急トラベルのツアーで妻と行ったことがある。今回はプライベートのツアーなので現地での行動はかなり自由がある。どんなところに連れて行ってもらえるか楽しみであった。

  日本語教室で私が教えたことがある学習者にタイ人がいる。それでラインのグループに「タイへ行く」ことを載せたら、すぐ反応があった。メーガンさんから「マンゴスティッキイライス」が美味しと写真を送ってくれた。タイ人のバンジョンさんはタイに行きたいと書いていた。

  飛行機は11時に離陸していよいよタイへ出発であった。私は今回初めて機上で映画を見た。プログラムを繰っていたら山田洋治監督の名前があったので見たいと思った。「家に帰ると妻はいつも死んだふり」というようなタイトルであった。見始めて山田監督がこんな映画を作るのかとがっかりして見ていた。終わって監督の名を見ると違っていた。

 改めて探したら「家族はつらいよ」の一番新しいのが出てきた。このシリーズの第1作は映画館で見ていた。第3作も山田監督らしい描写が随所に見られて楽しく見終ることができた。

 隣のチヅルさんはビールが好きだと言っていた。ランチのとき恵比寿ビールがあったので喜んでいた。私はビールと白ワインを飲んでランチを食べた。飛行機の乗る楽しみの一つはビールなどを飲むことである。

 久しぶりに乗ったJALであったが、何度もお茶などのサービスに機内を回っていた。私の列にはタイ人のアテンダントがいて上手な日本語と笑顔で接してくれた。

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2018年11月 6日 (火)

新聞には載らないが、考えさせられる話

 タイへ旅行に行っていて今日帰ってきた。blogが途切れていたので、つなぎに友人から送られてきた「考えさせられる話」を下記にコピペした。

 ネットではこの少女のような考えを持つ人がいるということは新聞で読んだことがある。おそらくそうした考えの人たちの影響を受けているのだと思われる。

―― 3日の巣鴨駅前スタンディングで鋭い目をした‟美少女”に対応した者です。

 彼女は歩いて来て、少しの間私たちの様子を見ていて、それから近寄ってきました。
見るからにまだ成人ではない少女でも署名に関心があるのかと思い、声をかけると、
その第一声が「アベ政治を許さない、なんてことを言う権利があなたたちにあるんですか?」
と、にこりともせずに言いました。

 それで「日本の国民には、自分の意見を言う権利があるのよ」と話しました。そして核兵器がいかに非人道的な武器であることや「70数年前に広島と長崎に原爆を落とされ、数十万人の人が一ぺんに死んでしまって…」と話し出すと「そんなことは知ってます!」と遮られました。

 そして「日本には憲法に非核三原則があるから…」というので、「あれは憲法ではない別の法律よ」と話し、「それでも日本国内にはたくさん米軍基地があってね…」と言うと、またまた
「そんなことは知ってます!」とのこと。

 そして彼女は「日本の周りの国にはたくさん核兵器があるのに、日本が絶対に核兵器を持たないと言ったら、いつ攻められるかわからないでしょ!」と、誰から聞いたのやら?

 「あっちの国が10発持っていたら、こっちは20発、それを聞いた相手が100発、こっちは200発、となったら際限がないでしょ?しかも核兵器は一度でも使ったら地球そのものが破滅するかもしれない。だから戦争は絶対にしてはダメなの、いろいろな問題はちゃんと話し合って解決することが大事なのよ」と言うと「そう言うことはお父さんたちがちゃんとやってます!あなたたちが文句を言う権利はないと思います!」と言うので「あら、あなたのお父さんは政治家なの?」と聞くと「外務省です!」と。

 そして私が「あなたのような若い人たちが大人になった時、日本が戦争になるかもしれないなんてことを心配しないでいられるよう、みんなで考えなくちゃね」と言うと「この高齢化社会では、私が大人になるころには日本はなくなっていると思います!」と言いました!
 

 びっくりして「そんな簡単に日本がなくなったりしないわよ!」と言いましたが…。どこで誰から何を聞いて、そんなことを考えるようになったのか…

 にこりともせずに立ち去ろうとする彼女に「もっといろんな人からたくさん話を聞いて、自分でも勉強してよく考えてね!」と言いました。

 彼女は小学校6年生だと言っていました。美少女と言えるかどうかは主観の問題ですが、眼つきは確かに、その辺で遊んでいる普通の子供のものではない感じでした。たぶんかなり頭のよい子なのでしょうが、脳細胞が柔らかい時期に、ある種の偏った知識を刷り込まれてしまったら、将来が心配だなと思いました。――

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2018年11月 5日 (月)

10月25日 報道ステーション

【報ステ】財務局OB「改ざんは上からの指示」

20181025日、報道ステーション)

https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20181025-00000078-ann-pol

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2018年11月 4日 (日)

日刊ゲンダイ 森友問題の籠池夫妻

 

2018.10.28日刊ゲンダイ「籠池夫妻が新証言 自民党は森友問題の“火消し”に暗躍した」

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/240488/1

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2018年11月 3日 (土)

「ネット依存 悩む学校現場」という記事を読んで

 11月1日の朝日新聞朝刊に「ネット依存 悩む学校現場」という記事があった。私も昔教員をしていたので眼を引いた。

  最近の子どもたちはスマホを持っていて、インターネットゲームに熱中しているようだ。それで学校も捨ててはおけなくなったのだが、どう指導してよいものか悩んでいるということであった。

  私が教員になったころ、大宅壮一氏の「一億総白痴」という言葉が広まった。テレビの普及により、つまらない番組でも誰もがテレビにくぎ付けになるようになったので発せられた警告であった。

  教育の現場でもテレビ視聴をどうするかということが問題にされるようになった。テレビを見過ぎると子どもが駄目になると心配されたのだ。

  その内にテレビゲームが人気を集め、私の息子もテレビでゲームをやっていた。そのつぎが任天堂のゲームの普及であった。携帯に便利なので大ヒットしたのだ。任天堂はゲーム機によって大儲けをし株価が跳ね上がった。その頃修学旅行にもゲーム機を持ってくる子が多くなった。電車の中でもゲーム機に熱中している若者が多く見られた。

  ソニーも追従してゲーム機市場を争ったが、スマホの普及によってゲーム機は廃れて行った。そして今やスマホによるインターネットゲームが幅を利かせている。

  私はテレビゲームもゲーム機もインターネットゲームもやったことがない。だから面白さは皆目わからない。ゲームは次々に改良され新しいのが出てくるのでゲームファンには楽しくてしょうがないのであろう。知人の高等学校の先生はゲームにはまって次々に買ってのめり込んでいた。大人も虜になり中毒化するぐらいだから面白いのだろうと推察する。

  大人でさえそうなのだから、子どもが虜になるのも無理はない。横浜市のある中学校の調査では、学年が上がるにつれ利用時間がふえ、3年生では4割以上が一日3時間以上オンラインゲームをやっているという

  厚生労働省研究班の調べでは「ネット依存」の疑いが強い中高生は全国に約93万人いるそうで、5年前より約40万人増えた。「ネット依存」というとインターネットの様々なジャンルを含むが、多くは「オンラインゲーム」に夢中になっているのだ。

 地下鉄で中高生がスマホを操作しているのを見ると、親は大変だろうなと金のことを心配する。自分がスマホを買って毎月の支払いに大変だと思っているからだ。私の知り合いで孫にスマホをほとんど独占されているという人がいる。親に買って貰えないからおばあちゃんのスマホを使いたがるのだ。

 経済的事情で塾に行けない子どもがいることが「教育格差」として問題になっているが、スマホを持てない子どもの「スマホ格差」はどうなっているのであろうか。

 学校現場に現れる「ネット依存」の「兆候」として、次のように書いてあった。

 ・授業中の居眠りが多い

 ・体調が悪そう

 ・常にイライラしている

 ・成績が急に下がる

 ・ネットやゲームの話いがいはしない

 スマホの弊害として米国などでも、家族と食事中でもスマホをいじっているとか、家族との会話もスマホを通してやっているということが問題視されていた。

 日本でも同じようなことが起きているということを聞いたことがある。

 スマホは使い方によっては非常に便利な器具だが、負の側面も非常に大きい器具だ。使い方をよく考えて使うことが大事である。

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2018年11月 2日 (金)

落し物が増えているそうだ

 31日の朝日新聞朝刊社会面に「落し物 増 手いっぱい」という記事があった。全国の届け出数が10年前の1.7倍に増えたというのだ。件数では2882万件だ。

  以前どこかのおTVで落し物を扱ったのを見たことがあり、様々な物品が落し物として預けられていた。遺骨まであって驚いたものだ。 落し物の定番は傘や財布のようだが、相変わらず遺骨もあるみたいだ。

  私が最近落し物をしたのは2か月ぐらい前で眼鏡をなくした。ケースに入れて自転車のかごに入れてあったのが自転車を止めた時飛び出して、その拍子に眼鏡が出てケースの蓋がしまったらしく、家に帰って見たら眼鏡がなくなっていた。こういうものは出てくることは無いと思いそのまま諦め新しい眼鏡を作った。

  財布も落としかけたことがある。一度はカフェVita で、落としたのをすぐに見つけてもらい助かった。2度目は日本語教室で立ち上がったとき財布が椅子の上にあるのを見つけた。どちらも財布がポケットから飛び出すのを恐れていたのにやってしまったのであった。

  これまで拾った落し物は、金、定期券などがあるがみな警察や駅に届けた。傘が落ちているのを診かけることがよくあるが拾ったことは一度もない。

  封を切ってないタバコを拾ったことがあるが、届けても無駄だと思い、タバコを吸う人にあげた。

  記事によると、愛知県では県警本部に「落し物コールセンター」が設けられ、8人の職員が平日、落し物の照会や遺失届を受け付けているという。県内各地の落し物が登録された専用システムで検索するが、1件当たり数分~10分程度かかるという。

  愛知県内の昨年の落し物は約148万1000件で2008年と比べて約1.5倍も増えたそうだ。返却率は約36%というから1/3強である。

  どうして落し物が増えて来たのだろうか。07年の遺失物法改正を機に届け出制度が広く知られ、病院や小規模店でも積極的に届けるようになったことが要因としてあると県警は見ているという。

 私は物を粗末に扱うことも一因だと思う。スーパーでもコンビニでも簡単に手に入れられるようになって昔のように「もったいない」という考えがなくなってしまったのだろう。私が子どもの頃は「もったいない」「物を粗末にするな」といつでも、どこでも言われたものであった。それが「使い捨て」時代になって粗末に扱うようになったからだと思う。

 外国人が増えたのも原因の一つだと言われるがそれもあるかもしれない。さらに高齢社会になったことも一因かもしれないと、自分に照らしておもう。「忘れもの」「落し物」をしないようにしたいが歳と共に怪しくなってきた。

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2018年11月 1日 (木)

トイレで蠅取り蜘蛛を見つけた

 昨日トイレに入ったとき、蠅取り蜘蛛が白い壁にとまっていた。手を近づけると少し動いた。どうしてトイレなどに入ってきたのだろうと思った。昔のトイレと違ってきれいなトイレにはどこにも餌になるものがないからだ。

 この蠅取り蜘蛛を見たことで、子どもの頃のことが思い出された。子どもの頃には蠅が何処に行っても飛んでいた。特に台所や食事をするところには集まっていた。

 ご飯など食べ物を食卓の上に置いて置こうものならたちまち蠅が来て止まった。だから蠅が止まらないようにする蔽いのネットをかぶせていた。また、蠅張というのがあってそこに食べ物を入れていた。

 蠅がいくらでもいるから、当然蠅取り蜘蛛もたくさんいた。家の中を這いまわって蠅などを探していた。時には蜘蛛が蠅を捕まえるところを見ることもあった。蠅は動きが素早いが蜘蛛は上手に捕まえるのだ。色が黒っぽくて大きさも蠅ぐらいだから、近づいても安心しているのかも知れない。

 蠅取り蜘蛛は黒いのや茶色いのや模様が入ったのなど何種類かあった。普通蜘蛛というとあまり好かれていない。一番嫌われたのは大きな便所にいる蜘蛛であった。正式な名は知らないが、多分「鬼蜘蛛」と言ったように思うが、私たちは「便所蜘蛛」と呼んでいた。

 ネットで調べたらやはり「鬼蜘蛛」であった。名前の通り大きくて怖そうな感じの蜘蛛だ。蠅取り蜘蛛は益虫なので捕まえて殺すようなことはなかった。

 蠅取り蜘蛛を見かけなくなったのはいつごろからだろうか。住宅の気密性が高くなり、殺虫剤が発達し、住環境も清潔になって来たので自然に見なくなったのだろう。大学を出て就職したころは田舎にいたが蠅は飛び回っていた。

 蠅取り蜘蛛は小さい虫を捕まえて食べるようだから今でも少しは生き続けているようだ。ごくたまに部屋の中で見かけることもあった。

 トイレにいた蠅取り蜘蛛はいつのまにかどこかに行ってしまった。外に出て行ったのかもしれない。

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