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2018年8月29日 (水)

「サザエさんをさがして」で住宅ローンを思い出す

 8月25日の朝日新聞B「『サザエさんをさがして』は住宅ローンを扱っていた。それを読んで我が家を建てたときのことを思い出した。

 現在も住んでいる我が家はほぼ50年も前に建てたものである。築50年という古家である。建てたのが30代の初めのことで、大学時代の友人の家を訪ねたとき、ローンで家を建てたのだと聞いて、自分も建てることを決めたのであった。

 友人は500万円ほどで建てたと言っていたが、500万円は当時の収入からすると大金であった。新聞記事では住宅金融公庫が一般的で、木造住宅の場合は償還期間は18年で年5.5%の固定金利であった。

 民間の住宅ローンは勃興期で、住宅ローンと言えば住宅金融公庫融資の時代であった。1967年の融資限度額は住宅だけなら80万円、土地付きで約140万円だったという。

 この年の国税庁の民間給与実態調査によると、平均年収62万円だった。35万人が応募して、10万2000人が当選し、実際に貸し付け契約をしたのは6万2000人。平均融資額は71万円で、平均年収の1.1倍であったと記事は書いている。

 はっきりとは覚えていないが、私も70年ごろに借りたと思う。その他に教職員共済組合からも友人に保証人になってもらって借りた記憶がある。

 妻の友人のご主人が建築士であったのでその人に設計管理をお願いして建てた。建築費用は350万円~400万円だったと思う。だから管材檜を使うことができず、カナダ産の輸入の栂を使用した安普請である。トタン屋根、アスベストの石綿板の外壁であった。それでも新築の家が建ったので嬉しかった。

 問題は安月給の中からの返済であった。これは今にして思うと大変ラッキーであったと言える。毎月の返金はいくらであったかは覚えていないが、高度成長期で月給は少しずつだが上がって行ったし、預金金利が8%という時期もあった。

 この少しあとに知人でその頃出来始めたマンションを2000万で買った人がいた。数年後にそのマンションを売ったら4000万円で売れたと言っていた。そんな時代であったのだ。

 そういう訳で今にして思うと、もっと借金をしてしっかりした家を建てておけばよかったと後悔している。

 私は家はメンテナンスが大事だと考えているから、安普請の家なので特に気を使った。10年後に建てました時は2部屋付け足しただけなのに350万円もかかってびっくりした。

 その後も屋根を治したり、外壁を替えたり、トイレや風呂をかえたり、耐震工事をするなど金をつぎ込んできた。だからトータルでは今新築が出来るぐらいの金を使ったことになる。

 ただ心配した返済は滞りなく終えて、退職時には無借金になっていた。以来借金は無いのが有難い。

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