NHKスペシャル「駅の子の闘い」を見て
8月12日に放送されたNHKスペシャル「”駅の子”の闘い~語りはじめた戦争孤児~」を見た。親を空襲で亡くしたり、親と離れ離れになったりして生まれた戦争孤児、その数は12万人にも及ぶという。12万人は想像していたより少ない感じだ。
米軍の日本全国への無差別爆撃によって、日本中で戦災孤児が生まれたのだ。米軍の一般市民を対象にした無差別攻撃は、ナチスの暴虐以上の大戦争犯罪である。戦争に勝ったが故に断罪を逃れただけである。
NHKスペシャルの中に出て来るが、山形県で戦災孤児になった女性は弟たちを連れて東京に来ている。福井県で孤児となった男性は大阪に来た。
孤児たちが駅で寝泊まりする姿は全国で目撃され「駅の子」とも呼ばれたが、子どもたちに何があったのか、その実態はよくわかっていないという。
今は駅で見られるのはホームレスと呼ばれる人たちだが、終戦間際から増えた孤児たちはあちこちをさまよい、シェルターとして駅を選んだのだ。
NHKは、この3年間、孤児への聞き取りや、資料発掘を進めてきたそうだ。その結果、生々しい悲劇の実態が見えてきたのでNHKスペシャルとして放映したのだ。
食べるものがないのは当然である。戦争末期、戦後は誰もが食糧に苦労していたのだ。上野駅は孤児たちの棲家となったが、通路の壁に背中をくっつけて座っていて隙間がない位であった。
毎日餓死して行く孤児たちがいたという。でも、誰一人声を掛けてくれる人はいなかったそうだ。その様子はCGで再現されていた。大阪の優しい駅の子に励まされた福井の孤児は、その優しい友が悩んだ末自殺したのを知る。境遇に堪えかねて自殺する孤児も多かったようだ。
餓死しないために、生きるために、盗みや売春をせざるをえない子どももいた。重い口を開き始めた孤児たちが訴えるのが、国や大人たちから「見捨てられた」という思いだ。
「汚い」とさげずまれ、悪の塊のように見られた。「犬と同じ扱いだった」と話す孤児がいた。やさしい言葉をかけてくれる大人はいなかった。それどころか政府も何の手も打たなかったのだ。GHQは醜いから駅の子を排除せよと政府に命令した。
政府や自治体はは孤児たちを集めたが、収容する施設はほとんどなかったので、中には鉄格子の中に隔離された孤児たちもいた。
1947年7月からラジオドラマ「鐘の鳴る丘」が始まった。あのドラマは多くの人を惹きつけたが、孤児たちの現実はひどいものであったのだ。
進学や就職してからも差別や偏見が続いた。だから孤児の多くは過去を隠し、1人で生きていくしかなかったのだ。「戦争が終わってから本当の闘いが始まった」という孤児たち。80代の後半になってやっと語りはじめた孤児の証言を元に作られた番組だ。
孤児たちはほぼ同世代である。私は幸い両親がいて、食糧難の時期を親が守り抜いてくれたからひもじくても生きて来られた。12万人の孤児の内どのくらいが餓死などで亡くなったのだろう。どうやって生き抜いて来たのだろう。もし、自分がその境遇にいたらきっと餓死していただろうと思う。
戦争はいけない。みんなを不幸にする。平和を守らねばならない。こういうと「観念論だ」と冷笑する人たちがいる。そういう人たちが日本を再び戦争が出来る国に引っ張っていっているのだ。観念論でいい。言葉で平和を守ろうではないか。
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