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2018年6月26日 (火)

今年80周年の岩波新書

 Yahooニュースで「時流におもねらず、時局と対峙する―岩波新書80年」という記事を見つけた。筆者は西所正道氏という。この記事によって岩波新書が今年80周年だということを知った。

  また岩波新書は現在100レーベル以上もあるといわれる「新書」の元祖だそうだ。私が高校生の時社会科の先生だったと思うが岩波新書を読むように勧められたのを思い出す。その頃は新書版の書籍は岩波だけだったように思うのだが。

  岩波新書は教養をつけるのに手頃で、学生のステイタスであったと思う。最初に読んだ本は何であったかはっきりとは思いだせないが、斉藤茂吉著の「万葉秀歌」であったように思う。

  石激る垂水の上のさ蕨の萌え出づる春になりにけるかも 

 という志貴皇子の歌が最初に取り上げられており、この歌は今でも海馬にしまわれている。

  高校生の時、いつも学校の図書館を利用していて、私が夏目漱石の本を読んでいると伯母に話したら、岩波新書の「夏目漱石」全3巻を買ってくれた。

  書棚を探したらこれら2冊の本が出てきた。とても懐かしい。

  岩波新書の創刊は1938年11月20日で、一斉に20冊が刊行されたそうだ。第1号は『奉天三十年』上下巻で、著者はクリスティーというスコットランド人の伝道医師で、1883年に中国の奉天(現在の瀋陽〈しんよう〉)に渡航し、1922年に帰国するまで地元の人々に尽くした。その自伝的回想記である。

 岩波茂雄はこの本を読んで痛く感激し、翻訳を思い立ったそうだが、第1号にしたのはそれだけではなかったようだ。

  ―編集責任者の吉野源三郎(「 君たちはどう生きるのか」の原作者)は、『奉天三十年』を岩波新書第1号として選んだ理由について、「岩波新書の50年」で、「満州国」建設スローガンの「王道楽土」を偽善的とし、《武力による侵略につづいて強行された武断的政治によって、満洲の民衆がどんなに苦しんでいたか(後略)。クリスティーの「無私の奉仕」は、「力による征服」という当時の現実に対する何よりの批判であり、虚偽の「王道楽土」に対する無言の抗議という意味をもつものでした。この時期に創刊された新しい双書の先頭に『奉天三十年』がおかれたのは、そういう含みからでした》―と書いている。

  岩波新書が知識層または本当の知識を求める人たちから、ずっと愛されて来たのは、創刊当初からの「時流に抗し、時局と対峙(たいじ)する」という「志」にあるのだ。

 岩波茂雄による「岩波新書刊行の辞」も、政府や官僚、軍部の在り方に疑問を呈する激しい文章であり、吉野によると右翼からだいぶにらまれたようだという。

  敗戦から4年後の1949年4月に復活し、カバーの色も赤から青になった。1970年代ごろになると、読者層も変わってきたという。学生読者が相対的に減り、若いビジネスマンの読者が加わったそうだ。

  横書きの岩波新書『日本人の英語』が発行されたのは1988年。著者は当時、明治大学で専任講師を務めていたマーク・ピーターセンさんだった(現在は金沢星稜大学教授)。この本はすぐベストセラーになり、現在80刷90万部だそうだ。

  私はこの本を持っている。紙と印刷の質は格段によくなっている。もちろん読んだのだが、内容はすっかり忘れてしまったのでもう一度読み直してみようと思う。

 岩波新書歴代売り上げベスト3は、1位が『大往生』(永六輔著、1994年)の100刷/250万部、2位が『日本語練習帳』(大野晋著、1999年)の62刷/210万部、3位が『論文の書き方』(清水幾太郎著、1959年)の97刷/155万部(5月24日現在)だそうだ。

 新書版の書籍が数ある中で、権力におもねない姿勢を保ち続ける岩波新書にはこれからもよい書籍の先頭に立ってもらいたい。

 詳しくは:https://news.yahoo.co.jp/feature/989

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コメント

中学校の国語の先生が「岩波新書を1週間に1冊読むと良い」と言っていたのを思い出します。
そして時々ご自宅から岩波新書を持って来られては、その一部分を朗読してくれたものです。
その結果、私が初めて買ったのが『目の見えぬ子ら』(赤座憲久)でした。目の見えない人が、想像を超える感受性と表現力を持っていることに本当におどろいたものです。
以前どなたかの文章の中に、戦後2,3年の紙不足が深刻な時代に『西田幾多郎全集』を発売したところ、岩波書店を取り囲む長蛇の列が出来たと書いてありました。その当時まだ生まれていない私には、これまた想像を超えるおどろきでした。

岩波書店といえば、私の大学卒業時の就職先としては最高ランクに位置していたあこがれの会社、「日本の知性」とも評せられる名門出版社である。「 世界 」「 科学 」「 文学 」「思想 」と何の変哲もない書名であるが、これらを読んでいるはインテリの証でもあった。御多分に洩れず、出版不況はこの名門企業にも例外ではなく、経営内容は悪化の一途、昔日の面影はないそうである。将来にわたって、岩波書店経営破綻という衝撃的なニュースが飛び出さないことを切に祈っている。

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