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2018年6月 4日 (月)

5.31と6.1の天声人語を読んで

 6月1日の天声人語には日本で初めてベートーベンの第九が演奏されたのが100年前の6月1日だと書いてあった。第1次世界大戦のとき徳島県板東の俘虜収容所にいたドイツ兵捕虜が第九を演奏したのだ。

  この捕虜は中国の青島での戦いで捕えられた約1000人ものドイツ兵だった。長引く収用生活の慰安に楽団が組まれたのだ。楽器はどうやって調達したのかと思うが、1000人の捕虜の中にオーケストラで第九を演奏できる人がいたことが驚きである。

  それだけでなく、天声人語は次のように書いている。「驚くのは、文化活動の広いすそ野があったことだ。捕虜によるドイツ史などの講演会があり、ドイツ語の新聞や本も発行されていた」

  どうしてそのようなことができたのか。収容所の所長は松江豊寿で捕虜の自主性を重んじる考えであった。地元民と交流したり、ピクニックへ行くこともできたという。

  さらに大事なことは、「日本が文明国だと示すため、国際法を守らねばと当時の軍は考えていた。捕虜を罪人のように扱ってはいけないと」。収容所の歴史を伝える鳴門市ドイツ館の前館長川上三郎氏はそう指摘したそうだ。

  私もこの場所を訪れたことがあり、そういう事実があったことに感銘を受けたのを思い出す。

  5月31日の天声人語は、真逆のことを取り上げている。その部分を引用する。

  「本の題名は『小さな抵抗』だが、その時にはとてつもなく大きな抵抗だったに違いない。著者の渡部良三さんは学徒兵として出陣し、中国の部隊に送られた。

  みなで朝食を摂っていた最中、上官から言われた。今日は捕虜をころさせてやる、と。度胸をつけるため中国兵を突き刺せという国際法無視の命令である。『おどおどして分隊長に恥をかかせないようにな』と言われ、みなが従う。しかしキリスト者の渡部さんは拒み、私刑の痛みに耐える日々が初めった。

 渡部さんは当時のことを短歌に詠んだ。

  『捕虜殺すは天皇の命令』の大音声 眼するどき教官は立つ

  『捕虜1人殺せぬやつに何ができる』むなぐら掴むののしり激し

  酷き殺し拒みて5日露営の夜 初のリンチに呻くもならず」

 この短歌を読むとまざまざと光景が眼に浮かぶ。私は子どもの頃、近所に中国へ戦いに行った人の奥さんがいて、夫が中国でやったことを聞いたことがある。日本軍がしたことは実に酷いものであった。

 また子どものころ読んだ雑誌に日本兵が中国人の家を探索に入り銃剣で突き刺す描写があり、身の毛がよだったことを思い出す。

 第一次大戦後辺りまでは国際法を守ろうとする日本軍であったが、中国に軍を派遣した頃から国際法を無視して残虐な行為をする軍に変わったのであろうか。

 南京事件はなかったと河村市長は述べて、南京との姉妹都市が解消したが、南京虐殺はそうした軍の変化の延長線上で行われたのだ。

 南京虐殺の博物館を見学したが、中国人の私を見る目の突き刺すようなまなざしを思い出す。

 2日連続の「天使人語」から触発されて書いた。

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