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2018年5月 8日 (火)

「認める方向で調整」は奇妙

 6日のサンデーモーニングでもコメンテーターが言っていたが、柳瀬元首相秘書官が学園関係者と面会したことを「認める方向で調整」という言い方はおかしな言い方だと指摘していた。

 この言い方について、友人が送ってくれた文書に分かりやすい説明があった。

 まず、「朝日新聞デジタル、≪読む国会≫2018年5月4日配信」の次の部分をを引用している。「加計学園の獣医学部新設をめぐり、与党は、柳瀬唯夫・元首相秘書官が2015年4月に首相官邸で学園関係者らと面会したことを認めることで国会の正常化を図る検討に入った。大型連休明けに柳瀬氏の国会招致を立憲民主党など野党6党に提案して審議復帰を呼びかける考えだ。柳瀬氏が学園関係者との面会を認めれば、安倍晋三首相の友人が理事長を務める学園の獣医学部新設計画を首相側近が早くから知っていた可能性が出てくる。学園の計画を初めて知ったのは17年1月20日としてきた首相のこれまでの答弁も揺らぎかねず『加計ありき』との批判が再燃することは避けられない。」

 そして次のようにそのおかしさについてコメントしている

 「この報道が出たとき、何よりまず驚いた。『与党が認める方針』などという言葉は、どういう理屈で出てくるのだろうか。この報道は『政府が嘘をつかせるように柳瀬氏に支持していたが、どうも隠しきれなくなったので認める方針になった』という以外、読みようがないので、もし事実でないとするなら、とりあえず政府は抗議した方がいいのではないか、と一応ご助言しておく。」

 「隠しきれなくなったので認めることにした」というのが誰がみても本音だろう。森友学園でも加計学園でも、財務次官問題でも、文部省の問題でも、すべて隠すことを第一にしてのらりくらりと時間を費やしてきているのだ。

 この記事はさらに次のように解説している。これが面白い。

 「記憶を調整したり、事実を認めたり認めなかったりすることを堂々と『調整』するのは、相当異常な事態である。度々引用するジョージ・オーウェルの『1984』に、このような一説がある。過去は変更されるだけではなく変更され続けるのだ。最も彼を悪夢のように苦しめることは、なぜそんな大規模な詐欺行為がおこなわれているのか彼には全く理解できないということだった。過去を改ざんすることの直接的な利点は明らかだったが根本的な動機は謎に包まれていた。」

 The past not only changed, but changed continuously. What most afflicted him with the sense of nightmare was that he had never clearly understood why the huge imposture was undertaken. The immediate advantages of falsifying the past were obvious, but the ultimate motive was mysterious.

 私(記事を書いた人)もこの主人公、ウィンストンに全く同感だ。これは異常であり、この異常な対応をしてまで何をしたいのか、私には全くわからない。このような異常事態が、あたかも「あー、ようやく認めたのか」程度にしか受け取られなくなっていることに、強い危機感を感じる。これは、決して普通のことではないのだ。麻痺してはならない。

 上記の指摘は大事である。メディアも含めて「ようやく認めたのか」という受け止めをしたのだ。メディアリテラシイが弱くなっているのだ。「強い危機感を感じる」と言っているが、いつのまにかそう馴らされてしまったのだ。怖いことである。

 いずれにせよ、柳瀬氏が極めてハードな努力によって記憶を取り戻すことに成功していたにせよ、あるいは客観的状況からそれを認めざるをえないということを認めたにせよ、それが意味するのは我々はやはり記憶というものを当てにしてはならないということであり、政府の文書管理の責任が大きく問われるということになるだろう。歴史は文字によって紡がれるべきである。決して曖昧で都合のいい記憶ではなく。・・・・・以上、立憲フォーラム通信(福田誠之郎)5月5日配信から。

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コメント

昨日の記事にも「細川家はその顛末を詳細に記録していた。」とありましたが、日本史の歴史家に言わせると、日本人というのは世界でも稀に見るほど記録魔のようで。
藩のお役人にしろ庄屋さんにしろ町人にしろ、あきれるばかりに記録を残している。
明治以降の激動の中心にあって眠る時間もなかったのではと思える著名人達も日々日記を書き、手紙を出している。
「美しい日本」だの「日本の伝統」を賛美する現政権とその取り巻き達が、これほどまでに記録をないがしろにするのは、まことに奇妙。

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