NHKスペシャル「大江戸でござる」が面白かった―①―
4月29日に放送されたNHKスペシャル「大江戸でござる」を録画しておいて観たが大変面白かった。
東京は2020年の東京オリンピックに向け、かつてないほどの建設ラッシュ。東京のあちこちで今も地面が掘り起こされている。
中央区教育委員会の、仲光克顕さんは江戸遺跡の発掘調査中――。
建設現場の地面からは「泥メンコ(江戸時代のおもちゃ)」、「キセル」、「かんざし」「お歯黒の壺」など当時の江戸庶民が使っていた愛用品が次々と出土している。
また、かつての長屋の跡も出土していて、広さ25坪の平屋に8世帯、30人以上が暮らしていた痕跡も垣間見える――。
江戸中期(18世紀初め)には江戸の人口は100万人!!であった。この人口密度は世界に類を見なかったといわれる。江戸はパリやロンドンの倍の人口であった。
パリ(巴里) … 51万人
ロンドン(倫敦) … 58万人
江戸 … 100万人
オーストリアのバート・アウスゼー。カンマ―ホフ博物館の館長、ピーター・グリルさんが、江戸の街を写した写真のネガフィルムを見せてくれた。
そのネガフィルムはなんと、150年前の写真家が日本の江戸(1859~1860年頃)を撮影した270枚以上の写真である。素晴らしい歴史資料である。
2017年7月、オーストリア国立図書館にて発見されたこれらのネガフィルムを、東京大学史料編纂所所長の、保谷徹さんをリーダーとするグループが調査を開始。
その結果、江戸の町を捉えた史上最古の写真であることが判ったのだ。
その鮮明な写真には、武家屋敷、大名屋敷、旗本屋敷などが細かな落書きまでもクッキリと写されていて、とても貴重な町並み研究の手がかりとなるものであった。それをもとに高精細なCGで江戸の街が再現された。
江戸、その知られざる姿を、ドキュメンタリーやドラマ、高精細のCGなど、多彩な演出で3回シリーズで描くそうだ。
第1集は、巨大都市建設の物語であった。小さな田舎町だった江戸は、徳川家康が幕府を開いてから100年ほどで、世界最多100万の人口を抱える大都市に成長した。その原動力はどこにあったのか?
最近、江戸初期の都市計画を描いた最古の図面や、幕末期の江戸を写した写真が見つかるなど新たな発見が相次ぎ、その変遷が詳しく分かってきた。江戸は、水を駆使して造り上げた、世界に類をみないユニークな都市だった。巨大な“水の都”江戸誕生の秘密に迫るという。
家康が初めて江戸にやってきたのは、1590年(天正18年)であった。この時の江戸は湿地が広がるただの田舎町だった。
もともと三河の国を納めていた徳川家康ですが、当時の最高権力者、豊臣秀吉から命じられて江戸に移ったのだ。
豊臣秀吉は、実力者だった徳川家康を煙たがり、当時僻地だった江戸の地へ左遷させるのが目的だったと言われている。
1603年(慶長8)、江戸の地に幕府を開いた徳川家康は、天下にとどろく最強の大都市へと成長させたのであった。
松江歴史館には、江戸の初期のころを描いた「江戸始図(えどはじめず)」が所蔵されている。
江戸城を中心とした「らせん状」の濠(ほり)を造り、水運が利用できるようにした。法政大学の陣内秀信准教授によれば、江戸の町はお濠を中心にした水路を江戸中に築き、水運と防御を最も重視した作りになっているという。
将来を見据え、都市が拡大しても、江戸城を中心にらせん状に掘っていったお濠を二重、三重にしながら延長して行くだけで、無限に都市の拡大ができるのだという。江戸の発展の秘密がここにあった。いったいこのすごいプロジェクトを創案したのは誰なのか、番組では言及していないのが残念であった。
濠の威力はとても大きく、陸路だと馬一頭に100キロ程度の運搬力だが、水運があれば船で1トンの輸送力とスピードも確保可能である。
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