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2018年5月

2018年5月31日 (木)

24日の「NHKのSNS英語術」が面白かった

 4月から始まったNHKの英語番組「SNS英語術」を見ている。この番組は今世界で大流行しているSNSでの生の英語を通して英語を勉強しようというもので、主にTwitterの投稿が取り上げられる。

 5月24日の番組は、毎年5月に迎えるアメリカの高校と大学の卒業式に関連したものであった。アメリカの高校では卒業式の後意中の人と着飾ってダンスパーティに出かける「Prom」と創意工夫を凝らして校内にいたずらを仕掛ける「Prank」が紹介された。どちらも日本にはない卒業文化である。
 下の写真のPrankは、校長室に入れなくしたものと校長室に車が突っ込んだ形にした手の込んだものである。
 Promは幸せそうな表情である。また、アップロードした人の言葉がいい。
 
もう一つは、大学のCommencement Speechである。ハリウッドスターや元大統領などの著名人が各地の大学で行うスピーチから選んだものだ。
 
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Prank
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Prom
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Commencement Speech
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2018年5月30日 (水)

第14回 緑のさわやかコンサート

 Aves Juvenesの「緑のさわやかコンサート vol.14」が5月26日に熱田文化小劇場で開催された。

 昨年もAves Juvenesのコンサートに行き、そのことをblogに書いたが、このグループは1986年に椙山学園大学合唱団の卒団者有志によって結成され、ルネサンスの宗教音楽を中心に歌っている女声コーラスグループである。指揮は山中涼子氏。
 
 この他にこのグループと混声合唱をするために作られたアベス・アミーチェという8人の男声合唱が共演した。4回目の賛助出演だそうだ。
 オープニングは壇上に6人、後の人たちは会場通路にライトをもって立って歌った。曲はビーブルのアベマリア。大聖堂で歌っているような響きが広がった。
 次は「スペインの聖歌」で、最初の曲はモラーレスの「ガブリエリはつかわされた」を男声も加わって歌った。力強い男声が響いた。
 
 3番目は、ビクトリアの「おお聖なる宴よ」、4番目がグレッロの「この上なく優しきマリアよ」で女声コーラスであった。最後は再び男声が加わってビクトリアの「アベマリア」であった。
 
 この後もそうだがすべてアカペラで歌った。すぐれたハーモニーと響きのある歌声で宗教音楽にピッタリであった。
 
 第一部の最後の曲は、立体合唱と称して、ヤコブ・ハンドルの「アレルヤ汝の復活に」を混声で歌った。舞台のフォーメーションは中央を少し空けて、上手にバスからテノールと男性が並び、下手には女性がソプラノから並んだ。
 
 15分間の休憩の後、第2部であった。オープニングは赤いシャツを着て、日本の歌の「ホタル来い」と「浜千鳥」を歌った。レベルの高い合唱曲であった。
 
 最初は、「バード 3声のミサより」と題して、まず、男声のアベス・アミーチェが「主よ憐れみたまえ」を歌った。低音部のよくきいた歌声であった。
 
 女声のアベス・ユベネスは「聖なるかな」「祝せられる」「神の子羊」の3曲を歌った。素晴らしい歌声であった。
 次は「コルシカ島の12の歌」(アンリ・トマジ)を黒い衣装に替えてアベノ・ユベネスが歌った。
 
 曲によってフォーメーションを変えて歌った。プログラムと一緒に言語と日本語の歌詞が配られたので、それを読んで聞いたが、コミカルな歌や意味不明の歌などがありバラエティに富んでいた。
 悲歌、選挙の歌、セレナーデ・バルカロール、可愛い娘(子守唄)、愚かな羊飼い、スパネトゥの哀歌(ロバの弔い歌)、波間の漁夫、悲歌、アンドレおじさん(ユーモラスなロンド)、娘(子守唄)、悲歌、定期市の商人
 
 エピローグは、混声合唱でフォーブスの「光より生まれし光」
 
 アンコールは3曲も歌われた。いつも歌う曲「主に向かいて新しき歌を歌え」、「アベマリア」、そして日本の「花は咲く」。この歌はいろいろなところで歌われるが。今回のは一番美しかった。
 西洋の古い宗教曲はカソリックの大聖堂で歌われるのだと思うが、アベス・ジュベネスが歌ったルネサンス期の音楽はハーモニーが美しく、響きがよく、心を癒されると感じた。
 アカペラで歌われたので純粋に人の声だけの美しさであった。私はキリスト教徒ではないが、人々を惹きつけるこういう音楽を作り出したことに感心する。至福の2時間であった。
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2018年5月29日 (火)

誰が使うの?超高額抗がん剤

 25日の朝日新聞に「未承認抗がん剤の8割、月100万円」という見出しのコラムがあった。驚いたのは、一番高額な薬は、米国で2017年8月に承認された急性リンパ性白血病向けの「キムリア」で、自身の免疫細胞に遺伝子操作をしてガンを攻撃する力を高めて体内に戻す「CAR-T細胞療法」と呼ばれる治療法で、1か月あたり約4700万円だという。国内でも4月、製薬大手ノバルティスが承認申請をしているそうだ。

 1か月に4700万円もガンの治療に払える人は、安倍首相とか麻生財務相やソフトバンク孫社長のような超お金持ちしかいないだろう。いったい何か月で治るのか、書いてないので不明だが、絶対治るのでなければ使えないだろう。
 
 国立がん研究センターの調べによると、欧米では承認されているが、国内では未承認の抗がん剤がのべ65種類あり、薬剤費が分かっているうちの約8割、45種の1か月の薬剤費は100万円を超えるそうだ。
 
 1か月100万円でもべら棒に高いと思うのだが、抗がん剤はそんなにも高いのかと驚く。だから保険会社が高額医療に備えて保険を掛けろと毎日のように宣伝しているのだ。
 
 1000万円以上が3種あり、500万円以上は10種あるというが500万円以上1000万円未満なのかどうかは分からない。
 
 価格がこれほど高いのは、製造が難しい新しいタイプの薬や対象患者が少ないことが原因だと推測している。
 
 領域別で最も未承認薬の多かったのは、リンパ腫などの血液のガンで30種類だったという。
 
 調査した国立がん研究センター先進医療・費用対効果評価室の野口瑛美医師は「未承認の薬を国内でも使えるようにしていくことは大切だが、患者の経済的な負担にどう対応するのか、制度の在り方も考えていかねばならない」とコメントしている。
 
 高齢化してガンにかかる人は増えているが、同時に高齢化により医療費に対する不安を抱く人も増えている。私もその一人である。近藤誠医師のように、「医者にかかるな、薬を飲むな」と言ってもらうと貧乏人には神様のように思われる。
 高額未承認抗がん剤は所詮低所得層には無縁である。ここにも医療における持てる者と持たざる者の格差が歴然としてあるのだ。

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2018年5月28日 (月)

加計学園コメントはいずれにしても嘘つき

 

 加計学園は26日、愛媛県今治市への獣医学部新設で2015年2月に加計理事長が安倍首相と面会したと記載した愛媛県の文書についてのコメントを発表した。当時の担当者の記憶では「実際にはなかった総理と理事長の面会を引き合いに出し、県と市に誤った情報を与えてしまったように思う」としている。

 
 「構造改革特区から国家戦略特区を用いた申請に切り替えれば活路が見いだせるという考え」から、担当者が面会について言及したというのだ。つまり加計学園の担当者は愛媛県の担当職員に、安倍首相と加計理事長の面談はなかったのに、あたかもあったかのように嘘をついたというのだ。
 
 ウソをついたのは、安倍首相と面会して、首相から「そういう新しい獣医学部の考えはいいね」と言われたと話せば、愛媛県側に強いインパクトを与え有利に事が進むと考えたのだ。
 
 この「面会」問題は、もし愛媛県の文書の通りであれば、面会があったことになり大変な問題である。しかし、「面会」が安倍首相や加計学園の言う通り、なかったのであれば、加計学園はウソによってことを有利に運ぼうとしたことになるのだ。
 
 だから加計学園のコメントは、いずれにせよ「ウソ」をついたことになるのだ。玉木国民民主党共同代表がいうように「ウソの上塗り」である。また枝野立憲民主党代表が「仮にコメントが本当だとしたら、総理の名前を語って県や市をだました。それはもう犯罪的な話だ」という指摘の通りだ。
 
 どのみち加計学園は安倍首相を利用して、今治市に獣医学部を作ることができたのだ。15年6月に、市と県は国家戦略特区に申請し、17年1月には、なぜか加計学園だけが公募に手を挙げるという奇怪なことで無競争でかちとったのだ。
 
 そうして3月には今治市が36億7500万円もの学校予定地を無償譲渡し、建設にかかる総事業費の半額(96億円)を補助することに決めたのであった。
 
 森友学園は12億円程度で騒がれたが、加計学園の得たものはくらべものにならない巨額である。こんなことがどうして許されるのか。ウソをついて安倍総理を引き合いに出し巨額の税金をせしめたのだ。
 
 「面会」が事実であったなら、総理の影響力でやったことになり、安倍総理が親友加計理事長に便宜を図った疑いが濃厚になる。
 
 野党に追求してもらいたいのは、県と市による巨額の税金を一企業に使った点である。これこそが大問題なのだ。

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2018年5月27日 (日)

木で熟した我が家の大王グミ

 我が家の庭にある大王グミ。昨年はほとんどならなかった。今年も花は沢山咲いたが実はあまり見なかった。今年も昨年のようにならなかったのかと思っていた。

 月曜の夕方、念のためにグミの木を調べてみた。すると葉の陰にグミの赤いよく熟した実があるのを見つけた。3つか4つがかたまってぶら下がっていた。
 
 それで念入りに探した。するとよく茂った葉の陰にグミの実が下がっているのを見つけた。よく熟しているので手で触れるだけで落ちるのもあった。
 
 妻も出てきて一緒に探した。結局小さなザルに一杯収穫した。ハイモアできれいに洗って食べてみると、グミの渋みはなくとても甘かった。木で熟したので甘くなったのだ。
 
 3年前までは、大王グミがたくさん収穫できた。それで焼酎と氷砂糖で漬けてグミ酒を作っていた。いい香りのグミ酒ができた。グミ酒は今も少し残っている。
 
 昨年から急にならなくなって、今年も諦めていたのだが、思ったよりたくさん取れて嬉しい。珍しいので近所の安田さんにおすそ分けした。といっても量は少ないが。

 その後も妻が毎日5~8粒ぐらい収穫した。嬉しい誤算であった。
 
 我が家のグミは、無農薬、無肥料である。肥料をやらないから実がならないのだろうか。それともミツバチが少なくなって花粉を媒介してくれないのだろうか。
 
 私が子供の頃、山にグミの木があって、実がなっていたが、取ることはほとんどなかった。グミを食べるとお腹をこわすと言われていた。だから小さい実をちょっと口にしただけであった。

 我が家のは大王グミなので実が大きく熟すと甘いのだ。ただ今年はグミ酒を作れないのが残念である。もう少し収穫量が多いと作れるのだが。来年はどうなのか、たくさんなるだろうか。

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                   この倍ぐらい収穫

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2018年5月26日 (土)

米朝首脳会談の中止

 5月24日に北朝鮮は核実験場を米韓英中露のメディアが見守る中で予告通りに爆破した。金正恩氏の非核化の意思をアッピールしたものだ、

 この同じ日に、米国のトランプ大統領は金正恩朝鮮労働党委員長に宛てた書簡を公表し、6月12日にシンガポールで予定されていた米朝首脳会談を中止する意向を明らかにした。
 
 両首脳の会談が発表されてから北朝鮮はすぐに拘束していた3人の米国人を開放した。そうしたことで米朝首脳会談は行われるだろうと世界に期待を持たせた。
 
 しかし、その後互いにけん制し合って、結局首脳会談は中止となった。トランプ大統領も金正恩委員長もその真意がどこにあるか掴みどころのない政治家である。NHKニュースの街頭インタビューである人が「どうせこうなると思っていた」と話していたが、多くの人は同じことを思っていただろう。
 
 トランプ大統領は書簡で金委員長を褒めたり貶したりしながら、最後には「もしあなたの考えが変われば、ためらわず私に電話をするか、手紙を送ってほしい」と記した。
 
 今回の米朝会談は肩透かしを食ったが、一縷の望みはつながれている。金委員長が十分な核を持っていると誇示すれば、トランプ大統領は米国の方がもっとたくさん持っている。いつでもやってやるぞと威嚇している。
 
 そういう危険な世界をおののかせるような応酬はやめにして、真摯に朝鮮半島非核化へ向けての対話を進めてほしい。

 一方の米国が大量の核兵器を保持している中で北朝鮮に即時核廃棄を求めるというのは矛盾しているが、米朝会談は、核を廃絶への第一歩でとなるものだ。

 究極の目標地球全体の非核化がである。世界の核保有国が核兵器や核施設を廃棄し、原発も廃棄することである。
 
 それは永遠の課題であろうが、その努力を続けてほしい。

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2018年5月25日 (金)

安倍首相と麻生財務相を道徳教科書に推薦

 

 24日の朝日朝刊の一面記事は財務省の森友関係文書が廃棄されていたというものであった。見出しは「森友記録、意図的に廃棄 佐川氏答弁に合わせ」であった。

 
 財務省の文書改ざんや廃棄など絶対あってはならない行政官吏の行為に、責任者の麻生財務相はノーコメントであった。

 加計学園問題といい、森友学園問題といい、両方とも安倍首相がらみで、安倍首相は、文書が出てきても、何があっても知らない、関係ないとウソをつき続けている。麻生財務相も同様である。
 
 「嘘も100回つけば真実になる」とは、あのナチスドイツのヒトラーの名言である。ヒトラーに倣えと言ったのは麻生財務相であった。
 
 二人とも総理、副総理という国権の最高の立場にいながら、民主主義を無視して、国民や国会を欺き続けている。実に見事である。
 
 そこで思いついたのは、安倍首相の肝いりで教科となった道徳の教科書に、安倍首相と麻生財務相を題材として載せたらよかろうということだ。
 
 「嘘をつくなら徹底してつくべし」というよい事例として、両氏のこの1年余りの森友・加計問題での対応ぶりを載せるのだ。これほどよい教材はこれまでにないであろう。
 
 総理大臣というおエライお方がウソをつき通して頑張っておられる、何と見事な行いであろうか。みなさんもよく見習って、大きくなったら安倍首相や麻生財務相のような立派な人間になろうというのだ。
 
 新しい時代の道徳教科書はその時代にふさわしいものでなければならない。きっと素晴らしい教材となるであろう。
 
 誰よりも安倍首相自身が素晴らしい教材だと感涙にむせばれるに違いない。

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2018年5月24日 (木)

放射能値が相変わらず高いものがあるという情報

下記の記事は友人が送ってくれたもので、福島県在住のNさんが発信されたものである。このような情報は全国紙では取り上げられないので見ることができない。それで紹介することにした。

コシアブラはてんぷらにするとおいしいと言われる山菜だが、なかなか市販されているのを見ることはない。タケノコは名古屋では関西や九州産のものが来ると思う。

福島など東北地方では今も野生の植物には放射のを吸収しているものがあるようだ。

――昨日(517日)の毎日新聞と福島民報に掲載された「福島県内に出荷された茨城産コシアブラから放射性セシウムが基準値(100ベクレル/1Kg以下)を超える130ベクレルが検出された」という記事。

 <情報速報ドットコム>の情報でも、福島の隣接県の多くで原発事故の影響と見られる放射能汚染の記事が連続しています。春の恵みを代表するタケノコやコシアブラなどから基準値を超える放射性セシウムが検出されているのです。多くの場合、マスメディアでは無視か小さな見出しでしか報じられていませんが、今日は記事になりました。

 東京電力福島第一原発事故から7年が経っても、というより7年しか経っていないのだから、「宜(むべ)なるかな」というところでしょうか。セシウム134は半減期が2年ですが、セシウム137の半減期は30年。事故を起こした福島原発からは今もなお、空に海に放射能は漏れ続けていますので、事故から2600日以上毎日放射能がばら撒かれている、ということを心に留めておくことが身を守るために必要だと感じています。何といっても、いつになったら放射能放出汚染を止められるのかが全く見通せないのですから。

 そしてもうひとつ。事故原発の廃炉に向けた作業が本格化する中で、原発から放出される放射性物質が大幅に増えてきたのではないか、という疑いです。東京電力と国の原発推進官庁は事故のずっと前から重要な情報ほど「隠蔽」してきた実績からみて、事実を公表するとはとても思えません。

 原発事故の起きた2011年の自宅の庭木には大きな特徴が現れました。バラの花の色がパステルカラーのように鮮やかに輝いたのです。それは植木を売っている店の従業員も認めていました。そして今年はバラの花やシャクヤクの花が異常と思えるほどに大きいのです。見た目は豪華ですが、疑いの目で見るとあまり喜べなくなります。

 こうしたことを見越したのではないかと疑いたくなるのは、今年の320日に原子力規制委員会が打ち出した「福島県内の放射線監視装置(モニタリングポスト)を避難区域以外にある約2400台を2020年度末までに撤去することを決めた」ことです。これには福島県内の郡山市・会津若松市などの市民から「モニタリングポストの継続を求める」要請が416日、規制委員会に対し行なわれました(添付)。

 原発の廃炉とは何をもたらすか。2020年の東京オリンピックを念頭に「復興」というお題目を唱えるだけで、周辺住民、県内住民、近隣県外住民への危険予測をおろそかにしてはいないか?福島などの被害者をどのようにして守り、廃炉・復興をするのか?

 原発再稼動に血道を上げる安倍政権に期待できるはずもなく、マスメディアもそれほど頼りにならず、最後は市民が立ち上がり市民同士の連帯で対処するしかない。それが「日本というお国」の「今」なのでしょう。

 2018.5.11「新潟県産“コシアブラ”から基準値超のセシウム!魚沼市や湯沢町等で相次ぐ!高い線量の原因は」

https://johosokuhou.com/2018/05/11/4697/

 2018.5.12「注意!放射能汚染、タケノコやタラの芽で基準値超!宮城県産440Bq・群馬県産200Bqなど」

https://johosokuhou.com/2018/05/12/4772/

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2018年5月23日 (水)

いつまで白をきるのか、安倍政権

 

加計学園獣医学部新設をめぐる内容を愛媛県職員が記録していた文書など27枚を、参議院予算委員会に提出したことがメディアで報じられた。

 
 朝日新聞は1面トップ記事で、「15年『首相に加計氏説明』 獣医学部計画、首相『いいね』」という見出しで報じた。NHKも文書の写真を示しながら詳しく放送した。
 
 一番の要は、2015年2月に加計孝太郎学園理事長が安倍首相と15分間面会したという記述である。加計氏が「今治市に設置予定の獣医学部では、国際水準の獣医学部を目指す」と説明、それに対し安倍首相が「そういう新しい考えの獣医学部はいいね」とコメントしたというのだ。
 
 これまで安倍首相は「私の地位を利用して何かを成し遂げようとしたことは一度もなく、獣医学部の新設について相談や依頼があったことは一切ない」と答弁してきた。それが崩れる記載である。
 
 さらに安倍首相が学園の学部新設計画を知ったのは、国家戦略特区諮問会議で学園が学部設置の事業者に決まった17年1月20日、と説明していた。これは15年2月に加計氏から説明を受けたという記載と全く矛盾する。2年も前に会っておきながら「知らぬ、存ぜぬ」と言い続けてきたのだ。
 
 今回の文書は重要な証拠である。これによって安倍首相の嘘がばれ、親友の加計理事長に便宜を図ったことが明白になったのだ。
 
 この件に関して加計学園は「加計理事長が会った事実はない」と否定したが、それは当然であろう。もし、認めたら大変なことになるからだ。
 
 これまでも加計理事長は、この一連の問題についてノーコメントを通し、ひどいことに一切姿を現さず、どこかに隠れていたのであった。そのこと自体がやましいことがあったことを無言で証明している。
 
 この文書には15年2月に、学園側が加藤勝信元内閣官房副長長官と面会した、という記述もある。また、柳瀬唯夫首相秘書官に関して記述された文書もあるという。
 
 安倍首相の外堀はどんどんと埋められて行き、いつ落城してもおかしくない状況に来ているのに、相変わらず知らないとウソをつき、白を切り続けている。
 
 菅官房長官は、22日の記者会見で、当時の首相官邸への入廷記録が破棄されているため、面会は確認できなかったと説明した。記録は業務が終われば速やかに破棄されることになっているとも述べた。

 ここでも「破棄した」ということで誤魔化そうとする姿勢がミエ見えである。都合の悪いことは「文書はありません。破棄しました」といえば証拠を隠滅できるのだ。こんなことがいつもまかり通っているが許せない。

 財務省の問題も加計学園問題も森友学園問題も、本来ならとっくに関係した大臣や首相なのの首が飛んでいておかしくないのに、居座っておられるのは、圧倒的多数の国会議席があるからである。せめて参議院が野党が多数であったらこうはいかなかったであろう。
 
 それにしても嘘を平気でついて、国会や国民を欺き続ける政権が存在するということは恐ろしいことである。韓国だったら大デモが起きて引きずりおろすだろうが、日本人は何と穏やかなことであろうか。

 公明党の山口代表は、この文書について「又聞きの又聞きだから、安倍首相が否定している以上問題にならない」と述べたそうだ。公明党はどんどん堕落していく。信者たちはそれで納得するのだろうか。
 

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2018年5月22日 (火)

第33回橘座公演 桂小南独演会

 毎年春と秋の2回行われる「橘座公演 桂小南独演会」が、5月19日(土)に愛知産業大学工業高校たちばなホールであった。

 私はこの橘座公演を楽しみにしていて、いつも聴きに行っている。地元大須の人たちの協力もあって無料で行われるのが凄い。
 
 今回は桂小南で落語芸術協会に属していて、昨年9月に三代目桂小南を襲名したばかりである。私は小南の落語を聞くのは初めてだった。
 
 上方落語だと思っていたら、初代と先代は上方落語を東京で演じたらしいが、3代目桂小南は埼玉県春日部市の出身だ。最初に演じた「そば清」という落語の中で脱線をして春日部の小・中学生時代のことを話して笑いを取っていた。
 
 「そば清」は上方落語であらすじは、
 
 江戸。そば屋で世間話をしている客連中は、見慣れぬ男が大量の盛りそばを食べる様子を見て非常に感心し、男に対し、男が盛りそばを20枚食べられるかどうか、という賭けを持ちかける。男は難なく20枚をたいらげ、賭け金を獲得する。

 悔しくなった客連中は、翌日再び店にやってきた男に30枚への挑戦を持ちかけるが、またしても男は完食に成功し、前日の倍の賭け金を取って店を出ていく。気の毒がったひとりの常連客が、「あの人は本名を清兵衛さん、通称『そばっ食いの清兵衛』略して『そば清』という、大食いで有名な人ですよ」と、金を奪われた客連中に教える。

 悔しさがおさまらない客連中は、今度は50枚の大食いを清兵衛に持ちかける。清兵衛は自信が揺らぎ、「また日を改めて」と店を飛び出して、そのままそばの本場・信州へ出かけてしまう(演者によっては、清兵衛は行商人として紹介され、信州へ商用で出かけたと説明する)。

 ある日、清兵衛は信州の山道で迷ってしまう。途方にくれ、木陰で休んでいると、木の上にウワバミがいるのを見つけ、声が出せないほど戦慄する。ところがウワバミは清兵衛に気づいておらず、清兵衛がウワバミの視線の先を追うと、銃を構える猟師がいるのが見える。ウワバミは一瞬の隙をついてその猟師の体を取り巻き、丸呑みにしてしまう。

 腹がふくれたウワバミは苦しむが、かたわらに生えていた黄色い(あるいは赤い)草をなめると腹が元通りにしぼみ、清兵衛に気づかぬまま薮のむこうへ消える。清兵衛は「あの草は腹薬(=消化薬)になるんだ。これを使えばそばがいくらでも食べられる。いくらでも稼げる」とほくそ笑み、草を摘んで江戸へ持ち帰る。

 清兵衛は例のそば屋をたずね、賭けに乗るうえ、約束より多い60枚(あるいは70枚)のそばを食べることを宣言する。大勢の野次馬が見守る中、そばが運び込まれ、大食いが開始される。清兵衛は50枚まで順調に箸を進めたが、そこから息が苦しくなり、休憩を申し出て、皆を廊下に出させ(あるいは自分を縁側に運ばせ)、障子を締め切らせる。清兵衛はその隙に、信州で摘んだ草をふところから出し、なめ始める。

 観客や店の者は、障子のむこうが静かになったので不審に思う。

 一同が障子を開けると、清兵衛の姿はなく、そばが羽織を着て座っていた。例の草は、食べ物の消化を助ける草ではなく、人間を溶かす草だったのである。

 桂小南は噺の一部を変えていたが、そばを食べる仕草をいろいろと演じうまいものであった。

 仲入りのあとは「お楽しみ」ということで題名が知らされていなかったが、帰宅後ネットで調べたら「甲府い」という噺であった。初めて聴く噺だった。

 「甲府い」あらすじ

 《「甲府い」あらすじ》

 甲府から仕事を得るために江戸に出てきた善吉。法華宗の信者でもあった善吉は、「仕事を得て一人前になるまでは故郷に帰らない」と願をかけてきたものの、財布をすられ一文無しに。

 行き倒れ寸前のところで、豆腐屋にあった卯の花を盗み食いしてしまい、店の若いもんにとっちめられてしまう。

 そこに出てきた店主。訳を聞くと可哀想になったうえ、店主もまた法華宗。人手が足りなかったこともあり、善吉を働かせることにした。

 店は法華豆腐とあだ名される人気店。特に人気なのが、ごまがたっぷり入ったがんもどきだと言う。店主から「豆腐ぅー、ごまいり、がんもどき」という売り声を教えられ、それを言いながら、一生懸命売り歩いた。

 あっという間に3年が過ぎ、気づけば善吉は立派な豆腐屋の一員に。
店主も、その妻も、善吉の誠実な人柄に一目置いていた。

 二人にはお花という一人娘がおり、善吉を婿に迎えるのが良いのではないかという話があがる。お花も、善吉の話をすれば顔を赤らめる始末なので、話はすぐにまとまった。

 豆腐屋の養子に入った善吉。善吉は早くに両親を亡くし、甲府にいた叔父に育てられた。その叔父に結婚の報告をしたいから5、6日暇をもらいたいと申し出る善吉。ついでに、願掛けをしてきた身延山へもお参りしたいという。

 翌日、早速荷物をまとめ、お花と二人、いつもと違う綺麗な服装に身をつつんだ爽やかな若夫婦が、甲府に向かって街道を歩いて行く。

 それを見た町人は、いつもと違う二人の様子に驚き「二人してどこへ行くんだい?」と声を掛けた。善吉はいつもの売り声の調子で答える。
甲府いー」
続いてお花がお参り、願ほどき」

 桂小南は声が大きいがマイクの加減か大きくても発音が明瞭でないところがあった。また、体を前に折って低くして話すのが特徴のようだ。

 「開口一番」は三遊亭遊七で女性であった。女性の落語家は珍しいのでよかった。

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2018年5月21日 (月)

マジックでボランティア

 

4月と5月にあるデーサービスから頼まれてボランティアでマジックを見せにいっている。曜日によってデーサービスに来る人が変わるようで、これまでのところ木、金、火と3回出かけた。

 
 参加者は20数人である。私一人でやるのだが、午後2時ぐらいから1時間やってほしいと言われるので、ネタをたくさん用意してかなければならない。
 
 マジックは本当は30分ぐらいが適当だと思うし、そのぐらいなら1人でも大丈夫だが、60分となると観ている人を飽きさせないようにやらねばならない。
 
 私は金がかかる華麗なマジックの道具はもっていない。地味なマジックばかりである。だからトークを入れて分かりやすく演じている。
 
 私が尊敬する故高木重朗先生は分かりやすくきれいにやるのが大事だと言っておられたと記憶する。私が教えてもらった師匠はいつも高木先生のレクチャーを受けていた人なので、私はいわば孫弟子ということになる。

 デイサービスは高齢者ばかりで90歳以上の方も来ておられる。身体的に不自由な方もいれば、中には認知症がひどいと思われる方もおられる。私がやっている間ただ椅子に座ってねむったようにしておられる方も何人がいる。

 私は話すときは大きな声でよく分かるようにゆっくりと話している。それでも耳が不自由な方には届いていないかも知れない。

 演じながら私は一人一人の表情を観察する。長年教員として授業などをしてきたのでその点は培ったものがある。

 声に出して反応をして下さる人がいるとやりやすいが、そうでなくても表情からどう受け止めているかが分かる。

 また、観ている人に参加してもらうようなマジックも加えている。いくら不思議を楽しむマジックでも1時間観ているのは大変だと思う。

 マジックを見せるときルーティンと言って、順番や組み立てが大事である。最初は掴みといって観ている人を惹きつけなければならない。

 私がやるマジックは、シルク、ロープ、大型カードなどが多いがそれを飽きが来ないように組み合させている。

 マジックは事前の準備と後片付けが大変である。慣れた演目でも事前に検討をしてチェックすることが必要である。観ている人にはそういう陰のことは分からないだろう。

 私の場合、観客と年が変わらないか私の方が上である。年齢からすれば観る側にいてもおかしくないのだが、披露する側にいることが有難いと思っている。
 

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2018年5月20日 (日)

「ビールもどき」を安い時に買う

 ここ数日やっと日中に汗をかくようになって来た。ビールシーズンの到来である。私は寒いシーズンは日本酒で、暑くなってくるとビールテイストの「ビールもどき」を飲む。

 「ビールもどき」というのは私が第3のビールに付けた呼び方である。先日ビール類が値上げになった。値上げの前から、家で飲むときは第3のビールを飲んできた。ビールがよいに決まっているが年金生活では贅沢はできないのだ。
 
 第3のビールはビールの規格からはずれているので、「ビールもどき」と言っているのだ。妻は「ビールと言いなさい」とうるさく言うが、ビールではないのだからと言って「ビールもどき」という言い方を譲らない。
 
ビール会社の努力もあって第3のビールは次々と新種が発売される。キリンの「ストロング」とか、サントリーの「頂」とか、朝日の「プレミアムアサヒ」などである。キリンは「本麒麟」というのも発売したが、おかしな命名である。これまでのキリンはビールも含めて「フェイク(偽)」だったのかと言いたくなる。
 
最近第3のビールの値段が日によって変動することに気づいた。安い時は6缶で608円(税別)だが、同じものが高い時には680円とか、750円ということもあるのだ。それで608円の時に買っておくことにした。
 
  私が買っているマックスヴァリューでは、値上がりする前は6缶580円ぐらいだったと思うのだが、今は608円なのだ。昨日は680円だった「ストロング」が今日は608円だったので買っておいた。
 
  それにときどき第3のビールの割引券をくれるのでそれを併用している。割り引きといってもたいていは6缶で10円ではあるが。それでも「ちりも積もれば・・・・」である。とにかく銀行預金の金利がつかないのでこういう形で金利相当のものを稼ぐしかないのだ。
 
  ついでに言うと、酒のディスカウントショップが必ずしも安いとは限らない。スーパーの方が安いことが多い。もちろんスーパーによっても違うが。

「第3のビール 画像」の画像検索結果

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2018年5月19日 (土)

インターネットエクスプローラが遅いのでいじったらエライ目に

 インターネットエクスプローラが大変重くなり、立ち上がるだけでも何分もかかるようになった。それでネットで検索したら「WINDOWS 7と8でインターネットエクスプローラの動作を速くする法」というピッタリのものが見つかった。

 動作が遅くなる原因はいろいろあることが分かった。そして、「以下の項目を順に確認してください。」と書いてあったので、1と5を試みた。

1. インターネット一時ファイルや閲覧の履歴を削除する
2. アドオンを無効にする
3. GPUレンダリングの設定を確認する
4. ウイルスに感染していないか確認する
5. Internet Explorer 11の設定をリセットする

 1は、デスクトップ版インターネットエクスプローラ11を起動、右上の隅にある歯車のマークをクリック→「セーフティ」をクリック。
 「閲覧の履歴の削除」が表示される。

「インターネット一時ファイルおよびWebサイトのファイル」にチェックを入れ、「削除」をクリックする。
※ チェックが入っている項目はすべて削除対象になるため、削除したくない項目はチェックを外す。

 私はクッキー、履歴、ダウンロードの履歴などにもチェックを入れて削除した。
 次に、インターネットエクスプローラ11の設定をリセットした。「ALT]キーを押して上部に「ツール」を表示させ、その中の「インターネットオプション」の中にある「リセット」ボタンをクリックした。
 
 ここまでやってインターネットエクスプローラを起動したら、マイクロソフトに変わってしまい、これまで使っていたYahooのHPがなくなってしまった。いろいろ探したがYahooオークションが出てきた。
 
 またすったもんだやって、やっとのことでYahooのHPを設定できた。ところがそのページで「ココログ」を検索してログインしたが、これまでと全く変わった表示になった。使い物にならない。
 それでGoogleを使って検索してログインしたら、以前の通りの画面が現れホッとした。

 インターネットエクスプローラをいじったがために大変な時間のロスをして、予期せぬ不具合に遭遇してしまった。
 エクスプローラ11の動作は結局変わらなかった。これからどんな不具合が出てくるか心配である。

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2018年5月18日 (金)

犯人逮捕でよかった、新潟女児殺害事件

 

新潟市の小針小学校2年生の女児が下校途中に何者かに連れ去られ、殺害されるという事件。犯人は殺害後線路に遺体を置き電車に轢かせるという残忍極まることをした。

 
 事故で電車にはねられたように見せかけるつもりだったのだろうがそれにしても酷すぎる。
 
 この小学校の学区の人たちや新潟市近辺の人たちは犯人が捕まらないこの1週間、どんなに心配な毎日を送ったであろう。警察の捜査でやっと犯人が逮捕され、安堵したことであろう。
 
 犯人は近所に住む23歳の若者で、真面目な礼儀正しい人物であったと新聞に書いてあるが、そういう人物がなぜ関係のない女児を連れ去って殺してしまったのか、全く理解に苦しむ。
 
 女児なら誰でもよく、乱暴をした後バレルのを防ぐために鉄道事故に見せかけたのであろうか。それにしても学校帰りの女児が線路に入るということ自体不自然である。おそらく学校でもみだりに線路に入らないように指導をされているはずだ。犯人はそのことに思い至らなかったのであろうか。
 
 警察は犯人の動機を詳しく調べて2度とこのような悲惨な事件が起こらないようにしてほしい。
 
 いつの頃からか簡単に人を殺す事件が後を絶たない。13日にも千葉市のレストランで食事に来ていた家族が、奥さんの兄に刃物で殺傷されるという事件があった。6歳の女児が死んでしまった。
 
 この場合は、犯人は女児の伯父である。しかも、この人物は千葉市議を2期務めたというのだ。どんな恨みがあったのか不明だが、公職者を経験したような人物が殺人事件を起こすというのも理解ができない。
 
 人を傷つけたり殺したりしてはいけないということが分からない人間が増えているのだろうか。殺人をしたらそのあと逮捕されて、自分が苦しまなければならなくなるという想像力が働かないのであろうか。

 どちらの女児も大きな未来を奪われてしまったのだ。殺人者の身勝手な行動のせいで。人為的に他の人の未来を奪うことは許されない。犯人はどんなことをしても償うことはできないことをしてしまったのだ。

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2018年5月17日 (木)

岸井成格氏の死を惜しむ

 ジャーナリストの岸井成格氏の死がネットや新聞等で報じられた。まだ73歳の若さであった。以前からガンであることを公表していた本当に惜しい人を亡くした。

 
 私はサンデーモーニングを毎回観ている。いろいろなコメンテーターが出て来るが、最後にコメントする岸井氏のコメントか一番好きであった。

 このところ久しく岸井氏の姿が見えないので心配をしていたし物足りなさを感じていた。病状が悪化していたのだ。
 
 安倍政権になって、安倍首相は次々と国民の権利や自由を制限する政策を打ち出し来た。

 特定秘密保護法、解釈改憲による集団自衛権容認、安全保障関連法、共謀罪法・・・・。その他にもアベノミクスや教育基本法改悪、道徳教育教科化、労働基本法の改悪・・・数えたらきりがない。
 
 こうした安倍政権がやろうとしたことに、ジャーナリストとして毅然として自らの意見を述べ、我々視聴者が判断するのに有益なコメントを提供してくれた。
 
 岸井氏のニュースの分析力(リテラシー)や分かりやすい解説は非常に魅力的であった。
 
 辛口コメンテータの佐高信氏は、「取材相手と真正面から向き合って信頼を得ていた。力で言論を抑え込むことを排し、言論には言論で挑むことを大切にしていた」と語っている。
 
 また田原総一郎氏は「『反安倍晋三』、『反自民党』とたたかれたが、それは違う。『保守』『革新』といった政治的立場ではなく、間違ったことは正すべきだというジャーナリストとしての信念があった」と述べている。
 
 ジャーナリストらしいジャーナリストとして芯が一本通っていた。そして納得ができる解説をしてくれた。本当に惜しいジャーナリストが日本から消えて残念でたまらない。

 これから日本も世界も更に激動に向かおうとしている予感がするとき、他のジャーナリストやメディアには、肝を据えて立ち向かってもらいたいと切に思う。岸井さんが最後のジャーナリストだったとならないように。岸井氏に続く人が出てきてほしい。
「岸井成格 画像」の画像検索結果

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2018年5月16日 (水)

「君たちはどう生きるか」が書かれた時代と吉野源三郎

 「君たちはどう生きるか」は1937年に新潮社より出版された。その頃の日本は1931年9月18日、関東軍が柳条湖で満州鉄道の線路を破壊し(柳条湖事件)、事件をきっかけに関東軍は満州全土の占領に乗り出した。そして犬養内閣の時満州国を作り上げた。

  1932年5.15事件で犬養首相暗殺。

  1933年国際連盟から脱退。軍部が力を強めていく。

  1936年2.26事件。

 1937年日独伊3国防共協定。

  1937年7月7日、盧溝橋事件→日中戦争へ

  「文芸春秋」3月号に吉野源三郎の長男の源太郎氏と池上彰氏の対談が載っている。それを引きながら以下を書く。

  吉野源三郎は1931年に、共産主義者であることを疑われて治安維持法違反で検挙、投獄された。吉野は志願兵で陸軍少尉だった(東大を出ているので将校になったのだ)ので、単なる思想犯ですまされず、軍事法廷にかけられた。一族はみな死刑になるものと覚悟していてという。親、兄弟,親戚までが憲兵から非国民扱いされたそうだ。「君たちはどう生きるか」の中にも「非国民」という言葉が出て来るように、この時代、国民を怖がらせ戦争への道を進む魔法の言葉であった。

  吉野は獄中で連日のように拷問を受けるが、決して仲間の名前をもらさなかったという。凄い信念の人だ。それはあの本の中にも窺うことができる。

  彼は自殺を試みるが、それは「余りにも過酷な取り調べが続くので「仲間を売ってしまうかも知れない。その前に死のう」と考えたのであった。幸いにも一命はとりとめた。

  その後、担当の軍医が人格者だったので、未来を見据えるように諭され、なんとか生きる気力をとりもどしたのだそうだ。

  軍事法廷では「私を信頼した人々を警察や君に売れというのですか。裁判長も軍人でしょう。仲間を裏切る人間を信用できるのですか」と必死の思いで問い直し、それが裁判官の軍人を動かして、1年半の獄中生活の後、奇跡的に執行猶予がついて出所したそうだ。

  この時代拷問は当たり前で、それに堪えて信念を貫いたのは余人ではできないことであると感動した。そして再びそのような忌まわしい時代に戻さないようにすることが大事だと痛感した。それは安部首相や日本会議などが、憲法を改悪し、戦力を強化し、治安維持法のようなものをつくろうとしているからだ。

  山本有三が日本少国民文庫を企画したのは、「軍国主義が勃興し、すでに”言論や出版の自由はいちじるしく制限される”中で、少年少女に訴える余地はまだ残っているし、せめて少年少女だけは、時勢の悪い影響から守りたい」と考えたからである。

  吉野源三郎は山本有三から頼まれてその編集の仕事に携わったのであった。それは釈放後結婚をしたが、ろくな仕事にもつけずアルバイトで困っていた吉野を見かねてのことであったそうだ。

  本当は山本有三がシリーズの最終巻を書くことになっていたのが、病に倒れ、吉野に託されたのだ。憲兵に睨まれていて自由な表現ができない。悩みに悩んだ挙句、七転八倒してひねり出したのが「君たちはどう生きるか」だったそうだ。

  投獄され、自殺まで試みた吉野が「また検挙されるかもしれない」「いずれ自分の命はないかもしれない」という恐怖を抱きつつ、命がけで生み出した物語だったと思うと息子の源太郎氏は語っている。

  冒頭に挙げたように、日本が中国大陸に手を伸ばし、軍部の力が肥大化し、国民の自由や権利を奪って行った中で、ぎりぎりのところで良心に従い、将来ある少年少女たちに考えさせようとしたのは実に素晴らしい。

 

 

 

 

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2018年5月15日 (火)

パスポートを取り直して

 パスポートの有効期限がボツボツ切れると思って調べたら、なんと2年ほど前に切れていたことが分かった。妻のパスポートはこの4月で切れていて、そちらと勘違いしていたのであった。

  それにしてもオーストラリアへ行ったのが海外旅行の最後で、それから2年も経っていたのには驚いた。月日が経つのは速いということを今更ながら痛感した。

  まだ海外旅行に行くだろうからパスポートを取ることにした。旅券センターに電話したら、期限が切れたので新規取得になると言った。その場合、戸籍謄本か抄本が必要になると言われた。その他に身分を証明するものと古いパスポートが必要であった。

  金曜日の朝8時半に家を出て、地下鉄で名古屋駅に向かった。通勤時間帯なので電車は満員であった。旅券センターは高島屋があるJRビルの15階と聞いていたが、どのエレベーターで行くのかがわからなかった。1階のエレベーター乗場へ行って一番手前のボタンを押したら点灯したが、エレベーターは一向に来なかった。次のやその次のエレベーターのボタンを押しても点灯しなかった。

  いったいどういうことかと説明をよく見たら、この時間帯は2階から乗るようにと書いてあった。何とも不親切な分かり難い掲示であった。

 しかたなく2階へ行って乗った。15階で降りたが、旅券センターがどこにあるか分からなかった。見当をつけて歩いて行き警備員を見つけたので尋ねたら、右の方に行って左へ曲がるように言った。

  ところが右の方に行くとそちらは新しくできたビルへ行くのであった。ふと左を見ると、奥の方に「旅券センター」という表示らしいものが見えた。行って見ると旅券センターであった。何とも分かり難いことで不親切極まりないと思った。

  受付に行くと、写真を先ず撮るように言われた。bigカメラがやっている撮影所があった。料金は1000円なので驚いた。たった1枚いるだけなのに4枚で1000円である。なんというボロ儲けだろうと思った。旅券センター用の写真を一手に引き受けているので利益は半端ではない。

  自動車運転免許証の場合は運転試験場で写真を撮ってくれて焼きこんでくれる。旅券センターはどうして民間に委託するのだろうと思った。

  パスポートは5年が11000円、10年は16000円もするのだ。写真も込みの手数料にすべきである。その他に疑問に感じたのは、5年ものが高いことであった。10年の半額+1000円ぐらいでやるべきである。国土交通省は国民からふんだくって儲けようとしているのだ。

 交付申請書に見本を見ながら慎重に記入したが、分かり難いところがあったし、住所と氏名を2か所も記入しなければならず、煩雑であった。簡素化できるところはすべきである。

 窓口は20カ所ほどあったが、職員は6人しかいなくて20分余りの待ち時間があった。もう少し早くやれるように配慮が要ると感じた。

 私は年齢からいうと5年のパスポートでもよいのだが、10年のを取ることにした。5000円余計にかかるが、先のことは分からないので取るだけとっておこうと思ったのだ。

 

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2018年5月14日 (月)

身近の素敵な日本語単語

 「君たちはどう生きるか」を読んでいたら「有難う」の説明があった。「有難う」という言葉の意味については中学校の頃習った覚えがある。「有難し」つまり滅多にないことから来ている。私たちは日常「ありがとう」をよく使っている。何かを貰ったり、何かをして貰ったり、教えてもらったりすると「ありがとう」とお礼を述べる。それほどではなくても食事のとき何かを取ってもらうと「ありがとう」と口にするように、ちょっとしたことでも言う言葉である。

  本当に「有難い」ことからちょっとしたことにまで幅広く使われる言葉だが、「滅多にないこと」というところから来ていることを意識せずに「感謝」の気持ちを表す言葉となっている。

  中国語は「謝謝」であり、韓国語も「カムサハムニダ」と似たような言葉である。つまり感謝を表している。

  「ご馳走様」という言葉がある。食事など何かを食べた後に言う言葉だ。これは食べるものに多くの人が関わっていることから来ている。直接に料理を作る人だけでなく、その食材を求めるために人が関わっているし、食材を作る人もいろいろ関わっている。コペル君が「発見」した人と人のつながりがあるのだ。走り回ってくれた(関わった)人たちに対しての感謝の言葉である。日本独特の言葉である。

  食事をするとき、「頂きます」という。これも日本だけにある習慣らしい。この「頂きます」という言葉は、「命を頂く」という意味だと言われる。動物の肉や魚はもちろん命だが、野菜やキノコ類やヨーグルトのような細菌でも命を持っているのだ。それを食べることによって自らの命をつないでいるのである。だから命を頂くことへの「有難きこと」つまり「感謝」が「頂きます」なのだ。何と美しい言葉ではないか。

  その他に、やはり食事に関わった人々への感謝も含まれていると思う。食事を直接作った人だけでなく、その食材や調理の全てに関わった人や物があるはずだ。ここでも森羅万象全ての関わりがあるのだ。それがあって初めて食事ができることへの感謝である。

  私はこの他に「おかげ」を挙げたいと思う。「お蔭げ」は伊勢神宮の前にある「おかげ横丁」では伊勢神宮の神様のお蔭ということだが、私たちが「・・・のおかげ」という使い方をするときは神様ではない。ここにも「森羅万象のおかげ」という意味がある。つまり人だけでなく様々なものに関わっているということである。「お蔭で天気も良く楽しい旅行ができた」という場合、天候が関係している。

 ノーベル平和賞を受賞したケニアのマータイさんは、日本語の「もったいない」という言葉をいい言葉だとして世界に広めてくれた。よく使うのは食べ物とか物を無駄にしないということ、大事に扱うということである。食べ物を残して捨ててしまうのはもったいないとか、まだ使える物を捨てるのはもったいないとか言う。子どもの頃、米粒を茶碗に残すともったいないと言って注意された。米を作るのにどれだけの人が関わっているのかというのであった。だから例え一粒の米でも無駄にしてはいけないと言われたのだ。

 英語で言おうとすると「waste of money」とか「waste of time」などと言うが、「もったいない」一言で何にでも使える広い概念の言葉である。

 こうした日本語の言葉に共通しているのは、コペル君が「発見」した人や物や事のつながりである。日本人はそれを大事なこととして代々伝えて来たのだ。日本人の心の底にある共通の観念だと言ってもよいと思う。

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2018年5月13日 (日)

嘘を貫く柳瀬唯夫元首相秘書官

 10日にあった柳瀬元首相秘書官の参考人招致では、2015年2月頃から6月頃にかけて、首相官邸で加計学園関係者らと3回面会したことを認めた。

  これまでは県や市の関係者との面会は「記憶にない」と言っていたが、愛媛県の文書では、面会で柳瀬氏が「本件は、首相案件」と述べたと記されていることで認めざるを得なくなったのだ。しかしその内容は尻尾を捕まえられないように言葉を操って逃げているだけだ。

  安倍首相から指示を受けたことや、報告をしたことは一切ないと強調した。それは口が裂けても言えないことだからだ。

  獣医学部新設をめぐっては、文部科学省が内閣府から「総理のご意向」「官邸の最高レベルが言っている」と文科省の文書が見つかっている、前川前文科事務次官は首相補佐官から「総理は自分のくちからは言えないから自分が代わっていう」と言われたと証言している。

  こうした一連のことから、加計学園の獣医学部新設手続きに、首相周辺の関与があったことを濃厚に疑わせるのだ。ほとんどの国民は「記録がない」「記憶がない」は真っ赤なウソであると受け取っている。

  柳瀬元首相秘書官が「県や市の職員が同席していたかわからない」と答弁したことに対し、愛媛県の中村知事は、県職員が面会時に受けとった柳瀬氏の名刺を公開した。

  柳瀬氏は答弁で、面会相手は10人近くいて、主に話したのはメインテーブルにいた加計学園関係者らだったと説明した。「あまりお話にならなかった方は記憶からだんだん抜けていく」とのべたが、何とも間が抜けた言いようではないか。

  中村知事は県職員3人も含めて6人がメーンテーブルに座り、「県の職員としてしっかり発言している」と反論している。名刺を交換したことは今治市も明らかにした。首相秘書官というのはそんなボケた人間でも務まるものなのか。

  柳瀬氏の国会での答弁について安倍首相は、フジテレビで「記憶を呼び起しながら誠実に答えていた」と述べたそうだ。また、柳瀬氏が学園関係者との面会を報告しなかったことについては「全然問題ではない」と強調した。秘書官が勝手にそういうことをやっていいはずがないことは誰でも分かることだ。というより大問題であろう。

  さらに「(首相秘書官は)国家の重大事でない限り途中経過を報告することはほとんどない」とも話したという。国家の重大事だけを報告すればよいのか?そんな馬鹿な!

  石破氏は「総理に秘書官が報告しないことは普通考えられない。政府で働いた人たちはみなそう思ったのではないか」と言ったそうだ。

  後でどんどん誤魔化しや嘘がバレて行くのに「誠実な答弁」とかばう安倍首相。麻生財務相もそうだが、部下が勝手にやったこととして片付けようとしているのだ。

  公明党の山口代表は「加計問題は『どんな国政上の意味があるのか。国会で議論することにどんな意味があるのか」と野党を批判したそうだが、何という認識の低さか。安倍政権は国会での数だけを頼りにしてやりたい放題なのだ。

 野党にはこれからも加計問題、森友問題をしっかりと追及し、安倍政権のウソを暴いてもらいたい。

 

 

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2018年5月12日 (土)

SNSに写真を投稿するとき気を付けようという記事

 Yahooニュースを見ていたら「ちょっと待って、その写真SNSに上げちゃダメ」という記事が目に止まった。ジャーナリストの高橋暁子さんが書いた記事だ。

  私は不特定の人が見ることを前提に載せる写真はこのblogに載せるのが主で、たまにFacebookに載せることがあるが面倒なので滅多に載せない。LINEでは知人に送ることがあり、家族にはよく送っている。

  今の写真はデジタルなので、いろいろな情報、例えば撮った日時、場所などさまざまなデータが記録されているので、気を付けなければいけないということはかなり以前に読んだことがある。家の庭とか家の中などで撮った写真をSNSに載せるとそこから家が特定されるという。

  また写真を撮る時ピースをする人が多いが、指紋を見せることになるので危険だということも言われている。

  Yahooの記事を一部コピペする。

  ――かつて「空き巣」だったという50人を対象としたアンケート結果が、英国のテレビ番組で放送されたことがある。

 アンケートによると、犯行に及ぶ前に狙いを定めた人物の「フェイスブックやツイッターのアカウントを見る」という回答がなんと78%に上った。

 さらに、狙いを定めた人物の自宅を「Googleストリートビュー(マップで指定した場所の風景を見られる機能)で見る」と回答した元空き巣が70%もいたのだ。――

  SNSで狙いを定め、Googleストリートビューで家を見るというのはネット時代だからこそできることだ。ストリートビューは自由自在に角度を変えて家を覗くことができるから泥棒にはもってこいの武器である。

  Googleはとんでもないものをつくったものだ。便利と危険が隣り合っているのだ。我が家のストリートビューには近所の人と話しているところが写っているのだ驚いた。プライバシーの侵害である。自宅から1km以内の写真は投稿すべきではないと忠告している。

  居場所や持ち物などをSNSで公開することで、犯罪の被害に遭う恐れもあるという。また旅行中に写真を投稿すると、留守にしていることがバレバレだから避けた方がよいという。

  入学式とか入園式の写真も学校名などがわかってしまうので危険だという。

  記事は次のことも指摘している。

  ――インスタグラムでは「#合格通知」や「#合格」のハッシュタグで検索すると、合格通知書の写真が次々に見つかる。

 個人情報が見えないよう加工してあるものもあるが、本名や誕生日などがすべて見える状態でアップされているものも頻繁に見つかる。これでは個人情報「ダダ漏れ」状態だ。――

  その他に「集合写真」も写っている人たちの承諾なしにSNSに投稿しないように気を付けようと言っている。私など自分の写真は撮られたくない方だ。だから自分の写真は載せないし、他の人の写真もなるべく載せないようにし、載せるときは誰だか分からないよう気を配っている。

 記事では、「SNS全盛の現代社会では、何気なく投稿した写真によって、思わぬ被害やトラブルに巻き込まれたり、法律に触れたりすることもある。「いったんネットに上げた写真は、どう見られているか、何に使われるかもわからない」と考えるべきだ。細心の注意を払ってSNSを利用してほしい。」と警告している。その通りだと思う。

 

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2018年5月11日 (金)

みやざき完熟マンゴを食べてみた

 連休後半の4日に娘と婿が来た。それで八百鮮まで娘と妻と3人で食材を仕入れに行った。そのとき果物売り場でたった一つ残った「みやざき完熟マンゴ」があり、1000円の値札が付いていた。その前に来たときは1600円の値段が付いていたので、店員に聞くと、「ちょっと黒点がついているので最後だから安くしました。普通2600円ぐらいで売っている品です」と言った。

 宮崎マンゴと言えば、5月2日、3日の朝日新聞「けいざい+」で「太陽のタマゴ20年」という特集記事があり、それを読んだばかりであった。

  「太陽のタマゴ」というのは「みやざき完熟マンゴ」の中で、糖度15%以上、重さ350g以上で、色艶と形が優れたものが選ばれるのだという。「太陽のタマゴ」になれるのは出荷量全体の13%ほどだというのだ。

  東京の千疋屋総本店日本橋本店では、販売解禁日の4月16日になんと1玉32960円の値が付いて並んだという。この店には一度行ったことがあるが、値札の数字が驚くほど高くて、見るだけで店を出て来たことを思い出した。

  この店で並ぶ果物を口にできるのは、麻生氏や安倍氏のような人たちであろうと想像したものであった。それにしても1玉32960円とは!!

  「太陽のタマゴ」に入らないマンゴは「完熟宮崎マンゴ」として、1kg3000円前後で売られるのだそうだ。

  この「完熟宮崎マンゴ」は温室で育てられ、特殊なネットをかぶして熟して実が落ちるのを待つのだ。だからおいしいのだ。

  八百鮮で売っていたのは太陽のタマゴになれなかった等外品である。しかし、育て方は同じものである。最後の1個にも「みやざき完熟マンゴ」の説明書が付いていた。

  私は娘と相談をして思い切って買うことにした。この機会を逃しては「みやざき完熟マンゴ」を味わうことは出来ないと思ったからだ。

  冷蔵庫に入れて冷やして置いて、夕食の後説明書のように包丁で切ってみんなで食べた。確かに甘くておいしかった。でも、前に買って食べた2個で432円のタイマンゴと甘さでは変わりがなかった。ただ色や香りや食感はタイマンゴより優れていると思った。

 「みやざき完熟まんご」をつくるのは大変手間と設備費や暖房代などがかかるのだそうだ。それで1kg3000円程度で売っても採算が合わないのだという。「太陽のタマゴ」になれるのは僅かだから農家は苦労が多く利が少ないというのだ。

 それにしても32960円もする「太陽のタマゴ」はどんな味がするのだろう?名古屋から新幹線で往復し美味しいレストランでランチを食べて来られる値段だ。

「宮崎完熟マンゴー 画像」の画像検索結果

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2018年5月10日 (木)

ブームの「君たちはどう生きるか」を読んでみた

 マンガの「君たちはどう生きるか」(作者 羽賀翔一)の大ヒットがきっかけで、吉野源三郎の原作も売れているらしい。

  吉野の原作は私が小学校6年の時、当時まだ閉鎖されていた学校の図書室にあったのを担任の先生に特別に貸してもらって読んだ覚えがある。分厚い本であった。同じシリーズの第一集の「心に太陽を持て」と共に大変感動したことを思い出す。

  図書室が閉鎖されていたのは、戦前の本が残っていたからであろうと思うのだが、開館されていなかったのは残念であった。でも、先生が貸してくれたので嬉しかった。忘れられないのはこれらの外に「ファーブル昆虫記」や「丹奈トンネル」があった。

  ところで「君たちはどう生きるか」だが、子どものとき読んだ内容は忘れてしまったが「コペル君」の名前は覚えている。

  連休後半に娘と婿が来たときこの本を持って来ていたので読んだ。岩波文庫版でオリジナルに一番近い本で、婿は2回読んだと言っていた。

  字が非常に小さくて読むのが大変で1日半では最後まで読むことはできなかった。しかし、最後の丸山真男の感想は読んだ。彼の感想は的確だと思った。手元に本がないので書けないが、印象に残ったのは「時代を超えて訴えるものがある古典といえる」という指摘であった。

  吉野が出版したのは1937年であったが、80年経って再び脚光を浴びたのだから丸山の指摘の通りであった。

  私は読みながら文学的表現を通して、社会科学や哲学、生き方について考えさせている本だと思った。その点については丸山も似たようなことを言っている。彼はもっと直截に「資本論」だと言っているが、日中戦争が始まり、日独3国同盟ができ、本にも出て来る「非国民」という言葉が人々を抑圧していた時代に、よくもこのような本を書くことが出来たものだと感心した。

  コペル君と言う旧制中学校1年生とその友人のエピソードを具体的に描写して、それについて叔父さんが手紙の形で感想やアドバイスを書くという形式である。

  最初の部分で「人はどんな場合でも、みなお互いにつながっているのだ」ということにコペル君がきがついたことに対して叔父さんは学問的には「生産関係」というのだと教える。採集・狩猟生活の原始時代には人は誰とつながっているかを知ることが出来たが、だんだんと生産が複雑になってくるとそれは不可能になった。しかし、人間は今ではグローバルに繋がっているのを知るべきだというのだ。

  吉野は「おかげ」とか「縁」という表現は使っていないが、我々が今ここにあるのはいろんな人々の「おかげ」である。私に言わせると、人だけでなく、地球上の全ての存在の「おかげ」でもあるのだ。広く見、考えることの大切さを言っているのだと思う。

 さらに言えば、地球上の存在はすべて宇宙とも関わりあっている。一番わかりやすいのは太陽である。

  貧乏な豆腐屋の子の浦川君の部分では、金持ちや恵まれた人や多数の貧乏な人や恵まれないがいるが、金持ちが立派だとは限らない、貧しい人下積の人でも社会に貢献している人が立派なのだと言い、世のために自分が何を成し遂げられるかが大事なのだと述べている。

  ナポレオンについての部分ではナポレオンの功績は「ナポレオン法典」をつくったまでだとし、ロシア遠征で60万人もの兵士を無駄死にさせたことで戦争の愚かさを考えさせている。日本もまさにその道を歩み始めていたのをいしきしたのだろうか。

 自由、民権などを獲得したフランス革命についても書き、歴史的発展の中に位置づけて物事を見たり考えたりすることの大切さを説いている。

 丸山は「戦後は戦前のような貧富の差は無くなったと書いているが、小泉政権以後格差が広がり、非正規被雇用者は4割以上になった。生活保護世帯も増加、教育格差も増大、年金も頼れなくなってきているなど生活不安を抱える人が増えている。

 ジャーナリストの池上彰氏は、

「(80年前は)同調圧力のような、ちょっとでも政府の方針に違反すると、売国奴とか非国民とか、そういうことを言われるようになってきた重苦しい雰囲気。今なにか政府の批判をすると、それだけで反日とレッテルをはられてしまう。ネットですぐ炎上したり、なんとなく若者も空気を読む。まわりを見て忖度(そんたく)をして、という形で息苦しい思い。(原作が出版された)当時と、共通したようなものがあるのかなと思う。」

 と述べているが、この本が売れているのはそういう状況を反映しているのだと思う。ここで大事なのは、「叔父さん」が言っているように、自分の目でよく見て、何ができるかを考えて行動をすることである。今の状況を変えるには自分自分ができる行動を起こすことだ。

 この本には「君たちはどう生きるのか」の答えは書いてないと言われるが、この本を読むことによってそのヒントは一杯書いてあるのだ。

 安倍政権になって特別秘密保護法、憲法解釈改憲で集団的自衛権行使、道徳の教科化、安保法、・・・・戦前回帰の施策を次々打ち出してきた。「君たちはどう  生きるのか」が書かれた1937年辺りと似た道を進み始めているのではないか。そうさせないことが喫緊の課題だと思う。

 

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2018年5月 9日 (水)

護憲はアカか?

 安倍首相が憲法を改めることを提議してから、憲法を守ろうという運動や言動が制約を受けるようになってきた。

 さいたま市では、憲法9条の集会を通りがかりで見て詠んだ俳句が、公民館便りに掲載を拒まれた。東京都国分寺市では護憲団体がお祭りに参加できなかったという。

 金沢市では憲法記念日の、3日市庁舎前広場での護憲集会を計画していたが、市の許可が得られなかったという。これが改憲集会であれば文句なしに許可されたであろう。

 こうした動きは数年前から各地で見られるようになってきた。憲法を守るのは公務員の義務として憲法に明記されている。それは一般国民も同じである。

 憲法を守ろうという人たちやグループは、共産党や社会党などいわゆる「左」の人たちが多いので、左翼運動つまり「アカ」とみなしているのだと思われる。

 戦前は「アカ攻撃」が熾烈を極めたと言われる。戦後もそれは続いた。私が現職の間も随所で「アカ攻撃」が行われた。

 その攻撃を受けた最たるものが、日本教職員組合いわゆる「日教組」であった。私も属した日教組であるが、日教組に属する教員によって間違った教育が行われ道徳が低下したなどと言われた。

 「アカ」は人々の心に恐ろしいもの、いけないものという観念が戦前に植え付けられ、戦後もずっと続いていたのであった。

 この頃になって護憲を言ったり、運動をしたりする人は「アカ」とみなされるようになってきたようだ。「戦争反対」「平和を守ろう」ということが「アカ」とされるのは戦前を想起させる。

 「セクハラ」とか「パワハラ」とか「ハラスメント」がよく取り上げられるが、その言い方で言えば「アカハラ」であろう。

 憲法9条は世界に誇るべき条項であると思う。コスタリカ憲法にも似たような条項があると聞くが、日本は「戦争をしない」ことを前面に掲げて世界をリードすべきだと思うのだ。それこそが真の「積極的平和主義」である。安倍首相の進める「積極的平和主義」は自衛隊を軍隊にし、集団的自衛権を行使して軍事的に貢献しようというものである。

 あの忌まわしい戦争を知る人はどんどん少なくなり、戦争を知らない人たちが多数となってきた。自民党でも田中角栄氏や三木武夫氏や野中広務氏など戦争を知る人は戦争に反対であったが、今の自民党ではそういう人が退いてしまった。

 安倍首相や麻生氏や石破氏や岸田氏など、戦争を知らない人ばかりとなり、改憲をしようとしている。そういう人たちにとって目の上のたんこぶとなるのが「護憲」の運動である。だから躍起になって「アカハラ」をしようとしているのだ。

 現行憲法を守ることは「アカ」ではない。国民の義務である。公共施設を「護憲」の集会には使わせないなどの動きは、おそらく政権の思いを「忖度」してのことであろうが明らかに憲法違反である。

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2018年5月 8日 (火)

「認める方向で調整」は奇妙

 6日のサンデーモーニングでもコメンテーターが言っていたが、柳瀬元首相秘書官が学園関係者と面会したことを「認める方向で調整」という言い方はおかしな言い方だと指摘していた。

 この言い方について、友人が送ってくれた文書に分かりやすい説明があった。

 まず、「朝日新聞デジタル、≪読む国会≫2018年5月4日配信」の次の部分をを引用している。「加計学園の獣医学部新設をめぐり、与党は、柳瀬唯夫・元首相秘書官が2015年4月に首相官邸で学園関係者らと面会したことを認めることで国会の正常化を図る検討に入った。大型連休明けに柳瀬氏の国会招致を立憲民主党など野党6党に提案して審議復帰を呼びかける考えだ。柳瀬氏が学園関係者との面会を認めれば、安倍晋三首相の友人が理事長を務める学園の獣医学部新設計画を首相側近が早くから知っていた可能性が出てくる。学園の計画を初めて知ったのは17年1月20日としてきた首相のこれまでの答弁も揺らぎかねず『加計ありき』との批判が再燃することは避けられない。」

 そして次のようにそのおかしさについてコメントしている

 「この報道が出たとき、何よりまず驚いた。『与党が認める方針』などという言葉は、どういう理屈で出てくるのだろうか。この報道は『政府が嘘をつかせるように柳瀬氏に支持していたが、どうも隠しきれなくなったので認める方針になった』という以外、読みようがないので、もし事実でないとするなら、とりあえず政府は抗議した方がいいのではないか、と一応ご助言しておく。」

 「隠しきれなくなったので認めることにした」というのが誰がみても本音だろう。森友学園でも加計学園でも、財務次官問題でも、文部省の問題でも、すべて隠すことを第一にしてのらりくらりと時間を費やしてきているのだ。

 この記事はさらに次のように解説している。これが面白い。

 「記憶を調整したり、事実を認めたり認めなかったりすることを堂々と『調整』するのは、相当異常な事態である。度々引用するジョージ・オーウェルの『1984』に、このような一説がある。過去は変更されるだけではなく変更され続けるのだ。最も彼を悪夢のように苦しめることは、なぜそんな大規模な詐欺行為がおこなわれているのか彼には全く理解できないということだった。過去を改ざんすることの直接的な利点は明らかだったが根本的な動機は謎に包まれていた。」

 The past not only changed, but changed continuously. What most afflicted him with the sense of nightmare was that he had never clearly understood why the huge imposture was undertaken. The immediate advantages of falsifying the past were obvious, but the ultimate motive was mysterious.

 私(記事を書いた人)もこの主人公、ウィンストンに全く同感だ。これは異常であり、この異常な対応をしてまで何をしたいのか、私には全くわからない。このような異常事態が、あたかも「あー、ようやく認めたのか」程度にしか受け取られなくなっていることに、強い危機感を感じる。これは、決して普通のことではないのだ。麻痺してはならない。

 上記の指摘は大事である。メディアも含めて「ようやく認めたのか」という受け止めをしたのだ。メディアリテラシイが弱くなっているのだ。「強い危機感を感じる」と言っているが、いつのまにかそう馴らされてしまったのだ。怖いことである。

 いずれにせよ、柳瀬氏が極めてハードな努力によって記憶を取り戻すことに成功していたにせよ、あるいは客観的状況からそれを認めざるをえないということを認めたにせよ、それが意味するのは我々はやはり記憶というものを当てにしてはならないということであり、政府の文書管理の責任が大きく問われるということになるだろう。歴史は文字によって紡がれるべきである。決して曖昧で都合のいい記憶ではなく。・・・・・以上、立憲フォーラム通信(福田誠之郎)5月5日配信から。

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2018年5月 7日 (月)

NHKスペシャル「大江戸でござる」が面白かった―②―

 江戸は一口に言えば、「濠」(水運)、「水道」、「埋め立て」が大規模インフラで、そのお蔭で世界一の大都市に発達できたようだ。その原動力になったのが「武士」だったというのだ。

  江戸幕府は、当時海だった場所をどんどん埋め立てて行ったのだ。埋め立てを担当したのは日本各地の大名である。江戸は空前の規模で埋め立てられ、起伏の激しい土地にうまく合わせながらお濠や水路を通していったのだという。

 熊本大学の今村直樹准教授によれば、天下太平の江戸時代では戦は少なく、戦って手柄をたてるよりは、江戸のお濠の建設などによって手柄を立てることが多くなったのだという。そのため、各地の大名達はお家安泰のため、競って江戸の開発を担当したのだそうだ。

 江戸幕府の統治能力の凄さを感じさせられる。高校時代日本史で大名の財力を削ぐために参勤交代をさせたのだと習ったが、それ以外にも「手柄」を立てさせるといううまい手で埋め立てや濠や水路工事をやらせ、大名の力を削いでいったのだ。

 それは、当時の侍にとって「天下普請(てんかぶしん)」と呼ぶ一大プロジェクトだったのだ。

 巨大事業「江戸建設」は大名達を苦しめることになる。第三代徳川家光のころになると、大名達は疲弊して行った。

  この事業は籤引きで担当地域が決められたそうだが、熊本藩の細川家は「幸橋」という最悪の場所を引き当てた。それで大変な苦労を強いられることになった。細川家はその顛末を詳細に記録していた。その記録によると現在のお金で50億円を超える出費を負わされたが、それでも天下普請は続いた。

  石垣の石にはそれぞれの藩の印が付けられている。細川家は伊豆から石を切り出して江戸まで船で運んだ。大変な苦労であったことが分かる。他の藩も同様であっただろう。

 やがて、濠は拡張され隅々まで水運が届き、市場には「材木=木場」「魚=日本橋」「米=小網町」などができ、江戸は大変な賑わいになったという。

 石造りの濠を基盤にした巨大物流ネットワークが江戸の町を世界最大の大都市「江戸」を誕生させたのだ。

 しかし、江戸の人口が急増した影響で深刻な飲み水など水不足に陥った。そこで作り上げたのが、地下に張り巡らされた木製の巨大水道ネットワークであった。オリンピックのための工事現場からは大きな木製の設備が出土したのだ。

  「懸樋(かけひ)=谷を越えて水を届けるシステム⇒水道橋」「升(ます)=低い場所から高い場所へ水位を上げつつ水を届けるシステム)」など独自の水道網システムを開発、水不足に対応した。 

 神田川の上に懸けられた、神田上水の水を渡すための水道の橋。 現在のJRの駅名にもなっている水道橋の地名は、この懸樋が由来になっている。

 ローマの水道は有名だが、江戸にも水道があったというのは驚きである。その水を引くために 多摩川の上流から起伏の激しい43kmもの上水路を、江戸まで引いたのだ。当時は重機などは無くすべて人力で掘られた。

 担当したのは水道奉行、伊奈忠治と忠克の親子であった。記録書「上水記(じょうすいき)」には伊奈親子が手がけた水道プロジェクトの詳細が記録されている。

 その時に作られた上水路「玉川上水」は今も利用され流れ続けている。この水は不毛の大地だった江戸の西側をも潤し一大農業地帯へと変え、江戸の住民の食料をまかなったのだ。ここで作られた農作物はさらなる江戸の人口増加に一役買ったのであった。

 浮世絵を見ると銭湯の絵がよく出てくるが、公衆浴場が作れるほどの水が水道網で運ばれていたというのは驚きである。埋立地では井戸は掘れなかったのだろう。それにしても100万都市大江戸は今なら世界遺産ともいうべきものだ。

 

 

 

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2018年5月 6日 (日)

NHKスペシャル「大江戸でござる」が面白かった―①―

 4月29日に放送されたNHKスペシャル「大江戸でござる」を録画しておいて観たが大変面白かった。

 東京は2020年の東京オリンピックに向け、かつてないほどの建設ラッシュ。東京のあちこちで今も地面が掘り起こされている。

 中央区教育委員会の、仲光克顕さんは江戸遺跡の発掘調査中――。

  建設現場の地面からは「泥メンコ(江戸時代のおもちゃ)」、「キセル」、「かんざし」「お歯黒の壺」など当時の江戸庶民が使っていた愛用品が次々と出土している。

 また、かつての長屋の跡も出土していて、広さ25坪の平屋に8世帯、30人以上が暮らしていた痕跡も垣間見える――。

 
 江戸中期(18世紀初め)には江戸の人口は100万人!!であった。この人口密度は世界に類を見なかったといわれる。江戸はパリやロンドンの倍の人口であった。

 パリ(巴里) … 51万人
 ロンドン(倫敦) … 58万人
 江戸 … 100万人

  オーストリアのバート・アウスゼー。カンマ―ホフ博物館の館長、ピーター・グリルさんが、江戸の街を写した写真のネガフィルムを見せてくれた。

 そのネガフィルムはなんと、150年前の写真家が日本の江戸(1859~1860年頃)を撮影した270枚以上の写真である。素晴らしい歴史資料である。

 2017年7月、オーストリア国立図書館にて発見されたこれらのネガフィルムを、東京大学史料編纂所所長の、保谷徹さんをリーダーとするグループが調査を開始。

 その結果、江戸の町を捉えた史上最古の写真であることが判ったのだ。

 その鮮明な写真には、武家屋敷、大名屋敷、旗本屋敷などが細かな落書きまでもクッキリと写されていて、とても貴重な町並み研究の手がかりとなるものであった。それをもとに高精細なCGで江戸の街が再現された。

  江戸、その知られざる姿を、ドキュメンタリーやドラマ、高精細のCGなど、多彩な演出で3回シリーズで描くそうだ。

  第1集は、巨大都市建設の物語であった。小さな田舎町だった江戸は、徳川家康が幕府を開いてから100年ほどで、世界最多100万の人口を抱える大都市に成長した。その原動力はどこにあったのか? 

  最近、江戸初期の都市計画を描いた最古の図面や、幕末期の江戸を写した写真が見つかるなど新たな発見が相次ぎ、その変遷が詳しく分かってきた。江戸は、水を駆使して造り上げた、世界に類をみないユニークな都市だった。巨大な“水の都”江戸誕生の秘密に迫るという。

 家康が初めて江戸にやってきたのは、1590年(天正18年)であった。この時の江戸は湿地が広がるただの田舎町だった。

 もともと三河の国を納めていた徳川家康ですが、当時の最高権力者、豊臣秀吉から命じられて江戸に移ったのだ。

  豊臣秀吉は、実力者だった徳川家康を煙たがり、当時僻地だった江戸の地へ左遷させるのが目的だったと言われている。

   1603年(慶長8)、江戸の地に幕府を開いた徳川家康は、天下にとどろく最強の大都市へと成長させたのであった。

  松江歴史館には、江戸の初期のころを描いた「江戸始図(えどはじめず)」が所蔵されている。

  江戸城を中心とした「らせん状」の濠(ほり)を造り、水運が利用できるようにした。法政大学の陣内秀信准教授によれば、江戸の町はお濠を中心にした水路を江戸中に築き、水運と防御を最も重視した作りになっているという。

  将来を見据え、都市が拡大しても、江戸城を中心にらせん状に掘っていったお濠を二重、三重にしながら延長して行くだけで、無限に都市の拡大ができるのだという。江戸の発展の秘密がここにあった。いったいこのすごいプロジェクトを創案したのは誰なのか、番組では言及していないのが残念であった。 

  濠の威力はとても大きく、陸路だと馬一頭に100キロ程度の運搬力だが、水運があれば船で1トンの輸送力とスピードも確保可能である。

 

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2018年5月 5日 (土)

「小泉内閣同窓会密談の夜」が面白い

 Yahooニュースをブラウズしていてたまたま見つけたのが次の記事だ。読んでみたら面白かった。

小泉政権「同窓会」密談の夜

5/1(火) 13:14 掲載    

    

安倍総理不在で行われた「小泉政権同窓会」 その内幕を明かそう

 小泉元首相ご愛用の料亭で小泉政権当時の山崎元幹事長、武部元幹事長、小池都知事、二階幹事長が2時間余り酒を酌み交わし、美味しい料理を食べながらしゃべり合ったことを一部書いているのだ。

 料亭「津やま」の様子を書く前に、小泉元首相の態度が変わったことを述べている。

 3月13日、20時からはじまった「プライムニュース」(BSフジ)の冒頭、司会の反町理から佐川宣寿国税庁長官の電撃辞任についての質問が直球で投げられると、元総理はフルスイングで打ち返した。

●「安倍総理も、麻生財務大臣も、『この人事おかしいんじゃないか』という質問に『適材適所の人事です』と言い切ったよ。これにはあきれたね、判断力がどこか、おかしくなっているんじゃないか」

●「総理が国会で『私や妻が森友学園と関係があったら、総理も国会議員も辞めます』と言っ たことで、財務省の官僚が『これは大変なことだ』となった。関係していることを知っているからね。総理の答弁に合わせなければいかんというので、この改ざんが始まったと私は見ているんだ。忖度したんだよ」

 「津やま」ではこんなことも言ったと書いてある。

●「『論語』には、孔子が『過ぎたるは猶及ばざるが如し』と言ったと書いてあるけど、実際は、過ぎたるは及ばざるより、悪い。俺に言わせりゃ、『過ぎたるは及ばざるより悪い』なんだ。弁解するのに余計なことを言っちゃったら、覆水盆に返らず。夫婦関係でも、それは気をつけなくちゃいけないんだ」

 妻の奔放な言動を巡って「余計な弁解」を続け、国政を混乱に陥れた安倍の罪深さを言外に匂わすと、小泉は冷や酒で喉を潤した。

詳しくは次のところで。

 URL;https://news.yahoo.co.jp/pickup/6280979

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2018年5月 4日 (金)

第20回人生の達人のための音楽会

 4月のゴールデンウイークは昨日、今日とコンサートに行った。この日は知人が出演する「NPOとうかいマスターズ」というオーケストラであった。会場はしらかわホール、13時45分からであった。

  20回となっているが、結成されたのは10年前で「10周年特別演奏会」となっていた。年に2回コンサートを開いているので20回なのだろう。

  オーケストラなので音はどの席でも聞こえるから、慌てて行くことは無いと思って出かけた。会場に着くと列ができていて入場していた。なかなかの人気なのだなと思った。

 中央の5列目の通路側が空いていたのでそこへ座った。そこからなら演奏する知人の姿もよく見える。開演前に会場は満席になったようであった。

  指揮者は古谷誠一氏でセントラル愛知交響楽団正指揮者である。この日の演目は歌劇ばかりなので歌手は、ソプラノの二宮咲子氏、テナーの中井亮一氏、バリトンの押川浩士氏であった。また、マスターズオペラアンサンブルというグループがバルコニーで歌った。

  最初の曲は楽劇「ニュールンベルクのマイスターシンガー(ワーグナー)であった。よくまとまったよい音を響かせていた。

  2番目は、歌劇「愛の妙薬」(ドニゼッティ)より、

  「おお、アディーナよ、ひとことだけ」、「ドゥルカマーラのカヴァティーナ」、「ネモリーノとカマーラの二重唱」、「人知れぬ涙」

  テナーの朗々とした声、ソプラノの魅惑的な声、バリトンの低音の響きなど引付けられた。

  蝶々夫人(プッチーニ)より、

  「広い世界を」、「ある晴れた日に」、「手紙の二重唱」、「かわいい坊や」

  ソプラノの二宮氏はとても表現力の豊かな歌い方でひきこまれた。テナーもバリトンももちろんよかった。

  ここまで1時間演奏する方は大変だろうと思った。15分の休憩。

  第2部は3時過ぎに始まった。イタリアの有名なヴェルディの作品が取り上げられた。

  最初は歌劇 「ナブッコ」序曲。私は合唱でイタリアの第2の国歌と言われるところを歌ったことがあり、なつかしい。オーケストラの演奏だけであった。

  次は、歌劇「椿姫」より、

  「素晴らしい宴は終わり」、「天使のように清らかな娘」、「プロヴァンスの海と陸」、「ああ、過ぎ去った日よ」、「2幕2場フィナーレ」

 バルコニーで歌うマスターズオペラアンサンブルは専門家だけあって我々の合唱とは違い迫力があり、舞台と一緒になって歌う場面などが立体てきであった。

 どれも素晴らしく、曲が終わるとブラボーが飛び、拍手が鳴った。

 出演者は演目ごとに衣装を換えて舞台に登った。ソプラノの二宮氏は青や赤などの衣装でよく映えた。歌劇なので演技的な仕草を入れて歌った。言葉が原語なので意味は全く分からないのが残念であったが、十分に楽しむことができた。

 アンコールは「乾杯の歌」でこれも満足の行くものであった。私も含めて聴衆はみな満足して会場を出たようであった。個人的にはソプラノの二宮氏が印象的でにこやかに表情よく歌い、声の幅や音量も十分でよかった。オーケストラだけは2曲で、歌が多かったのでどうしても歌の方に注目し、オーケストラの音は付け足しで聴いていた。でも、これまでのマスターズのコンサートで一番良かったと思った。

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                                       ヴァルコニーにも注目

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2018年5月 3日 (木)

民謡剣持会30周年記念発表会

 4月29日(日)に、金山の市民会館ビレッジホールで「民謡剣持会」の30周年記念発表会があった。

  知人のSさんが出演するので券を貰った。12時開演なのでまにあうよう出かけた。開場時刻が予定より遅れていてしばらく待って開場した。

  私は左側の前から5列目に座席を取った。この位置なら録音ができるし、写真も撮れる。開場はほぼ満員になった。

  12時を少し過ぎて全員合奏から始まった。曲は「道中伊勢音頭祝ぎ唄、別れ唄」であった。会員全員による合奏であった。

  それから女性会員全員による合唱「広島木遣り音頭」、男性会員全員による合唱「西条酒造り唄」があった。

  剣持麻美さんの「会津餅つき唄」、家元剣持豊さんの「因幡大黒舞」の後会員の発表に移った。「わらべ」の部で小学校3年が2人、中学校1年と3年が演奏した。小学校3年でも大変上手であった。

  その後高校2年生佐藤滉一郎さんの三味線で津軽小原節があった。歌は剣持豊さんが歌った。 会員は1人ずつ歌ったがみなさん、とても上手であった。

  賛助出演は「山県大黒舞」の石川栄美さん、特別出演剣持洋子副会主の「下津井節」などには踊の応援出演があった。

  珍しかったのは、剣持豊家元などによる徳山民謡であった。特別出演には前田利家ONDO・舞人の変わった踊があった。踊りのグループは他にも「兼生会」、「かみこ会」「梅雅会」などが出演して雰囲気を変えていた。

  外部からの特別出演は、森民謡会会主の森信佐句さんが創作の「木曾の山唄」を歌ったのが珍しかった。創作の民謡もあるのだと分かった。他に淡海節も歌った。蟹江尾八会会主の蟹江尾八さんの端唄「高砂」と「やんさ」があった。

 最後は「音心伝心」で、米谷大輔さんが「宮城野盆唄」、橋本大樹さんが「津軽小原節」、「仙北荷方節」、剣持雄介さんが「越後松阪」、「津軽じょんから中節」、トリは剣持さんの師匠という松田隆行さんの「南部牛方節」、「津軽よされ節」、「南部餅つき唄」で、4人の歌が40分続いた。みなプロなので聴衆を引き付けていた。

  フィナーレは「東京五輪音頭」を舞台の人たちと会場の聴衆で歌った。

 今年は30周年ということでプログラムも工夫され、歌い手もレベルの高さが感じられたが、6時間余りは長く、疲れてしまった。(年のせい?)写真を撮るフラッシュが一つもなかったのがよかった。

 恒例の抽選会は、ことしは新潟の米2kgであった。私は今年も当たらなかった。

 来年は4月18日に港文化小劇場で行う予定だそうだ。

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2018年5月 2日 (水)

秘境 トカラ列島中之島旅行―⑳―

 指宿温泉の後高速道路を使って一路鹿児島空港へ向かった。空港に着くとガソリンを入れてレンタカーを返して、そこから入口まで送ってもらった。レンタカーも空港返しなので便利だと思った。利用者も多いようであった。

 

 17時前にチェックインを済まし、後は18時15分の出発まで各自が時間をつぶした。私は薩摩揚げを買っていなっかったので買った。

 

 中部空港には定刻に着き、特急のミューで金山駅まで行った。有難いことにYさんの御嬢さんが車で迎えに来てくれた。

 

 楽しい中之島旅行は終わった。天気に恵まれたのが幸いであった。釣りをしたり、御岳に上ったり、毎日温泉に入ったり、満天の星を見たりして、命の洗濯ができた。私の場合、念願の手品を学校やデイサービスなどで披露できたのがよかった。

 

 中之島はトカラ列島に7つある人が住む島の中で一番大きい島だが、人口は160人だとHPに書いてあった。それでも歴史民俗資料館や天文台があり中心の島だと思った。

 

 トカラ列島については日本書紀に記述があるというから驚いたが、中之島には縄文時代の遺跡があるのだから、そんな昔に人々はどうやって渡ったのだろう。

 

 歴史民俗資料館にある船のレプリカは木造の丸木舟であった。昔は自分たちで造ったのだろうが、今は造る人はいないだろう。

 中之島では細い笹竹が生えているところが多い。そこを焼いて畑にし3年ごとに繰り返すということであった。

 中之島旅行で、YさんとKさんは、手や足の露出部に発疹ができた。私たちはタバコを飲む人がブヨか何かに噛まれたのだと言っていた。ところが名古屋に戻って4日後にSさんの発疹がでた。Sさんは皮膚科に行ったが虫に噛まれたのだろうと言われたそうだ。5日後にマスターに発疹が出た。6日後に私に発疹が出た。

 キンカン、オロナイン、フィーメリナ軟膏と3種の薬を使ってみた。そして10日目に皮膚科に行った。医者は何かの虫の粉が付いたのだろうと言った。藪などをくぐるとそういうことがあると言った。結局分からないままに月末にやっと治った。

 以上で旅行記を終わる。

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                      中之島の珍しい生き物
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                     コケシのような人形

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                         神様

 

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2018年5月 1日 (火)

 秘境 トカラ列島中之島旅行―⑲―

 「薩摩白波」は有名な芋焼酎の銘柄である。その工場が枕崎にあるのは知らなかった。工場に入ると説明を聞いた後案内板に従って見学した。酒蔵の見学をしたことは何回かあるが焼酎は初めてであった。甕がいっぱい並んだ部屋や発酵をする部屋など見て回った。そして楽しみな試飲の部屋に来た。

  工場限定の焼酎とかいくつかの焼酎の試飲をした。甘いのや匂いのよいものなどいろいろあった。マスターとKさんたちは限定の焼酎を買っていた。私は送料がかかると思って買わなかったが、後で聞いたら金額で送料は無料になったのだという。

  「白波」の工場を見て外に出たときみんなで写真を撮った。サツマイモのビールが試飲できるというのでそちらに行こうとしたら、他の人は出発だと言ったので仕方なく諦めた。サツマイモをあしらったビールは、どんな味が知りたかったので非常に残念であった。

  「白波」工場見学の後、魚市場に戻った。頼んであった鰹のタタキを貰って2階のレストランへ行った。昼時なので3人はアサリ定食を注文した。大きなどんぶりにアサリがたっぷりと入っていた。こんなのは見たことがなかった。

  マスターとYさんと私は朝食をたくさん食べて来たので、鰹のタタキでビールを飲んだ。枕崎は台風で有名だが何もないところだと思っていたら、意外にも賑やかな町であった。

  食事の後指宿に行く。YTさんがいい露天風呂があると言った。途中に無人駅があるので立ち寄ることになった。本当に小さな駅で草が茫々と生えていた。YTさんの家はその近くにあった。月に3万円の家賃で借りているのだそうだ。近くには小さな港もあった。便利ではないがいいところだと思った。

  YTさんの家には上がらないで外だけを見て指宿方面に出発した。ときどき線路を左に見ながら走った。「鶴瓶の家族に乾杯」で指宿をやったばかりであった。どの辺に来たのかと思ったが分からなかった。走って行くとやがて開聞岳が見えてきた。Kさんが昔開聞岳に来て非常に印象に残っているので是非行きたいと言っていたところだ。

  開聞岳は富士山のように形のよい山であった。残念ながら春霞でくっきりとは見えなかった。でも、道筋どこからでも見ることができた。

 YTさんが「玉手箱温泉」という露天風呂に案内してくれたが、あいにく休業日であった。仕方がないので同じ経営の普通の温泉に行った。砂風呂もあったが、他の人たちはみな経験者で、砂風呂は後が大変だと言ったので諦めた。

 大きな温泉で湯はちょっと熱かった。それで長くは入れなかった。温泉から出た後売店を覗いたら野菜などが安かった。葉物野菜を少し買った。

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                        開聞岳
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                         開聞岳

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                      玉手箱温泉

 

 

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