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2018年4月

2018年4月30日 (月)

秘境 トカラ列島中之島旅行―⑱―

 12日は旅行最終日。最初に予定では鹿児島市内観光だったが、フェリーの欠航で最初の日に済ませたので、この日は指宿に行くことにした。Kさんがレンタ―カーの手配をしてくれた。

  枕崎に住むYTさんが、枕崎に来ると魚市場があり、いい鰹節などが買えると言ったので枕崎に寄ることになった。グルメのKさんは枕崎は鰹節の名産地だと言った。私は土佐の高知しか知らなかった。Kさんは「本枯」を買いたいと言った。私は「本枯」も知らなかった。最高級の鰹節のことだという。

  朝食はホテルのバイキングで食べた。Sさん以外はみんな来たが、Sさんだけ来ないのでどうしたのかと心配であった。私は例によってたっぷりといろんな物を食べた。

  出発まじかにSさんに連絡すると「どうして呼んでくれなかったの」と不満そうであった。レンタカーがホテルに来て乗り込んだ。運転はKさんが最後までしてくれるのだ。

  YTさんは枕崎までは一般道路でも変わらないと言っていた。最初の一部だけ高速道路を使ってあとは普通の道を走った。初めての鹿児島なので沿線の景色を眺めた。

  枕崎に近づくと仏壇の広告がやけに目立つようになった。こんな端っこに?と思ったが、どうやら川内市辺りが仏壇生産地らしい。業者が集まっている感じであった。

  枕崎に入ると枕崎駅があった。Kさんは「ここは鉄ちゃんの聖地だ」と言った。「何のこと?」と聞いたら、鉄道ファンの来たい場所なのだそうだ。枕崎駅で鉄道の線路が終わっているのだ。車を降りてその辺りを見て回り写真を撮った。時刻表を見て驚いたことに列車の本数がほんの僅かしかないのだ。

  駅舎は真っ黒で船の形をして立派だが無人駅であった。列車がほとんど来ないのだから無人も当然だ。YTさんと連絡を取って先導してもらい魚市場に行った。入口で藁で鰹の身を焼いていた。鰹のタタキを作っているのだそうだ。初めて見た。

  魚市場には店がたくさんあったが客はまばらであった。YTさんの知り合いの女性が勤めている店に案内された。そこで初めて「本枯」という最高級の鰹節を見た。薄鼠色をしていて堅く叩くといい音がした。

  値段は予想していたより高くはなかった。女性が「出来合いの削り鰹より本枯を買って削った方がいいですよ」と言った。家には鰹節削り器がないので削ってもらうことにした。

私が子どもの頃は家に鰹節を削る道具があって、ときどき削らされたことを思い出した。昔はいい出汁を使っていたのだと思った。

 本枯は目方で値段が決まるらしく、それぞれ違っていた。私は1290円のを1本買って削ってもらった。器械で削るのだがものすごい量になったのでびっくりした。それを2つのポリ袋に入れて圧縮して空気を抜いた。

  私は他に鰹のハラミで作ったものを2種類買った。冷やした方がいいというので買ったものをハッポウスチロールの箱に入れてドライアイスを詰めてもらった。

 買い物が済むと、YTさんが「薩摩白波の酒蔵がある」と言ったのでそこへいくことにした。出かける前に下の魚屋で鰹のタタキを作っておいてもらうよう注文した。

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                       船の形の枕崎駅

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                       線路止め
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                       枕崎駅ホーム
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                       鰹を燻す藁

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                      これから燻す
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                       1本の鰹を削ると

 

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2018年4月29日 (日)

秘境 トカラ列島中之島旅行―⑰―

 一緒に旅行したYTさんは枕崎から自動車で来て、駐車場に停めてあるからホテルまで送ると言ったので有難かった。鹿児島フェリー港で降りると駐車場へ行った。まだ新しいトヨタのランクルであった。

  鹿児島中央駅西のアービック鹿児島まで送ってもらってそこで別れた。YTさんは枕崎まで帰るのだ。

  チェックインをして支払いも済ませ、部屋に荷物を置いてロビーに集合した。天文館まで電車で行って夕食を食べるのだ。最初に日に鹿児島を観光したので勝手は分かっていた。繁華街の天文館で降りると、私のiphoneで「天文館で焼き肉の美味しいところ教えて」というとすぐに反応していくつか表示された。

  歩いて行くと焼肉通りと言ってもいいような焼肉の店がたくさんある通りに出た。Kさんは豚肉がいいと言ったが、他の人は牛肉がよいと言ったのでよさそうな店を探した。

  両方食べられる店があったのでそこに入った。先客がいたがまだ多くはなかった。メニューを見てKさんとマスターが注文をした。Kさんは詳しいので尋ねたら、家族でよく焼肉店に行くのだと言っていた。それでKさんが「焼肉奉行」になっていろいろと世話をしてくれた。私は焼き肉を食べに行ったことがほとんどないのでお任せであった。

 Kさんはワイン、他の人はビールと芋焼酎で焼き肉を味わった。そのうちに店が立て込んできて満席となった。それでビールのお代わりを注文してもなかなか出てこなかった。でも客が多い店はいい店だからよかったと思った。〆は石焼ビビンバをシェアして食べた。払いは一人3500円であった。

 市内電車で鹿児島中央駅まで帰ったのだが、私は他の人たちと離れて座ったので下車するのが遅れた。降りると誰もいなかった。見当をつけて歩いて行くとマスターのような人が地下に入って行くのが見えた。それでそちらに行ったら全く違っていた。マスターに電話をしたが出なかった。

 仕方がないので中央駅まで戻りホテルに帰った。フロントで聞いたらまだ誰も戻っていないと言った。またマスターに電話をしたが出なかった。他の人の電話番号は知らなかったので聞いておくべきだったと後悔をした。

 部屋に入ってしばらくするとノックの音があり、マスターたちがいた。「どこに行ったのか心配して探した」と言った。私は訳を話した。とんだハプニングであった。後で分かったのだが、マスターたちは私が来ないのでまた停留所に戻ったのだそうだ。申し訳ないことをした。

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                       天文館の通りの一つ

 

 

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2018年4月28日 (土)

秘境 トカラ列島中之島旅行―⑯―

 往路と違って、海は風波は立っていたが、穏やかでフェリーは揺れることもほとんどなかった。私たちは食堂に行って昼食を摂ることにした。カレーが手頃なので注文したが、なかなかできて来なかった。カレーは作り置きができるので電子レンジで温めるだけだと思うのだが。

  船には水とお茶の設備が何カ所かあった。食堂はくつろぐ場所にもなっていて、自動販売機を設置してあった。Sさんは待てないらしく何かを買っていた。

  鹿児島まで7時間半、カレーを食べた後はどうやって過したらよいのだろう。こういうときは時間が経つのが遅いのだ。

  しばらくは部屋で横になったが眠れなかった。また食堂に行くと、マスターやKさんが宿の主人と話をしていたのでそれに加わった。

  島の人たちは70歳になると、敬老でフェリー代が無料になると言った。島では土葬かと聞いたら、今は火葬だと言った。島で亡くなれば鹿児島まで運んで焼いてもらうのだという。ただ、ほとんどの人は最後は鹿児島の病院で亡くなると言っていた。

 また、40歳台の人までは島に住むと450万円で住居を改装してもらえ、2年間は生活費の補助が出ると話していた。若い人を呼び寄せるのが狙いなのだ。

  その後休憩所に行って何となくテレビを観た。昔の西部劇をやっていた。途中からなので訳が分からなかったが暇つぶしに最後まで観た。ジェームス・スチュアートなどかつての西部劇俳優がでていた。

  フェリーにはWiFiがあったが、たくさんの人が使うせいか、電波は捉えてもニュースなどの表示がでないのでスマホは使えなかった。西部劇の後の京都の織物の番組を観るともなしに眺めた。

  中之島で一緒になった人がきて座ったのでその人と話をした。島が見えて来てやがてアナウンスが入り口之島に入港すると分かった。それでデッキに上がった。

  口之島から鹿児島までまだ時間がかかる。休憩所に戻った。YTさんは男性とずっと話し込んでいた。その人が行ったので私はYTさんと話をした。ずっと話していたYTさんの相手は中之島で知り合った蝶の理学博士であった。凄いカメラを持っていたが中之島では主に蝶などの写真をとったのだそうだ。蝶の写真の本も出版しているそうでYTさんはいい人と知りあえてよかった。

  やっとのことで鹿児島湾に入ったが、そこから鹿児島まではまだかなり時間がかかるとKさんが言った。薩摩半島を遠くに見て船は進んだ。行きには分からなかったが鹿児島湾は広い大きな湾であった。

  18時半、フェリーは定刻に港に着いた。Yさんが早く出口に行った方がよいというので急いで行った。切符を渡して船を降りた。長い船旅がやっと終わったと思った。

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                       Goodby!中之島

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                    フェリーのカレー
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                        口之島港

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                         鹿児島湾

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2018年4月27日 (金)

秘境 トカラ列島中之島旅行―⑮―

 宿へ戻ると、他の人たちは温泉へ行くところだった。車に乗せてもらって港近くの温泉へ行ったが満員だった。それで東の温泉に行った。

  この温泉も海岸にあり道より低い。中に入ると似たような温泉であった。ただ海水が多く混じっているようで塩からかった。上がりのシャワーも何となく塩からい気がした。3カ所あるうち入っていないのは山の方にあるという温泉だけであった。

  帰りは、YTさんとKさんが「支所の近くから橋を渡って行くとすぐ宿に出る」と言ったので、そこで車から降りてYTさんと歩いて行った。YTさんはあちこちを歩き回っているので島のことがよく分かったのだ。急な狭い坂道を上ると本当に直ぐ宿に出た。温泉や港へも近道だったが明日は変えるので時すでに遅しであった。

  宿に戻ると荷物の整理をしてバックに詰めた。バックで持って来てよかったと思った。最初はスーツケースの重さが2.7kgもあるのでそれを減らすためであった。でも、使って見ると衣類などは抑えると小さくなったり変形するのだ詰めやすいのだ。

  最後の晩の夕食にはトンカツが出た。刺身は宿の主人が釣って来たマグロだという。マスターが持って行った焼酎などがなくなったので、マスターは宿の焼酎を1本買った。アルコールはすべてマスターの奢りで感謝、感謝であった。

  島を後にする日がやってきた。最後の温泉に入りに行き、出るとき封筒に1000円を入れて名前を書いて置いてきた。後から行ったYTさんがそれを見つけて箱の中に入れてくれたそうだ。Yさんは支所に持って行くのが一番良いと言っていた。島の人だけでなくよそ者も来るのでその方が安全だと言った。寄付をすると名前が掲示されるので今頃は出ているであろうか。

  朝食のあと宿代を清算した。3泊3食+帰る日の朝食付で26680円だった。

  本当なら4拍の予定であったが、初日に船が出なかったので3泊になったのだが、ちょうどよかったと思った。もう1泊したらやることが何もないからだ。YTさんのように島を歩き回るしかない。

 フェリーの出航は10時半なので9時半ごろ港へ行った。 波止場に着くとヨットが停泊していた。韓国のソウルから来たのだという。女性1人と男性2人であった。男性一人は日本語が話せた。そこへマスターがやってきたので「この人は韓国語が話せるよ」と言った。マスターは韓国語で話をした。

 こんなヨットを持っているということはかなりの金持ちだと思った。マスターの話しでは、フィリピンへ行くと言っていたとか。ヨットで太平洋を航海すうるのは波で大変だろうと思った。

  フェリーが入るのでヨットを移動する方がよいと言った。ヨットの友綱が食い込んでいたのでYTさんやKさんが手伝った。やっとのことで綱をはずしヨットは移動して行った。

  港には本田さんや若い子連れのママさんたちが来ていて、トカラのちょっとした土産物を売っていた。私も家への土産にいくつか買った。考えてみれば島で金を使うのがこれが最初で最後であった。

  きっと本田さんたち若いママが土産物を売るというアイディアを思いついたのだろう。島の人たちにはそういう智慧は働かないのだとマスターがコメントしていた。

  Yさんの奥さんの姉などが見送りに来ていた。宿の主人は鹿児島の病院へ行くのだと言っていた。

 フェリーは奄美大島から順に島を巡って戻って来るのだ。港に入ると方向を転換して岸壁に付けた。

 私たちは直ぐに乗船をした。部屋に行き荷物を置くとデッキに上って出航の様子を見た。

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                       最後の夕食                 


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                    ソウルから来たヨット
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                     入港するフェリー
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                    方向転換するフェリー

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               港から見た中之島と御岳(9日)

 

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2018年4月26日 (木)

 秘境 トカラ列島中之島旅行―⑭―

 本田さんが車で迎えに来てくれ、学校まで行った。中之島中学校、中之島小学校と表札に書いてあった。コンクリートの立派な校舎で運動場も広かった。

  職員室に行き校長先生に挨拶をし、手品を披露する時間を作って頂いたことに感謝をした。校長先生は「現在小中合わせて20名ですが、この20年間で一番多いです」と話した。2月に昨日道であった2人が転校してきたので増えたのだと思った。

  体育館に案内されて驚いたのは名古屋の体育館より立派なことであった。数年前に改修されたようであった。床に中学校と小学校の子たちが2列に座っていた。その前に頼んでおいた小さな机があった。

  1時10分から1時半までの限られた時間なので急いで手品をした。シルクを結ぶ手品をいくつかやった。子どもたちは真剣に見てくれた。 

  一本のロープが長くなったり、長短の2本になったり、同じ長さになったりして、結んだシルクを解くとき中学生が出てきて手伝てもらった。シルクが外れて1本になると驚いていた。

  鉄の輪と靴紐の手品で輪が外れたり、紐の途中でとまったりするのも不思議がっていた。最後に輪と紐を渡して調べてもらったが普通のものなので首をかしげていた。

  薔薇カードやカードを引いてもらったら1億円札に変わっている手品、ロープとリングを使った手品なども楽しんでくれた。もっといろいろ見てもらいたかったが時間が20分しかないので残念であった。それでも学校で手品を見せるという希望が叶えられてよかった。

  本田さんのご主人も見に来てくれて嬉しかった。

  学校の後、本田さんはデイケアセンターで14時30分からお年寄りに見せる手筈も取ってくださっていた。それまでの時間を使って診療所の待合でお母さんと幼児に手品を見せてもらってもよいということであった。本田さんは歴史民俗資料館の仕事があるので一旦戻られた。

  このひ診療所には鹿児島から日赤の医者と看護師が来ていて島の人たちが診察を受けるのだそうだ。待合室で手品を演じた。ただ小さい子の中には動き回る子もいて大変であった。たた1人一生懸命見ている子がいた。後で聞いたら本田さんの息子だそうで、手品が好きなのだと言っていた。

  本田さんが戻ってきて診療所の隣のデイサービスセンターに案内してくれた。3人の世話をする人と10人ほどの高齢者がいた。

  時間は機にしなくてよいということでよかった。それで持って行った手品をみんな見せた。お金を白紙に変える手品の時、札を借りたいと言ったが誰も持っていないと言った。私は「この島ではお金を使うところがないから財布は持たなくてもいいのですね」と応じた。一人の世話をする女性が千円札を持っていてそれを借りてやった。「白い紙は今夜12時に1万円札に変わります」と言って笑わせた。一億円札に変わる手品の時も12時に枕元に1億円が置いてありますと言って笑わせた。

  靴紐と鉄の輪やロープにシルクを結んで解く手品や薔薇カードなども喜ばれた。4枚の白いトランプがウサギのトランプに変わり裏の模様が消える手品も不思議がってくれた。

  大きいカードで作った手品やロープ、シルクの手品など持って行った手品をみんな見てもらった。裏の矢印の方向を当てるのも面白がってくれた。

  最後に皆さんに手品のタネを2つ上げた。1つは模様が変わって1円玉になる手品。もう一つは超能力の紙であった。

  本田さんと知り合ったお蔭で念願だった中之島で手品を見てもらうことが出来て心から感謝している。

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                     中之島小中学校

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                    体育館で手品を披露

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                     中之島診療所

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                    デイサービスセンター
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                   高齢者に手品を披露
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2018年4月25日 (水)

秘境 トカラ列島中之島旅行―⑬―

 中之島第3日、午前中はYさん運転の車で灯台がある海岸に出かけた。海岸沿いの道を東へ行った。支所や診療所、郵便局、もう一つの温泉などがあり、やがて学校があった。YTさんは学校の裏から見るととても景色がよいと言っていた。車から見ても確かに良い景色であった。

  学校を過ぎると道路工事をしていた。道が分かれていて海岸の方に行った。坂を上って行くと牛小屋があった。右手に海岸が見えており方向としてはよいと思われた。進んでいくとヘリポートがあり、車に驚いてトカラヤギが数頭逃げて行くのが見えた。

 ヘリポートで降りてその辺を散策したがヤギはどこかへ行って見えなかった遠くに海が見えた。そこからさらに車で進んだ。するとヤギが道路を横切るのが見られた。

 かなり走ったところでその先に進めなくなった。舗装道路がなくなり、その先は危険だとかいてあった。そこで左の舗装道路の方に行ったが、両側から笹が垂れていてそれをかき分けながら進んだ。YTさんが「自分の車なら来ないね」と言った。どうやら道が違ったようだ。結局その道も進めなくなったのでUターンをして戻ることにした。

 戻る途中で牛が牧場に出ているのが見られた。行には牛舎の中にいた牛のようであった。

  支所の近くまで戻りそこで車を停めてYTさんたちは郵便局に聞きに行った。鳥居のところに案内板があり、その横の道を行けば行けるのだが、工事中で通れるかどうか分からないと書いてあった。

 堤防のところに珍しい鳥を見つけた。じっとして動かないので写真に撮ることが出来た。中之島には珍しい鳥が来るようなのでその一つかなと思った。帰ってから野鳥写真家の山口さんに写真を送って尋ねたら、ありふれた「イソヒヨドリ」のオスだということであった。メスは黒っぽい地味ないろだそうだ。がっかりしたが、トカラ列島は野鳥が飛来する場所でとは言っていた。確かに鳥の声はよく聞いたが分かったのは至るところにいるウグイスだけであった。

  待っていると3人のグループが通りかかりSさんにトイレはどこかたずねた。韓国人だと分かった。マスターを呼んだら韓国語で話した。ヨットで島を回ってやってきたらしい。女性1人と男性2人だった。支所の中にトイレがあって使えると教えて上げた。

  YTさんたちが戻ってきてやはり案内板の通りでよいことが分かった。工事のところは通れるかどうかは不明であった。

  道は最初の日に行った道と同じであった。あの時工事で通れなくてひきかえしたのだが、今度は通してもらえるか尋ねてみようということになった。

 トカラ馬牧場を通って御池の近くで分かれている道を右に行ったら、Sさんたちが「標識は左だとかいてある」と言ったのでバックで戻って左の道を行った。前日に来た道でしばらく行くと海が見えてきた。下に降りて行ったら道路工事をしていた。Yさんたちが通れるかどうか聞きに行ったがやはりダメであった。見上げるような高いのり面の上の方で4人の人が崩落防止の工事をしていた。まるでロッククライミングのようであった。

 仕方なく私たちは戻ることにした。歴史資料館や天台などの前を通って宿に戻った。本当ならヤルセ灯台があるセル岬まで行ければ一番良かったのだが行けなくて残念であった。

 昼近くになっていたので昼食を摂った。私は12時40分ごろに本田さんが迎えに来てくれ学校へ行くことになっていた。午後は他の人たちは別の行動をした。

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                     案内板がある鳥居

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                 ヤギがいたヘリポート
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                  ヘリポート付近

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                   ササをくぐり進む
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                      イソヒヨドリ(オス)

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                                        通行止め

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                  命綱をつけて工事

 

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2018年4月24日 (火)

秘境 トカラ列島中之島旅行―⑫―

 宿へ戻ると下着と靴下の洗濯をした。自動洗濯機の使い方をSさんに教えてもらったので自分でやれたが、洗濯槽に入れて洗剤を加えてスタートボタンを押すだけでいいとは何とも便利になったものだと感心した。所要時間は30分ぐらいと表示される。

  洗濯したら軒下に干すのだが、ハンガーの数が少なくしかも古くて壊れたものもあった。靴下をつるすものも洗濯バサミが壊れた物もあり大変だった。

  ハンガーなどは安いのだからある程度の数は揃えて欲しいと思ったが、万事いい加減であった。

  6時半から夕食でこの日のメニューは宿の主人が釣ったアジのフライとサワラの刺身がメインであった。マスターが持って行ったおいしいビールと限定焼酎を飲んだ。

  7時40分ごろ天文台の本田さんの迎えの車が来た。この夜も天文台に星を見に行った。昨夜と違う星をリクエストして見た。本田さんは2晩も見に来たのは初めてだと言っていた。

  外に出ると灯りを消して黒い星空を見上げた。名古屋に帰るともうこのような星空は見られないと思いながら見た。

  私は中之島に行ったらマジックを見せたいと思って、持ち運びやすいロープやシルクやカードなどの手品を用意していた。宿の主人に学校と連絡を取ってくれるように話してあったが、新学期が始まったばかりで時間が取れないということであった。こういうことは島へ来る前に言ってくれないと駄目だと言った。

  それで本田さんに手品のことを話したら、子どもたちも喜ぶだろうし、次の日の朝子どもを送って学校へ行くから校長先生に話してみると言った。さらにお母さんたちにも呼びかけてみると言ってくれた。私は嬉しくてよろしくお願いしますと頭を下げた。私の電話は使えないのでKさんのスマホに返事をもらうことにした。

  次の朝8時ごろに電話があり、校長先生は了承してくれ、昼休みの20分間に体育館に小中学生を集めてくれることになった。

  またこの日は鹿児島から日赤の医者が健診に来るのでみんなが集まるからその機会を利用できるかもしれないと言った。学校だけでなく島の人たちにも見てもらえればこんなに嬉しいことはない。

 本田さんのママさんパワーはすごいと感心した。

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                     夕 食
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                  港から御岳を望む
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                    海の向うの島

 

 

 

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2018年4月23日 (月)

秘境 トカラ列島中之島旅行―⑪―

 午後はフェリーが着く岸壁に行った。本当は昨日釣りをした岸壁に行きたかったのだが、工事をしていて入れなかったのだ。

  YTさんは1人で昆虫を探して歩いて来ると言って出かけていった。Kさんは蟹などの餌を探すと言って岩場の方に行った。残りの4人は岸壁の角の深いところへ行った。

  Yさんとマスターが釣りをした。最初にYさんがベラを釣り上げた。しかし、その後はなかなか当たりが来なかった。前日はマスターが一番多く釣ったがこの日はダメなようであった。

  フェリーが着く辺りでは同じ宿に宿泊している人がルアーで釣っていたが釣果は芳しくなく場所を変わっていた。

 しばらくすると奄美大島まで行くフェリーが入ってきて港内で方向を転換した。人々が集まって鹿児島からの荷物を下していた。宿の人も2台の車で荷物を取りに来ていた。

  Kさんが戻ってきた。カニなどが少し採れたようであったが温泉の影響であまりいないと言っていた。Kさんが来たのでSさんはルアーを借りて釣り始めた。

  私は他の人場釣るのを見ていたが退屈であった。そこへYTさんが戻ってきた。そしてなかなか面白いところがあると言った。それで私はYTさんとそちらに行くことにした。

  YTさんの案内で坂道を登って行った。ところどころに家があった。大きな木から根がいっぱい出ているところでYTさんは珍しい木だと言った。それを写真に撮った。

  歩いて行くと変わったお墓が一つあった。タイルで造った1.5m四方位の台座の上に古い墓が載せてあった。花が活けているのでいつもお詣りに来るようであった。

  さらに歩いて行くとビワ園があった。ビワの実には袋が掛けてあった。YTさんはもっと奥に行くとビワ園があると言った。Yさんの親せきのビワ園かも知れないと思った。

  Yさんの話しではこの時期ビワの収穫があるはずであったが、時期を間違えていた。5月の初めなのだそうだ。

  ビワは中之島の大事な特産なのだが日持ちがしないので鹿児島に出荷するだけだという。マスターはハイモアに漬けることで日持ちを長くして名古屋などに出荷できないかと考えていた。それで実験するためにハイモアを持って来ていた。確かめられなくて残念であった。

  道の両側にはツワブキが続いていて、バナナの木もたくさんあった。その一つの木に珍しくバナナがなっていた。YTさんは丸いのは花だと言った。ガジュマルの大きな木もあった。とにかく新緑の中にところどころに家があるという感じである。

 帰り道港の近くの坂で子どもが3人登って来るのが見えた。呼び止めて聞いてみると小学校5年生と6年生で家は直ぐ近くのようであった。2か月前に引っ越してきたと言っていた。HPによると中之島の人口は160人で-2となっていた。この家族が来て160人になったのだろう。

 子どもたちを呼び止めたので、ポケットに持っていた手品を見せた。そして回すと1円玉のようなものが現れ1円玉が出現する手品と超能力の紙をあげたら喜んでいた。

 その後海岸まで降りて行って温泉に入った。マスターたちも釣りを終えて入ってきた。この日はYさんが一番だったと言っていた。

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                       袋を掛けたビワ

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                     根っこがいっぱい

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                       面白い形の木

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                     バナナの花と実

 

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2018年4月22日 (日)

秘境 トカラ列島中之島旅行―⑩―

 中之島2日目、朝温泉に行き、朝食を済ませると御岳(おたけ)へ出かけた。御岳は海抜約1000mである。下から登ると3時間ぐらいかかり、体力も要るので途中まで車で行った。海が見える見晴らしのよいところに「御岳登山道」という案内が出ていた。ここまでは車で来る人が多いのだろう。

  登山道の両側から笹が出ていた。登る人が少ないのだと思った。笹の下をくぐって少し行くと笹がなくなり、コンクリートで丸木のように作ったもので階段になっていた。登りはかなりしんどくて息を切らしながら登った。

  若いKさんと女性のSさんは先にどんどんと登って行った。私の後にはYさんがついてサポートしてくれ、その後にマスター、しんがりがYTさんであった。階段の高いところは後ろからYさんが腰を持って押し上げてくれた。

  やっとのことで頂上に着いた。下を見ると火口があり白い蒸気を何カ所か吹き出していた。下からは見えないが活火山なのだと気づいた。火口底には洗濯板のような模様があった。昔陸軍が硫黄を採取した後なのだそうだ。

  水蒸気はときどき大きく吹き出し、火口を蔽った。もし突然爆発したら・・・と思ったが、Kさんが調べたところでは要警戒1だということであった。

 中之島の子どもたちは頂上まで登って遊びに来ることがあるとYさんが言っていた。子どもは元気がよいから楽しいであろう。

 天気がよいので遠くに海が見えきれいに光っていた。ここまで登って来てよかったと思った。しばらく写真を撮ったりして降りることにした。

  下りは上りより滑ったりしやすいので慎重に歩いて降りた。道の両側に生えている笹を掴んで転ばないようにした。「手を切るよ」と言ったが転ぶよりよいと気をつけて掴んだ。手袋があるといいと思った。

  途中1回滑って倒れそうになったが、笹を掴んでいたのとYさんが支えてくれて転ばずに済んだ。何とか無事に登山口まで下りることができた。

 車で戻る途中「歴史民俗資料館」が開いていたので立ち寄った。昨日ゆっくり見られなかったのでよかった。他に中之島出身の人などの5人のグループが来ていた。一人の人は20年ぶりだと言っていた。

 資料館を見て前のトカラ馬牧場を見た。本田さんが遠くで遊んでいる馬を呼び寄せてくれた。餌の箱で音を立てると戻って来るようであった。戻ってきた馬に餌をあげた。団子のよな餌であった。

 本田さんには、夜また星を見に来ると伝え、7時半ごろ迎えに来てもらうことにした。宿には丁度昼ごろ戻り、昼食はライスカレーだった。

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                       登山道
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                     硫黄のガスの水蒸気
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                      登る途中に見えた海

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                     登山口からの眺め

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2018年4月21日 (土)

秘境 トカラ列島中之島旅行―⑨―

 夕食にはサワラとカツオの刺身が出た。鹿児島でマスターが買って持って行ったビールと限定焼酎を飲んだ。焼酎は甘みがあり美味しかった。私は25度のままストレートで飲んだ。

  刺身の醤油は甘く、普通の醤油も甘くて刺身の味が落ちたように感じた。味噌汁も黄土色で味は甘かった。

  夕食後7時半に天文台管理をしている本田さんが迎えに来てくれることになっていた。外に出ると宿の外灯が明るかったがシリウスやオリオンなどが見えた。外は電燈の灯りに惹かれてブヨが舞っていた。Yさんがブヨに刺されると大変だと言っていた。

 車が来たが運転していたのはご主人であった。ホンジュラス人だそうで驚いた。Yさん運転の車はその後について走った。ご主人は暗い夜の山道を巧みに運転した。快活な人で英語も話すので私は英語で話した。

  天文台に着くと車の灯りを消してもらった。真っ暗な空に星がたくさん輝いていた。とりわけシリウスとオリオンが目立った。シリウスは名古屋でも見ることができるが、オリオンは久しぶりであった。

 天文台の入館料は300円であった。天文台に入ると60cmの反射望遠鏡があった。こんな大きな望遠鏡を見るのは初めてであった。

  ドームは電動で開き、開口部も電動で動いた。望遠鏡はパソコンとつながっていて作業ができるようであった。最初にマスターの希望でシリウスを見たが、ダイヤモンドより鮮やかに光っていた。ただ、星を見るといっても光り方や色を見るのであった。操作は本田さんが1人でやった。

 シリウスの後オリオンの中の赤い星を見た。残念なのは土星が見られないことであった。火星や木星も見られない時間帯であった。

 私はスマホに星座表アプリを入れてあるので、それを星に向けて目指す星の名前や星座を見た。天文台では星座表をくれたがそれで探すのは大変だ。

 中之島のような辺鄙なところに立派な天文台があるのは、竹下政権の時「ふるさと創生」で配った1億円を使ったのだそうだ。何でも教頭先生が天文好きで望遠鏡を買うことを提案したのだという。6000万円が望遠鏡代で4000万円でドームを作ったのだそうだ。

 外に出るとまた灯りを消してもらって肉眼で星を見た。北斗七星もきれいに見えた。私が子どもの頃は夜は外が暗く、夜空を見ると満天の星であった。中之島で見た空よりもっとたくさんの星が見られた。天の川も実に見事な星の川であった。しかし、中之島で見た空は期待ほどではなかった。それでも名古屋では見られない星空が見られて嬉しかった。

 分かったことは、車のヘッドライト一つでも星の見え方に大きく影響することであった。

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                      最初の日の夕食

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                       天体望遠鏡

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                    翌朝の宿から見た景色

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2018年4月20日 (金)

秘境 トカラ列島中之島旅行―⑧―

 午後は楽しみにしていた釣りに出かけた。フェリーが着く港の傍の岸壁へ行った。釣り具はYさんが自分の分とマスターの分を宿で探した。宿の庭には古い釣り具がたくさん放置してあったが、使えるのは二つだけのようであった。

  Kさんは自分のルアーを2本持って来ていた。私は昔釣りをやったので釣り具はあるのだが持って行かなかった。

  YTさんは蝶や昆虫が趣味なので中之島で珍しいものを見つける目的できた。それで支所で昆虫採集の許可をもらって、一人で歩き回るので出かけて行った。釣りに行ったのは5人であった。

  餌はYさんが宿で撒き餌とオキアミを貰ってきた。船が着く岸壁なので水深は4mぐらいあった。上から覗くと魚が泳いでいるのが見えた。私は「見える魚は釣れないと言うよ」と言ったが、Yさんとマスターは撒き餌と餌をつけて近くに投げ入れていた。Kさんもさんはルアーで釣るのだ。竿が1本余るので疑似餌の付いた竿を借りた。

  魚はチョウチョウウオのようなきれいな魚や20cっもある様な魚が泳いでいた。撒き餌で魚が集まって来た。

  最初に釣ったのはマスターで大きなベラであった。次にYさんがベラを釣った。Tさんはなかなか連れないようでしきりに探っていた。私も探ったが魚はいるのに当たりが来なかった。

  マスターとYさんはときどき釣れていた。その内にKさんも1匹釣ることができた。私は全く釣れなかった。散歩していたSさんが来たので竿を渡して交代した。

  天気はよく遠い島が沖に見えた。反対側には御岳(おたけ)の上の方が見えた。この天気なら夜は楽しみにしていた満天の星が見られるだろうと期待を膨らませた。4時半頃まで釣りを楽しんで、下の写真のような釣果であった。一番多く釣ったのはマスターだった。「ビギナーズラックだよ」と謙遜していた。 ゼロは私とSさんだった。私の感じでは普通の竿で浮子を付けて餌で釣るのがよいと思った。

 宿に戻ってから温泉に行った。撒き餌などで手に匂いが染みついたと言っていた。

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2018年4月19日 (木)

秘境 トカラ列島中之島旅行―⑦―

 温泉から帰るとドライブで御池などを見に行くことにした。宿で借りたポンコツの軽自動車でYさんの運転で出かけた。坂が多いのでマニュアル車であった。Yさんは奥さんの出身地である中之島を昨年訪問し島をよく知っている。運転とガイドをしてもらった。

  宿から出ると御岳の方に登り道である。しかも道は曲がりくねっていた。ただよいことは道路が舗装されている事であった。帰る日に分かったのだが、舗装されていないのは行き止まり近くの僅かな部分だけであった。

  道の両側は細い竹や木が生い茂っていた。新緑の木の葉がきれいであった。またところどころにバナナの木が生えていた。時期が終わったので葉は枯れかけていた。道に沿って大きなツワブキが生えていた。どこへ行ってもツワブキであった。

  私が子どもの頃、食料がないのでツワブキをよく食べた。中之島のツワブキは葉が直径30cm以上もあり見事であった。宿で一度ツワブキが出たが柔らかくておいしかった。Yさんは帰る時大量のツワブキを宅配便で名古屋に送った。

  登って行くと左側に「十島開発総合センター」があった。さらに進むと天文台があり、近くに歴史民俗資料館があった。前には牧場があって馬が10頭ほどいた。トカラ馬という種類で絶滅危惧種なので保護と繁殖をしているのだ。

  歴史民俗資料館は「開館中」という看板が出ていたが管理者が不在であった。それで御池(おいけ)に行くことにした。標識が分かり難いので迷ったが御池に出た。神秘の池という感じであった。誰かが「『金の斧・銀の斧』(イソップ)に出てきそうな池だ」と言った。イソップの童話は川だがこういう神秘的な池の方がふさわしい。

 御池を見た後灯台がある海岸に行くことになった。車を走らせたがすれ違う車は1台もなかった。やがて遠くに海が見えてきた。そこで写真を撮ってさらに降りて行くと海岸に出た。一人の人が釣りをしていた。昔は海水浴場だったらしく、公衆電話などのコンクリートの建物が残っていた。

 その先は工事中で通行できないようであった。仕方がないので、しばらく海岸を散策して引き返した。歴史民俗資料館に来ると車が止まっていた。管理人が来ていたので中に入った。入館料は300円であった。

 トカラ列島についてのビデオを見た。その後館内を見た。蝶の標本とか鳥とか暮らしに就いてなどの展示があった。驚いたのは縄文土器の破片があったことだ。そんなに古くにどうやって人が中之島にやってきたのだろうと不思議でならなかった。ゆっくり見たかったが他の人がサッサと見て出て行ったので諦めた。

 外に出るとトカラ馬を見た。人に慣れているのが1頭いて、Sさんが柵越しに馬に触れていた。管理人は本田さんという女性で2歳の子どもを連れていた。隣の天文館も管理しているということであった。

 天気がよいので夜に天文館に来ると告げて歴史民俗資料館を後にした。それにしてもどうしてこんなに立派な資料館があるのかと思った。

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                    トカラ馬牧場
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                   歴史民俗資料館
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                       御 池

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                       御 池
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                   途中海を望む
  

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                     海  岸

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                      海  岸




 

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2018年4月18日 (水)

秘境 トカラ列島中之島旅行―⑥―

 温泉は海岸を3mほど掘ると出て来るといい、水脈上の東の海岸にももう一つあった。そちらは遠いので一度だけ行ったが少し塩分を含んでいた。

 港にある温泉はいつもパイプから湯が出ていた。70度あるという。湯の出口には硫黄がくっついていた。湯は硫黄の匂いがした。入る時は水を流し放しにしてよくかき混ぜて入るのだ。

 私たちはぬるめにして入ったが、村の人は熱いのが好きらしくぬるいと言って文句を言われたことがある。

 朝一番に行くと温泉の色が濃くて青いミルクのようであった。ただ日によっても時間によっても変わるらしく、透明度の高いときもあった。マスターは湯の色で熱さが分かると言っていたが・・・・。

 温泉の小屋は昨年の台風で壊されたそうで村の人たちで再建したのだ。残念なのは台風や波を防ぐため壁になっていて海の景色を見られないことであった。温泉は男湯と女湯に分かれていて村の人たちはみなここに入りに来るのだ。

 この島には温泉が3カ所もあって一番の贅沢だと思った。私やマスターは1日3回も入ったが極楽であった。

 先にも書いた様に、温泉は無料だが、壁に箱があって封筒とペンが置いてあり、寄付を募っていた。それで最後の日に私は1000円を封筒に入れ置いておいた。後から来たYTさんがそれに気づき、鍵のある箱に入れてくれたそうだ。

 Yさんの話しでは支所に持って行くのが一番良いと言っていた。残念ながら寄付についての説明は書いてなかったので片手落ちだと思った。村の人は知っているからいいが旅の者には分からない。きちんと説明を書いてほしいと思った。

 壁に寄付者の名前が書いてあり、最低が600円であった。私の名も今頃載っていることだろう。

 Kさんが温泉の近くの岩場でカニなどの釣りの餌を探したが硫黄のせいか見つからなかったと言っていた。

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                                東部温泉(西もよく似ている)

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                    島に来る珍鳥

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2018年4月17日 (火)

秘境 トカラ列島中之島旅行―⑤―

 朝5時10分ごろ、フェリーは最初の寄港地口之島に入港した。私やYさんたちはデッキに上がってその様子を眺めた。岸壁に10人ほどの子供や大人がいて手を振っていた。デッキでは男の親子が手を振っていた。上の根島へ転校するのだと言っていた。次が中之島だがまだ1時間余りかかる。それで部屋に戻って横になった。

  日の出は6時だとTさんがパソコンで調べて教えてくれた。6時10分ごろ中之島に入港するというアナウンスがあった。荷物を持って出口の方へ行った。船は6時30分に予定通り着岸した。出口で乗船券を渡してタラップを渡った。たくさんの人が舟の到着を待っていた。

  宿の主人と手伝いの人が車2台で迎えに来ていた。Yさんのお姉さんも来ていた。島の人たちには鹿児島からの船が待ち遠しかったであろう。たくさんの荷物を下していた。

  とうとう中之島に来たのだ。長い船旅であった。島は海からすぐに山になっていて御岳(おたけ)の上の方が望見できた。

  車は海岸からすぐ坂を上って行った。5分もかからずに宿の「中之島荘」に着いた。鴬が鳴いていた。

 部屋は3つで畳の部屋が1つ、あとはベッドの部屋であった。部屋に入って驚いた。ベッドは木製の手作りであった。見ると部屋も建物もみんな素人が作った感じであった。あとで聞いたら、家を建てたり直したりするときには、村中から手伝いにくるのだそうだ。

  素人の手造りであったが、部屋にはエアコンやテレビがあった。トイレは最新のシャワートイレだったので有難かった。洗濯室には最新の自動洗濯機が2台あった。

  非常にちぐはぐで、古い使わない石鹸入れとか歯ブラシ入れのようなものがそのままになっていたり、外のあちらこちらにはゴミや要らないものが散らばっていた。

  食事は台所の隣の和室で、座卓が3つあり、そこで食事をするのだ。湯沸かし器が2台あってお湯は何時でも使えた。

  宿では朝食を用意してくれていた。7時からが朝食の時間であった。味噌汁と卵焼きと刻んだ新香と焼き海苔であった。味噌汁は白味噌で甘かった。みんなは「甘いなあ」と言っていた。醤油も甘かった。どうも鹿児島では醤油も味噌も甘いらしいと分かった。

  食事を済ませると9時から温泉へ行った。温泉は港の傍にあり、24時間いつでも入れるようであった。入浴料はお志なので無料でも入れるようであった。壁に寄付をした人の名が掲示されていた。最高が1万円で最低は600円であった。

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                     宿からの眺め
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                     民宿中之島荘

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                     港から御岳をの望む
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                        岸 壁

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2018年4月16日 (月)

秘境 トカラ列島中之島旅行―④―

 バスは薩摩義士碑前から城山の方に登って降りるルートになっている。途中西郷隆盛が立てこもった西郷洞窟がある。

  城山で下車し歩いて行くと、見晴らしの良いところに出た。鹿児島市街が一望できた。西郷たちはここから見下ろして戦況を確認したのかと思った。

  マスターが「桜島」を見に行こうと言った。私営バスの方が早く来たので150円払ってそれに乗った。午前中に見た仙巌園を通り、フェリー乗り場がある「鹿児島水族館前」でおりた。桜島フェリーは大きなビルの2階から乗船した。フェリーは24時間営業で15分ごとに出ているというので驚いた。桜島が眺められるように前の座席に座った。

  海は穏やかで15分ほどで桜島に着いた。船からは下りずにそのまま桟橋から戻りの船に乗った。結局桜島まで往復しただけで、桜島を船からたっぷり眺めただけであった。

  水族館にはジンベイザメがいるということであったが、時間がないのでそのまま鹿児島中央駅方面の市バスに乗り、6時ごろにホテルに戻った。

 夕食を食べるのに鹿児島中央駅の広告を見て、「薩摩魚鮮水産」という店に行った。魚などの単品を取りシェアした。ビールや芋焼酎を飲んだ。Kさんはワインであった。2600円。

 その後ホテルに戻り、荷物を持って鹿児島中央駅から市電に乗った。フェリー乗り場近くの駅で降りて歩いて乗場まで行った。待合室には枕崎から来て一緒に行くYさんがいた。

 フェリーは新造の「としま」で、まだ3回しか就航していないということであった。大きなビルディングのようなフェリーで後部から自動車を積んでいた。

 22時に手続きをして乗船した。12人の大きな2等船室に私たち6名だけだったので楽であった。荷物を置く台が枕元の上にあり、細長いマットを床に広げてその上で寝るのだ。毛布が1枚ついていた。

 23時の出航のときデッキに上がって鹿児島の夜景を見た。船が動きだし堤防から離れて行った。鹿児島湾内でも波は高かった。通路を歩くと足をとられそうであった。私たちは船室に戻り好きなところを選んで横になった。

 外洋に出るには20分ぐらいかかった。外洋に出ると波はさらに高く、船は大きく揺れた。ときどきドーンと波が窓にぶつかり船が揺れた。新造の大きなフェリーでもこれだけ揺れるのだから、前の船や昔の船は大変だったろうと思った。幸い誰も船酔いをしなかった。

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                     城山から市街を望む

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                   城山から桜島を望む
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                        桜島フェリー

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                     フェリーから桜島

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                       海鮮料理

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                    フェリーとから後部
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                     フェリーとから前部

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                    鹿児島港夜景

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                     とから2等船室


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2018年4月15日 (日)

秘境 トカラ列島中之島旅行 ―③―

 10時前にみんながおりてきた。Yさんが「今日は予定通り船がでます」と言ったのでホッとした。後でわかったことだが、フェリーは5m以上の高波があると欠航だそうだ。昨日欠航になったのは、奄美大島まで行って帰るフェリーが高波で中止になったのだそうだ。

  この日も風は強く駅の近くの並木も揺れていた。本当に船が出るのか心配ではあったが信じて鹿児島見物に出かけた。

  一日乗車券はバスの中でも市電の中でも600円で買うことができる。後で分かったのだが1日周遊券は市バスの他に私営バスでもやっていて、回るコースは全く同じだがこちらは500円である。多分市電に乗れないので安いのであろう。

  コースは鹿児島中央駅→西郷どん大河ドラマ館→天文館→西郷銅像前・市立美術館→黎明館→西郷洞窟前→城山→薩摩義士前→西郷南洲顕彰館→異人館→仙巌園→石橋記念館→桜島フェリー・かごしま水族館→金生町→天文館→鹿児島中央駅と一筆書きコースである。また1日乗車券には施設の割引クーポンもついている。

  マスターが「仙巌園」に行くと言ったので途中はバスの中からの見物であった。「仙巌園」は大名庭園と島津家別邸で、目の前に桜島が望まれた。広い庭園で池も森もあり散策に向いている。金沢の兼六園や高松の栗林公園や岡山の後楽園ともつくりや雰囲気が違っていたが名園と言われている。

  「仙巌園」を見た後天文館に行き、昼食を食べるところを探した。「天文館」というのは奇妙な名だが鹿児島切っての繁華街だそうで、幾筋もの通りがあり店が並んでいたが意外にも人影は少なかった。「人が少ないね」と言ったら、マスターが「夜の繁華街だから夜は賑わうよ」と言った。

  私のiphoneの「教えて」を使って「この辺でおいしいラーメンの店を教えて」と言ったらすぐにいくつか示してくれた。その中の一つを選んで探したらすぐ近くにあった。

  小さな店であったが、「豚トロラーメン」というのが店の売りであった。豚の背の首の辺りの肉が一番おいしいのだそうで「豚トロ」と言い、その肉を使っているのだという。確かに美味しかった。値段は800円ぐらいだったと思う。

 昼食を済ませて鹿児島中央駅に戻った。コーヒーを飲むと言ったが、私だけは時間がもったいないので一人でもう一度回ってくると言ってバスに乗った。

 見たかったのは西南戦争の激戦地「城山」であったが、「西郷どん大河ドラマ館」というのが気になったので下車をした見に行った。NHKドラマに合わせて広い敷地に平屋の大きな建物を造ったのだ。

 中に入ると、両側に出演者の大きな写真と説明が続いていた。その次にビデオで制作のエピソードを映していた。それから「クイズ室」と実物大セットに分かれていたのでセットに行くと、西郷の生まれた家とお向かいの大久保の家があった。いろいろと凝って造ってあるらしかった。

 次は篤姫と斉彬と側室の衣装が3点、そして斉彬の短銃が置いてあった。それでけで出ると大きな土産物を売る店であった。

 何とも見る物のないつまらないものであった。人生でこれまでに見た展示で最低最悪であった。

 バスに乗るとマスターが窓を叩いた。大河ドラマ館を見に行くらしい。それで私は腕をクロスして駄目だと伝えた。マスターとSさんはバスに乗って来たので、如何ににくだらないかを説明した。そして私が「城山」に行くというと一緒に行くと言った。

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2018年4月14日 (土)

秘境 トカラ列島中之島旅行―②―

 鹿児島空港には定刻の18時50分に着いた。外にでるとリムジンバスが待っていた。料金は何と1250円もしたので驚いた。19時20分に出発した。鹿児島中央駅までは45分ぐらいかかると言った。そんなに遠いのかと思った。

 初めての鹿児島だが、空港からは小高い山の中の道を走っていた。市街に入るとそこは日本南端の都会であった。夜のうごめきを窓から見ていた。

 中央駅横で降りて聞くとホテルは反対側だと言ったので駅の中を横断して歩いた。反対側に出ると左手に大きなホテル アービック鹿児島があった。

 チェックインをしたが、金曜日なので普段より2000円高かったが、やむをえなかった。部屋は12階あるうちの5階であった。部屋の中にはセミダブルベッドが置いてあった。

 荷物を置くとホールに戻り、みんなで夕食に行った。駅の近くで探して和食の店に入った。刺身などを取りみんなでシェアした。ビールを飲み、さらに焼酎を飲んだ。芋焼酎を飲むのは久しぶりだったが甘くておいしかった。割り勘で3500円であった。

 ホテルに帰ると、シャワーを浴びて寝た。11時頃であった。本来ならフェリーに乗る時刻であった。

 次の朝は6時ごろに起きてシャワーを浴びてホールに降りて行った。レセプションで朝食の券を800円で買った。

 バイキングなので少しずついろんなものを皿に盛っていった。ご飯と味噌汁は係りの女性が親切に整えてテーブルまで運んでくれた。食べているとYさんが来たので声を掛けた。しばらくするとKさんも来た。毎日食べる習慣にしているヨーグルトもたくさん食べられてよかった。

 10時に出発なので時間があった。それで中央駅を見に行った。入口にでかいビッグカメラの店があった。エスカレーターで2階に上ると新幹線と在来線の改札があり、土産物店などが並んでいた。なかなか大きな駅であった。歩いて行くと大きなスーパーのような店もあった。

 正面に下りて行くと、バス乗場が並んでいて、その向こうに駐車できる広場があり、市電の乗場があった。市電は珍しいので見ていたら電車は形やデザインが違っていた。後で分かったのだが外国の電車も含めて集めているのだそうだ。

 道路を挟んで大きなイオンのビルがあった。その辺りを見て写真を撮ったりして元来た経路でホテルに戻った。鹿児島中央駅は名古屋駅と違って2階に上っていくのだ。

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2018年4月13日 (金)

秘境 トカラ列島中之島旅行―①―

 「日本最後の秘境 トカラ列島中之島に行きませんか?」とCafe Vitaのマスターに誘われたのは、昨年の10月頃だったと思う。私はCafe Vitaに毎週日曜日にモーニングを食べに行っているのだが、そこの常連と毎回一緒に食べている。その中にYさん夫婦がいて、奥さんがトカラ列島の中之島の出身なのだ。

  昨年ご夫婦は中之島に里帰りされたのだが、運悪く台風が2回連続で来て1か月ほと足止めを食ったそうだ。鹿児島から奄美大島までトカラ列島の11の島を結ぶフェリーがあるのだが1週間に2回だとかで、台風が来るとフェリーが来ないのだ。

  そんな話や中之島の話しを聞いてマスターが興味を持ち中之島に行こうと言い出したのであった。

  Yさんのご主人がまた行かれるというので、4月なら台風は来ないだろうし、4月6日にから12日までと日程が決まった。私はボランティアの日本語教室が春休みなので渡りに船と参加することにした。そのあとKさん、Sさん、YTさんが加わって6人のグループで行くことが決まった。

  旅行のプランや飛行機の手配などはマスターがやってくれた。鹿児島までは中部空港からLCCのジェットスターで行くのだが、予約は3月になってからであった。

  中之島には宿泊所が3カ所あり、民宿が2軒と旅館が1軒であった。港から近い中之島荘という民宿を予約した。

  トカラ列島は屋久島の南の口之島から始まって中之島、平島、諏訪之瀬島、悪石島、小宝島、宝島と続いている。

 十島村のHPから引用する。

 ――十島村は、屋久島と奄美大島の間に、有人七島と無人島五島からなる南北約160kmという「南北に長い村」です。火山の島、珊瑚礁の島、温泉の島とそれぞれに特色を持つ無垢の自然と、大和・琉球の両文化の影響を受けた特有の文化を有し、人情豊かな人の輪が脈々と息づいています。――

 ずっと先のように思えていた4月もすぐにやって来て6日の出発日となった。ジェットスターや機内持ち込みが2点7kgまでというので、スーツケースは諦めてリュックサックにした。中之島では学校などで手品を見せたいと思っていたので、ロープ、シルク、カードの手品を用意した。

 14時34分の金山行きのバスで、マスター、Yさん、Sさん、私の4人が出発した。Yさんの甥からの連絡でこの日のフェリーは高い波のため欠航するという。みんなはどうなるか心配であった。マスターは今夜のホテルの予約をした。金山駅に着くと特急ミューに間に合った。一般席に乗ることができた。

 空港でKさんと落ち合い登乗手続きをした。荷物の重量はグループ内で調整できることが分かった。マスターは大きいスーツケースを預けた。

 座席はマスターが1番前の席を予約してくれていた。足が伸ばせて楽であった。機内は満席であった、ジェットスターGK699便は17時25分に定刻通り離陸した。

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                     鹿児島中央駅線路

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                     鹿児島中央駅裏

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                     ホテルアービック鹿児島

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                    中央駅前トラム乗場

 

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2018年4月12日 (木)

転載―第10回高等研究院無料レクチャー

 この度、名古屋大学高等研究院では、高等研究院レクチャーを下記のとおり開催いたします。

  お誘い合わせの上、ぜひお越しください。みなさまのご参加を心よりお待ちしております。

 (入場無料 申込不要)

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    第10回高等研究院レクチャー

   ~クフ王のピラミッドと素粒子物理学~

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 ■日  時:平成30年4月18日(水)13:30~16:30

 ■場  所:名古屋大学(東山キャンパス)

       理学南館 坂田・平田ホール

       (地下鉄名城線「名古屋大学」駅下車 2番出口より徒歩5分)

        http://www.nagoya-u.ac.jp/access-map/index.html

       ※駐車場はありませんので、公共交通機関をご利用ください。

 ■参 加 費:無料

 ■参加申込:不要

 ■講演内容:

  ・森島 邦博(名古屋大学高等研究院特任助教)

   「宇宙線イメージングによるクフ王のピラミッド内部における新空間の発見」   

  ・河江 肖剰(名古屋大学大学院文学研究科附属

         人類文化遺産テクスト学研究センター共同研究員)

   「オープンイノベーションによるピラミッド群3次元調査」

  ※詳しくは、下記のHPをご覧ください。

   http://www.iar.nagoya-u.ac.jp/iarlecture.php 

  どうぞよろしくお願いいたします。 

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  名古屋大学高等研究院

  TEL:052-788-6051 FAX:052-788-6151

  〒464-8601 名古屋市千種区不老町

  E-mailiar@adm.nagoya-u.ac.jp

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2018年4月11日 (水)

公文書改竄は歴史の改竄、民主主義の破壊という記事

 Tさんが送ってくれた日刊ゲンダイの記事によい指摘があったので一部をコピーした。「公文書改竄は歴史の改竄、民主主義の原則の破壊」というのはその通りだとうなずける。

 

 ――法学者らの「立憲デモクラシーの会」は3日国会内で記者会見し、財務省の文書改ざんや防衛省のイラク日報問題について、「民主主義の原則を崩壊させる」と猛批判。一橋大の阪口正二郎教授(憲法)は「公文書をきちんとつくる、残す、管理するということができないと、政策決定の合理性や妥当性を検証できない」と指摘した。
 
■公文書は民主主義の根幹で国民の財産

 政策決定の過程と結果を記録として残す公文書は、近代国家の根幹だ。日本の公文書管理法の第1条にも、公文書は「国及び独立行政法人等の諸活動や歴史的事実の記録」と定義されている。公文書は「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」であり、「主権者である国民が主体的に利用し得るもの」なのだ。

 そういう公文書の改ざんは、歴史の改ざんに等しい。隠蔽は、現在も未来も国民に説明できない悪辣なことをしたと自白するも同然だ。国民世論と歴史の評価に堪えられる内容ではないと自分たちも分かっているから、真相を隠そうとする。

 1945年8月10日、ポツダム宣言受諾が決まると、すぐさま日本政府が手をつけたことは何だったか。公文書の焼却を閣議決定したのだ。敗戦で戦争犯罪に問われることを恐れた内閣が真っ先に行ったのが、組織的な証拠隠滅だったのである。

 いま、安倍政権で次々と露呈している公文書をめぐる問題も、根っこは同じだ。都合の悪いものは廃棄、隠蔽、偽装、改ざん……。この政権は、一体どれだけの悪事を働いてきたのかと、不審の目を向けずにはいられない。
――

 

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2018年4月10日 (火)

土俵の神聖さとは何か

 京都市舞鶴市での大相撲地方巡業で挨拶中に倒れた市長を、女人禁制の土俵に上がって救命措置をした女性に行司が「女性は土俵から降りて下さい」と3度もアナウンスした。救助活動は救急隊が到着するまで続けられた。

 この事件は神事に関係する「女人禁制」について問題を提起した。これまでも女性知事や市長が土俵上で賜杯などの賞を渡すことを希望したが、土俵は「神聖な場所」ということで土俵に上ることは諦めさせられてきたが、今回は生死にかかわる緊急事態である。それでも女性が土俵に上がることを禁じるというアナクロニズム。

 そもそも私が理解するところでは、女性は月経があるので穢いものとして忌み嫌われてきたということだ。戦前までの男性優位社会ではそれもやむを得なかったかもしれないが、戦後は男女同権になり、昨今は安倍首相によって女性活躍社会が叫ばれているのだ。くら伝統を守ると言っても、時代の変化に応じて変えて行かねばならない。

 神事というが、天照大御神は女性である。また相撲の神様は女性だという。なぜ女性を忌み嫌うのか理解できない。各界では女性の神様がやきもちを焼いて、力士に怪我をさせる」という説があるそうだが、神様の何と人間的なことよ。神様はもっとおおらかではないのか。

 天声人語によると、記紀に初めて「相撲」の文字が登場するのは、日本書紀にある女同士の対戦だったという。面白い話だ。

 今回の事態を受けて相撲協会は「生死にかかわる緊急事態の場合は土俵に女性が上がるのを認める」とでも言うのであろうか。

 

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2018年4月 9日 (月)

安倍政権が行政の堕落をもたらした

 陸上自衛隊がイラクに派遣された際作成した活動報告(日報)が見つかった問題。昨年2月の稲田元防衛相の国会当然で「イラク派遣の日報は見つけることはできなかった」としたが、その直後の3がつに文書を把握しながら、陸上統合幕僚監部を通じて小野寺防衛相に報告するまで1年も経過したのだ。

  立憲民主党の辻元国会対策委員長は、「シビリアンコントロールが利いていない事態だ。安倍政権は財務省の公文書改竄と防衛相の日報隠蔽、この二つでアウト、レッドカードだ」と述べたがその通りで、安倍政権は総退陣すべきである。

  元はと言えば、財務省の改ざんもそうさせた安倍首相や加担した麻生財務相に責任がある。財務省の役人を堕落させた張本人である。今回の防衛省の日報隠蔽も安倍政権の行政監督能力のなさを証明したと言える。

  公明党の山口代表は「国民を欺く、その代表である国会を欺くことだ」とBS11で批判したそうだが、同じ与党でいつも安倍首相を助けてきたではないか。同罪である。

  また、自民党の執行部の一人も、「言語道断。与党も野党も関係なく、厳しくやらないといけない」と言ったそうだが、財務省の公文書改竄もあってはならないことで言語道断である。自民党・公明党はこうした一連の不祥事を絶滅すべく真相を明らかにしなければならない。

  なお、イラク派遣日報には、「復興支援」ではなく、「軍事作戦」と記されていると共同通信が伝えているという。この点も問われねばならない。

  ここまで書いて来て、Yahooニュースで時事通信が伝えた新たな陸上自衛隊の日報隠蔽の記事を見つけた。

 ―― 「存在していない」とされていた陸上自衛隊イラク派遣部隊の日報が保管されていた問題で、防衛省は4日夜、昨年2月の国会で当時の稲田朋美防衛相が「日報は保管していない」と答弁していた部隊から、新たに南スーダン国連平和維持活動(PKO)を含む日報が見つかったと発表した。

 イラク派遣の日報が発見された陸自研究本部(現・教育訓練研究本部)とは別の部隊で、同省のずさんな情報管理が改めて問われそうだ。

 新たに確認されたのは、陸自国際活動教育隊で保管されていた南スーダン、ゴラン高原、ハイチでのPKO活動など計6種の日報。同隊が管理する複数のハードディスクから見つかった。

 防衛省は昨年2月16日、国会議員の要求に応じて国際活動教育隊による日報保管の有無を調査。同日中に「保管していない」と結論付け、翌17日の国会で稲田氏が答弁した。十分に調査を尽くさずに判断していたとみられる。――

  何ということか!

 

 

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2018年4月 8日 (日)

よそ事でないい、「全米地方TV同じ文書で一斉メディア批判」

 4日の朝日新聞が報じた次の記事は衝撃的であった。

  ――「一部のメディアは、虚偽の記事を点検もせずに流している」「民主主義にとって極めて危険だ」

  3月、全米の地方テレビ局のキャスターが一斉に、同じ文言の「フェイクニュース」批判のメッセージを読み上げ始めた。だが、その表現は、トランプ米大統領による主要メディア攻撃に酷似していた。米メディアによると、メッセージは、米国で最大の193局を保有し、保守系で知られるメディア企業「シンクレア」が読み上げるよう強制したものだった。――

  異なる局のキャスターたちが発する言葉が、奇妙なほど一言一句たがわず重なり合うというのだ。

  フェイクニュース批判は、本来のフェイクニュースに対してではなく、トランプ大統領が気に入らなくて、フェイクニュースだとツイートしているCNNなどの主要メディアに向けたものだ。しかも、トランプ大統領自身がツイッターでシンクレアのやり方を支持し、シンクレアこそ優れていると応援しているという。

  これに対してSNSでは、「全体主義的なプロパガンダだ」などとの批判が噴出したというが、それは当然である。

  だいたい一国の最高権力者である大統領が、自分に都合の悪いメディアを、何の根拠もなく、フェイクニュースばかり流しているということ自体、絶対あってはならないことだ。

  日本でも安倍首相が国会で朝日新聞を名指しで攻撃したが、トランプを真似たのであろう。

  アメリカでは放送局の「公平の原則」の義務が1987年に廃止されているという。これまでは今のような極端な偏りはなかったが、トランプ大統領の登場によって自らが偏重を許し、率先してツイートしているのが背景にある。

  日本でも安倍政権は放送法から「公平の原則」を取り除こうとしている。他所ことではないというのはこのことである。それでなくても、産経、読売は政府広報機関と言われ、NHKも安倍首相のお友だちに支配されて、安部不利な情報は流さなくなった。

  それがさらにおっぴらに、”合法的”にされるとなったら大変なことである。一気に戦前のようになりかねないと危惧する。

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2018年4月 7日 (土)

道徳教育が4月から教科に―安倍首相の悲願実現だが

 4月からいろいろと生活に関わる改変があるが、その中の一つに「道徳教育が教科になる」ことがある。

  これは安倍首相の悲願の一つで、第一次安倍政権ができた06年に教育基本法を改正し、07年に首相肝いりの教育再生会議が道徳を「徳育」という教科にするよう提言したが、安倍首相の退陣で実現できなかったのだ。

  第二次安倍政権ができると再び教科化に向けて動き出した。14年に中央教育審議会が道徳を「特別の教科」に位置づけることを答申。18年4月から小学校で、19年春からは中学校でも教科としての道徳が始まることになったのだ。

  「特別の教科」としての道徳は、

  ①文部省検定の教科書を使う。

  ②教員が児童を評価する。

  この2点が従来の「道徳の時間」と大きく変わるところである。

  道徳の時間は58年の学習指導要領改訂で誕生したものであった。それは51年に教育課程審議会が「一部児童・生徒の間には、著しい道徳の低下が現れている」として学校教育全体で道徳教育を進めるべきだと答申したことに基づいている。

  道徳教育については、戦前の「修身」の復活を連想させると、反対の声も大きかったが、結局決まってしまった。愛知県では副読本として「明るい心」が作られ、私が現職の間はずっとそれを使って来た。 

  安倍首相はそれでは物足りないと、強制力の強い教科にしたのだ。それが4月からスタートする。安倍首相の心中には戦前の「修身」を理想としていることは、これまでのいろいろな発言や行いからも明らかである。

  道徳教育を教科にして強化するということだが、安倍政権には道徳をうんぬんする資格は全くない。近いところでは、今問題になっている森友学園一つとっても明らかである。昭恵夫人の影響力を行使したり、官僚に忖度をさせたり、あげくの果ては公文書改竄をさせ、さらには偽の決裁文書を2度にわたって国会に提示するという有様であった。

  そのうえで佐川元理財局長の国会証人喚問でも大事なところはすべて答えず、総理や官邸などの関与はなかったという部分だけは、誘導尋問によって「なかった」と言わせるという卑劣なやり方であった。

  サンデーモーニングで、田中秀征コメンテーターが「やましいところがないのなら答えられないはずがない」「答えないことで疑惑が深まった」と指摘していたが、その通りである。

  国民の負託を受けた政治でこのような破廉恥なことを堂々と行い、逃げ通そうとする安倍首相や麻生財務相や財務省の幹部たち。この人たちに「道徳」を説く資格は微塵もない。

  森友問題の外に、首相のお友だち加計学園への便宜を計らった疑惑もあるのだ。学習指導要領では、道徳で教える内容として「善悪の判断」「誠実」「思いやり」「国や郷土を愛する態度」など22項目ほどある。

  「善悪の判断」をとってみると、森友問題・加計学園問題ともに×そのものである。1年2か月以上にわたって国会で無駄な時間を過ごさせた態度には「誠実」のかけらもない。

  加計学園に便宜を計らったことは道徳の「思いやり」の見本なのであろうか?小学校でも高学年になると、テレビで報じられるこうした問題に関心を持つ児童も出て来る。そうした児童に「間違っていません、正しいことをしました」と言えるのであろうか?

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2018年4月 6日 (金)

福島第一原発、今も続く放射性物質の外洋流出

 友人が送ってくれた福島民報(3月29日)の「放射性物質、外洋流出続く」という記事を読んだ。東京電力福島第一原発の汚染水問題を研究している、福島大学環境放射能研究所の青山道夫教授が、28日に大阪府吹田市で開かれた日本原子力学会で放射能による外洋汚染について発表した。

  福島第一原発では核燃料を水で冷却しているが、その汚染水によって放射性物質セシュウム137が今も外洋に1日約20億ベクレル漏れているというのである。

  第一原発では氷の壁を造るとか汚染水の外洋流出には対策が取られて来たが、相変わらず放射能汚染水の流出は続いているのだ。

  炉心溶融(メルトダウン)が起きた1~3号機では、溶融燃料冷却のため原子炉への注水が続いていて、燃料に触れた水がセシュウムやトリチュウムなどを含む高濃度汚染水となって建屋地下にたまっている。

  「汚染水源は溶融した核燃料を冷却した水で、建屋から海に注為らる流出経路があると推定できる」と青山教授はみているそうだ。

  流出経路があるから外洋の海水を調べると放射能が検出されるのだ。しかし、どのように漏れているのかは特定できていないから、根本的対策ができないと思われる。

  汚染水の濃度は原発の南約8キロの富岡町沿岸で、海水1キロリットル当たり0.02ベクレル程度で、漁業には影響がないとしている。

  2013年の1日約300億ベクレルからは大幅に減っているという。青山教授は、富岡町のほか、原発の南約180キロの茨城県神栖市波崎で独自に海水中のセシウムとトリチウムの濃度を調査している。

  安倍首相が東京オリンピック誘致に際して「COMPLETELY UNDER CONTROLLED」と言ったと記憶しているが、全くの嘘であった。お隣の韓国では今も東北地方からの水産物の輸入を禁じている。

  福島第一原発の廃炉への道筋は定かではなく、膨大な時間と人と金がかかると想定され、原発は安全・安価という神話は無くなったのだ。それでも原発依存を止めない安倍政権である。その上外国にまで先頭にたって危険な原発を売り込んでいるのだ。

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2018年4月 5日 (木)

夜明けの月と残桜

 今年の桜は開花が早かったが、天気に恵まれて晴天が続き、風の強い日も1日程度であった。それが幸いしてか桜の花が長い間持っていた。

 

 下の写真は4月3日の早朝のものである。この朝は4時45分ごろに家を出たのだが、南西の空高く丸い月が出ていた。満月は終わったはずだと思いながら、ときどき月を見ながら歩いた。

 

 山崎川に来ると一番開花の遅い若い桜もかなり花が散っていた。山崎川の桜は白雲橋から向田橋までの区間が一番若い。向田橋から石川大橋を過ぎて、鼎橋までは木が少し古い。ライトアップされるのは鼎橋から鼎小橋の間僅か100mぐらいの区間である。残念なことにこの区間の桜は老木が多いので、もうかなり散って、青い葉をつけた枝が伸びていた。鼎小橋から萩山橋、左右田橋の間は老木だ。

 

 歩いて行くと空はどんどん明るくなっていく。左右田橋から瑞穂橋の間は親水公園の辺りに桜があるが西側にはほとんどない。

 

 瑞穂橋まで来ると、空に夜明けの月がかかり、その下に桜がほんのりとしていた。瑞穂橋から文化小劇場までの桜は毎年開花が遅い。おそらく木が若いのだろう。両岸の桜並木がきれいである。

 

  そこで慣れない1句をひねった。最初に浮かんだのは「残桜を ほんのり照らす 明けの月」であった。その句を頭に浮かべて推敲しながら歩いた。

 帰宅して、風呂に入りながら推敲して、「残桜や 有明の月に ほんのりと」が浮かんだ。字余りになるのが気になったがよしとした。先の句は月に焦点がいっており、後の句は桜に焦点がある。残り少ない花の命を思ったのだ。

 以前にも書いたことがあるが、私は短歌も俳句もやらない。その素養がない。ただ年に1,2度思い立って作ってみるだけである。

  Img_3963

 

 

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2018年4月 4日 (水)

糖質制限は老化を早めるという研究は間違い?―②―

 

東北大学大学院都築准教授らの「糖質制限は老化を早める」という研究に対して、糖質制限の第一人者糖質制限食の第一人者で『江部康二の糖質制限革命』の著者でもある江部氏は次のように反論する。

 東北大学大学院・農学研究科のグループ は根本的な間違いを犯しているというのだ。それは、「そもそもマウスの食事実験の結果はヒトには当てはまらない」という基本的なことを無視していることだと指摘する。

  マウスで糖質制限実験をすることがなぜ根本的な誤りなのか。マウスやラットなどネズミ類の本来の主食は草の種子(すなわち今の穀物)だからだという。

  鮮新世(510万年前)以降、ネズミ科の動物が出現して爆発的に繁栄する。510万年間、草原の草の種子(穀物)を食べ続けてきたネズミに、高脂肪・高タンパク食を与えれば、代謝が破綻するのは当たり前のことだ。

  ネズミの主食はあくまでも「穀物=低脂質・低たんぱく食」なのだ。ネズミは、「穀物=低脂質・低たんぱく食」に特化して、消化・吸収・代謝システムが適合しているのである。

  東北大学大学院の実験は単純に、マウスの代謝に合わない(主食でない)糖質制限食(高脂肪・高タンパク食)をマウスに与えて、寿命や老化を観察するという実験にすぎない。

  すべての代謝が狂って老化が進み寿命が短くなるのも、言わずもがなだという。

  食事についてヒト以外の動物を使って実験することがいかに見当はずれなことか。わかりやすい例として、ゴリラを例に説明する。

  ゴリラの主食は「棘(トゲ)の多い大きな蔓(つる)や大きな草」だ。つまりゴリラは超低脂質・低たんぱく食が主食なのだ。このゴリラに、糖質制限食(高脂肪・高タンパク食)を食べさせたら、代謝はガタガタになり、マウスやラットと同様、老化も進み、寿命も短くなるだろう。

  東北大学大学院の実験は、わかりやすく言うと、ゴリラにステーキを食べさせるというイメージになる。

  人類のもともとの食性は「糖質制限食」であった。農耕が始まる前の700万年間は、穀物ではなかったことは確実である。農耕が始まる以前の狩猟採集生活では、糖質を取ることはまれにしかなかったといえる。

  つまり歴史的事実として、農耕が始まる前は人類皆、実質的に糖質制限食を実践していたのだ。

  また、ヒトの進化の過程で脳が急速に大きくなり、シナプスが張り巡らされるためには、EPA(エイコサペンタエン酸)とDHA(ドコサヘキサエン酸)の摂取が不可欠であった。

  EPAとDHAは、地上の植物性食品には含まれておらず、動物性食品にしか含まれていない。

  したがって少なくとも、肉・骨髄・昆虫・地虫・魚貝……などの高脂肪・高たんぱく食を、脳が急速に発達した20万年前頃、必要充分な量、食べていたことは間違いないであろう。

  このように人類は本来、高脂肪・高タンパク食に慣れているので、糖質制限食の安全性は高いのだ。

  マウスやラットやゴリラと、ヒトの食性はまったく異なっているのだ。

  結論を簡潔に申しあげる。

  薬物の作用や毒性をネズミ類で動物実験するのは、研究方法として比較的問題は少ないと思う。

  しかし、本来ヒトと主食がまったく異なるマウス・ラットなどネズミ類で、人類の食物代謝の研究を行うのは、出発点から根本的に間違っている可能性が高いので注意が必要でだ。

 研究者の皆さんにおかれましては、「薬物の動物実験」と「食物の動物実験」はまったく意味が異なることを認識してほしいと思う。

 私はこの反論を読んで安心をした。糖質制限は間違っていないと思うのだ。

 (東洋経済オンラインから紹介。 ところどころ省略してある)

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2018年4月 3日 (火)

糖質制限が老化を早めるという研究は間違い?―①―

 私の身内や知人に糖尿病やその危険性のある人が何人もいるので、糖質制限に関係した本を読み漁った。そして共通点を引き出した。やはり糖質を制限することが糖尿病を予防したり治したりするのに効果があるということであった。それを数年前のblogに書いた。

  先日週刊新潮の新聞広告を見て驚いた。それは「糖質制限をすると老化を早める」という記事であったのだ。私は病院へ行ったついでに備え付けの週刊新潮の記事を読んだ。また同じ内容がフジテレビでも取り上げられ、都築准教授が出演したという。

  そして今日その記事の元の記事が農業新聞3月15日号にあることを知った。

 その記事は次のようである。

  ――糖質制限ダイエットは老後にしわ寄せも・・・。ご飯やうどんなどの炭水化物を減らした食事を長期間続けると、高齢になってから老化が早く進み、寿命も短くなるとの研究を東北大学大学院がまとめた。

  糖質制限は「内臓脂肪を効率的に減らす」と話題になっているが、マウスを使った試験では人間の年齢で60代後半からの老化が顕著だった。研究内容は名古屋市で15日から始まる日本農芸化学会で、17日に発表する。
 

  同大学院農学研究科のグループは、食事の量を減らさず炭水化物の量を制限し、その分をタンパク質や脂質で補う「糖質制限食」について、摂取と老化の影響を分析。マウスに日本人の一般的な食事に相当する餌を与えた場合と、糖質制限食を与えた場合を比較した。ビタミンやミネラルは同じ量を与えた。

  一般的な食事を与えたマウスは多くが平均寿命よりも長生きしたが、糖質制限食では平均寿命まで生きられなかった個体が多かった。死んだ個体は平均寿命より20~25%ほど短命だった。また、糖質制限の個体は見た目も同齢の一般食の個体と比べて背骨の曲がりや脱毛などがひどく、老化の進度が30%速かった。

  同科の都築毅准教授によると、現時点で詳しいメカニズムははっきりしていないが、「糖質制限食の個体は、血液中に多く存在するとがんや糖尿病の発症が早くなる可能性が高まる物質が多くなっていた」と、食事による違いを指摘する。

  さらに、若い時期は影響が目立たないために健康そうに見えるが、加齢が進んで人間の年齢換算で60代後半になると、外見的な老化が進行し、皮膚の状態の悪さがはっきりしてくるという。

  同グループは「長期の糖質制限はマウスの皮膚や見た目の老化を促進し、寿命を短くする」と結論付けた。都築准教授は「極端な食事スタイルは健康維持に有益ではないと発信し、誤った食生活を見直すきっかけにしてほしい」と期待する。―― 

   
 

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2018年4月 2日 (月)

麻生財務相の発言のレベルは恥ずかしい!!

 麻生財務相はときどき物議を醸す発言をするので有名だ。今回もとんでもない発言をした。朝日新聞によると、その発言は29日の財政金融委員会であった。

 米国を除く11か国による環太平洋経済連携協定(TPP11)について、「日本の指導力で、間違いなく、締結された」と強調した。しかし、まだ署名段階で、締結ではないのだ。

 また「茂木大臣、0泊4日でペルー往復しておりましたけど、日本の新聞には1行も載っていなかった」と発言した。これもペルーではなく、署名式はチリの首都サンディアゴであった。

 さらに新聞は報じなかったと言ったが、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞などが報じている。

 麻生氏は次のように付け加えた。「日本の新聞のレベルはこんなもんだなと」「みんな森友の方がTPP11より重大だと考えているのが、日本の新聞のレベルだ」と述べたのだ。

 麻生財務相のTPP11についての認識レベルは上記のように、何にも知らないことを露呈している。それなのに間違ったことを言い、平気で新聞批判を展開している。

 もう一つ見逃せないのは、麻生財務相が森友問題を非常に軽視していることだ。そもそも森友問題は財務省が法にはんすることをやったから起こったことである。

①国有地売渡を、忖度をせずに適切に行っていればこの問題は起きなかったのだ。

②国会で本当のことを答弁していれば、これほど長引くことはなかった。文書を廃棄したとか、知らないなどと嘘の答弁をしていたことに原因する。

③公文書改竄という絶対にやってはならないことを平然とやり、その上、2度にわたって改ざん文書を国会に提出した。どちらも国政の根幹に関わる大罪である。

④佐川元理財局長の国会喚問をしたが、結果は真相の解明には全くならなかった。

 財務省の最高責任者として辞めて当然なのに平然と居座っている。国会に2/3の多数議席がなければとっくに内閣総辞職をしている事件である。

 何をもって森友問題を低レベルだというのか。 

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2018年4月 1日 (日)

杓子定規な役所 夜桜ライトアップを変更せず

 私が毎朝歩いている山崎川は名古屋の桜の名所である。川の両側に桜の木の並木があり、一部分は道路の両側にも桜の木があるのでトンネルのようになる。

 私が歩くのは早朝でまだ暗いうちなのだが、桜の季節には少し遅くして、後半は夜明けの桜を見て歩くようにしている。

 今年の春は全国的に桜の開花が10日ほど早くなった。山崎川の桜も同様に早く開花した。そのことは先日のblogで書いた。

 山崎川の桜は以前に植え替えられた若木の部分は他と比べてやや遅い。老木の部分は早く満開になる。

 私の英会話クラブでは毎年夜桜を見に行くことにしている。先週の授業のとき、27日の授業後に夜桜を見に行くことが決まった。開花後10日なのできっと満開だろうと予想された。

 山崎川のライトアップは鼎橋から鼎小橋の間のほんの僅かの区間である。それでもライトアップされた夜桜を楽しむことができる。ライトアップの設備も設置されていた。先週の24日土曜日頃にはほぼ満開という状態となった。今年は天気が良いので土曜、日曜は見ごろと予想された。

 ところが土曜日も、日曜日もライトアップされなかった。クラブのYさんから27日の朝電話があり、「ライトアップは29日からだって。早くしてもらえないか瑞穂土木事務所に電話で聞いてみる」と言った。

 土木事務所は「予定通り29日からで早くすることはできない」と言ったそうだ。私たちは仕方がないので予定通り27日夜に山崎川に出かけた。

 ライトアップはないので街路灯の光だけの夜桜であったが、川の両側の道には桜を見に来ている人たちが歩いていた。鼎橋のたもとにはライトアップは29日から4月8日までというお知らせの看板が立ててあった。

 暗い桜を見て歩きながら「役所は何で早くしないのだろう」「桜が散ってしまってからライトアップしてもしょうがない」などと愚痴った。

 29日は、散り始め、30日の朝は道端にも川面にも花びらがいっぱいであった。また染井吉野は満開になるとすぐ葉が出始める。ライトアップの辺りの桜は葉が伸びていた。

 本当に土木事務所のやり方は杓子定規である。その年によって桜の満開は異なるのだから臨機応変に対処すべきである。夜桜見物の客は天気予報などを参考にして見に来るのだ。今年の場合29日では明らかに遅すぎるのだ。ライトアップの設備は早くから設置してあるのだから早めるのは簡単なはずだ。来年からは柔軟な対応をするように強く要望したい。

         花の雲 山崎川を 蔽いけり (27日朝)

 

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                        27日夜

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                         27日夜

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                 30日  川面に溜まった花びら  
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                    30日 流れていく花びら
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                   30日葉が伸びだした



                                  

   花の雲 山崎川を 蔽いけり


 

 

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