道徳教育が4月から教科に―安倍首相の悲願実現だが
4月からいろいろと生活に関わる改変があるが、その中の一つに「道徳教育が教科になる」ことがある。
これは安倍首相の悲願の一つで、第一次安倍政権ができた06年に教育基本法を改正し、07年に首相肝いりの教育再生会議が道徳を「徳育」という教科にするよう提言したが、安倍首相の退陣で実現できなかったのだ。
第二次安倍政権ができると再び教科化に向けて動き出した。14年に中央教育審議会が道徳を「特別の教科」に位置づけることを答申。18年4月から小学校で、19年春からは中学校でも教科としての道徳が始まることになったのだ。
「特別の教科」としての道徳は、
①文部省検定の教科書を使う。
②教員が児童を評価する。
この2点が従来の「道徳の時間」と大きく変わるところである。
道徳の時間は58年の学習指導要領改訂で誕生したものであった。それは51年に教育課程審議会が「一部児童・生徒の間には、著しい道徳の低下が現れている」として学校教育全体で道徳教育を進めるべきだと答申したことに基づいている。
道徳教育については、戦前の「修身」の復活を連想させると、反対の声も大きかったが、結局決まってしまった。愛知県では副読本として「明るい心」が作られ、私が現職の間はずっとそれを使って来た。
安倍首相はそれでは物足りないと、強制力の強い教科にしたのだ。それが4月からスタートする。安倍首相の心中には戦前の「修身」を理想としていることは、これまでのいろいろな発言や行いからも明らかである。
道徳教育を教科にして強化するということだが、安倍政権には道徳をうんぬんする資格は全くない。近いところでは、今問題になっている森友学園一つとっても明らかである。昭恵夫人の影響力を行使したり、官僚に忖度をさせたり、あげくの果ては公文書改竄をさせ、さらには偽の決裁文書を2度にわたって国会に提示するという有様であった。
そのうえで佐川元理財局長の国会証人喚問でも大事なところはすべて答えず、総理や官邸などの関与はなかったという部分だけは、誘導尋問によって「なかった」と言わせるという卑劣なやり方であった。
サンデーモーニングで、田中秀征コメンテーターが「やましいところがないのなら答えられないはずがない」「答えないことで疑惑が深まった」と指摘していたが、その通りである。
国民の負託を受けた政治でこのような破廉恥なことを堂々と行い、逃げ通そうとする安倍首相や麻生財務相や財務省の幹部たち。この人たちに「道徳」を説く資格は微塵もない。
森友問題の外に、首相のお友だち加計学園への便宜を計らった疑惑もあるのだ。学習指導要領では、道徳で教える内容として「善悪の判断」「誠実」「思いやり」「国や郷土を愛する態度」など22項目ほどある。
「善悪の判断」をとってみると、森友問題・加計学園問題ともに×そのものである。1年2か月以上にわたって国会で無駄な時間を過ごさせた態度には「誠実」のかけらもない。
加計学園に便宜を計らったことは道徳の「思いやり」の見本なのであろうか?小学校でも高学年になると、テレビで報じられるこうした問題に関心を持つ児童も出て来る。そうした児童に「間違っていません、正しいことをしました」と言えるのであろうか?
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