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2018年3月27日 (火)

日本と西欧や韓国とのデモ・集会規制の違い

 友人が送ってくれたメールで、原発反対、安保法制反対、森友・加計問題その他重要な案件について定期的に粘り強くし国会周辺でデモや集会を継続しておられる人の1人Nさんが書かれたものである。日本のデモや集会の規制について西欧や韓国と比較している大変興味深いメッセージである。

 ――昨日は、議員会館前の総がかり行動、そして国会前・脱原発定例金曜デモと、たいへんお疲れさまでした。

 一番の収穫は、ドイツを始めとしたヨーロッパ諸国で、あんなデモ規制は無い!と、ドイツのみなさんが一様に驚愕された、とこもごも語られたことです。

 「狭い舗道に、柵をつくって押し込めながら」「立ち止まらないで歩いてください」と無理な注文をし、「けがをしそうで危なかった。」にもかかわらず、「車道はほとんど車が通っていない状態」だったのだから、「車道を解放して、参加者の安全を確保すべき。」であり、「警察はむしろ危険を作り出しているのだ。」とおっしゃっていました。

 ドイツではありえない光景だとも。「もし、日本のような規制をドイツで行ったら、暴動がおこる」でしょうと。
 

 後はちょっと悲しいのですが、「日本人はオトナシイのですね(これは権力に従順すぎると聞こえた)。」と。(これは韓国からの市民運動家キムさんもおっしゃっていたそうで。)

 「安倍はやめろ~」という言葉さえ、それは過激で酷い表現だという人もいるらしい、とありました。

 どうも、私たちのデモの常識、いつも見る光景は、世界基準からみると異様と言えるようです。

 私たち、怒りながらも、不自由、危険を感じながらも慣れちゃっているんだなあ、と反省しました。それじゃいけない。慣れてしまった私たちは、それでも参加しますが、慣れない人たちは、もう二度と再びデモに来ないでしょう。それこそ、権力の思うつぼ。なんとか変えなくちゃいけないのではないでしょうか。

 私たちは教育の中で、知らず知らずに管理されやすい、従順な人間に育ってしまっているのではないか。警察のいいなりに柵の中に納まって声を挙げている私たちの姿は、本来あるべき抗議行動の姿勢ではないのではないか、ということに思い至るのです。でも現実には、そうしないとあのエリアでデモはできない。ジレンマとはこのこと。

 そもそも、昔(60年安保)は柵なんかつくらずにデモをしていたのですよね。(私は幼くて参加できなかったけれど。)一部の学生が議員会館に突入したり(70年代)、アンポのときも国会に入ったり(60年)したことを逆手にとって、デモ規制やさまざまな不自由がスタートしたやに聞いています。

 いずれも、違憲の疑いの濃い法律、条例がつくられ、いまだにまかり通っていることで、私たちの不自由と危険が続いているわけですね。
 

  それでも、デモ、集会、異議申し立て行動が、少々弱くなった年月の中では、それに気づいたり、問題視したりする人たちも限りがあったでしょう。その規制の中でも、議員たちにマイクで生活保護の削減に反対し続ける「水曜デモ」が継続的に行われてきたことも議員会館に所用で行くときなどにいつも見ていました。偉いなあ、と思いながらでしたが、まさか自分が毎週そうした行動をつづけるようになるとは思ってもみませんでした。


 生活保護だけでない、様々なとりくみが、議員会館前では継続的に行われてきて、すこしづつ既得権が確立され、「国会周辺等静穏法」というデモ規制法がありながら、マイクを使った抗議行動が許容されてきました。それも、凄い成果ですよね。一滴つづ落ちていく水が岩を砕くようなもの。

 それがなければ、警察許容という不自由はありながらも、脱原発金曜デモ行動はできなかった。金曜デモの土台には、たくさんの人びとの活動があるのです。
しかし、それはほんの一部の人たちの行動でした。

 6年前から継続的に始まった脱原発・金曜デモには始めは300人・・それが数千・数万、私たちが参加を始めた6月29日には20万人が集まった。

 安保法制反対には数万、13万と集まってくるという新たな事態が生まれている。
あの狭い舗道に柵で20万や10万を押し込めることは物理的に無理。それを承知で押し込めるのは、犯罪的です。それを犯罪を取り締まり人々の安全を保つはずの警察官にやらせている。(ありゃあ、ちょっと性格の違う警察畑か?)


 もう、この違憲のデモ規制システムを変えなければならない時ではないでしょうか。第一、人びとがもっと集まりやすい、余裕のある場所、そう、二重橋広場、なんかがデモ広場として解放されていいのじゃないでしょうか。戦後すぐは、あの地は民衆デモの聖地だったはず。きっと、そのそばにお住まいの方たちも、私たちが苦労していることを知ったら、賛同してくださるように思います。

 おっと、政治的行動は、彼らはできないんでしたね。その人権はく奪は、またまた不自由なことですね。彼らに私たちと同等な人権を!彼らを人間として認めよ、ですかねえ。

 この国は、どこまで不自由なのでしょうか。

 というわけで、ドイツのみなさんから、私たち学ぶべきこと大であり、また日独の差異を知ったことで、私たちもっと声を挙げやすい環境をつくらなくちゃいけないな、と痛感した次第です。

 昨晩は議員会館前では右翼も騒いだそうで。そうした取り締まりこそ、ちゃんとしてほしいものですが。いろいろ、取り組まなくちゃいけないことばかりで、またまた忙しいですね。

 東京都が迷惑防止条例というもっともらしい名前でデモ規制もさらに強めようとしている動きも合わせてみると、私たちの社会が、ヨーロッパや韓国で許されていることが認められていない、むしろもっと不自由になろうとしているまさに不思議なクニである、と気づかなければならないと昨夜の交流でも実感しました。

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