興味深い「さよなら、福沢諭吉」 明治維新150年を回顧―④―
第二は、三人が絶対的・普遍的価値観ないし心情(=信念)をついに持ち得なかったことである。絶対的・普遍的価値観とは、例えば良心的兵役拒否といった絶対的平和主義のエートスのようなものである。
絶対的・普遍的価値観は、時勢・時流に流されることのない不動の価値観や規範、大勢に逆らってでも堅持する揺るぎなき信念、時代の変化を超越した価値観のようなものである。加藤流では、この絶対的・普遍的価値観は超越的価値観と言い換えられる。超越的というのは、各個人が属する集団だとか、同世代・時代、大状況から超越的である、という意味であり、諸個人が自律性を保つための拠点になり得るような価値観のことを指す。ひらたくいえば「ぶれない価値観」である。
加藤周一は、集団主義において強くあらわれる、大勢順応主義や時代迎合主義から各個人が自由になるには、この集団や時勢から超越した絶対的・普遍的価値観に依拠する必要がある、ということを再三強調した。
鴎外等が経験した戦争中には、国民の多くが戦争に動員され、大勢は軍国主義に傾き、国を挙げて戦争に翼賛する体制が築き上げられた。この動きに抵抗したり、逆らって「反戦」を貫くことは容易なことではなく、よほどの信念・確信に支えられない限り、怒涛のような軍国主義の流れから自由になることは出来なかった。
そこで、加藤周一は戦前の天皇制軍国主義の体勢に流されない視点として各自の有する超越的・普遍的価値観の重要性を指摘しつつ、同時に、鴎外ら三人はかかる絶対的・普遍的価値観を持ち得なかったとしたのである。
戦前の場合、天皇制国家の軍国主義に対して「反戦」を貫き通すことのできる思想・価値観を提供したのは、もっぱらマルクス主義とキリスト教の二つであったといっても過言ではない(この二つが外来のものであり、土着のものではなかった)。
第三は、三人が民衆の立場に立てなかったことである。鴎外らは、時代のエリートであって、階級的には支配層に所属していた。鴎外は天皇制官僚制の一員として権力中枢に近いところにいたし、杢太郎は帝国大学の教授、茂吉も私立病院の院長として、エリート層に属していた。民衆の一員だったわけではない。
だが、戦争になると、最もその犠牲を被るのは、一般の大衆、民衆である。戦争の最前線でその犠牲者、被害者となるのは、専ら民衆、庶民である。別の視点でいうと、戦争に対して最も鋭く、敏感に反応するのは、民衆だということである。当世風のいい方では、戦争の当事者意識は民衆の立場に立ってこそ持ち得るし、理解できるものである。だが三人は、この当事者意識に欠けていた。
以上三点、すなわち①戦争の社会科学的認識の欠如、②戦争に対する超越的・普遍的価値観の希薄性、③民衆的視点の欠落の三点が、鴎外・茂吉・杢太郎が共通して反戦的立場・思想を貫くことのできなかった理由である。これが加藤周一の講義のポイントであった。
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