「老年的超越」というのを初めて知った―①―
2月7日の朝日新聞の「老いとともに」という欄に「衰えても幸せ『老年的超越』」という記事が載った。リードを読むと「90歳を超えるほどの高齢になると、それまでのように心身の若さを保つのは難しくなる。でも、、そんな人たちの間で、以前とは違う『幸せ感』を抱くよもうになる人が少なくないことが分かってきた」と書いてあった。
私は何歳まで生きられるか・・・こればかりは生きてみないと分からない。80歳を超してからは身体的能力の衰えと記憶力の衰えを感じるようになったし、さらに何かをやることが面倒だと感じることが多くなった。
もちろん今でも朝4時から5時の間には起きて、雨や雪が降らないがぎり早朝のウオーキングに出かけている。だが、歩く速度がだんだんと遅くなってきた。以前にblogに書いたときは60分ぐらいだったように思うが、最近は64分から65分ぐらいはかかるようになった。自分ではいつものペースで歩いているつもりなのにである。
でも、毎朝、いつ歩けなくなるだろうかと思いながらも、歩くことが出来るのは幸せだと思ってウオーキングを続けている。
高齢になればなるほど体力や認知機能が衰えるのは自然のことであり、避けようがないことでもある。60歳台の頃はそれほどの自覚はなかったが、80歳を超えてからはいつどうなるか知れたものではないと思うようになった。
この記事によると、「老年的超越」という指標で示される幸せな感覚の度合いは、高齢の人ほど高い傾向があるのだという。その調査は大阪大学権藤恭之准教授(心理学)たちが兵庫県と東京都で、70、80,90歳の合計2200人を調査して分かったというのだ。70歳、80歳、90歳と右肩上がりで「幸せ感」が増して行くグラフが載っていた。
老年的超越とは、高齢期に高まるとされる「物質主義的、合理主義てきな世界観から宇宙的、超越的世界観への変化」のことで、スエーデンの社会学者が唱えたのだそうだ。
宗教的なものがどう影響するかについては説明がないが、超高齢の人は、ひとりでいてもさほど孤独を感じす、できることが減っても悔やまないようになり、周囲への感謝の気持ちが高まりやすいという。「成功」や「達成感」を重視する若い頃とは異なる、穏やかな幸福感だそうだ。
この記事では超高齢を何歳とは特定していないが、多分90歳以上だろうと思われる。私の母は93歳で亡くなったが、知人や親せきに100歳を超えた人がいないので100歳を超えるということはどういうことが想像も出来ない。
「ベッドにほぼ寝たきりでも『昔を回想するだけで楽しい』という人もいる。健康を失ってしまっても幸せでいることはできる」と権藤准教授は話しているという。そう聞くと年を取ることも嫌ではなくなる。
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コメント
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老年的超越とは言い得て妙ですね。私の義母は98歳です。最近身体機能がとみに衰え、家の中での歩行もままなりません。でもそのことに失望したり、苛立ったりしているようには思えません。
従容とという言葉がありあますが、まさにそのような状態だと思えます。然し乍ら、これは認知機能の急速な衰えと表裏のようにも思えます。昔から高齢が進むと童に帰ると言います。要は呆けるの婉曲的表現ですね。これも神が人間に与えた究極の救済かもしれません。
投稿: Toshi | 2018年2月12日 (月) 08時35分