興味深い「さよなら 福沢諭吉」 明治維新から150年を回顧―③-
鴎外・茂吉・杢太郎
今から二十数年前、加藤周一がNHK教育テレビ番組「人間大学」講座「鴎外・茂吉・杢太郎」において、12回にわたって話した(1995年1~3月)。
鴎外・茂吉・杢太郎の三人が共通して、日清・日露から太平洋戦争にいたるまで、日本が当事国となった戦争に対して、決して反戦の姿勢を貫くことがなかった。三人が戦争に反対しなかった理由、又はしえなかった理由、その「謎」に対して、加藤周一は明快な説明をした。
鴎外・杢太郎は、明治後期以降の日本の侵略戦争に積極的に加担したというわけではないが、反対の態度を鮮明にしたわけではなく、茂吉にいたっては、太平洋戦争を熱狂的に賛美し、明らかに天皇制国家によるアジア侵略を鼓舞する立場にまわった。これは、いったいいかなる理由によるものか。
まず森鴎外、斎藤茂吉、木下杢太郎の三人に共通するのは、戦前の代表的な文学者、医師すなわち医学研究に従事した科学者、そしてヨーロッパ留学の経験者、といったところであった。戦前日本の場合、医学等の自然科学は、主に欧米の「輸入学問」に依存していたから、彼ら三人はベルリン(鴎外)、ウィーン(茂吉)、パリ(杢太郎)の留学経験を積んで、文学面のみならず、科学研究面においても日本では最前線にいた。彼ら三人は共通してインテリゲンチャとしてはエリートに属した。
加藤周一が問題にしたのは、かくも優れたエリート知識人が、なぜ戦争に反対しなかったのか、反戦の立場に立ち得なかったのか、その理由である。加藤周一がたてた問いを現在の日本にあてはめていえば、現代日本のノーベル賞級の知識人たちの中で、もし安保法制や安倍改憲に反対しない人がいるとするならば、それはいったい何故なのか、いかなる理由によるものか、という問いである。
加藤周一によれば、その理由は三点である。
第一は、三人ともに戦争に対する社会科学的認識に欠けていたことである。日清・日露からアジア・太平洋戦争にいたるまで、近現代の戦争を貫く共通の性格は、言うまでもなく植民地侵略・獲得戦争という性格である。あるいは、帝国主義戦争であった。
三人が反戦の立場をついにとりえなかったのは、中国・朝鮮をはじめとするアジア諸国に対する日本の帝国主義的侵略戦争の本質を見抜き得なかったことに起因する。
加藤周一のいう社会科学的認識とは、戦前の場合、具体的にはマルクス主義による戦争分析・認識のことを指す。それは、戦前の場合には、「社会科学=マルクス主義」という捉え方がほぼ一般的であったということと(例えば丸山眞男は「戦前においては、簡単に言えば社会科学イコール、マルクス主義だった」と回顧している(加藤周一『加藤周一対話集第二巻 現代はどういう時代か』かもがわ出版、2000年)、日本にあっては、実際に帝国主義的侵略戦争、植民地獲得戦争を正面から分析した社会科学は主としてマルクス主義陣営だったからである。
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