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2018年2月 4日 (日)

興味深い「さよなら 福沢諭吉」 明治維新から150年を回顧―②―

 

「祭天」とは、天を祀ること、天とは自然のことである。「祭天」とは自然崇拝のことである。「古俗」とは、昔からの習俗という意味である。

  日本中の神社を見てみると、和歌山県の那智大社は、那智滝をご神体とする神社、月山神社、出羽神社、湯殿山神社を合わせた出羽三山のように、月山・湯殿山・羽黒山という、山をご神体とする神社など、驚異的な自然を崇拝する例が非常に多い。

 一方、菅原道真を祀る天満宮(天神様)、徳川家康を祀る東照大権現のように、亡くなった人を神として祀ることがある。

 このように、本来の神道は、滝や山、あるいは、亡くなった人の霊を信仰の対象にするものであった。

明治政府はそれまで「天照大神」を崇拝する天皇家固有の神道だったものを「国家の宗」として、新たに「国家神道」をつくり上げたのである。

 この国家神道で、天皇は天照大神の子孫であり、生き神様であるとされた。国家神道の形成と、明治憲法の制定を基盤として、教育勅語が日本人の心を縛るものとなった。

「近代天皇制」を「明治時代にできた新興宗教」と言われる所以である。この新興宗教を信仰することを国民は強制され、洗脳された。明治政府は憲法や教育勅語だけでなく、「讒謗律」「新聞紙条例」「出版条例・出版法」「集会条例」「不敬罪」などで国民の言論の自由を奪い、身も心も縛り、侵す「天皇制国家」を作り上げた。

 

「近代天皇制」は長い歴史を持つ神道とは別物の「国家神道」を基盤に据え、天皇を現人神と崇める。

その国家神道の中心に据えられた天皇は、1945年の敗戦後、連合国軍によって、国家神道が廃止されると、1946年にいわゆる「天皇人間宣言」で自己の神格化を否定した。

 その時点で、近代天皇制は消滅したはずが、「洗脳」の影響は現在も残っている。

現在の「象徴天皇制」は、アメリカが日本を統治するために考え出した制度である。日本の敗戦後、戦勝国の間ではヒットラー、ムッソリーニと同様に、天皇にもその戦争責任を取らせるべきだという意見が強かった。ヒットラーは自殺、ムッソリーニはパルチザンにとらえられ処刑され、その遺体はミラノの広場で逆さ吊りにされた。翌年の6月の国民投票(1272万対1072万)によって、イタリア国民は王政を廃止し、国王一族を国外追放した。

 

ロシア、イギリス、オランダ、オーストラリアなどは天皇裕仁の処刑を強硬に求めた。しかし、戦勝の二年も前から戦後の日本統治の研究をしていたアメリカは、天皇を残しておいた方がアメリカにとっては日本を統治しやすいと考えた。

天皇を象徴としたのは日本ではなくアメリカが決めた。日本人はアメリカに与えられた「象徴天皇」の象徴の意味をあいまいにしたまま現在まで過ごしてきた。

 

石川県の高校教師(美術・書)である中谷成夫『一万円札の福沢諭吉』(2014年「文芸社」)の中で、福沢諭吉を、「若いときは民主主義、人間平等を鼓吹したとされるのですが」、後半生の20年間は、「隣国の朝鮮や支那への侵略を熱烈に主張する」「強烈な帝国主義者であり軍国主義者であり」「昭和にいたる暗い軌道を敷設する役割を果たし」、「結果的に昭和20年の日本の敗北にいたるアジア侵略へのレールを敷いた人物」と評価し、福沢が「最高額紙幣の一万円札の顔」に相応しくない人物であると結論付けている。

慶應出身者を含めて、『学問のすすめ』『福翁自伝』『文明論乃概略』なら、少し読んだことのある日本人はいるが、誰でも福澤を知っている日本人が、実は福澤の著作を読んでいない。

 日本人は『すすめ』『概略』『自伝』などは読んでも、肝心の福沢が直接社会に向けて一番多く発信した『社説、漫言、その他の論説』は読んでいない。ところが、『福沢諭吉全集』の中で一番多いのは福沢が経営していた「時事新報」紙(その後継紙が「産経新聞」)に福沢が掲載したこの『社説、漫言、その他の論説』である。

 福澤が「ヘイトスピーチの元祖」と言われるほどにアジア諸国民を蔑視し、「強兵富国」のアジア侵略路線を先導し、その近代化の道のりが1945年8月の日本の敗戦・破綻につながったことは、誰の目にも明らかになる。

 

『福沢全集』の福沢の『社説、漫言、その他の論説』に目を通せば、福沢の真実の姿を素人でも見落とすことがない。

日本人の福沢についての誤解は、まず日本人が福沢の著作をほとんど読まないできたためであるが、「戦後民主主義」時代の日本の研究者が、アジア蔑視、アジア侵略戦争の先導者福沢を、偉大な「民主主義の先駆者」と読み誤り、数々の福沢諭吉神話(じつは「丸山諭吉」神話)を創作してきたためである。

 丸山眞男の丸山福沢論の代表作『「文明論乃概略」を読む』(岩波新書)は致命的な誤読である。

 丸山眞男らは、戦後日本の民主化の啓蒙と推進のために、天皇制軍国主義者、帝国主義者の福沢を「民主主義の先駆者」という神話の主人公に仕立て上げ、福沢諭吉を1万円札の肖像まで押し出した。

 しかし、神話にもとづく啓蒙によって、現実の日本社会を変革することは出来ない。丸山らに代わって今、日本で福沢諭吉を最高にもてはやしているのが、日本の戦争国家への道を暴走している安倍晋三を筆頭とする石原慎太郎、平沼赳夫ら「極右」の政治家であることに注視する必要がある。

 

 

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