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2018年1月16日 (火)

葬儀って、何だ―⑥―

 今回久しぶりに葬儀を主宰してつくづく考えさせられた。いったい「葬儀って、何だ?」ということだ。

  おそらく自分や身内の葬儀について予め考えて計画を立てている人はほとんどいないであろう。昔は部落には講があったが、現代では私のようにどこかの葬儀社の会員になっていて、突然訪れる「死」に対して葬儀社の言うがままに葬儀を進めるのではないだろうか。

  経を挙げてもらう僧侶については、檀那寺がある人はそこに頼むであろうし、ない人は葬儀社などに紹介してもらうであろう。私の妻の両親のときはそうであった。

  私は神道の葬儀については、母の実家が神道なので3回経験したことがある。神道は大変簡潔である。神主さんんが祝詞(のりと)を用意してきてあげるのだが、戒名はなく本名で故人について述べ、御幣を振ってお祓いをする。参列者は霊前に榊をあげるのだ。

  神主さんへのお礼も大変少額であったと記憶する。私は神道がいいと思ったものだ。

  私はこれまで一度もキリスト教や他宗教の葬儀に出合ったことがないのでさっぱり分からないが、友人の話によるとキリスト教は多額の寄付を要求されると聞く。

  話しを元に戻して、葬儀について考えると、葬儀とは故人を送る儀式である。その送り方には民族によってもいろいろあるようだが、要するに故人のことを偲び遺体を土葬とか火葬などにすることである。同じ仏教でもチベットでは「鳥葬」で山の鳥に供すると聞いた。

  ゴビ砂漠へ行ったとき、砂漠に土盛りがいくつか見られたが、砂漠へ持って行ってそこに埋めるのだと思った。土盛りはやがては風によりなくなるのだろうが、それについてどうするのかは知らない。

  葬儀についても、私の母方の祖父のときは、身内は白い衣を着て、額に幽霊が付けているような三角の白い形をつけて、葬列を作って歩いて火葬場まで行った。いつのまにかそういうやり方はなくなった。葬儀のやり方も時代を反映して変わって行くのだ。

  この頃では「直葬」と言って、遺体を直接火葬場まで運ぶというやり方もある。主に身寄りのない孤独死の人を役場などがそのようにして弔うのだが、私の知人は、「俺が死んだら直葬にして、遺灰は海に撒くように家族に言ってある」と話していた。

  遺灰の扱い方も海に散骨するとか、樹木葬にするとかいろいろあるようだ。中国の「改革・開放」経済政策を進め、現在のような中国の発展のもとを築いた鄧小平は、葬儀は行わず遺灰は中国の領海に散布された。彼は唯物論者だから魂の存在などは信じなかったものと思われる。

  前にも書いたように、釈迦の時代は「輪廻転生」が一般的に信じられていたが、佛教の創始者「釈迦」は霊の存在とか輪廻転生とかはないと考えていた。また仏教による葬儀についても考えていなかった。釈迦が亡くなってその死を悲しむ弟子たちがたくさんいたであろうが、釈迦自身は悲しむではないと教えた。また偶像崇拝も説かなかった。釈迦は「生老病死」を超越した思想を説いたのであった。

 極楽浄土とか輪廻転生とか霊の存在などについて仏教に取りいれられたのは、佛教が伝播する中で、後世の僧侶によってなされたのだ。同じ仏教でも宗派がいろいろあり、国によっても同じ国の中でも異なるのはそのためである。

 経典は膨大なものがあるが、それは釈迦の後の世の高僧によって付加され伝承されたからである。宗派は自分に都合の良い経典をもとにしているのだ。

 

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