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2018年1月15日 (月)

葬儀って、何だ?―⑤―

 家に来た葬儀社のスタッフのAさんにお布施の件を話したら、面白い話を聞かせてくれた。Aさんのお兄さんが亡くなったとき、檀那寺に頼むとお布施は高いしお経の声がよくないので、平安会館に頼んで、声がよくて高くないお坊さんを紹介してもらったというのだ。

  そのお坊さんは声がよくて読経が栄えて、しかも、人柄が非常に良い人であったそうだ。お布施も20万円ですべてやってもらえたという。

  その後、お父さんが亡くなったので、またそのお坊さんにやってもらったというのだ。Aさんは1人になったので、そのお寺で葬儀をしたそうだ。お寺のお庫里さんがいろいろ世話をしてくれたという。でも、寺はお経以外はみんな無料でやってくれたのだという。

  お寺によってもいろいろあることがよく分かる。Aさんは檀那寺がよくなければかわればよいのだと言った。

  確かにその通りである。檀那寺というのは江戸時代に統治をするために作られたものである。強制的にどこかの宗派に属させられたのだ。キリスト教を排除することも重要な狙いであった。

  しかし、明治以後は宗教を選ぶのは自由になった。私の父方の祖先はキリスト教に宗旨替えをしたし、母は実家が神道であったが、結婚して浄土宗になり、その後墓を曹洞宗の寺に造ったので曹洞宗になった。我が家でもたまたま妙心寺系だったのでそのまま引き継いでいるだけである。

  お布施の話しに戻して、知人のKさんが夫を亡くし本願寺で葬儀をしたが、お坊さんにお布施のことを聞いたらいくらでもよいと言ったので、10万円でいいですかと聞いたらお寺はそれで結構ですと言ったので1万円プラスして渡したそうだ。

  お布施は喜捨とも言い、釈迦の時代からあったが、釈迦の時代は喜捨はどんなものでも喜んで受けた。現代でも京都などでは、お坊さんが修行の一環として托鉢に出かけることがあるが、たとえ僅かな米でも有難く受け取る。良寛は托鉢を持って里に出かけ喜捨を乞うて生活をした。

  本来は僧というのはそうあるべきなのだ。布施の多寡を問題にしてはならないのだ。清貧に甘んじることができなければ、ビジネスにすればよい。

  枕経○○分何円、通夜○○分何円、葬式の読経は会葬者の数や時間で何円、鐘を鳴らしたら何円、火葬場読経何円、初七日何円・・・・・などと見積もりを明記して提示すべきである。そして施主と話し合って納得したところで、契約するのだ。

  私の知人でお経のテープで法事を自分たちでやっている人がいるという話しをしたら、葬儀社のAさんは、平安会館でもいろいろなお経のCDを扱っていると言った。CDを買って月経や法事をやる人が増えているというのだ。それを聞いて私も納得した。何も高い金を払って坊さんのライブをやってもらわなくてもCDとか自分の読経でもいいのだ。

 そもそも訳の分からないお経を唱えてもらって何のご利益があるというのか?ただ形式で儀式としてやっているだけである。

 

 

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コメント

このようなお寺の問題は、これから20年間でさらにはっきりと浮かび上がってくるにちがいありません。
何もかもがお金を価値基準にする時代はすでに壁にぶつかっています。そうした中で、通販会社が仲介する数万円の読経料ならともかく、その十倍以上の金額を堂々と請求されてはお寺と縁を切る家は増えることでしょう。
縁を切るにも退去料として百万円二百万円と請求されてはちょっとした紛争になるでしょう。
これまでのららさんのブログでも取り扱われていますが、仏教とは何なのか、僧侶とは、そして葬式とは、と省みる必要が更に高まっています。
一人暮らしの私には息子さんに先立たれた落胆は想像を超えるものですが、今後ますますブログを楽しませていただければ幸いです。

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