2024年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 南京大虐殺事件に関する審判――⑤ | トップページ | 年末恒例の柳橋卸売市場行き »

2017年12月30日 (土)

南京大虐殺に関する審判――⑥

(四)軍事法廷による審判結果とその影響

第二次世界大戦戦犯の国際裁判は、戦後の国際秩序を構築するための重要な根拠であり、又、現代の国際刑法の主要な根源である。1951年、日本政府がアメリカと締結した「サンフランシスコ条約」の第11条は、「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内および国外の他の同盟国戦争犯罪法廷の裁判を受諾する。」と明確に規定している。これは、又、戦後日本の民主改革の基礎となった。

南京裁判は正義を広め、戦争犯罪を攻撃し、平和を呼び掛けた。当時法廷は検挙と裁判のもろもろの段階で、社会各界の広範な参加を引き起こした。また、法廷裁判の部分証拠である「南京大虐殺事件」は、2015年10月にユネスコの「世界記録遺産」*に登録され、人類が平和を愛し、戦争を遠ざけるための歴史的な文化資源になった。

*筆者註、なんと今年12月13日、河野外相はパリでユネスコのアズレ局長と会談し、世界記憶遺産の選考方法について見直す必要があるとの認識で一致したという。14日の報道によると、≪南京事件や従軍慰安婦の問題をめぐる日本と中・韓、両国の論争などを念頭に、「世界の記憶」の選定をめぐっては、加盟国が政治的に対立する事態は避けるべきだと指摘、アズレ事務局長は、ユネスコが政治化を避けて本来の機能を取り戻すことが重要だと語った上で、制度改革を進める意向を示した。≫東京新聞。

南京裁判、東京裁判は正当で、裁判は大体において公正に行われた。だが、司法の独立上、完璧ではなく、政治の影響も受けた。たとえば、アメリカは自らの極東政策の必要性から、一部重要戦犯の戦争責任を緩めた。懲役を言い渡された一部の戦犯は減刑され、釈放され、政界へ戻り日本政府の要人になった人さえいる。天皇の戦争責任は訴追されず、細菌戦、化学戦の犯罪行為、慰安婦の加害犯罪は審判や清算されず、被害者は賠償されず、財閥の責任も追及されなかった。

南京裁判において、国民政府はアメリカの政策に追随し、内戦で忙しかったので、岡村寧次の裁判等の戦犯裁判に対し徹底されなかった。このことは、裁判であるべき効果に、一定程度影響した。

東京裁判は、国際法に対する総括及び発展で新たに「平和に対する罪」と「人道に対する罪」が加えられた。東京裁判は、個人の戦争責任追及を実現し、国際法の発展に大きく貢献した。

★南京裁判、東京裁判から70周年が経ち、この間、歴史を回顧し総括すると、「前事を忘れざるは、後事の師なり」ということである。新しい時代に、国家や民族の限定を超え、人類文明過程の高きに立ち、南京裁判、東京裁判を考えることは、歴史を正視し、未来へ向う正しい道程になる。以上、==南京全国連翻訳チームのテキストの主要部分を抜粋した。==

===③田中宏さん(80)が、山東省に任さんを訪ねてと題して報告した===

最初に、孟国祥さんのプレゼンに関連し、「南京大虐殺記念館」は1985年にオープンした。それを知ってか、どうかわからないが、その翌日に、中曽根首相は靖国神社を参拝し、アジア諸国から大きな反発があった。翌1986年、衆参両院選挙で自民党は304議席を獲得し大勝した。この年には、靖国神社には参拝せず、後藤田官房長官は、なぜ参拝しないのかと訊かれ、「講和条約の第11条に則り、戦犯を出しているから」と答えた。また、孟国祥さんの話にあるように、南京軍事法廷、東京裁判は、講和条約の第11条を認めている。記念館の名前は長く、鄧小平が揮毫したが、記念館のオープンの翌日に、靖国神社を中曽根首相が参拝したとは、両国のギャップはあまりに大きく、唖然とするばかりである。

私は30年前、戦後50年に、南京大虐殺の現場にいた日本兵とお詫びの旅に行った。復讐されるかと、恐る、恐る、出かけた。1987年、「東史郎日記」が出版され京都の展示会で公開された。ベトナム戦争のプラトーンに習い「我が南京プラトーン」と・・・・。しかし、ひとりの小隊長が名誉棄損であると提訴した。その背後に板倉・開高社と西本氏の資料集があり、歩兵20連隊の虐殺は虚偽であると鉄槌を下し、2006年最高裁で敗訴した。東日記の記述は間違いで、日本ではデタラメということになっている。

私は解きほぐされた戦争の記憶と「東史郎日記」との符号を長年調査してきた。山東省の元教師(1936年生)による日本兵士罪行の現場検証である「東史郎日記と私」は、任さんが持ち歩き、たくさんの村民が手にした日記であり、過去の歴史とどう向きあうか、加害者の立場で書いたただ一人であると思う。

任世金著、田中宏監訳、「東史郎日記と私」の本の紹介になったが、みなさん、とりわけ若者がこの本を読んで、残酷な戦争に対して切実な感覚を持つことができると思う。この東史郎日記に書かれていることが事実であり、不見識な名誉棄損という指弾を打ち消すだけでなく、日本社会に、「事実を見極める、事実を重視する」傾向を作って行くことになると思う。以上。

 

« 南京大虐殺事件に関する審判――⑤ | トップページ | 年末恒例の柳橋卸売市場行き »

戦争と平和」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 南京大虐殺に関する審判――⑥:

« 南京大虐殺事件に関する審判――⑤ | トップページ | 年末恒例の柳橋卸売市場行き »