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2017年12月28日 (木)

南京大虐殺事件に関する審判――④

B.向井敏明、野田毅と田中軍吉に対する裁判(併合審理)

 向井敏明は山口県の出身、1937年、日本軍第16師団・砲兵小隊長。野田毅は鹿児島県出身、1937年、日本軍第16師団・富山大隊副官。公開され記録されている中で向井と野田は南京攻略戦前後において、「百人斬り」競争の暴行を実行した。

 田中軍吉は、東京人で1905年生まれ。陸軍士官学校を卒業。1937年8月、中国侵略日本軍に従軍して華北に侵入、この時、第6師団・中隊長。南京大虐殺の期間中、谷寿夫師団の大尉として、「名刀助広」(田中が愛用した軍刀)を携えて、三百人を超える民衆の首を斬った。1947年5月、中国に引き渡され、12月、南京法廷で公開裁判が行われた。

 「百人斬り」(東京日々新聞)の報道と写真をめぐり、向井と野田は、報道は嘘だ、記者が戦意高揚のためにしたこと等と弁解、・・・・・(内容省略)・・・・・法廷は最後に、向井敏明、野田毅、田中軍吉に対して、作戦期間中、共同し連続して俘虜及び非戦闘員の虐殺をおこない、よって死刑に処すとの判決を出した。谷寿夫、向井敏明、野田毅、田中軍吉等はB、C級戦犯として死刑判決が下され、前後して南京・雨花台で銃殺刑に処せられた。

(三)極東国際軍事法廷(東京裁判)による戦犯審理

==法廷による南京大虐殺事件の証拠集め==

 1946年1月19日、マッカーサーは連合国・最高委員会の決定に基づき、「極東国際軍事裁判所の特別宣言」及び、「同憲章」を東京で設置することを正式に公布した。2月18日、マッカーサーはウエッブを裁判長に、そして、中国、ソ連、米、英、仏、蘭、比、加、NZ、印を加えた11カ国、11名の裁判官およびキーナン総検察官とその他30名の検察官を任命した。

 東京裁判は1946年5月から1948年の審判終了まで、約2年7カ月の間、開かれ、818回開廷された。法廷記録は4.8万頁、出廷証人は419人、呈示証拠文書は4000件以上になる。判決書は1213頁、20万人の傍聴人を引き付け、ニュールンベルグ裁判をしのぎ、人類史上最大規模の国際裁判と言われた。

 ♦「南京大虐殺事件が極東国際軍事法廷の判例となる。」東京裁判の対象は主に、A級戦犯による「平和に対する罪」で、「通例の戦争犯罪」及び「人道に対する罪」も含まれる。・・・中略・・・

 ♦「法廷による証拠集め」、1946年3月、トーマス・モローらが中国へ向い調査を行い、5週間、総数31名の証人に会見「中国からの報告、平民への暴行」という調査報告を書いた。・・・中略・・・それ以外にも、1946年3月下旬、キーナンが中国人検察補佐官を伴い、証拠集めのため訪中、13名の国際検察官を同行、南京で実地調査をした。

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