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2017年12月27日 (水)

南京大虐殺事件に関する審判――③

(二)南京大虐殺事件の立件と帰結

==裁判の立件と準備作業==

抗日戦争が開始されてほどなく、国民政府及び民間機構は、早くも中国侵略日本軍の戦争犯罪に対する調査を始め、資料を蓄積してきた。~中略~

 「南京敵人罪行調査委」は、1945年11月7日に成立し、日本軍が南京にて犯した犯罪を調査した。委員会は、「敵人罪行種類調査票」、「証言可能な被害者氏名・住所表」、「男女別死傷者統計表」を作成し、同時に日本軍暴行の数多くの写真も集めた。調査数は2784件にのぼり、極東国際軍事法廷及び中国戦犯審判軍事法廷のために、大量の原資料と有力な証拠を提出した。

 戦犯処理委は、1946年12月25日に立件を決定した。戦犯総数83名の名簿を公表し、被告の氏名、階級、所属組織が確定した戦犯59名、そのうち師団長以上の戦犯は12名、下級部隊の指揮官47名である。

 関係する犯人逮捕の駆け引き、あるいは引き渡しが始まるにつれ、中国側は連合国司令部に引き渡しを要求したが、さまざまな原因、すなわち、①松井石根A級戦犯は引き渡せない、②皇族は起訴できず、③中島(今朝吾)、柳川(平助)等は既に死亡し・・・・引き渡されたのは、B級戦犯の谷寿夫、C級戦犯の田中軍吉、向井敏明、野田毅などで、公表された戦犯名簿から見れば、逮捕或いは引き渡されたのはやはり少数であった。

==法廷の審理と戦犯の弁明==

 南京法廷が審理した戦犯の主要人物は谷寿夫、向井敏明、野田毅と田中軍吉である。

A.谷寿夫(第6師団長、中将指揮官)の裁判(単独審理)

 谷寿夫は1882年生まれ。陸軍士官学校、陸軍大学卒業。1928年、済南事件に関与し中国外交官を虐殺。1937年8月、第6師団を率いて中国華北などに侵入、後に上海、南京に侵入。1946年2月、谷寿夫は連合国軍総司令部に逮捕され、巣鴨プリズンに入獄。1946年8月、中国に引き渡された。南京軍事法廷は、谷寿夫を「中国侵略の最重要戦犯」であると認定した。

 1946年10月から尋問(一カ月余りの間に6回)、谷寿夫は自己の罪行を弁解する陳述、軍事法廷は大量の調査と度重ね審問、1947年1月、法廷に弁明書を提出、「第6師団の行為は厳正であり、紀律違反の行為は決して存在しない」と主張した。

 法廷は、起訴状を受け付けた後、再び大量の証拠について調査を行った。法廷に出向き、聞き取りに応じる人多く、その数600余人に達した。同時に石・裁判長は兵器工場の後ろの山や五カ所で、大虐殺事件における被害者の遺骨埋葬地の実地調査を行った。

 1947年2月、公開裁判が三日間行われ、石・首席裁判官は谷寿夫の主要な罪行について一つひとつ証拠を挙げた。谷寿夫は、一貫してずる賢い論理を以って言い訳をし、責任転嫁を意図した。だが、法廷に出された明白な証拠を前にして、谷寿夫はまたもや、「激烈な戦闘中なので、住民の死傷は免れない」と弁解した。

 法廷は更に充分な証拠を明らかにするために、三回にわたり公開裁判を開いた。・・・・被害者である李秀英(前述①の証言にある)、目撃証人である鼓楼病院の程結証人、・・・・等、血まみれの写真、映像資料が出された。社会団体による調査記録も公表され、又法廷は第6師団の将兵が書いた日記を探し出して提示した。アメリカのマギー牧師のドキュメントフィルム、日本軍が自分の功労を見せびらかすために作った記録フィルム、NYタイムズのダーディン記者の目撃記、英国ガーディアンのティンパーラー特派員の編著・・・・、裁判前後5か月には、関係証拠4~5000件の多きに達し、証人は500余人になった。

 1947年3月10日、法廷は最終的に「谷寿夫は、作戦期間中、兵が捕虜及び非戦闘員を虐殺し、また強姦し、略奮し、財産を破壊するのを放任し、よって死刑に処す」との判決を言い渡した。谷寿夫は判決を不服として、二回にわたり控訴書を提出し、不服理由と再審を請求したが、国民政府主席の批判を受け、再審請求はすべて却下された。

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