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2017年12月29日 (金)

南京大虐殺事件に関する審判――⑤

==南京大虐殺事件の法廷尋問==

検察側の証人、証拠、駐華ドイツ大使が本国に送った秘密文書、アメリカ駐華大使が受けた報告、南京地裁調査報告、マギーの記録映像等から・・・日本政府は日本軍による犯罪行為を了解していた。たとえば、「安全区」は、ジョン・ラーベらが、日本大使館へ抗議した事例等・・・・

==松井石根の裁判==

1947年11月24日、法廷は松井石根の第一回目の審判を行う。弁護士は松井石根の無罪を弁護する12の証言を読み上げた。(内容省略)。松井の一部下である下級軍官は、B、C級戦犯処理について心配しており、肝心な点を避けて、その場逃れの証言をするか、極力否認した。(以下省略)

==南京大虐殺事件と松井石根の判決===

1948年3月29日、最後の法廷が終わり、11名の判事は判決文を起草した。多数派(米、英、加、NZ、比、中国、ソ連)と少数派(豪、仏、印、蘭)に分かれた。

東京裁判の判決の中で、日本軍の「南京大虐殺」に関する判決の要約は、①虐殺数、「日本軍の南京占領後の最初の6週間で、南京城内および付近地域で虐殺された平民と捕虜の総数は20万人を超える。・・・・・この数には、焼き払われた者、揚子江に投げ捨てられた者、および日本軍により他の方法で処理された死体を含まない。」、②南京城が焼き払われた規模「放火は数日後に行われ、まるで予定した計画通りに行われたように6週間の長きにわたって継続した。そのため、全市の三分の一の建築物は破壊された。」、③強姦された数「日本軍が占領した最初の一週間の間、市内で2万以上の強姦、輪姦事件が発生した。」

松井石根に対する判決分は、「彼は事件発生に責任ある軍隊を指揮していた。その上、彼はこれらの暴行について知っており、さらに権力もあり、軍隊を制御し、不幸な南京市民を保護する義務があった。彼は、彼の汚職行為について刑事責任を負う必要がある。」判決は、松井石根に死刑を処した。法廷が出した結論は、「日本政府は南京での犯罪について完全に了解している。」であった。

少数判事の判断や判決と、一部の日本人による「日本無罪」の論調は、完全に二つの違った概念だと言うことがわかる。彼らは明白に、間違いなく、日本の戦争犯罪を厳しく非難しており、日本支持とはほど遠い。少数派判事の反対判決が出たことは、東京裁判が一辺倒で、いい加減な「戦勝国による敗戦国に対する裁判」ではないということを、まぎれもなく説明している。インドとフィリッピン判事の参加により、東京裁判は、「勝利者による敗者に対する裁判」というよりも、「被害者による加害者に対する裁判』という側面がはるかに大きい。

 

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