« 2017年11月 | トップページ | 2018年1月 »

2017年12月

2017年12月31日 (日)

年末恒例の柳橋卸売市場行き

 30日に娘夫婦と年末恒例の家庭行事となった柳橋卸売市場へ出かけた。前夜遅く来たので朝5時に起こすのは気の毒だと思って、15分過ぎに起こした。洗顔などの朝やることを済ませて家を出たのは6時15分ぐらいであった。空は少し明るみ始めていた。

  橋卸売市場に着いたのは6時50分ごろであった。市場の入り口にある卸売り問屋では人々がせわしく荷物を運んでいた。道路には大きな買った荷物を持って帰って行く人たちがたくさんいた。市場に入ると満員電車のような混雑であった。メーテレのカメラが様子を撮影していた。

  最初の店でワサビを買った。次の店でチリ産のウニを買った。人ごみをかき分けながら市場の中を見て歩いた。柳橋市場での買い物は海鮮だが婿の好みで買うのだ。だから婿が好きな物を買って行った。

  赤貝の店では1kgの赤貝を買って、身を外してもらったがボウルにかなりの量があり食べられるか心配であった。その店で北海道産のウニを売っていたのでそれも買った。最初の店のウニの4倍の値段であった。婿は食べ比べるのだと言っていた。

  妻が中トロを買ってくるように言ったのでマグロ専門店で中トロを買った。また妻の好きなホタテを買って殻を外してもらった。大きな生きているホタテであった。

  蟹を売っている店も何軒かあったが蟹は高いの買わなかった。サーモンとか大きな赤海老も買った。アワビは高くて買えないのでサザエを買った。

 今年はウニやホタテやマグロやサーモンなどが高値だそうだ。

  食べたことがない大仁田葱を売っていたので買い、その店でレンコンも買った。手打ちの年越しそばの店で買おうと思ったら丁度売り切れたところであった。

  その店の前に酒屋があり、甘酒を売っていた。毎年そこで甘酒を買って飲むことにしていた。「いつも買っているから少しおまけして」と言ったら大目に入れてくれた。それを聞いて飲んでいた女の人が「わたしにも」と言って貰っていた。今甘酒が流行しているが、買い物のあとの温かい甘酒は本当においしい。

  海鮮は新鮮なうちに食べなければならないので、その日の夜は正月以上の豪勢な海鮮料理となった。婿たちが楽しみにしているので年に一度の大ご馳走である。

 

 

Img_3760
                        テレビカメラ

Img_3761

                     赤貝を剥いてもらう
Img_3762

                      北海動産のウニの箱
Img_3764
                         甘酒の店

Img_3765

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017年12月30日 (土)

南京大虐殺に関する審判――⑥

(四)軍事法廷による審判結果とその影響

第二次世界大戦戦犯の国際裁判は、戦後の国際秩序を構築するための重要な根拠であり、又、現代の国際刑法の主要な根源である。1951年、日本政府がアメリカと締結した「サンフランシスコ条約」の第11条は、「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内および国外の他の同盟国戦争犯罪法廷の裁判を受諾する。」と明確に規定している。これは、又、戦後日本の民主改革の基礎となった。

南京裁判は正義を広め、戦争犯罪を攻撃し、平和を呼び掛けた。当時法廷は検挙と裁判のもろもろの段階で、社会各界の広範な参加を引き起こした。また、法廷裁判の部分証拠である「南京大虐殺事件」は、2015年10月にユネスコの「世界記録遺産」*に登録され、人類が平和を愛し、戦争を遠ざけるための歴史的な文化資源になった。

*筆者註、なんと今年12月13日、河野外相はパリでユネスコのアズレ局長と会談し、世界記憶遺産の選考方法について見直す必要があるとの認識で一致したという。14日の報道によると、≪南京事件や従軍慰安婦の問題をめぐる日本と中・韓、両国の論争などを念頭に、「世界の記憶」の選定をめぐっては、加盟国が政治的に対立する事態は避けるべきだと指摘、アズレ事務局長は、ユネスコが政治化を避けて本来の機能を取り戻すことが重要だと語った上で、制度改革を進める意向を示した。≫東京新聞。

南京裁判、東京裁判は正当で、裁判は大体において公正に行われた。だが、司法の独立上、完璧ではなく、政治の影響も受けた。たとえば、アメリカは自らの極東政策の必要性から、一部重要戦犯の戦争責任を緩めた。懲役を言い渡された一部の戦犯は減刑され、釈放され、政界へ戻り日本政府の要人になった人さえいる。天皇の戦争責任は訴追されず、細菌戦、化学戦の犯罪行為、慰安婦の加害犯罪は審判や清算されず、被害者は賠償されず、財閥の責任も追及されなかった。

南京裁判において、国民政府はアメリカの政策に追随し、内戦で忙しかったので、岡村寧次の裁判等の戦犯裁判に対し徹底されなかった。このことは、裁判であるべき効果に、一定程度影響した。

東京裁判は、国際法に対する総括及び発展で新たに「平和に対する罪」と「人道に対する罪」が加えられた。東京裁判は、個人の戦争責任追及を実現し、国際法の発展に大きく貢献した。

★南京裁判、東京裁判から70周年が経ち、この間、歴史を回顧し総括すると、「前事を忘れざるは、後事の師なり」ということである。新しい時代に、国家や民族の限定を超え、人類文明過程の高きに立ち、南京裁判、東京裁判を考えることは、歴史を正視し、未来へ向う正しい道程になる。以上、==南京全国連翻訳チームのテキストの主要部分を抜粋した。==

===③田中宏さん(80)が、山東省に任さんを訪ねてと題して報告した===

最初に、孟国祥さんのプレゼンに関連し、「南京大虐殺記念館」は1985年にオープンした。それを知ってか、どうかわからないが、その翌日に、中曽根首相は靖国神社を参拝し、アジア諸国から大きな反発があった。翌1986年、衆参両院選挙で自民党は304議席を獲得し大勝した。この年には、靖国神社には参拝せず、後藤田官房長官は、なぜ参拝しないのかと訊かれ、「講和条約の第11条に則り、戦犯を出しているから」と答えた。また、孟国祥さんの話にあるように、南京軍事法廷、東京裁判は、講和条約の第11条を認めている。記念館の名前は長く、鄧小平が揮毫したが、記念館のオープンの翌日に、靖国神社を中曽根首相が参拝したとは、両国のギャップはあまりに大きく、唖然とするばかりである。

私は30年前、戦後50年に、南京大虐殺の現場にいた日本兵とお詫びの旅に行った。復讐されるかと、恐る、恐る、出かけた。1987年、「東史郎日記」が出版され京都の展示会で公開された。ベトナム戦争のプラトーンに習い「我が南京プラトーン」と・・・・。しかし、ひとりの小隊長が名誉棄損であると提訴した。その背後に板倉・開高社と西本氏の資料集があり、歩兵20連隊の虐殺は虚偽であると鉄槌を下し、2006年最高裁で敗訴した。東日記の記述は間違いで、日本ではデタラメということになっている。

私は解きほぐされた戦争の記憶と「東史郎日記」との符号を長年調査してきた。山東省の元教師(1936年生)による日本兵士罪行の現場検証である「東史郎日記と私」は、任さんが持ち歩き、たくさんの村民が手にした日記であり、過去の歴史とどう向きあうか、加害者の立場で書いたただ一人であると思う。

任世金著、田中宏監訳、「東史郎日記と私」の本の紹介になったが、みなさん、とりわけ若者がこの本を読んで、残酷な戦争に対して切実な感覚を持つことができると思う。この東史郎日記に書かれていることが事実であり、不見識な名誉棄損という指弾を打ち消すだけでなく、日本社会に、「事実を見極める、事実を重視する」傾向を作って行くことになると思う。以上。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月29日 (金)

南京大虐殺事件に関する審判――⑤

==南京大虐殺事件の法廷尋問==

検察側の証人、証拠、駐華ドイツ大使が本国に送った秘密文書、アメリカ駐華大使が受けた報告、南京地裁調査報告、マギーの記録映像等から・・・日本政府は日本軍による犯罪行為を了解していた。たとえば、「安全区」は、ジョン・ラーベらが、日本大使館へ抗議した事例等・・・・

==松井石根の裁判==

1947年11月24日、法廷は松井石根の第一回目の審判を行う。弁護士は松井石根の無罪を弁護する12の証言を読み上げた。(内容省略)。松井の一部下である下級軍官は、B、C級戦犯処理について心配しており、肝心な点を避けて、その場逃れの証言をするか、極力否認した。(以下省略)

==南京大虐殺事件と松井石根の判決===

1948年3月29日、最後の法廷が終わり、11名の判事は判決文を起草した。多数派(米、英、加、NZ、比、中国、ソ連)と少数派(豪、仏、印、蘭)に分かれた。

東京裁判の判決の中で、日本軍の「南京大虐殺」に関する判決の要約は、①虐殺数、「日本軍の南京占領後の最初の6週間で、南京城内および付近地域で虐殺された平民と捕虜の総数は20万人を超える。・・・・・この数には、焼き払われた者、揚子江に投げ捨てられた者、および日本軍により他の方法で処理された死体を含まない。」、②南京城が焼き払われた規模「放火は数日後に行われ、まるで予定した計画通りに行われたように6週間の長きにわたって継続した。そのため、全市の三分の一の建築物は破壊された。」、③強姦された数「日本軍が占領した最初の一週間の間、市内で2万以上の強姦、輪姦事件が発生した。」

松井石根に対する判決分は、「彼は事件発生に責任ある軍隊を指揮していた。その上、彼はこれらの暴行について知っており、さらに権力もあり、軍隊を制御し、不幸な南京市民を保護する義務があった。彼は、彼の汚職行為について刑事責任を負う必要がある。」判決は、松井石根に死刑を処した。法廷が出した結論は、「日本政府は南京での犯罪について完全に了解している。」であった。

少数判事の判断や判決と、一部の日本人による「日本無罪」の論調は、完全に二つの違った概念だと言うことがわかる。彼らは明白に、間違いなく、日本の戦争犯罪を厳しく非難しており、日本支持とはほど遠い。少数派判事の反対判決が出たことは、東京裁判が一辺倒で、いい加減な「戦勝国による敗戦国に対する裁判」ではないということを、まぎれもなく説明している。インドとフィリッピン判事の参加により、東京裁判は、「勝利者による敗者に対する裁判」というよりも、「被害者による加害者に対する裁判』という側面がはるかに大きい。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月28日 (木)

南京大虐殺事件に関する審判――④

B.向井敏明、野田毅と田中軍吉に対する裁判(併合審理)

 向井敏明は山口県の出身、1937年、日本軍第16師団・砲兵小隊長。野田毅は鹿児島県出身、1937年、日本軍第16師団・富山大隊副官。公開され記録されている中で向井と野田は南京攻略戦前後において、「百人斬り」競争の暴行を実行した。

 田中軍吉は、東京人で1905年生まれ。陸軍士官学校を卒業。1937年8月、中国侵略日本軍に従軍して華北に侵入、この時、第6師団・中隊長。南京大虐殺の期間中、谷寿夫師団の大尉として、「名刀助広」(田中が愛用した軍刀)を携えて、三百人を超える民衆の首を斬った。1947年5月、中国に引き渡され、12月、南京法廷で公開裁判が行われた。

 「百人斬り」(東京日々新聞)の報道と写真をめぐり、向井と野田は、報道は嘘だ、記者が戦意高揚のためにしたこと等と弁解、・・・・・(内容省略)・・・・・法廷は最後に、向井敏明、野田毅、田中軍吉に対して、作戦期間中、共同し連続して俘虜及び非戦闘員の虐殺をおこない、よって死刑に処すとの判決を出した。谷寿夫、向井敏明、野田毅、田中軍吉等はB、C級戦犯として死刑判決が下され、前後して南京・雨花台で銃殺刑に処せられた。

(三)極東国際軍事法廷(東京裁判)による戦犯審理

==法廷による南京大虐殺事件の証拠集め==

 1946年1月19日、マッカーサーは連合国・最高委員会の決定に基づき、「極東国際軍事裁判所の特別宣言」及び、「同憲章」を東京で設置することを正式に公布した。2月18日、マッカーサーはウエッブを裁判長に、そして、中国、ソ連、米、英、仏、蘭、比、加、NZ、印を加えた11カ国、11名の裁判官およびキーナン総検察官とその他30名の検察官を任命した。

 東京裁判は1946年5月から1948年の審判終了まで、約2年7カ月の間、開かれ、818回開廷された。法廷記録は4.8万頁、出廷証人は419人、呈示証拠文書は4000件以上になる。判決書は1213頁、20万人の傍聴人を引き付け、ニュールンベルグ裁判をしのぎ、人類史上最大規模の国際裁判と言われた。

 ♦「南京大虐殺事件が極東国際軍事法廷の判例となる。」東京裁判の対象は主に、A級戦犯による「平和に対する罪」で、「通例の戦争犯罪」及び「人道に対する罪」も含まれる。・・・中略・・・

 ♦「法廷による証拠集め」、1946年3月、トーマス・モローらが中国へ向い調査を行い、5週間、総数31名の証人に会見「中国からの報告、平民への暴行」という調査報告を書いた。・・・中略・・・それ以外にも、1946年3月下旬、キーナンが中国人検察補佐官を伴い、証拠集めのため訪中、13名の国際検察官を同行、南京で実地調査をした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月27日 (水)

南京大虐殺事件に関する審判――③

(二)南京大虐殺事件の立件と帰結

==裁判の立件と準備作業==

抗日戦争が開始されてほどなく、国民政府及び民間機構は、早くも中国侵略日本軍の戦争犯罪に対する調査を始め、資料を蓄積してきた。~中略~

 「南京敵人罪行調査委」は、1945年11月7日に成立し、日本軍が南京にて犯した犯罪を調査した。委員会は、「敵人罪行種類調査票」、「証言可能な被害者氏名・住所表」、「男女別死傷者統計表」を作成し、同時に日本軍暴行の数多くの写真も集めた。調査数は2784件にのぼり、極東国際軍事法廷及び中国戦犯審判軍事法廷のために、大量の原資料と有力な証拠を提出した。

 戦犯処理委は、1946年12月25日に立件を決定した。戦犯総数83名の名簿を公表し、被告の氏名、階級、所属組織が確定した戦犯59名、そのうち師団長以上の戦犯は12名、下級部隊の指揮官47名である。

 関係する犯人逮捕の駆け引き、あるいは引き渡しが始まるにつれ、中国側は連合国司令部に引き渡しを要求したが、さまざまな原因、すなわち、①松井石根A級戦犯は引き渡せない、②皇族は起訴できず、③中島(今朝吾)、柳川(平助)等は既に死亡し・・・・引き渡されたのは、B級戦犯の谷寿夫、C級戦犯の田中軍吉、向井敏明、野田毅などで、公表された戦犯名簿から見れば、逮捕或いは引き渡されたのはやはり少数であった。

==法廷の審理と戦犯の弁明==

 南京法廷が審理した戦犯の主要人物は谷寿夫、向井敏明、野田毅と田中軍吉である。

A.谷寿夫(第6師団長、中将指揮官)の裁判(単独審理)

 谷寿夫は1882年生まれ。陸軍士官学校、陸軍大学卒業。1928年、済南事件に関与し中国外交官を虐殺。1937年8月、第6師団を率いて中国華北などに侵入、後に上海、南京に侵入。1946年2月、谷寿夫は連合国軍総司令部に逮捕され、巣鴨プリズンに入獄。1946年8月、中国に引き渡された。南京軍事法廷は、谷寿夫を「中国侵略の最重要戦犯」であると認定した。

 1946年10月から尋問(一カ月余りの間に6回)、谷寿夫は自己の罪行を弁解する陳述、軍事法廷は大量の調査と度重ね審問、1947年1月、法廷に弁明書を提出、「第6師団の行為は厳正であり、紀律違反の行為は決して存在しない」と主張した。

 法廷は、起訴状を受け付けた後、再び大量の証拠について調査を行った。法廷に出向き、聞き取りに応じる人多く、その数600余人に達した。同時に石・裁判長は兵器工場の後ろの山や五カ所で、大虐殺事件における被害者の遺骨埋葬地の実地調査を行った。

 1947年2月、公開裁判が三日間行われ、石・首席裁判官は谷寿夫の主要な罪行について一つひとつ証拠を挙げた。谷寿夫は、一貫してずる賢い論理を以って言い訳をし、責任転嫁を意図した。だが、法廷に出された明白な証拠を前にして、谷寿夫はまたもや、「激烈な戦闘中なので、住民の死傷は免れない」と弁解した。

 法廷は更に充分な証拠を明らかにするために、三回にわたり公開裁判を開いた。・・・・被害者である李秀英(前述①の証言にある)、目撃証人である鼓楼病院の程結証人、・・・・等、血まみれの写真、映像資料が出された。社会団体による調査記録も公表され、又法廷は第6師団の将兵が書いた日記を探し出して提示した。アメリカのマギー牧師のドキュメントフィルム、日本軍が自分の功労を見せびらかすために作った記録フィルム、NYタイムズのダーディン記者の目撃記、英国ガーディアンのティンパーラー特派員の編著・・・・、裁判前後5か月には、関係証拠4~5000件の多きに達し、証人は500余人になった。

 1947年3月10日、法廷は最終的に「谷寿夫は、作戦期間中、兵が捕虜及び非戦闘員を虐殺し、また強姦し、略奮し、財産を破壊するのを放任し、よって死刑に処す」との判決を言い渡した。谷寿夫は判決を不服として、二回にわたり控訴書を提出し、不服理由と再審を請求したが、国民政府主席の批判を受け、再審請求はすべて却下された。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月26日 (火)

南京大虐殺事件に関する講演――②

==国民政府戦犯処理委員会==

♦中国は、第二次世界大戦・アジアでの戦場における主要同盟国(ソ・米等)のひとつであり、日本の戦犯の処理問題を扱う。戦争犯罪審査委員会*は、中国で極東および太平洋分会を設立し、中国政府が議長を担うことを決定した。(*註、1944年5月16日、米・ソ・英、中華民国など26カ国。)

♦日本が投降したのち、蒋介石はラジオ放送で日本に対して「小さな悪に対しては水に流す」、≪不念旧悪≫という寛大な政策(註、徳を持って恨みに報いる。)を発表した。この精神のもとで、国民政府は日本人戦犯の審理の準備を開始した。

♦1945年12月6日、国民政府は戦犯処理委員会を設立した。♦1945年12月から、南京、上海、北平、漢口、瀋陽、徐州、済南、太源、台北など10カ所において、戦犯の軍事裁判法廷を設置した。

♦戦犯の摘発は1947年10月15日を以って停止。国民政府戦犯処理委が15回にわたって名前を列記した戦犯は1575名。実際に拘束した戦犯は1111名(戦犯リスト記載者82名、人民の摘発で軍事法廷が受理した戦犯1029名)。容疑者2104名。

♦国民政府が発布した戦犯の案件は2200余件。死刑が145人、有期刑が400余人で、残りは無罪で送還。1949年4月、国防部・軍事裁判は終了した。(註、1946年2月15日、南京戦犯裁判軍事法廷が成立し、7月に「国防部・戦犯裁判軍事法廷」と改称し、通称「中国陸軍司令部・裁判軍事法廷」として、B、C級戦犯の裁判を行った。)

==戦犯の決定と引き渡し==

♦南京軍事法廷が1946年2月15日に設立してから、1947年12月25日までに裁いた戦犯は102人、その中で死刑6人、無期10人、有期12人。

♦師団長以上の高級将校は15人で、銃殺刑になった谷寿夫、酒井隆(二人とも陸軍中将)、岡村寧次(中国派遣軍総司令官、註、後に無罪放免、1949年1月日本へ)等の15名である。

♦C級戦犯は、向井敏明、野田毅(註、この二人は≪100人斬り競争≫で1948年死刑)等、7名の下級兵士と2名の憲兵である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月25日 (月)

南京大虐殺事件に関する審判――①

演題  南京大虐殺事件に関する審判  (竹山克則氏編)

◎南京医科大学の教授である孟国祥さんは開口一番、今日12月13日は南京大虐殺がスタートした日であり、中華民族の屈辱と苦難、超弩級の大虐殺事件である。なんとしても戦争は避けないとダメだ。日本の歴史認識、1972年の国交正常化は日中の大きな基本認識であり、大前提だ、「南京裁判、東京裁判が南京大虐殺事件を審決し、日本は受け入れた」のだと述べた。

 日本国内で歴史を歪曲する雑音が、あちこちから聞こえてくるが・・・・中国は被害者として、確かに感情的になる側面もある。だが、中国は賠償を放棄したのに、日本政府は侵略行為も虐殺などの加害事実も認めない。歴史に対し両国の温度差は余りに大きい。日本の友人から、「虐殺の証拠を出せ」とよく言われるが、既に私たちは72件も証拠を出した、これ以上はもう無理だ。日本の友人に、南京にある「南京大虐殺記念館」に、ともかく行って、見て、感じて、考えて欲しいと答えている。

◎戦後、南京軍事法廷(南京裁判)、極東国際軍事法廷(東京裁判)に日本戦犯に対する裁判で、共に「南京大虐殺についての事実確認」が行われている。特に東京裁判の判決書には、専ら一章を設けて、南京大虐殺事件の認定を行っている。

 この二つの法廷での日本戦犯に対する審判から、南京大虐殺事件を四つに分けて基本事実を見てみる。即ち、

(一)戦犯審判法廷の設立(組織、法理)。

(二)南京大虐殺事件の立件と審理。

(三)極東国際軍事法廷による戦犯審理。

(四)軍事法廷による審判結果とその影響。

==戦後、連合国による戦犯処理の政策==

1942年1月13日、ドイツの侵略に遭ったヨーロッパ9カ国の亡命政府は、ロンドンで会議を開き、「戦時犯罪を懲罰することに関する宣言」に署名した。1943年10月、米英の提案によって連合国はロンドンにおいて「戦争犯罪委員会」設立を決定し、独、伊、日のファッショ戦争犯罪に対する調査活動を開始した。1944年5月、連合国は重慶にて「戦争犯罪調査委・極東太平洋特別委」を設立した。同年11月3日、ソ連、米国、英国の三国外相会議がモスクワにおいて「モスクワ宣言」を発表した。

1944年には、連合国戦犯審査委が成立し、「国際戦犯裁判所公約」と「連合国戦犯引き渡し公約」を制定、1945年7月26日には米、英、中の三国が「ポツダム宣言」を発表し、戦争犯罪者への懲罰に関し、明確に「我々は日本民族と国家の消滅を意図するものではないが、我が国の俘虜への虐待を含む戦犯に対しては厳正な法的制裁を行う」と表明した。

1945年9月2日、日本は降伏文書に署名し、併せて、ポツダム宣言にある条款を受け入れた。1946年1月19日、マッカーサーは連合国最高委の決定に基づき、東京において国際軍事法廷(東京裁判)を設置する「特別宣言」、および「極東国際軍事法廷憲章」を正式に宣布し、軍事法廷が成立した。

東京国際法廷以外にも中国の南京等の10都市、マニラ、シンガポール、ヤンゴン、ホーチミン、ベルリン等でも、日本戦犯を審理する法廷が設立された。

東京の戦犯軍事法廷ではA級戦犯を審理した。すなわち、憲章で規定するところの「平和を破壊する犯罪(平和に対する罪)」の戦犯である。その他の被害国では、B級戦犯(「通例の戦争犯罪」)、C級戦犯(「人道に対する罪」)を審理した。

 

東京の戦犯軍事法廷ではA級戦犯を審理した。すなわち、憲章で規定するところの「平和を破壊する犯罪(平和に対する罪)」の戦犯である。その他の被害国では、B級戦犯(「通例の戦争犯罪」)、C級戦犯(「人道に対する罪」)を審理した。

 

戦犯は主に、「ハバロフスク赤十字条約」などの国際公約、あるいは戦時法規への違反を指し、殺人、強姦、残酷な暴力、俘虜虐待、人身拘束などの非人道行為を行うか、それを支持した者である。

 

「犯罪責任は免除されない事項に関する規定」、戦犯は下記の事項であっても、犯罪規定は免除されない。国家機関の職務として関与した場合でも、それらの受命者であっても、実行は政治的な活動でも、国際法上は免除されない。そうでないと、これらの事項を口実に責任が逃されてしまう。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月24日 (日)

笑えないNHK連続テレビ小説「わろてんか」

 NHK朝の連続テレビ小説「わろてんか」を見ている。葵わかなの「てん」と松阪桃李の藤吉が寄席を開いて成功していく物語で、モデルは吉本興業を創業した吉本せいがモデルと言われる。

  モデルのいるドラマはおおむね面白いので期待をして観ているが、これまでのところは期待外れである。

  ストーリーの設定やキャストに分からないことが多い。勘当同様で結婚したてんと米問屋の藤吉は、店が倒産したので使われなくなった寄席の小屋を借りて藤吉は席主となる。

  この二人は一生懸命に寄席が繁盛するように努力する。芸人を寺ぎんという50人の芸人を抱える一癖も二癖もありそうな男から芸人を借りる。非常にえげつなく、てんたちは苦労をする。寺ぎんは150人を抱えるまでに成長する。

 実際にこういう男が大阪で幅をきかせていたのだろうか。この男の下に;てんの実家の薬問屋で修業した風太という幼馴染が入り込んで来る。どうして、どうやってそうなったのかがさっぱり分からない。

 月の井団吾という超人気の落語家が出て来るが、これが途方もない遊び人で、女をはべらせて酒を飲み、借金取りに追い回されている。その兄弟子の団真というのが師匠の娘お夕とてんたちのところに転がり込んでくる。落語の力はあるので何とか日の目を見させようとするのだが、何時の間にか消えてしまった。

 消えてしまったといえば、藤吉の母がてんたちが結婚して寄席が何とか動き出したら、アメリカに行ってしまった。

 リリコという藤吉を追いかけていた娘義太夫師も、義太夫をやめて藤吉の長屋に入り込んできて、てんたちの子どもの面倒をみたりする。これも分かりづらい。リリコは活動写真を作る高橋一生演じる伊能に見出されるが、女優になるのを嫌だといったりする。

 藤吉の仲間の後面の芸人や力持ち芸の男など4人も待遇改善の組合を作ったり、ドタバタするだけで面白さがない。

 「わろてんか」のモデルは女興行師だが、亭主は家業と家族に無関心の遊び人の道楽者で藤吉とは全く正反対である。そしててんは夫を裏で支える女性なのだ。

 吉本せいがモデルといっても、女興行師ということだけを取ってきて脚本家の100%創作なのだ。フィクションに真実性がなく、くるくるとシーンが変わり、ドタバタしているだけである。

 ネットには評論家が笑えないと書いていたがその通りで笑うところはどこにもない。何とか「笑わしてんか」と言いたい。

「わろてんか画像」の画像検索結果

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2017年12月23日 (土)

2017.12.13、「南京大虐殺80カ年」、2017年・証言を聞く東京集会レポ②

 日本兵が去ると、友人は外祖父を呼び、彼は全身血だらけの母を見て、娘がすでに死んでしまったのだと思い、大声で叫び、年配の友人と裏山へ行き、埋葬のための穴を掘りました。

 ところが、母は地下室から運び出される時、12月の凍てつく寒さの南京の風にあたると、口から泡をふき出し、まだ絶命していなかったのです。

 友人たちの助けを借り、祖父は母を南京・鼓楼医院へ連れて行き、アメリカ人外科医、ロバート・ウイルソンが母に応急手当てを施し、刺殺された腹部の胎児をとりだし、顔の傷を縫合し、両足の傷口に包帯を巻きました。

 その時、母の頭部は大きくむくみ、上唇は切れ、歯は抜け食べたり飲んだりすると鼻からすべて流れ出しました。 アメリカ人、ジョン・マギーは1937年12月22日の日記に、「鼓楼医院で、このような状況の人を見た。医師たちは彼女を救うため今治療を施している。」と書き、母が治療を受ける様子をカメラで記録しています。

 南京国際安全区国際委員会主席の*ジョン・ラーベ先生も母を見舞いに医院へ来ています。(*筆者註、映画、「ジョン・ラーベ」~南京のシンドラー~に描かれている当の本人。)

 母は鼓楼医院で70日間入院したあと、後鼓楼の難民区で半年過ごし、1938年末、父は南京大学の難民区で母を探し出しました。しかし、父は、若くて美しかった妻が、日本兵の残虐残行為で見る影もなく変わり果て、傷だらけになった様子を見て、再会できた喜び以上に、心の底から悲しみと憤りを覚えました。

 ジョン・マギー先生は自ら父に母を引き渡し、大勢の人が南京で虐殺された中、日本兵と命がけで格闘し、幸い生き延びた母を大切にするよう何度も父に言いました。

  1945年8月15日、日本は投降を宣言し、中国人民は抗日戦に勝利しました。1947年、南京軍事法廷が開かれ、南京大虐殺の主犯格である谷寿夫を公開の法廷で審理しました。母、李秀英は日本軍国主義が中国を侵略し、南京で30万人の同胞を虐殺した際の目撃者、被害者、生き証人として出廷し証言しました。  

 1955年、日本の「心に刻む会」の招きに応えて、同会が東京、大阪、仙台、盛岡、広島、長岡、新潟、松本、静岡などで開催した「アジア太平洋地区・戦争犠牲者追悼集会」において、南京大虐殺の史実を証言しました。

 南京大虐殺は中国人民、南京人民、そして、母と私たち家族のすべてに大きな傷を与えました。私は1942年に生まれた幸存者(生存者)の娘ですが、37か所もの刀傷を体に負い、顔も数カ所日本刀で切られた母が、身体や心に大きな傷を受け苦難に満ちながら気丈に生きてきたのを子どものころから見てきました。

  障害により母は労働能力を失い、死ぬまで働けませんでした。真相を知らない人たちは容貌の破壊に対し尋常でない視線を投げつけ、身体と精神が受けた傷は一生続きました。

 私の母は、強靭な精神を貫き、9人の子どもを育て上げただけでなく、自身が経験した血なまぐさい心に傷ついたあの歴史を何度も、各所で口述し、毎回自身の苦痛に満ちた記憶と、かさぶたになった傷痕をさらけ出し、南京大虐殺によって殺された同胞たちの無実を訴えました。彼女は幾度も平和集会の活動に参加し、歴史の常夜灯の明かりが消えないよう、歴史が渇望する世界平和を警告する大時計に響きを心に刻み、歴史を忘れず、戦争に反対し、平和を熱愛するよう人々に呼びかけました。

  2004年12月4日、母は病によりこの世を去りました。彼女は日本軍国主義を憎み、戦争を怖れ、37カ所の刀傷を負い、世界平和を待ち望みながら、私たちの前からいなくなりました。

  南京大虐殺の幸存者である李秀英が、日本の右翼作家・松村俊夫及び出版社の展転社発行人・相澤宏明を名誉棄損で訴えた案件で、日本の最高裁において、2005年1月20日、勝利判決が確定しました。母はこの日を待つことなく、亡くなりましたが、南京大虐殺の歴史的目撃者として、戦争に反対し、平和を熱愛し、人類の平和のために奮闘した姿を、私たちは忘れません。

 日本軍の中にも正直な日本人もおり、母は度々訪日し、自らの体験を語ることになり・・・・しかし、2004年に母は亡くなり、その思いを私が語り伝えています。

 日本政府は、(南京大虐殺を犯したことに)「一つだけの謝罪」ができず、母は死ぬ前に謝罪を聞くことなく逝ったのです。今日は限られた時間でしたが、以上が母の真実であり、それぞれに確たる証拠があるのです。以上。

★会場から質問があり。

QA1、虐殺人数に、両国で大きな差があるが?何度にもわたり地下室から連れ出し、その時々の統計もなし、また行方不明者もいる、正確な人数は分からないのです。

QA2、母親の体験を語られ、心に残ることは?母は仕事する能力を失い、父が一人で、政府の援助とで、9人の子どもを養った。1997年にも母が訪日、私は同道し講演に参加した。「歴史は簡単に変えられない」、史実を認め、過ちを改め、将来の道を拓く・・・・1938年から80年の歳月が流れ、いま母が生きていれば98歳。心理的な被害は抹殺できない。平和こそ、唯一の道だと思います。

 ==以上が陸玲さんの証言の内容==

★会場には、重慶、成都・楽山などから来日中の重慶大爆撃原告団(民間被害者の団体)・支援者ら30余名が出席、14日の東京高裁判決を控え、原告団の団長が簡単に挨拶した。私は重くて暗い気持ちで、この南京大虐殺証言集会に参加した。被害者に捧げる言葉がない。重慶大爆撃は明日が判決日、公正な判決を願っている。日本政府は被害を認め謝罪をせよ、できるだけ賠償もカネだけでなく、被害(加害)を認めることだ。註、「重慶大爆撃の被害者と連帯する会・東京」代表は、軍事ジャーナリストの前田哲男氏、「重慶大爆撃訴訟弁護団」の団長は田代博之弁護士。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月22日 (金)

2017.12.13、「南京大虐殺80カ年」、2017年・証言を聞く東京集会レポ①

 以下のレポートは、 集会に参加された竹山克則氏が纏められた労作である。友人が送ってくれたもので是非紹介したいと思い取り上げた。

 南京大虐殺の博物館へは、30年ぐらい前に初めて弟や子どもたち中国旅行をしたときに、どうしても見たいと思って訪れた。忘れられないのは私たちが日本人だと分かると周りの中国人たちの目が非常に冷たかったことである。

 日本軍の南京大虐殺などの暴虐といい、ナチのホロコストといい、アメリカの原爆や無差別爆撃といい、戦争の度に繰り返される大悲劇は今もシリア、イラク、アフリカ等で繰り返し起こっている。

 私たちは歴史をきちんと認識し、それを記憶に留めなければならない。その意味でもこの証言を読む機会があったことは有難いことであった。

★「南京大虐殺」とは・・・・・・1937年7月、中国・北京郊外で起きた盧溝橋事件をきっかけに、日本軍は中国との全面戦争を始めた。翌8月には上海で大規模な戦闘に発展(第二次上海事変)。日本軍は兵力を増派し、上海から首都・南京に急進撃し、12月13日に南京を占領した。日本軍は南京への追撃戦や、南京陥落後の掃討戦で、中国軍捕虜や非戦闘員を組織的に殺害し、住民から食料を略奮した。民家を放火、女性への性暴力も多発した。日本軍による組織的犯罪である。

★12月13日は南京大虐殺から80カ年、証言を聞く東京集会が、水道橋の全水道会館で18時半から開かれた。大会議室は中国から来た人たちも加わり、開場時間前から参加者で溢れた。主催は、「ノーモア南京の会」(代表、田中宏氏)。

★プログラムは、①陸玲(ルーリン)さんが、母親の李秀英が南京大虐殺中に受けた被害について証言、②孟国祥(モングォシャン)さんが、南京大虐殺事件に関する審判について講演、③田中宏さんが、山東省に任さんを訪ねての報告があった。南京出身という朱さんが通訳した要点を、ここに書き取った。

★司会は「ノーモア南京の会」の山田さん、「陸玲さんは12月8日に来日し、大阪、名古屋、静岡の集会で証言し、今日12月13日は南京大虐殺80カ年、東京証言集会に参加した」と簡単に紹介した。人民日報などの中国メディアも取材に来ており、場内での写真撮影、録音は許可のある人だけに限定された。

①===陸玲(ルーリン)さんが、「80年前の骨にまで刻まれた屈辱の歴史を決して忘れない」、母親の李秀英が南京大虐殺中に受けた被害について証言した===

◎私は陸玲と言い、南京大虐殺幸存者の次女です。私の外祖父は山東省の出身、子どものころから武術を学び、大人になると運送会社で用心棒をし、後に南京の警察署で働きました。母の李秀英は1919年2月南京生まれ。外祖母は進歩的な女性で、外国製品をボイコットし、民族工業を保護する学生運動を支持していました。このことは幼い母へ大きな影響を与えました。母が13歳の時外祖母は亡くなり、その時から母は弟や妹の世話や家事の負担を背負いました。

 父の陸浩然は1911年天津市生まれ。16歳の時、友人とともに南京へ丁稚に行き、学校に通い、卒業後は上海の政府機関で電報の送受信係に配属されました。1936年10月、17歳の母親は知人の紹介で父と知り合い、1937年3月に結婚しました。上海に住み、第二次上海事変のあと南京に戻り、外祖父の家に身を寄せました。11月に父は118師団とともに武漢に移転する際、南京を経由し母を連れていこうとしましたが、母はその時、身ごもっており、行けなかったので、おじの李振声を連れていくことにし、母のことは外祖父に保護を頼みました。

 1937年11月、南京で国際安全区が、そして、12月1日に国際赤十字会南京支部が設立され、外祖父と母は、安全区内の南京・五台山付近のアメリカ人が経営する学校の地下室(現在の五台山幼稚園)に身を隠すよう割り振られました。地下室は、男性用と女性用に分かれていたのです。

 1937年12月13日、日本軍は南京を侵略し占拠しました。南京陥落後、武器を持たない住民は残忍非道で狂気じみた日本軍による血なまぐさい大虐殺の餌食になり、国際赤十字会の保護を受けていた国際安全区内の住民も、この難から逃れられませんでした。

 12月18日、日本軍の一団は、母が隠れていた地下室の男性部屋に押し入り、たくさんの青年男性を無理やり連れ去り、隠れていた難民の夫や息子たちが連れ去られパニックになりました。

 12月19日午前、日本軍の一団が今度は地下室の女性部屋に押し入り、彼らは母を含む若い女性を無理やり連れ出し、車に乗せようとしました。その様子を見ていた母は、日本軍に連れ去られると強姦されるか、殺されると思い、自身の純潔を守るため死んでも屈しない覚悟で、頭を壁にぶつけ気絶してしまいました。日本軍は床に倒れた母を蹴り飛ばしましたが、母が身ごもっているのを見て、他の若い女性を連れ去ったのです。

 友人たちが、気を失った母を抱えて地下室に連れ戻し、唯一あった荷物用の台の上に寝かせましたが、夕方に三人の日本兵がまた地下室の女性部屋に押し入り、日本刀を捧げた士官と銃剣を持った二人の兵士は30歳くらいの女性を引っ張り出しました。

 士官は台の上で寝ている母を見つけ、他の人を追い出し、”娘さん“と声をかけ、母の服のボタンをはずし強姦しようとしました。驚いて目が覚めた母は、日本刀の柄がすぐ近くにあるのを見て、無造作にそれを引き抜き日本兵に命懸けで挑みました。日本刀を引き抜かれたことを知った士官は驚愕し、すぐに両手で刀を持った母の手をつかみ、大声で叫び、その弾みで母は起き上がり、もう片方の手で士官の襟をつかみ、壁の隅へ引っ張り取っ組み合いになりました。

 叫び声を聞いた二人の兵士は捕まえていた女性を離し、銃剣を抱えて母に突進、それを見た母は、士官の体を盾にしようと胸の前に持って行きましたが、突進してきた二人の兵士は左から一人、右から一人、母の足や顔を突き刺し殺そうとしました。左右の足を何十回も刺され、鼻と口は刺されて裂け、右目の下も刺されてめくれ、目がほとんど見えなくなりました。

 母は口の中の鮮血を日本兵に噴きつけ、命懸けで抵抗を続けたのです。ひとりで三人の日本兵相手に奮闘しましたが、出血多量で体力が続かず、士官を捕まえていた手の力がなくなり、動かなくなりました。日本兵は母のおなかを目がけて、ひと突きし、母はすぐに血だまりの上に倒れ瀕死の状態になりました。おなかの中にいた6カ月半を過ぎていた母の一人目の胎児は刺殺されました。

 三人のフル武装の日本兵は、国際赤十字安全保護区の地下室に押し入り、まだ19歳の6カ月の子を身ごもった武器を持たない女性を強姦しようとしましたが、思いがけず母の命がけの抵抗にあいました。友人たちは体中傷だらけで血まみれの母を見て、非常に敬服し、また非常に同情し嘆きました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月21日 (木)

高血圧は塩分摂り過ぎではない?

 この秋から若干血圧が高い状態となり、医者に行ったら降圧剤を処方された。そして「塩分を控えめにして下さい」と言われた。行くたびに判で押したように同じことを言われる。

 ネットでNIFTYニュースを見ていたら「高血圧の『真犯人』は塩分でなく脂肪説 最新理論により日本の高血圧治療が一変も」という記事を見つけた。

 「血圧をが上がるのは塩分による可能性が高い」というのは以前からの研究がもとになっているという。ところが実際には減塩をしても血圧が下がらない人もいるし、逆に上がる人もいるのは説明がつかないという。

 このことをかかりつけの医者に言ったら、その医者は塩分の摂り過ぎがいけないというのは、ずっと昔からの研究でわかっていることだと言った。循環器の専門医だが塩分説を疑っていないのだ。

 私がこれまでに読んだ健康の本や血圧の本では、塩分は関係ないとか、塩分は必要ということを書いてあった。だから塩からいほどの味付けはしないがほどほどに控えてはいる。

 ところで先の記事だが、塩分が高血圧をもたらす「真犯人」であるかどうかは、医療関係者の間でいまだ議論が続いている重大なテーマだと書いている。いまだに解決していない問題だというのか。

 そして今、新たな理論が注目を集めている。、「高血圧と塩に直接の関係はありません」と明言するのが、『脳梗塞・心筋梗塞は予知できる』の著者で、循環器に詳しい真島消化器クリニック院長の真島康雄医師だという。

 彼は、「高血圧をもたらすのは塩分ではなく、血管に溜まったプラークです。プラークとは脂肪の塊のことで、日本語では『粥腫(じゅくしゅ)』と呼ばれ、その名の通りお粥のようにドロドロしています。これが溜まって血管の内側が狭くなるから、そこを流れる血液の圧力が高まる。実にシンプルな理屈です。塩分よりも、脂肪分や糖分を口にしないことで、血管中にプラークを作らないほうが重要です」と述べていると紹介している。

 「高血圧の原因は塩分ではなく、脂肪である」というテーマについて世界中で研究が行われているそうだ。そして次の研究を紹介している。

 ――日本人男性4001人を追跡した国立健康・栄養研究所の調査では、4年間で662人が高血圧になったとの結果が出た。その原因を調べたところ、BMI(※注/体重〈キログラム÷身長〈メートル〉÷身長〈メートル〉)の数値が22(普通体重)以上の患者は、18.5(やせぎみ)未満に比べて高血圧を発症するリスクは2倍になり、27(肥満ぎみ)以上では3倍近くになった。

 また、4年間で体重が2キロ以上増加した人は、体重変化が2キロ以内の人と比べて、高血圧になるリスクが約1.2倍増加した。――

 BMI22というのはかなり低いと思うのだがどうだろう。ちなみに私は23.5ぐらいだ。だから血圧もちょっと高いのだろうか。

 この記事の出所は先週の週刊ポストの記事である。

 

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017年12月20日 (水)

寒さにちぢんでも頑張っている日日草

 前に日日草について書いたことがあった。初夏の早朝ウオーキングの帰途、ある家の門前に「どうぞ自由にお持ち帰りください」と書いて数鉢の日日草の苗が置いてあった。その一つを貰って来て育てて来たのであった。

 その家の日日草は10月の終わりごろ取り払われて、ルピナスが置かれていた。日日草が終わったのかどうかは定かではない。

 我が家の日日草はその頃はまだ元気であった。そして健気にもその名の通りつぼみが現れては花をつけていた。

 ところが最近になって、花は咲くが花びらがちぢんで哀れな姿になった。つぼみはまだ出て来るし花も咲くのだが、小さくちぢんでしまっているのだ。おそらくこのところの寒さのせいではないかと思っている。

 日日草はその名の通り毎日花をつけていて、もらって来てから花が減ったことはない。可愛らしくて健気な花である。

 いったいいつまでつぼみができ、花が咲くのか、とにかく見守って行こうと思っている。外にお置かないで部屋にいれれば、花もちぢまずに済むのかも知れない。何しろ初めて育てたのでその辺のことはサッパリわからないのだ。

   貰い来し 日日草の健気なり  

   寒さにめげず 今も咲きおり

Img_3599

                      10月頃の日日草
Img_3745
                        今の日日草

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月19日 (火)

「『毛細血管』は増やすが勝ち」という本を買った

 書店で病気や健康の書棚を見ていて「『毛細血管』は増やすが勝ち」という本を見つけた。ハーバード大学とパリ大学教授の根来秀行という人が著したものだ。

 毛細血管についての授業という形式で書かれている。項目立てがたくさんあって読みやすい。

 前書きに当たる「授業のはじめに」にはこんなことが書いてある。書き出しは「目覚ましい進歩を遂げる現代医学の最前線に身を置きながら、僕がつくづく思うのは、どれだけ医療が進んでも、「人間の体がいちばんスゴイ!」ということです。当たり前のように使っている体の機能は、どんなコンピューターよりも複雑で精緻で、じつによくできていると感嘆するのです」

 今NHKでAIについて毎週レクチャーしている「人間てなんだ?」という番組がある。AIが人間の機能を多く備えて、中には将棋や囲碁のように人間を超えたものも出てきた。AIを使って自動運転をしたり、料理を作ったり、介護をしたり・・・・と可能な分野を広げている。

 しかし、AIが進化しても現時点では人間の方が精緻で優れているのは間違いないであろう。

 その人間の体の中でも優れているのが「毛細血管」だというのだ。そこには「生きるために必要なことがすべて詰まっている」というのだ。

 この本の最初のページには真っ赤かな人体図が載っている。いぜん「ガッテン」でも毛細血管の人体模型を見たことがあるが、本当に見事に張り巡らされている。

 動脈、静脈、毛細血管の中で、毛細血管が占める割合は「99%」だそうだ。どうしてそうなのか。生命活動にかかわる大きな役目を与えられているからなのだ。

 生命活動の核心は、食べたものが胃や腸で消化・吸収されて、排泄されるぐらいは誰でも想像するが、その後どのように身体をめぐり、どのように組織に届けられ、体にどう影響し、血となり肉となるのかということだという。それを担うのが毛細血管なのだ。

 さらに、「毛細血管は病原菌などの外的から体を守ってくれる免疫の闘いの場、「病気になる・ならないの最前線」だというのだ。

 血液が酸素を運び、二酸化炭素を体外に排出したり、老廃物を汗や尿などとして排出することは学校で勉強した。けれども毛細血管については存在を知っただけである。

 毛細血管について基礎知識から始めて、知らないその大事な働きを教えてくれるというのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月18日 (月)

血糖値急上昇抑制の食べ順

 ダイヤモンド・オンラインに食後の血糖値の急上昇を抑える食事の仕方という記事があった。これまで「野菜から食べる」のがよいと言われ、英語でも「Vegitable First」と呼ばれて、米国などでも推奨され、実践している人が多い。

  私もNHKの「ためしてガッテン」や本で見るなどして食事は野菜からを実践している。私の知人でも野菜を先ず食べる人が多い。

 私は糖尿病ではないが、糖尿病の人や予備軍の人は食事のあとに生じる血糖値の急上昇を抑えるため「野菜第一」の食べ方が推奨されてきた。

 それに対してこの記事は、野菜さえ先に食べれば後はどう食べてもよいというのはまちがいだというのだ。大事なことは、「糖質を最後に食べる」のがポイントだというのだ。

 糖質は炭水化物や糖類などで、ごはん、うどん。パンなどや芋類、ハンペンやちくわのようなものにも多い。果物や菓子類もそうだ。

 糖質を最後にするとよいということについてこの記事を書いた井手ゆきえさんは米国のウェイル・コーネル大学の医学研究者たちの研究を紹介している。それは次のようなものである。

 ――2型糖尿病患者16人(男性7人、女性9人)を対象に、食べる順番が血糖値に与える影響を調査。被験者の平均年齢は57.7歳、BMI(体格指数)は平均32.8と立派な肥満体形である。血糖値は糖尿病と診断される範囲だった。

 参加者は隔週で、

 (1)カーボ・ファースト(最初の10分でパンとオレンジジュースを食べ、10分休憩後、残り10分で鶏胸肉のグリルとレタス、トマト、キュウリのサラダを食べる)。

 (2)カーボ・ラスト(最初の10分で鶏胸肉のグリルとサラダを食べ、10分休憩後、残り10分でパンとジュースを食べる)。

 (3)サンドイッチ(同じ材料でチキンサラダのサンドイッチを作り、最初の10分でサンドイッチの半分とジュースを食べ、10分休憩後、残りを食べる)という3パターンにトライ。それぞれ食前と食後3時間まで30分ごとに採血し、血糖値と血糖を下げるインスリンの分泌量が比較された。

 その結果、(2)のカーボ・ラストでは食後の急激な血糖値スパイクはなく、ゆるゆるまったり血糖値が上昇。インスリンの分泌量も有意に抑えられていた。――

 野菜を先に食べるのは間違いではないが、最後にご飯など糖質のものを食べるようにするのが大事だということを改めて指摘した記事であった。「ためしてガッテン」などでも、野菜を食べ、タンパク質を食べ、最後に糖質のものを食べることを推奨していた。

 野菜を食べたら後はご飯でもよいという勘違いを指摘したものである。私はというと、酒を飲むので野菜、魚などを充てにして、最後にご飯を食べている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月17日 (日)

生涯で一番多く柿を食べた秋

 我が家は果物が大好きで朝晩食べている。秋は9月になると柿が出始める。最初にスーパーに並ぶのは、何時の頃からか「刀根柿」という種類で、渋柿の渋を抜いたものである。甘くて食べやすい柿で、主産地は和歌山県と奈良県のようだ。

  次に出回るのが「筆柿」で愛知県の豊橋と蒲郡の間辺りが主産地のようだ。墨を含んだ筆のような形なので筆柿というのだろう。小さくて種が多い。「柿の種」という菓子がある。かきの形が柿の種に似ているが筆柿の種とそっくりである。

  この柿は種が多いのであまり好きではなかったが、この秋はたくさん食べた。皮を剥かないで食べられることを知ったからだ。

  その次に出て来るのが「次郎柿」である。大きくて「富有柿」とよく似ている。浜松の辺りでよく獲れるようだ。今年は次郎柿はほとんど食べないうちに「富有柿」になった。

  この近辺では岐阜県の本巣、糸貫辺りが有名である。30年ぐらい前頃に毎年柿を買うためにわざわざ岐阜県の谷汲山近くまで通ったことがある。途中で本巣、糸貫を通ると道路の両側は柿畑であった。

 富有柿が出回るのは11月上旬ごろからで、その頃には「富士山」という大きな渋柿が出て来る。私はこの柿も大好きで、谷汲山へ行ったら必ず買って帰り、12月の中旬ぐらいまで自然に熟させて食べた。最近はスーパーで熟したのを売るようになった。

 この秋は柿が豊作であったのか、富有柿を毎週箱で買った。意外に長持ちすることが分かったからだ。

 柿は堅いのがよいという人もいるが、富有柿は熟して柔らかくなっても甘みが増して美味しく食べられる。どちらかというと柔らかくなった方が好きである。それもあって箱で買うのだ。

 今日も、もうボツボツ富有柿が終わるだろうと思って、行きつけの食品スーパー「八百鮮」へ行ったら、まだあったので1箱買って来た。多分今シーズン最後のものとなるだろう。試しに食べてみたらまだ堅かった。最近は果物の保存法が進んだからだと思う。

 ヨーロッパでは「りんごが赤くなると医者が困る」と言うらしいが、日本では「柿が赤くなると医者が困る」と言う。ビタミンやカロチンやポリフェノールを含む柿はよい薬でもある。

 私の子どもの頃は、柿を剥いた皮を捨てずに筵の上で乾かして、漬物に入れるなどして利用していた。砂糖がない時代には柿の甘さは格別であっただろうと想像する。

Img_3724

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月16日 (土)

血も涙もない生活保護費引き下げ

 15日の朝日新聞によると、厚生労働省は14日、生活保護費のうち食費や光熱費などの生活費にあたる「生活扶助費」を来年度から引き下げる方針を決めた。厚労省原案では減額は最大で10%を超す場合もあるという。

 生活扶助費の支給水準は5年に一度見直されており、この日の社会保障審議会の部会が大筋で合意した。

 前回の見直しでは平均6.5%減額されており、物価の大幅な上昇は無かったものの、この1年余りの野菜や魚類など食費の値上がりが相当の打撃を与えていることは間違いない。

 この秋以後天候の不順があって野菜の値上がりはすざまじく、以前は100円で安定していたものも2倍以上になっている。また魚もサンマ、イカ、サケ、イワシなど大衆魚やマグロのような高級魚まで不漁による値上がりが激しい。

 私のような低年金暮らしの者は、スーパーに行くたびにため息が出て、買うのをためらっている。 生活保護を受けている人たちはそれこそ何にも買えないのではないかと推察する。

 前回の6%減額の上にさらに10%減額するということは、単純に計算すると以前10万円貰っていた人は9万4000円になり、今度は84600円ということになる。物価が上昇しているのに1万5400円も少なくなるのではたまったものではないだろう。

 生活保護に頼っているのは、シングルマザーや単身高齢者や働きたくても病気などで働けない人々などである。中には不正受給している不届き者もいるが、大半は好き好んで生活保護を受けている訳ではない。

 そうした人たちの生活を守って行くのが政治の役目である。憲法第25条に書いてある最低限度の文化的生活が保障されなければならない。

 しかし安倍政権は公明党とぐるになって貧しい者に厳しい。いわば政治ハラスメントである。一方彼らは大企業にはとんでもない減税を行い、さらに減税をしようとしている。金持ちに対しても増税をしないばかりか、彼らが株や不動産などで儲かる政策をとっている。

 貧困者は自民党には票にならないし、得にならないから痛みつけようとするのであろう。

 また、生活保護費を「水準均衡方式」によって算出することを、厚労省は「あくまで科学的、客観的だ」というが、この方式については以前から問題点が指摘されているという。委員の中からも「30年前に導入された水準均衡方式そのものが限界に来ている。最低限の生活水準を守れなくなるのでは」という指摘がでたそうだ。

 低成長で格差が広がって行くばかりの今、低所得世帯の支出が減れば生活扶助費が際限なく切り下げられていくのだ。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月15日 (金)

米軍普天間飛行場は即時移転すべき

 12月13日に沖縄県宜野湾市普天間第2小学校の校庭に米軍ヘリコプターCH53Eの窓が落下したのは衝撃的である。校庭では4年生と2年生50人ほどの児童が体育の授業中で児童たちの13メートル先に落下したというのだ。

  窓の重さは約7.7kgだという。これがもし児童たちが集合しているところに落ちたら大変な惨事になっただろう。一人の児童にはねた小石か何かが当たったそうだ。大したことでなくてほっとしたが、問題は惨事にならなかったからよかったでは済まされない。

  普天間第二小学校は飛行場とフェンス一つで隣接しているという。この小学校では米軍機の爆音で授業が妨げられることが度々あるという。天声人語には「先生の声が聞こえなくなる。ぼくは『もうどうでもいいや。』と、えんぴつをなげた」という5年生の作文を紹介していた。

  ある6年生は、「もし、私たちの学校に、飛行機が墜落したらどうなるのでしょうか」と書いているという。今度の事件はその危惧を現実的なものにするものであった。

  米軍や日本政府はそんな事故が起きるはずがないと高を括って何十年間も普天間飛行場を存在させてきたのだろうか。

  福島第一原発事故では原発安全神話の下に原発が動いてきたがあの大地震と津波でその神話が崩れ去った。事故が起きてからでは遅いのだ。

  オスプレイが海岸に落ちたり、その後もヘリが民家近くで炎上している。7日には近くの保育園に部品が落下している。

  沖縄県は、県内の米軍機全機の飛行を中止するよう日本政府に求めたという。日本政府は、米側に再発防止を求め、同型機の安全が確認されるまでの飛行自粛を申し入れたそうだが、何とも手ぬるい対応である。

  普天間飛行場から米軍をグアムなどに即刻移動するように求めるべきである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月14日 (木)

M1グランプリを観たがついていけない今の漫才

 M1グランプリを録画しておいて観た。4300組ほどのエントリーがあって、9組が選ばれ、さらに敗者復活戦から1組が加わって10組で準決勝戦をして、3組が決勝に勝ち残るというやり方であった。

今年は和牛、ミキ、トロサーモンの3組が残って結果はトロサーモンが4票、和牛が3票を獲得し1000万円とハワイ旅行を手にしたのはトロサーモンであった。1000万円もさることながらこれで箔が付き仕事が増えるだろうからそちらの方が有難いであろう。

  M1グランプリは毎年観ている。今年はこれまでで一番面白いと審査員が評していたが、最近の漫才はどこが面白いのか私にはさっぱり分からない。

 最終組に残った上記の3組をもう一度観てみたが、やはり面白いとは思はなかった。その後で「お笑い演芸場」の大木こだま・ひびきの昔からやっているネタの漫才を観たが、いわゆるしゃべくり漫才というやつで言葉で笑いをとっていて面白かった。

  私はエンタツ・アチャコの漫才からずっと漫才を観ているが、昔の漫才は話芸がよくて面白く見られた。関西の漫才も東京の漫才も面白かった。

  東京では、青空千夜、一夜、青空球児・好児、春日三球、照代、コロンビアトップ・ライト、獅子てんや・わんや、人生幸朗、生恵、Wけんじ、B&B,星セント・ルイス、内海桂子・好江、松鶴家千代若・千代菊、爆笑問題、あした順子・ひろし・・・・。

  上方では、エンタツ・アチャコ、ミスワカな・島ひろし、ミヤコ蝶々・南都雄二、秋田Aスケ・Bスケ、オール巨人・阪神、おぼん・こぼん、かしまし娘、太平サブロー、シロー、中田ダイマル・ラケット、夢路いとし・こいし、都蝶々、横山やすし、西川きよし、宮川大助・花子、・・・・。

 漫才は言葉を使って二人の掛け合いで笑いを誘う芸である。昔の漫才には洒落とかダジャレとかオチとか言葉による面白さがあった。ところが昨今の漫才は奇をてらったり、 大げさな動作などで笑いをとろうとしている。

 その上しゃべるテンポが非常に速い。だから録画をして聞いても聞き取れないことがよくある。会場でライブで聞いている人たちは面白いのが伝わるのか、笑い声が聞こえる。でも、テレビで観ると全然面白さが伝わってこないのだ。今の漫才はテレビには向いていないのかも知れない。

 その点落語はテレビで観る話芸である。ラジオで聴いても面白いものもあるが、仕草が見られないのでテレビで観るべきである。

 漫才はこの辺りでもう一度原点に帰って、二人の掛け合いによる言葉の芸を磨いてほしいものだ。落語は古典として保存され継承されているが、漫才にはそうしたものはなく、消えていく芸である。それが常に新しいものを追求しなければならない宿命なのだろうが、話芸として聞くに堪えるものを創りだしてほしい。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月13日 (水)

核兵器は「必要悪ではなく絶対悪」に同感!!

 ノールウェイのオスロで10日にあったノーベル平和賞受賞の講演で被爆者のサーロー節子さんが迫る核兵器の危機と廃絶を訴えた。

  サーローさんは自分が被爆した時に見た原爆投下後の惨状を克明に描写し、核兵器は「必要悪」ではなく、絶対悪」だと言い切った。私も全く同感である。核兵器は人類が作り出した最悪の悪魔の兵器である。

  以前冷戦時代にソ連と米国が二大核保有国として対立していたとき、核戦争の時計が作られた。最近はどうしたのかこの時計が何時になっているのか報じられない。

  核保有国がインド、パキスタン、フランス、中国、北朝鮮、英国など8か国もある。核兵器は15000発あると言われる。そんな中北朝鮮と米国は互いに核使用をほのめかし対立している。時計の針は1~2分前かもしれない。

  核兵器禁止条約が今年7月7日に122か国の賛成で採択されたが、核保有国や日本、カナダ、ドイツなどは参加していないので実効性がない。米、英、仏などの核保有国はノーベル平和賞授賞式に参加しなかったし、平和賞を決めたノールウェイのソルベルグ首相は「核兵器のない世界をどう達成するかにはICANとは意見の相違がある」と述べた。ノールウェイも核の傘の下にあるからだ。

 核兵器廃絶は被爆者だけでなく、人類の、いや地球上のあらゆる生命体の悲願で鳴ければならない。それなのに今なお核兵器に拘り核実験を繰り返している。

 福島第一原発事故でもその後の処理ができていない。原爆となればヒロシマ・ナガサキ程度では済まないだろう。被爆者のサーロー節子さんの演説は何度も大きな拍手で共感されたという。

 核兵器は廃絶されなければならないのだ。人類だけでなく地球が長く生き残るために、悪魔の兵器や原発をなくす方向に行くことが我々人類の為すべきことである。しかも急がねばならないことである。

 核兵器禁止条約が採択されたことが「ひと筋の光」であるとサーロー節子さんは訴えた。まだ隙間に見える灯りであろうが、この灯りを少しずつでも広げていかなければならないのだ。

「きのこ雲 原爆」の画像検索結果

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月12日 (火)

体験学習「手品で学ぶ日本語」

 愛知国際ブラザで日本語教室のボランティアをしている。今年の1学期の研修で体験学習について学んだ。そのとき我々のグループは「手品で学ぶ日本語」という学習プランを作った。

 12月9日に、2学期を終えるの当たって、学習者全員を対象にしてこのプランを実践することになった。

 私が授業の前半を担当し、Kさんが学習補助教材を作成し、Sさんが振り返り部分を担当してやることになった。他のボランティアは学習者の援助に当たった。

 体験の教材は、簡単だが不思議な輪ゴムを使った手品を用意した。100円ショップでカラー輪ゴムを買った。

 実施に当たって、私たちはこの学習を通じてどんな日本語をどの場面で教えるのかという具体的なプランを作った。

 メインにしたのは身体の手に関係のある言葉であった。親指など5本の指の名前や手の甲とか手のひらなどの言葉だ。身近にある手と指だが意外にこれに関した言葉は知らないものだ。予想通りほとんど全員が知らなかった。

 輪ゴムとか指にかけるとか、指を伸ばすとか。移動するとか、輪ゴムを引っ張るとか、動作に関する言葉も体験を通して学べるようにした。

 最初に私がその手品を見せ、ついでやり方を教えた。学習者のレベルはビギナーからM2に近い人たちであった。日本語で説明をするのだが、できるだけ優しい言葉や言い回しを使うようにした。具体的に見せながら関連する言葉をおぼえるようにした。

 授業をしている間、私は絶えず学習者の反応を確かめながら進めた。どの学習者も非常に興味津々で学習していることが分かった。サバイバルの人もいたがボランティアが援助して誰もが分かるように進めた。

 授業は手品の基本部分と応用部分ふたつの3部に分けてやった。手品というものはタネを知ってしまうとナーンだというものになってしまう。この手品を3部に分けることによって不思議さがだんだん広がって行くように組んだのである。

 私の指導のあとSさんが振り返りの授業をして、本時の授業で分かったこと、知ったこと、学んだ言葉や感想を書いてもらった。日本語が書けない人やおぼつかない人にはもちろんボランティアが援助した。

 そのあと参加者一人ひとりに発表をしてもらった。手や指などの呼名や動きの言葉などを初めて学んだことや、授業が大変楽しかったこと、覚えた手品を家族や友人に見せたいなどと話した。

 この授業をやる前はこんな体験学習でよいのかという不安があったが、終わってみて、私を含めてボランティアの皆さんもよかったという感想をもった。

 どんな日本語をどのようにして学ぶかということを、指導案としてしっかりと組み立ててやることや、楽しく学ぶことができるようにすること、学習したことの確認をすることが大切であると改めて感じた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月11日 (月)

日本が長寿大国でなくなるという見方―ダイヤモンドオンライン

 ダイヤモンド・オン・ラインに下記のような記事があった。

  ―日本は長らく世界で最も平均寿命の長い「長寿国家」だった。しかし、バブル崩壊後は、寿命の延びるペースが頭打ちだ。2016年時点で日本人の平均寿命は、女性が87・14歳、男性が80・98歳と過去最高を更新したが、最近は寿命が延びる速度がだんだん低下し、OECD加盟の先進国に追いつかれつつある。― 

  健康格差」問題の世界的権威といわれるハーバード大学大学院のイチロー・カワチ教授の見方である。

  日本の平均寿命が下がって来たのは、近年、雇用環境や社会構造の激変で、国民の健康を取り巻く環境が急速に悪化し、「健康格る差」が急激に拡大しつつあると言われている。この状況をどのように見ているかと問われて、次のように答えている。

   ―日本は経済成長にともない国民の多くが中流階級となった時代に、長寿世界一になった。だが、バブル崩壊後は、寿命の延びるペースが頭打ちである。2016年時点で日本人の平均寿命は、男女ともに世界2位だが、男性は、イタリア、スペイン、オーストラリア、スウェーデンといった国が急速にキャッチアップしてきた。近いうちに、日本はこうした国々に追い抜かれてしまうのではないかと危惧しているという。

 日本人の健康を取り巻く環境は年々厳しさを増している。日本でも、近年は所得や雇用の格差が拡大していて、子どもの相対的貧困率はOECD平均を上回った。また、労働者に占める非正規の割合は4割に迫っていて、終身雇用で職が安定している国というイメージもガラリと変わった。それが将来の寿命にも負担をかけるのではないかと懸念している。

 日本の「健康格差」問題は、所得格差、非正規雇用の増加、子どもの貧困などの問題とも重なっていることについての見解を語っている。

  まず「健康格差」の問題をこのまま放置しておくと、日本の長寿大国は危うくなる。「健康格差」は「命の格差」に直結する。「命の格差」が確実に拡がると、日本人が誇るべき長寿すら脅かされていく。

  国民の中には「健康格差」というのは、貧困層などごく一部の人たちの問題であって、国民全体の問題ではないと考える人も多いと聞きくが、貧困層だけでなく、自分たちには関係がないと思っていた中流や上流の階層にも、税金や保険料の負担としてのしかかる。

 また、「健康格差」には、いわゆる「とばっちり効果」がある。一部の層だけ健康を悪化させることが、ひいては社会全体の健康のレベルを下げるんですね。つまり、中流や上流の階層の健康も脅かす。非常にネガティブな効果があるのだという。

 日本では非正規雇用が4割を超し、給与や年金の減少により所得格差が広がり、若者だけでなく、女性の貧困、子どもの貧困、年よりの貧困なども広がっている。健康保険料や介護保険料も上がり、生活環境はますます厳しくなっている。これに対して政府は自己責任を強調し、社会保障の体制を弱化している。長寿も有難いとは言えなくなってきているのを実感する。

※ この記事の詳細は

 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171202-00010000-huffpost-soci

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月10日 (日)

品物を売るだけのスーパー

 スーパーやコンビニが増える一方で個人商店の八百屋や魚屋が淘汰されてしまった。我が家の半径1km以内にはそうした店は一軒もない。だから食料品の買い物といえばスーパーに行くことになる。

  スーパーに行って買い物をしても陳列をしてある品物と値段を見て買うかどうかを判断して決める。店員に対象の品について尋ねることはしないし、またしようと思っても店員が近くにいないことがほとんどだ。

  昔は個人商店ばかりで野菜も果物も魚も調味料もみな専門店であった。子どもの頃一升瓶や鍋を持って酒屋に醤油や味噌を買いに行ったし、豆腐は豆腐屋さんで鍋を持って階に行った。野菜なども八百屋で買った。いつも決まった店に行っているから顔なじみになるし、その日の値打ちな品や品の良し悪しなどを教えてもらうことが出来た。

  また、時には「おまけしとくよ」と言っておまけをしてくれることもよくあった。最後の品になると値段を安くしてくれることもあった。客の方から「少し勉強してもらえん?」と言って値引きを頼むこともできた。買い物をする側と品物を売る側との間にコミュニケーションが常にあった。

  ところがスーパーではそういうことが無くなった。値札の通りの値段で買うしかないのである。大阪のおばちゃんはどうかしらないが、名古屋では値切る客を見たことがない。品物の品質などについて尋ねることもない。

  私がよく行く八百鮮というスーパーは値段が他の店より少し安いことが多い他に、店員が近くにいてコミュニケーションができるのだ。会話を通じて店員と顔見知りになり、品物についていろいいろと尋ねることができる。つまり個人商店のような親しみがあるのだ。

  果物を買うときでも甘いかとか酸っぱいかとか尋ねる。ミカンやリンゴでも産地によっていろいろあるから、「このミカンはどう?」と聞く。すると店員は「それもいいけどこっちの方がもっと甘いよ」などと教えてくれる。桃のように当たり外れが多いものは店員に尋ねてから買うかどうかを判断する。西瓜などは客がよく店員に選んでもらっているのを見かける。

  盛りの場合中には痛んだものを店員が気付かずに盛っている場合がある。そんなときは「これだいぶ痛んでいるけどちょっと負けてくれない」というと負けてくれたり値引きしてくれることもある。

  このスーパーが入る前は「たちや」というスーパーであった。これも同じようなディスカウントスーパーでやはり店員と会話をすることができた。こういうタイプのスーパーは名古屋では知り限りでは「八百鮮」と「たちや」だけだと思う。

  ダイヤモンド・オン・ラインに「日本のスーパーやコンビニが置き去りにしてきた『致命的欠点』」という記事があった。

  スーパーやコンビニが消費者に対する情報提供を疎かにしてしまって、物を売るだけになっているのは、米国からチェーンストア理論が持ち込まれて以来、十年一日のごとく教科書通りのチェーンストア理論が守られているからであると述べている。

  仕入れ量を最大化して、仕入れのメリットを引き出し売価に反映させる。ローコストオペレ―ショーンを徹底して運営コストを削減し、それを売価に反映させる。この基本的な考え方は間違っていないし、まったくもって正しい理論だろうと記事はいう。

 そして、「消費者が知りたいのは、この果物は本当に甘いのか、まだ酸っぱいのか、あるいは発泡酒の値上げ時期が近いのか否かという、日常の買い物にあたって「自らの利益に直結する情報」なのである。これらの情報は、売り手側にとっては時に『多少デメリットになるような情報』だが、消費者はこうした情報を望んでいるのだ。」と指摘している。

 この記事の言う通りである。スーパーはもっと対面商いを重視し、消費者の本当に知りたい情報をていきょうすべきであろう。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2017年12月 9日 (土)

受信料義務判決―権力を忖度しないNHKであるべき

 最高裁は6日、NHKが受信契約を結ばない男性に受信料支払いを求めた民事訴訟の判決で、事実上支払いは義務とし、テレビ設置時から受信料を支払う必要があるとする判断を示した。判決では「受信料制度が国家機関などから独立した表現の自由を支えている」と述べ、放送法の規定は合憲であるとしした。

  未契約の世帯は全国に約1千万件あるとされる。そんなにも多くあるのかと驚いたが、単に払わないでテレビを観ている世帯だけでなく、NHKの放送の在り方に疑問があるため受信料支払いを拒否している世帯もかなりあるのではないかと思う。

  国連は安部政権によるメディアへの圧力を非常に懸念している。「国連の人権理事会が11月14日、日本の人権状況を審査する作業部会を約5年ぶりに開催したのだが、そこで各国から「報道の自由」に対する強い懸念の声が続出したのだ。

 第二次安倍政権以降、官邸はテレビなどのマスコミを常時監視しており、報道に対する圧力は日々苛烈を極めている。今年5月には昨年来日調査を行った国連人権理の特別報告者のデービッド・ケイ氏が報告書(未編集版)を公表し、そのなかで安倍政権による報道圧力とメディアの萎縮について是正を勧告していた。

 そして、今回の国連の対日人権審査では、たとえばブラジルやベラルーシ代表が特定秘密保護法による「報道の自由」の侵害に懸念を示し、アメリカ代表などはさらに踏み込んで、日本の「放送局をめぐる法的規制の枠組み」を問題視。政府による電波停止の根拠となっている放送法4条の改正と、独立した第三者監督機関の設立を求めたのである。」

 NHKが安倍政権の意向を忖度したのか、国谷裕子さんの「クローズアップ現代」をやめたり、岸井氏などが批判されたのは記憶に新しい。現在安倍首相一家と親しい政治部の岩田氏が実権を握っていると言われ、安保法制や特定秘密保護法などの政権側のニュースはとりあげるが、反対運動については小さくしか扱わないし、取り上げないこともある。

 NHKが政府や特定の団体や個人から独立し、国民の知る権利を満たすものだという最高裁の判決をしっかりと受け止め、受信料を払う我々視聴者に必要な情報を提供し、権力に忖度して自主規制をしない矜持を持ってもらいたい。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月 8日 (金)

謡曲の鼓の発表会に行ってきた

 知人のYさんが狂言や小鼓や太鼓を習っていて、いつも案内をくれる。今回は一番キャリアの浅い大鼓を発表会で演奏するという。

  私は能は余り見たことがない。謡曲となると全く知識がない。今回はどんなものかを知る良い機会だと思って出かけた。

  会場は名古屋城前の名古屋能楽堂で、主催は叶石会であった。土曜日の午前中は日本語教室があるので終わるとすぐに出かけた。能楽堂までは歩いて10分程度である。

  12時半ごろ会場に入った。演奏中なので終るまで待とうかと思ったが、扉を細く開けて覗くと思い切って入った。絨毯が敷きつめてあるので音はしない。

  場内には40人ぐらいの人がまばらに座って聴いていた。小鼓の高い音と大鼓のポンという音や横笛、撥で打つ太鼓が鳴っていて、右手には男の人が4人座って謡曲を歌っていた。

  小鼓と大鼓を打つ人は声を出して叩いていた。歌い手の歌声は独特の低い響きを持った歌い方であった。義太夫などとは全く違う歌い方であった。残念なことに言葉がほとんど聞き取れなかった。

  大鼓と小鼓は気持ちよい響きで、西洋流にいうとパーカッション中心だと思った。大鼓はっ小脇に抱えて右手を思い切り広げてから打っていた。中指に何かはめてあるようで、それで高い音が出るのだろうと思った。小鼓は肩に載せて指で打つようだ。

  知人が出演するのは「紅葉狩」という曲で3時ごろからであった。それまでに次のような曲を聴いた。

 須磨源氏、小督、船弁慶、放下僧、高砂、花筐、江口、千寿、龍田、融。プログラムの曲名の上に「観」「喜」「宝」と書いてあるので観世、喜多、宝生のことだと分かるが、その違いは全く分からない。しかも横笛や撥太鼓を演奏する人がいずれも担当するのだ。

 門外漢の私には3時間聴いたら疲れた。最後の方にプロの演奏があることはわかっていたが、会場を出た。それでも知らなかった世界を覗くことができたのはよかったと知人に感謝している。

Img_3712
                      紅葉狩
                

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月 7日 (木)

第32回橘座公演 林家菊丸上方落語会

 いつも楽しませてもらっている橘座公演である。12月3日、日曜日に愛知産業大学工業高等学校のたちばなホールで開催された。

  今回は三代目林家菊丸の上方落語会で、テーマは「はめもの噺と寄席囃子の世界」であった。

  プログラムの最初は「寄席囃子紹介」で林家菊丸が解説をし、大太鼓とあたり鐘と能笛を林家染左が、締め太鼓と鐘を桂阿か枝、三味線を林家香穂が担当した。

  あたり鐘は本当はすり鐘というそうだが縁起をかついで「あたり」というそうでスルメのことをアタリメというのと同じだそうだ。

  呼び込みの太鼓とか出囃子や上方落語の「はめもの」などの実演と解説があった。「はめもの」というのは上方独特のもので落語の途中で 囃子をいれるのをそう呼ぶそうだ。

  三味線の林家香穂は数百の出囃子などを暗記しているそうでいつでも弾けるのだそうだ。

  落語は4席あり、前座は月亭遊真の「犬の目」で、目の病気で眼医者に行ったら目玉をくりぬかれ洗って治すという。ところが目玉を乾かしている間に犬に食べられてしまう。仕方がないのでその犬の目玉をくりぬいて嵌めた。すると夜でもよく見えるようになったが、困ったことは電信柱を見ると片足を上げたくなるというオチであった。荒唐無稽の滑稽噺であった。

  2番目が林家染左の「天下一浮かれの屑より」で、「より」は選別するという意味だ。居候の若旦那に仕事をさせようと、集め俵に入れてある屑を選別する仕事をさせる。ところが屑を選びながら歌ったり踊ったり大声を上げたりするので近所の人から苦情が出る。

  屑をより分ける空き部屋の隣が囃子の練習をしていてそこから聞こえてくるのに合わせて歌ったり踊ったりという「はめもの」である。

  いくら言っても直らないので「人間の屑や」というと「人間の屑や 俵があったら入りたい」というオチであった。

  仲入りのあと、3番目は桂阿か枝の「お楽しみ」という噺であった。面白かったが内容をすっかり忘れてしまった。

  最後は林家菊丸の「大晦日浮かれの掛取り」という年の瀬にふさわしい噺であった。ある貧乏夫婦が大晦日の掛取りをどうやって払わずに済ますかということが主題で、昨年は亭主が死んだことにして何とか免れたが今年はどうやったらよいか思案し、思いついたのが掛取りに来る人の大好きな物を取り上げて払いを延ばしてもらうという算段である。

  八五郎の家は大晦日だというのにお金がない。そのことで女房とけんかになり、 困った八五郎は借金取りの好きな趣味で断りをしてやろうと思いつく。狂歌マニアの大家相手には 「貧乏をすれど我が家に風情あり、質の流れに借金の山」などの狂歌を並べる。魚屋の金公には、喧嘩っ早い相手の性格を利用。 「借金をとるまで梃子でも動かない!」と言ったのを逆手に取り、 「金が入るまで、そこに何十年でも座っていろ!!」とやり返して結局借金を棒引きにさせてしまう。芝居好きの酒屋の番頭には、 番頭を仮名手本忠臣蔵の上使に見立てて招きいれ、近江八景の駄洒落で言い訳した後、芝居がかりで追い払ってしまう。 三河屋の旦那には、旦那を三河万歳の「才蔵」に見立て、萬才の調子で「待っちゃろか。待っちやろか。~・・・」 待の掛け合いに持ち込み、最後には呆れた旦那が「ならばいつ払えるんだ」と問うと、「ああら、ひゃーく万年もォ、過ぎたなら(払います)」

 2代目林家菊丸のおはこだったようで、3代目も熱演であった。これも「はめもの」噺で途中でお囃子が入った。

 13時から15時半まで楽しい年忘れができた。

「林家菊丸画像」の画像検索結果

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月 6日 (水)

産経もたまにはいいことを書く

 天下一の安倍政権支持で有名な”政府広報紙”と米国メディアから見られている”産経”だが、たまにはいいことを書くようだ。12月5日の「主張」で、「森友」と財務省 官僚としての矜持見えぬ」と題して下記のように述べている。安倍政権にとってはイタイであろう。

 佐川宣寿(のぶひさ)国税庁長官はどんな気持ちで質疑を聞いていたのだろう。
 衆参両院の予算委員会では、学校法人「森友学園」への国有地売却をめぐる、ずさんな値引きが再び批判された。
 

 近畿財務局と学園側とのやり取りを記録した音声データの内容を財務省が認めたため、「適切に処分した」としてきた前国会での答弁はぐらつきはじめた。
 その答弁者こそ、前理財局長の佐川氏である。夏に国税庁長官に任命されてから、就任会見さえ開かず今に至っている。この問題を追及されるのを嫌ってだろう。
 

 かつての答弁との整合性を何とか保とうと、後輩は「金額の話はしたが価格交渉ではない」などと苦し紛れに答えている。
 これが「官庁の中の官庁」とまで言われた財務官僚の姿、振る舞いだろうか。財務省としてのけじめを早くつけた方がよい。
 

 財務省の予算編成作業が大詰めを迎えている。年が明ければ、国税庁は確定申告の季節である。国民の信頼を失ったままでは、本来の業務に支障が出よう。
 政府が国有財産の管理手続きを見直すのは当然である。だが、何が問題だったのかをはっきりさせないと、的確な見直しなど望めないだろう。
 

 売却価格をめぐる対応の不備を認め、その経緯と責任の所在を明確にすることだ。以前の答弁は事実に即していないと修正するしかあるまい。官僚としての矜持(きょうじ)さえ保てなくなる。
 

 国会審議は、会計検査院が価格決定手続きについて「適正を欠いていた」などと指摘したのを受けて行われた。財務省が認めた音声データには「1億3千万円」などの金額も含まれる。佐川氏が否定した事前の価格交渉を疑わせる内容である。
 太田充理財局長による「答弁」も、そうした過程で飛び出したが、好んで口にしているわけではあるまい。
 

 財務省のみならず、政権全体で厳しく受け止めるべき問題だ。何よりも、低レベルな答弁を強いている政治の責任があることを、忘れてはなるまい。
 

 安倍晋三首相が「適切に処分したと報告を受けていた」と語ったのは、自らの責任をかわすことに力点を置くように聞こえた。佐川氏を含め、行政への信頼回復に資する対応こそ指示すべきだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月 5日 (火)

100円均一ショップの商品について

 私の知人で英国の大学で教えているDさんは、日本に来るたびに100円均一ショップでたくさんの品物を買っていく。日本の100均は安くて品質がよいというのだ。

  オーストラリアから来た知人も同じように100均でいろいろと買って帰った。シドニーにも大創があるそうだが日本の方がよいというのだ。

  中国の上海から来たTさんも100均で買い物を楽しんでたくさん買って行った。MAID IN CHINAも多いのだが。そういう訳で外国人に100均は人気が高いようだ。

  私もよく100均を利用する。日本では大創がダントツに売り上げが1位だそうで、2位がセリアだそうだ。前にテレビで100均について取り上げていたが、いろいろと100円で売る商品の企画をして安くよいものを作る努力をしていると知って、それ以後は100均を見直すようになった。

   日用品などを買うときにいきなりホームセンターなどに行かずに100均を覗いた方がよい場合がある。買った後で100均で似たようなものを売っているのを見つけてしまったと思ったことがある。

  100均に行くと品物を見て、100円で買う値打ちがあるかどうか考える。そしてよいと思ったら買う。よく買うのは布きん洗い石鹸やブラシ類、バインダーやケースなどである。

 先日は大創でブラシを探したら適当なものがなく、またカラー輪ゴムを探したがこれもなかった。それでセリアに行ったとき探したら両方ともあって助かった。

 私は菓子類などは買わない。スーパーの方が安いからだ。文房具でも必ずしも安いとは限らない。セロテープは弱くて破れやすいし、鋏も切れないことがあるし、糊もくっつきが悪いものがある。

 電池も100均のはどうも持ちがよくないように感じるので最近は高くても電気店で買っている。

 絶対に安くて値打ちだと言えるのはマジック用品である。これはマジック愛好家の間でも認められている。なぜなら彼らは昔の値段を知っているからだ。3000円ぐらいしていたものが100円で売られていることが多いのだ。

 またマジックをやる人は100均は安く手頃なマジックに使える品がいろいろあるので重宝している。

 私はハロウィーンとかクリスマスは関係ないが、今ならクリスマス用品でよさそうな品がいろいろ売っている。

 以前は帽子をよく買ったがそのためにいっぱい溜まってしまって処分に困っている。100円だからと気楽に買うが後で始末に困ることもあるのだ。

11月28日にテレビ愛知で「100均グッズをヨーロッパに持って行って使ってもらう」という番組をやった。録画しておいて見たら100均グッズにも役に立つものがたくさんあることが分かった。

 100均ショップは品数が多いのでテレビで取りあげてくれると「そんな商品があるのか」と分かって有難い。

 面白かったのは、ネクタイ発祥の地と言われるクロアチアのネクタイ専門店に100円ネクタイを持って行き評価させたら「1800円~3600円」と言ったことであった。

 またドイツの人気バウムクーヘン店で、パウダーを振りかける器、均等切りマット、エッグセパレーターが大好評であった。

 その他にも番組では10余りの商品を取り上げていたがいずれも好評であった。螺旋状に切るくるりんカッターや生姜などを下すとき挟むものなど欲しいと思った。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月 4日 (月)

NHKスペシャル「あなたの家電が狙われている」を見て怖くなった

 IOTということが言われて何年ぐらいになるだろう。ソフトバンクの孫社長が将来のIOT時代に備えて英国のIT会社を買い取ったニュースがあった。

  我が家ではIOTの物と言えばパソコンとIpadとiphoneとプリンターぐらいである。エアコンや洗濯機や冷蔵庫などの家電はインターネットに繋がってはいない。

  26日に放送されたNHKスペシャル「あなたの家電が狙われている」を録画しておいて見た。見ながらIOTは怖いと思った。

  最初は家庭に備えたWEBカメラが何ものかによって操作されているという事案であった。外出したときでも家の中の様子を見ることができ便利だというので、5000円余りで買ったという若い人の家庭で、ある日Webカメラが動かされたのを見つけたというのだ。

  Webカメラはパスワードを設定してあれば他から操作できないはずだが、パスワードを見破られて操作されたのだという。

  以前「スノーデン」という映画を観たとき、パソコンのWebカメラが外国から操作されて家の中のことが見られていたというシーンがあった。その時はそんなことができるのかと思った程度であった。 我が家にはパソコン用にWebカメラはあるが外してある。

  Webカメラは監視用として今や至る処に設置されていて、どこへ行っても録画されている状態だ。パスワードのないWebカメラや脆弱なWebカメラの画像を集めてインターネットで公開しているサイトがあるという。恐ろしいことだ。

  Webカメラは理解しやすいが、ビデオレコーダーでも外部から侵入されてデータを盗まれたりいたずらされたりするという。

  エアコン、洗濯機、冷蔵庫、テレビ、パソコンなどがインターネットにつながりスマホなどでいつでもどこでも操作できるという便利な時代がやってくるというのだが、家庭の電気製品が誰かに乗っ取られ、そこを基地として世界にばらまかれるという恐ろしいことが起きるのだ。

  ―さまざまなものをインターネットに接続する「IoT」の普及が進む中、日本国内でIoT機器を狙ったコンピューターウイルスの感染が今月に入って先月の100倍に急増し、大規模なサイバー攻撃の危険が高まっていることが、大手通信事業者の調査でわかったという。

  セキュリティーの弱いIoT機器を狙ったウイルスが世界中で広がり、感染した機器を遠隔操作して標的に妨害データを送りつける大規模なサイバー攻撃が、アメリカなど各国で深刻化しているそうだ。

  大手インターネット通信事業者の「IIJ」が国内のIoT機器の感染状況を調べたところ、先月の観測では100台余りにとどまっていたのが、今月に入って1万2000台余りと100倍以上に急増したことがわかったというのだ。

 知らぬ間に自分の家の家電がサイバー攻撃の発信源になるのだ。パスワードも見破られてしまうことがあるとすれば、一般の家庭ではどうやって守ればよいのであろうか。専門家たちは家電に危険度を示すシールを張ることを考えているそうだ。

 パソコンの場合はウイルスソフトを入れて守っているがIOT時代になるとどうやって防御するのか不安になった。

※詳しくは:http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171126/k10011236191000.html

 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2017年12月 3日 (日)

新米の香りと味はどこへ行ったのか

 先日友人から来た手紙に、朝食を食べたときよい香りと味がしたので、食事が終わったあとで米に付けられていた説明を読んだら、生産者が心を込めて作った新米であったと書いてあった。友人の家では新城農民連が作った米や野菜を買っているそうだ。

 それを読んで、私は妻に「家はどんな米を使っているの」と尋ねたら、新米だという返事であった。我が家はスーパーで米を買っているが新米いう表示がしてあるようだ。

 新米ならご飯にしたときに何とも言えない新米ならではの香りがするし、味も特別である。私が子どもの頃は新米ご飯だと醤油を少しかけて食べても大変おいしかった。私は新米が大好きであった。

 ところが何時の頃からか、新米の香りと味が楽しめなくなり、ずっとその状態が続いている。年を取ったから嗅覚が衰えたためとは思えない。

 NETで調べてみると、昔は天日干しで乾燥にばらつきがあったが、今は乾燥機によって乾かすから均一に乾かすことができると書いてあった。

 昔は稲を刈り取った田んぼにハザ木を組んで、そこに稲をかけて天日で干していた。脱穀も田んぼに脱穀機を持って行ってやっていた。私たちはその田んぼに行って落穂拾いをしたのも懐かしく思い出される。

 私の考えは昔は天日で干したからよい新米の匂いがしたのではないかと思うのだ。しかしNETではそうではないと書いてある。米のとぎ方とか炊く時の水の量などが関係しているというのだ。洗いすぎないことが大事だという。

 今の米は白くするためにつき過ぎてしまって、大事な香りや栄養の部分をそぎ落としているので、新米の香りがしなくなったのかも知れない。昔は今のような白米は食べなかった。確か8分づき米だったように思う。

 昔は秋に収穫した新米をお釜で炊くと必ず新米の味がしたものであった。天日干しと米のつき過ぎが原因なのかもしれないと思う。

 もう一度あの新米の香りと味を味わってみたいと思うこのごろである。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月 2日 (土)

今も粘り強く続けられている反原発運動―③―

★女性が、「トイレで考えるカレンダー」の紹介をした。もう27年も作っているカレンダーのメッセージには心にグサッと刺さるものがある。「日本はオーフル、原発で滅びる世界で最初の国・・・」、「晋ちゃんは、戦争大好き・・・」などのメッセージを読み上げた。

★コールのあと、相模原から来た男性が話した・・・・山形の8世帯訴訟は酷い。米沢市にある雇用促進住宅の避難生活者に田著に、明け渡しに応じないと当局が被災者を訴えた。(註、スラップ訴訟)。避難生活の原因と責任は国と東京電力にあり、福島県もそうだが、訴訟を取り下げろと署名運動が始まった。余り知られておらず、署名の集まりも悪い。行政の非人間的な仕打ち、みなさん、ネットで検索し電子署名を。

★常連、文京区の菅谷ファミリー、今日はママが話した・・・・東海第二原発は出力110万㌔と大規模、30㌔圏内に98万人が暮らしている、いま世界で最老朽原発はスイスの47年、圧力容器にひび割れで使えない。世界で稼働中の原発は平均、24.7歳、もうじき40年になる東海第二原発。ロボットを入れたら原子炉内の強烈な放射能でロボットはたちまち壊れた。そういう原発を動かそうとは狂気の沙汰。坊やと、ルミちゃんという嬢やが、「ゲ・ン・パ・ツ・ハ・ン・タ・イ」と声を上げ、パパが、子どものため、未来のため原発はいらないと言った。

★常連、川崎の春橋さん(規制傍聴団)が話した・・・・23日現在、福一の汚染水タンクは103万㌧貯留、うち18万㌧はALPS処理済み、83万㌧が処理待ち、タンクの空きは4万㌧というのが現状である。未処理も問題だが、福一の最大の問題は、ALPS処理後のトリチウム水をどうするかにある。TMI(スリーマイル)では7500㌧放水し、加熱放射したのが唯一の例だ。トリチウム汚染水は10万㌧あり、750兆レベルの福一原発。3・11以前は、一定量(400兆レベル)を海へ放出できた。3・11以降、2012~2016年平均50兆レベル、約8分の1になった、再稼働させない成果でもあるのだが、これからどうするかが問題だ。

 東海第二は40年経過、ケーブルの取りかえ、2021年3月取り換え工事が完工、認可を得て、順調にいくと、再稼働は早くて10年後となる。当事者、日本原電も状況が見えていない。規制委に替わって、事業者原電の責任でやることになっているのに・・・・。柏崎刈羽原発の再稼働の方が緊急度は先だ。*註、防潮堤建設など1800億円かけて対策工事を、その上で再稼働を目指すと原電は言う。

★いつものコーラーの男性、実は横浜の会社員であると自己紹介し話した・・・・過酷事故が起きた場合の損賠額推定規模は、国家予算を優に超えると試算された。東海第二はさらに2~3倍にもなると議事録にあるが、1999年まで秘密扱い、1999年に開示された。

 いまだに原発は安いと思っている人たちは、原発コストを引き下げるために、「人間の価値を安くする」ことに躍起である。たとえば、運転要員、火力発電で一人配置を、原発では何十人も配置、労賃単価もずっと高い。どこまで安くするのかが決め手である。

 事故の場合の自主避難、行政は対応できない。映画、ゴジラにもあったが、戻るのも大変。20㍉Svの目安、ソ連時代のチェルノブイリは100㍉Sv,70年間平均の線量を350㍉Svに抑えるとした。ソ連が崩壊し、1㍉Svに変更した。ブラジルの原子力事故、スペインの水爆搭載機の墜落事故、どこも1㍉Sv以下とした。それを日本は、損害賠償額を減らすため20㍉Sと設定、どこまでも値切りに値切っている。安全、安全と口だけ、やっていることは滅茶苦茶だ。元原子力委員が、「ヒューマニズムとは?」と泣きながら訴えたことがあった。損賠額を値切って、値切って、行政の人たちは、いったいどういうつもりだ。何が公僕だと怒りを込め、ド迫力があった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月 1日 (金)

今も粘り強く続けられている反原発運動―②―

★コール、東海第二、柏崎刈羽、大飯、・・・・島根、浜岡・・・次々と、原発の名前を上げて再稼働反対の声を上げるのだが、全国各地に、こんなにたくさんの原発があり、いま運転休止しているものかとあらためて思った。私たちの運動が、運転休止、原発を凍結させていることも大きい要因だろう。

★いつも社説比較をする常連の山岡さんが話した・・・・私の社説比較紹介は、今日がちょうど、200回目になる。(拍手が湧いた)。私は根拠をもって語ろうと心掛けている。今日は小島力さんの詩を朗読する。「カチカチ、カチカチ、・・・物音の正体を確かめようと、カチカチ、カチカチ、それがネズミとわかった、ネズミ捕りに掛かり、しきりと苦しみもがいている、でも私は助ける気もない・・・・」と、国と電力の原発過酷事故への行状を不気味に訴える詩であった。あとで彼に聞くと、小島力・詩集、『わが涙茫々』(西田書房)からであると。

★反原連のスタッフ、中村()さんがアナウンスした・・・・二つの署名活動、(1)日米原子力協定の改定を求める、(2)エネルギー基本計画の見直しに改定を求める、どれも2018年2月末までにまとめたい。関連リーフレットを反原連で作ったので、持ち帰り署名活を。次に12月の金曜デモの予定、金曜日は5回、ただ最終の29日は首相官邸前だけで行う。新春は1月5日が初日。私も、原発反対運動を続けているが、自分に腹立つのは、署名くらいしかしていないことだと、

★池袋から来た女性、富岡さんが話した・・・・今日は行く先が三つあったが、ここに来た。ここに一人くらい欠けてもというわけにはいかない。ここは私の原点。私たち、再稼働に慣れちゃいけない。東海第二原発も事故の恐ろしさ、想像力を働かせて。3月11日の原発事故の時、全国に54機も原発があるのかと思った。大津波の影響も含め枝野官房長(当時)は、「ただちに影響はない」と言った。最近、チェルノブイリ近くの村で相当高い線量が計測され、フランスでも事故当時のなんと千倍近くの放射能が計測されたと新聞のコラムで読んだ。福一の過酷事故はチェルノブイリ事故より、もっと重症である。安倍首相は盲なのか、ツンボなのか?? (視覚障害者、聴覚障害者と表現すべきところ、私たち同年代には、すぐに出て来ない言葉だが・・・。)

★たんぽぽ舎の柳田さんと同舎のボランティアの白倉さんが登壇し柳田さんが話した・・・・この時間帯、東海第二原発の再稼働に反対する水戸集会が開かれており、いま入った連絡では、市民150名が声を上げている。先週は大型バスで東京から60人が現地集会に出向き、電車で出かけた人も合わせると300数十名の集会になった。城南信用金庫の吉原さんが話したが、銀行家からしい説得力のあるスピーチであった。東海第二原発は6年反前に事故を起こした被災原発であり、ボロボロ老朽化した原発だ。29日()に、神田にある日本原電本社前で抗議集会を15時半から行う、「原発いらない茨城アクション」の人たちも上京するので、みなさん、応援に来てください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2017年11月 | トップページ | 2018年1月 »