北陸旅行①―おわら風の盆
昨年榊原温泉で高校の同期の会をやったとき、来年は「おわら風の盆」に行こうと決まった。S君が中心になって企画してくれた。「おわら風の盆」は毎年9月1日~3日にかけて開催される。おわら風の盆は非常に有名で、一度は観たいと思っていたので、ずっと楽しみにしてきた。
ところが8月の末にS君が手術をすることになり、参加できなくなった。それで相談した結果、大阪のS.S君が幹事を引き継ぐことになり、予定通り実行することになった。
高山線の特急「ひだ」で富山まで行き、富山駅で関西や東京の連中と落ち合って、チャーターしたバスで八尾に行く計画であった。
私と女性二人は「ひだ」で行くことにして切符を買った。指定席で7650円であった。一人は「ジパング」で買ったので、5300円であった。もう一人N君はバスで行くと言った。バスだと3000円ほどなのだそうだ。
9月1日の8:43分名古屋駅発の「ひだ」に乗った。朝が早いので駅の売店で駅弁を買った。女性はビールも買っていた。Iさんが私にもくれた。
岐阜を過ぎしばらくすると川が現れては消える沿線風景になった。飛騨川であった。ずっと車窓から飛騨川の景色を楽しむことが出来た。高山を過ぎると神通川に変わったと思う。だが、やはり川がずっと続いた。高山線は川に沿って走っているのでとてもいいと思った。
富山の手前の停車駅が「八尾」であった。私たちはここで降りれば運賃が安く済んだのにとちょっと残念であった。
富山駅に着くと関西や東京の連中は来ていた。バスで来るN君だけが来ていなかった。U君が新幹線の中で携帯電話をなくしたといっていた。その時はまだ見つかってなかったが、後で金沢駅まで行ったことが分かったが、次の日金沢に行くのでそこでもらえばよいのでよかった。
そんな騒ぎもあったが、小型バスは予定通り、13時半に富山駅を出発した。運転手は女性であった。おわらの近くは渋滞しているかもしれないから到着が遅れることもあると言った。
立山連峰を遠くに見ながらバスは田園地帯を走った。富山平野は収穫間近の色づいた稲の田んぼが広がっていた。
心配した渋滞はなくバスが現地に着いた。町民広場というグランドのような広い場所があってそこで降車し、バスは別の場所に行って駐車して、後で迎えに来るのだ。バスの駐車料として貸切バス料金52400円の外に、何と40000円も取られたのには驚いた。
降車した場所に沿って川が流れていて横の道を歩いて行った。コースは北回りと南回りがあり、私たちは南回りを取った。しばらく行くと禅寺橋という橋がありその辺りまで踊りが来るようであった。
橋を渡ると長い坂があった。禅寺坂というのだ。坂道に沿って左側は崖のような垂直になっていて丸い石を積んだ見事な壁が続いていた。街はその何十メートルも上にあるのだ。この地は川が多くしばしば氾濫したのでだんだんと土地を髙くして行ったという。
少し息を切らしながら坂を上ると宗禅寺という寺があり、しばらく行くと通りに出た。その辺りは西町というのだ。14時ごろに着いたが、昼の踊りが始まるのは15時からで、まだ時間が早いので人は少なく、車が走っていた。
踊りの衣装を着た若い子にどこを通るのか尋ねたら、通りを指さしてあっちの方と言った。要領の得ない返事であった。店の人に聞いたら東町の方に行くことを勧めたので西町に残る組と東町に行く組に分かれた。
道端の石に腰かけて待った。そこに坐っていた男の人が詳しくは知らないがと言いながら説明してくれた。前に蔵があるので珍しいと思ってよく見たら、宿屋であった。蔵の宿屋は面白いと思った。
その脇に細い道があり、どうやらそちらの方に小学校があるらしかった。八尾小学校のグランドが「おわら演舞場」となっていて、指定席が3600円、自由席が2100円と書いてあった。
15時近くになって公民館の前に人が集まった。踊りとお囃子の人たちが並んだ。15時になるとお囃子と踊りが始まった。歌い手が交代で歌った。踊り手は黄色い着物を着て編み笠を被った女性、赤い着物を着て編み笠を被った女性、男性は黒の法被であった。小さな子供たちも並んで見よう見まねで踊っていたのは微笑ましかった。
三味線、胡弓、太鼓、笛などのお囃子で、越前おわら節に合わせて踊られた。聞いたところでは、全部で11の支部があり、踊りも歌も支部によって違うところがあるのだという。
東町を見た後西町に戻ったが、もう一つの組はそこにはいなかった。電話があって禅寺橋のところで見ていると言った。そちらに行くことになって西町の通りを歩いて行った、かなり歩いた下新町公民館前の道で踊っている支部があったのでそれを観た。
川が見えたので見に行くと、禅寺橋が見えたがそこではもう踊っていなかった。それで電話をして、こちらに上がって来るように言った。石垣の橋のところで狭い階段があったのでそれを伝えた。
それから少し戻って広場に行くと、N君とU君がいた。U君は我々を探しにきたようであった。R君が体調を崩して女性たちと休んでいると言った。それで橋の方に行くことにして歩いて行ったら別の支部が踊っていた。
それを見てさらに歩いて行くと、若い女の子たちのグループが休んでいた。八尾高校芸能部のようであった。傍の女性に話しかけたら部活担当の先生であった。中学生までは編み笠を被れないが、高校生になると被れるそうで、ここにいる1年生たちは初めて被るのだと話した。
黄色い着物を着ている人が上手な人で、と赤い着物を着た人は若い女性かと尋ねたら、そうではないと言った。25歳までが揃いの着物を着られるようだ。高校生たちは上手に踊って通りを進んでいた。
その後バスが迎えに来る17時までは時間があったが下に下りて行った。橋のたもとの警護所のテントで女性たちとR君が休んでいた。
結局私たちが見たのは、15時から16時15分ぐらいまでの僅かな時間であった。夜の踊りを見られなかったのが非常に残念であった。
なかにしれい作詞、作曲、菅原洋一が歌う「風の盆」の歌詞には、次のような言葉がある。
1番 日が暮れた坂道を 踊るまぼろし 影法師
2番 あんな哀しい夜祭が 世界のどこにあるだろう
足音を忍ばせて 闇にしみいる 夜泣き歌
3番 哀しい人はみんな来い
八尾の町に泣きに来い
夜流しを追いかけて 下駄の鼻緒も 切れるだろう
おわら風の盆 行事運営委員会ガイドブックには、「3日間いつ見ても同じです。」と書いてあったが、やはり「おわら風の盆」は夜に見るべきであった。
ただ天候に恵まれたのはよかった。雨が降ると中止になるからだ。
« 「名東マジックサロン」誕生!! | トップページ | 北陸旅行―②―金太郎温泉 »
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 松山にもコメダが(2023.12.24)
- 魚の新鮮な居魚屋網元(2023.12.23)
- 久しぶりに飛行機に乗ったが(2023.12.22)
- ベトナムの中秋節(2023.10.02)
- 山崎川沿いで見つけた花(2022.05.20)
コメント