脱北者朴瑛美さんが語る北朝鮮の内実―①―
朴瑛美(パク・ヨンミ)さん(23)。北朝鮮の脱北者、そして人権活動家だ。
1993年、北朝鮮の恵山(ヘサン)に生まれたパクさん。生活をしのぐために闇商売をしていた父親は、逮捕され労働教化所に送られることに。飢餓に直面するようになったパクさんは、13歳で母親とともに中国へ渡った。しかし、中国で人身売買業者によって奴隷花嫁生活を強いられたため、モンゴルを経て韓国に亡命した。
現在、アメリカのニューヨークを拠点に人権活動を行なっている彼女の声が知られるきっかけとなったのは、2014年。
アイルランドのダブリンで開催された、若者を中心とした国際会議「One Young World Summit」でのスピーチだった。
北朝鮮での過酷な生活、そして脱北してからも中国で人身売買の被害に遭った彼女が、世界に訴えたこととは。
BuzzFeed Newsは当時パク・ヨンミさんが行なったスピーチを書き起こした。
パクさんは、手を胸に当て、声を震わしながらこう語りはじめた。
私は、今ここで話さなければいけません。 私ではなく、世界に伝えたいことがある北朝鮮の人々のために話さなければいけないからなのです。
北朝鮮は想像を絶する国です。テレビのチャンネルは一つしかなく、インターネットはありません。歌いたい曲を歌う、話したいことを話す、着たいもの着る、考えたいことを考える自由がないのです。
北朝鮮は、許可なしに国際電話をしたら処刑される、世界で唯一の国です。
「北朝鮮の人々は、今この瞬間も自由を求め、自由のために死んでいる」
北朝鮮の人々は、今日も恐怖に陥っています。
北朝鮮で育った頃、男性と女性とのラブストーリーを一度も見たことがありませんでした。ラブストーリーについての本、曲、報道、映画などなかったのです。ロミオとジュリエットのようなものはありませんでした。
どの物語も、キムたち独裁者に関する、洗脳するためのプロパガンダだったのです。
1993年に私は生まれました。しかし、「自由」や「人権」という言葉を知る前に生まれたとともに拉致されたのです。
北朝鮮の人々は、今この瞬間も自由を求め、自由のために死んでいます。
私が9歳の頃、友人の母親が公開処刑されるところを見ました。彼女の罪はハリウッド映画をみたことだったのです。
政治体制への疑いを口にすると、三世帯の家族全員が投獄されたり処刑されます。
私が4歳の頃、母からささやきもしてはいけない、と注意されました。鳥やネズミが聞いているから。私は、それを受け入れていました。北朝鮮の独裁者たちは私の心を読めていると思っていたからです。
私たちが北朝鮮から逃げてから、父は中国で亡くなりました。私は、午前3時に密かに父を埋めました。私は14歳でした。泣くこともできませんでした。北朝鮮に送り返されるのが怖かったので。
北朝鮮を逃げた日、母がレイプされるのを目にしました。強姦したのは、中国人のブローカーでした。彼は、最初私を襲おうとしていたのです。私は13歳でした。
北朝鮮には、このような言葉があります。「女性は弱い。しかし、母親は強い」。私の母は、私を守るために、レイプさせたのです。
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