特攻艇兵士の短歌
8月12日の朝日新聞に載った「戦死と向き合う 戦後72年」の記事が目にとまった。太平洋祭竿戦争末期に日本の陸海軍が編成した「特別攻撃隊」。航空機による海軍の神風(しんぷう)特別攻撃隊はよく知られているが、他にも陸軍の「水上特攻隊」が広島県の江田島にあった。
ボートは秘密のため連絡艇とされ「マルレ」の略称で呼ばれていた。資材が不足する中、薄いベニヤ板と自動車のエンジンで作られ、船尾に250キロの爆弾を積んだ。
前線に赴いたのは計30戦隊3125人いた。その内1703人が亡くなったという。沖縄・慶良間諸島に派遣された秋田県出身の横山小一さんは19歳であった。「大義のために死ぬのなら悔いはない。笑って『神兵』になるという覚悟で入隊した。1945年3月に米軍から急襲されて戦死した。
横山さんが残した短歌2首が紹介してあった。
大君の 御盾となりて 捨つるみと 思えば軽き 我が命かな
戦時中兵士の命は鴻毛の軽さと言われていた。天皇(昭和)を守る盾となって特攻艇に乗り、沖縄の米軍艦艇を沈めて命を捨てるのだが、考えてみれば自分の命は何とも軽いことかという気持ちをうたったのだと解釈する。19歳の若さで自らの命を引き換えに敵に損害を与えることを命じられたのだが、その心境はいかばかりかと思う。横山さんは残念なことに目的を果たせず戦死したのだ。
弟さんは「どんな時代になろうとも、多くの犠牲を忘れてはならない」と、その歌碑を実家の庭に建てた。
横山さんのもう一つの歌は次のようである。
大君に 捧げまつりし 命なれ 無駄に死するな 時代来るまで
「いのちなれ」の後にどんな助詞を加えるかで意味が変わってくる。「ば」を入れて考えると、大君に捧げた命だから、病気とか失敗とかで無駄死にするなという意味になる。
「ど」を加えるとどうなるか。大君に捧げた命ではあるが、無駄死にしてはいけないとなる。そして最後の「時代来るまで」につながるのだ。おそらく戦争が終わって平和な時代がくることを予想していたのではないか。そのときまで生きぬきたいという気持ちの表れであろうと解釈する。しかしそれは叶わず米軍に殺されてしまったのだ。もし生きて生還していれば新しい時代を立派に生き抜いたことであろう。
同じように特攻艇で慶良間諸島にいて、助かった人もいる。隠してあった特攻艇が米軍に焼かれて使えなくなったので命拾いをしたのである。その人は91歳でお元気である。
もう2度と戦争で命を捧げる事態があってはならない。稲田元防衛相も安倍首相も小池都知事も戦前のような国家の仕組みに戻すことを念願としている。それをよく見なければならない。
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