2024年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 72年目の終戦の日 | トップページ | ゴカイの血液が代替血液になるか? »

2017年8月16日 (水)

戦時中の庶民の圧迫された暮らしをメディアに取り上げてほしい

 8月になると広島や長崎に原爆が投下された日や終戦の日があるので、メディアは原爆や戦争に関連した番組や記事を特集する。それはそれで大切なことだと思う。

 だが、戦争は他国への加害や自国の被害だけでなく、日本国民自身が当時の政府や軍部によって強制された生活によって、自由や人権が失われたり、圧縮されたということがある。

 戦争によって物資が不足し、配給に頼る貧しい暮らしや米国軍が日本に迫って来るにしたがって米軍機による爆撃など恐怖の日々が続いた。しかし、その他に天皇を現人神として崇めることを強制されたり、赤紙ひとつで徴兵されたり、学生が工場に動員されたり、小学生でも授業をやめて奉仕作業をさせられたり、皇国婦人会に組み入れられて、主婦もさまざまな勤労奉仕をさせられたりしたのであった。

 「一億火の玉」とか戦争末期には「一億玉砕」などということが叫ばれ、竹やりで米兵を殺すなどという馬鹿げた訓練が真面目に行われた。

 戦争の初めの頃は「欲しがりません勝つまでは」我慢を強いられ、「壁に耳あり、障子に目あり」など互いに監視する隣組組織も作られた。「とんとんとんからりと隣組、格子を開ければ顔なじみ、回してちょうだい回覧板 助けられたり助けたり」という明るいメロディの歌がある。今に残る回覧板は戦時中のものであったのかと思う。

 安倍首相の悲願は憲法を改悪し、できれば戦前に回帰することだと言われる。その点では小池東京都知事も全く同じである。それを支えるのか「日本会議」であり、その中心の1人桜井よし子氏は最近も第3次安倍内閣が一番だと言っている。

 天皇中心の大日本帝国憲法と富国強兵の明治に戻したいのだ。その点では維新の会も名前の通り同じであろう。安倍首相が言う経済最優先の裏にあるのは富国強兵なのだ。国民の生活の向上ではないのだ。

 メディアに扱ってもらいたいのは、戦時中の庶民の生活がどんなものであったのかということである。大東亜共栄圏建設のために中国や東南アジアを侵略しただけでなく、そのために協力させられた国民が、どんなに悲惨な目にあわされたのかということを、つぶさに掘り起こしてほしいのである。

 8月10日の朝日新聞に「暮らしの手帖」が「戦争中の暮らしの記録」を単行本にしたのが売れていると出ていた。累計で20万部売れ、若い人にも人気があるという。花森安治編集長が68年の暮らしの手帖をまるごと「戦争中の暮らしの記録」にしたのだという。全国から集まった1736の投稿から139編を採用したのだ。

 私は読んだことがないので読もうと思うが、私のような戦時中の生活を知るものが読むのではなく、70歳以下の戦時中を知らない人たちにこそ読んでもらいたいと思う。メディアがこういう視点の特集をしてくれるとよいのだが・・・と切に願っている。

« 72年目の終戦の日 | トップページ | ゴカイの血液が代替血液になるか? »

戦争と平和」カテゴリの記事

コメント

私は先月のコメントで半藤一利氏の「B面昭和史」を読んだことをとりあげた。まさにこの本が昭和の初期から終戦に至るまでの庶民の暮らしが克明に取り上げられており大変面白かった。500ページに及ぶ長編であったが、一気に読むことができた。それによると昭和10年ごろまでは大正デモクラシーの名残もあってかなり自由な議論もあったようだが2.26事件以降は軍部が政治に露骨に容喙し一瀉千里と戦争への道を突き進むことになる。メディアの中にも最初は批判的な論陣をはる社(者)もあったが、過激な言説ほど部数を伸ばし、そうでない場合には廃刊に追い込まれていった。確かにメディアは戦争を煽ったが、当初、国民の多くもそれを歓迎し、そうでないと「非国民」のレッテルを張られたのである。余程、個々の国民にリテラシーがないと
ポピュりズムの渦に巻き込まれるのは今も昔もまったく変わらない。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 戦時中の庶民の圧迫された暮らしをメディアに取り上げてほしい:

« 72年目の終戦の日 | トップページ | ゴカイの血液が代替血液になるか? »