映画には、世界を必ず平和に導く美しさと力がある―大林監督―②
◆戦争を忘れてしまっているという悲劇
はい、私、「じじい」と言いましたけど、その意味はここでは戦争を知っている、体験した世代ということでございます。私のね、2つ3つ兄貴の世代が、しっかりそこを頑張って、いろいろ伝えて表現してくれていたんですけれども、やはり物事は順序でこの2~3年でみんなあの世に逝ってしまいました。
思えば私がその世代を知っている最後の弟分になりました。なのでそのことをみなさんにお伝えしたいと思います。
さて、みなさんね、戦争というとどうなんでしょう。今は平和でそんなものなくて、今とは全く違って戦争の時代っていうとなんか時代劇を見ているようなはるか昔の自分とは関係ないような時代だとお思いでしょうけど、戦争というものはね、ここにあったんですよ。ここにあったんです。この日常のなかにあったんです。
どういうかたちであったか。そう、私はまだ子どもでしたけどね、例えば日本が真珠湾奇襲攻撃をした時、私たち少年は「日本勝った! 敵負けた! ルーズベルトとチャーチルをやっつけた! 日本の正義はたいしたもんだ!」といってね、提灯担いでみんなで浮かれたもんですよ。
しかしたった4年間で情勢はどんどん変わりましてね。我が家は古い港町の医者の家でね。医者の家っていうと、当時の、まあ町の権威の象徴でありまして、長とつく人がみんな集まりましてふんどし1本になりまして、天下国家を論じる場所でした。
そういう未開の広場に集まる大人たちに向かって私たち子どもは、階段を忍びあがって、大人たちの様子をそれはしっかりと伺っていたものですけどね、私のような子どもが入っていくと大声で話していた大人たちが急に、悪いこと言って聞かれるんじゃないかって感じで黙り込んじゃうんですよ。
そこに制服姿の若い兵隊さんがいましてね。憲兵さんでしたけれど。憲兵さんといえども、医者の長であるうちの爺さんにはかないませんから、おとなしくお話を拝聴させていただきますといってかしこまっていましたけど、その横に彼と同年配の私の叔父がいまして、これは肺病を病んでいて戦争にいくことができない、兵隊になることができない、国家のために命をささげることができないから、非国民、国民にあらざる者、人間にあらざる者というように蔑まれていたんですがね。
その叔父が、「もう日本は負けるよ、負けたほうがいいよ」なんてつぶやいていました。翌日いなくなりまして、3日後に青あざだらけでその憲兵さんに背負われて帰ってきました。その時の憲兵さんも全く違った顔してましたね。人間の顔ってこんなに権力によって違うものかっていう顔をしてました。
そしてそれから日本は敗戦に向かうわけですが、私は原爆が落ちた広島の近くの生まれですし、私の妻は同年配で東京大空襲で3月10日に死ぬ思いをしたのですが、なんと妻の父親は逃げも隠れもせず2階の窓を大きく開いて娘に、「見なさい。花火のように綺麗だろう。しかしこの花火の一つひとつの下で、今、人が首をもがれ手足をもがれ、命を奪われていってるんだぞ、よく見ておけ! 人間というものはこんなに愚かしい生き物だぞ。よく見て覚えておけ!」と言ったそうです。そうしているうちに、ご近所はみな焼けて、うちの妻は死にもの狂いで逃げ延び助かったようです。
義父はそのまま田舎に引きこもりました。愛する息子を海軍の予備隊で亡くしておりまして、人生の夢すべてを失いました。戦争とは、人が人であること、人の人生、命、全てを失ってしまう。こんな理不尽な無益な恐ろしいものは決してあっちゃいけないということがたった70年前までみなさんここにあったんですよ、何の不思議もなく。
しかしそのことを私たちが今忘れてしまっている。この忘れてしまっていることがね、今の時代の大変な悲劇になっていると思います。
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