映画には、世界を必ず平和に導く美しさと力がある―大林監督―③
◆「まさに映画とは、大嘘つきです」
例えば、戦争も理屈があります。これも外交手段の1つですからね。おまけに戦争をすれば、経済も高まるというふうな説もあります。いろんな理屈があって、戦争が再び起きるということは十分にあるわけです。
しかし、より強い国の核の下に入ったら守ってくれるというけれど、実際に守ってくれたことがありますか? 今後も決してありません。自国は自国のためにだけ戦争をします。あるいは抑止力なんてありますか? 抑止力なんかあった試しがございません。そういう戦争の理不尽をよく知っていた私たちがいなくなってしまったこと。この断絶が怖いです。
私たちは支配者を選びますが、当然選挙によって選びますから、支配者は私たちの代表です。代表である支配者が良き支配を行ってくだされば安心なんですが、その支配者であられる人たちが戦争の実態をもう誰も知らない。
第一次・第二次大戦のあの悲劇の虚しさ恐ろしさを、理不尽さを生身で知って、「何が何でも戦争なんて嫌だ! 嫌だ! 金が儲かろうと、嫌だ!」そう言い切れる人がどんどんいなくなって、支配者たちが行う政治が本当の人間としての責任を持ちえないものになってくるのではないかという怯えが私にはあります。
黒澤さん自身もね、そういうことの中で晩年、核の問題や戦の問題を描かれていましたけれども、その黒澤さんが遺言におっしゃったことはこういうことです。「大林くん、人間というものは本当に愚かなものだ。いまだに戦争もやめられない。こんなに愚かなものはないけれども、人間はなぜか映画というものを作ったんだなあ。映画というものは不思議なもので、現実をきちんと映し出す科学文明が発明した記録装置なはずだったんだけれども、なぜか科学文明というものは年中故障する。故障ばっかりするのが科学文明だ。
でも故障したおかげで、記録が正確じゃなくて、人物がすっ飛んだり、とんでもないところに飛んでいったり、おかしな映像がたくさん生まれたぞ。そしてそれを生かしていけば、事実ではない、リアリズムではないけれども、事実を超えた真実、人の心の真が描けるのが映画ではないか」。
そう、嘘から出た真。まさに映画とは、大嘘つきです。しかしその嘘をつくことで世の中の権力志向から、上から下目線というものが全部壊されて、でんぐり返って見えてくるものがある。
例えば、今私たちが正義を信じていますね。「私の正義が正しい。敵の正義は間違っている」。一体正義ってなんでしょう。私たち戦争中の子どもはそれをしっかりと味わいました。私たちも大日本帝国の正義のために戦って死のうと覚悟した人間でした。しかし負けてみると、鬼畜米英と言われた側の正義が正しくて、私たちの正義は間違っていた。なんだ正義とは、勝った国の正義が正しいのかと。それが戦争というものか。じゃあ自分の正義を守るためには年中戦争してなくてはいけないのかと。そうだ、だから戦争をするんだよという人もいるでしょう。
しかし日本は、負けたおかげで憲法9条という、奇跡のような宝物を手に入れました。もし世界中の国全部が憲法9条をもっていたら、世界から戦争はなくなっちゃうんですよ。こんな不条理ともいえる、夢ともいえる、世の中の現実とも合わないといえる、まさに事実には合わない憲法だけれども、真には合う。それを信じることが映画の力なんですね。
« 映画には、世界を必ず平和に導く美しさと力がある―大林監督―② | トップページ | 映画には、世界を必ず平和に導く美しさと力がある―大林監督―④― »
「映画・テレビ」カテゴリの記事
- 「光る君へ」脚本家大石静氏へのインタビューを読んで(2024.07.02)
- 名古屋の「虎に翼」ロケ地(2024.05.31)
- やはり面白くない「光る君へ」 (2024.05.23)
- ポツンと1軒家番組(2024.05.07)
- 相変わらず面白くない「光るの君へ」(2024.03.27)
コメント
« 映画には、世界を必ず平和に導く美しさと力がある―大林監督―② | トップページ | 映画には、世界を必ず平和に導く美しさと力がある―大林監督―④― »
今年の夏も大変暑い。最近、私は暑さ凌ぎにイオンモールに出かけている。当地のイオンモールは高齢者にフレンドリーで店内に休憩のための?椅子がたくさん置いてある。私はこの椅子に坐り、100円で買った炒りたてコーヒーを飲みながらしばし読書するのが日課になっている。最近読んだのは半藤一利氏のB面昭和史である。これが実に興味深い。素晴らしい筆力である。B面とはA面が歴史教科書に載る表の歴史とするならばそれと対になる民草の生きざまの変遷である。氏の結論は以下の通りである。少し長くなるが引用したい。歴史は人間が作るものなのです。つくった当事者は去っていっても事実は残ります。(中略)征服欲、虚栄心、攻撃性、名誉欲、暴力への恍惚といった感情が素地として植えつけられた人間が後を継ぐ限り、太平洋戦争のように国民が大政翼賛の空気に押し流され、ちょっとしたきっかけで暴発することは永遠に繰り返されるのかもしれません。人間が断断固として、無謀で悲惨な殺し合いを拒否する意思を保たなければ、歴史は繰り返す他はないと。(後略)また当時の新聞、雑誌はこぞって政府の意を呈して民草を煽りに煽ったのである。少しでも疑問を呈するものがあれば廃刊を余儀なくされた。今年も終戦の8月を迎える。
どのような終戦記念番組が組まれるのであろうか。
投稿: toshi | 2017年7月31日 (月) 09時08分