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2017年7月11日 (火)

人生の最期をどう迎えるか

 人生は過ぎてみると速いものである。「朝に紅顔あって世路に誇れども、暮れ(夕べ)に白骨となって郊原に朽ちぬ」(和漢朗詠集下)と言われるように瞬きの間の感がする。

  人生の最期をどのように迎えるのかは誰にも分からない。地震や津波や風水害などの天災以外にも交通事故や病気などで最期を迎えるのかも知れない。釈迦ではないが、その心がけを普段からしておくことが大事だと思うようになった。

  7月8日の朝日新聞朝刊に「最後の時 どんな形で」という記事が載った。二人の有識者へのインタビューであった。

  その一人、会田薫子東京大学特任教授の話の中で次のことに注目した。病院に入院して延命治療を受け、さまざまな管につながれることを「スパゲッティ症候群」というのだそうだ。最後までできるだけの治療を尽くしてあげたいという家族の意識も背景にあるという。

  思えば私の妻の両親もそうであった。救急車で救急病院に運ばれ点滴等のチューブにつながれた。その病院はそういう患者を受け入れて金儲けをする病院だとすぐに分かったがどうしようもなかった。

  幸いというべきか二人とも入院後1週間以内に亡くなったから苦痛の時間は短かった。しかし当時は延命治療を当然と考えていたから、できるだけの手当てをして欲しいと思っていた。

  会田教授によると、点滴による水分や栄養分の補給は、最もよく行われる終末期医療だが、本人には苦痛を伴うという。

  針を何度も刺すのは痛いし、余分な輸液は気道内の分泌物を増やし、痰の吸引による苦痛や気道が閉塞するリスクを高め、心臓や肺への負担が大きいという。義父母の場合も痰の吸引をしたが見ていても苦しそうで、自分はして欲しくないと思った。

  会田教授は、「人は死期が近づくと、鎮痛作用がある脳内物質が増えます。水分や栄養分を補給せずに看取るのが、もっとも苦痛が少ないのです」と語っている。同じような考えは近藤誠医師やその他の医師によって言われている。

  知人のKさんのご主人が先だって亡くなられたが、主治医の岡田医師は食べたくないのなら食べなくてよいと言われ、自然な状態での最期を勧められた。1週間ほどで静かに息を引き取られたと聞く。

  昔は自宅で亡くなるのが普通であった。特に治療をする訳でもなく、布団の上に寝て静かに最期を迎えた。私は何度か立ち会ったが苦しむ様子は見なかった。

  会田教授は、「治療、救命が最上の価値と教育されてきた医師は、人工的な延命措置をやめることに心理的抵抗が極めて大きい。でも、命を縮めると捉えるのではなく、機械的な延命によって本人の尊厳を損なっている状態を止め、患者の価値観に照らし、本人らしい人生の終え方に貢献するのだと、意識を180度かえるべきです。点滴を望む家族の意識改革も必要です」と述べている。

  医療技術が進歩し、それに頼ってやれるだけのことはやり尽くすのが倫理的にもよいのだと、医師も家族も考えがちだが、そうではなく、死んでゆく本人が幸せになる方法を探ることが大切で、人工的な延命治療をしないというのも選択肢の一つだと指摘している。

  これに関連して、木澤義之神戸大学特命教授は、次のように述べている。

  「昔はいわゆる危篤の状態になれば。長生きはできませんでした。でも今は、医療技術の進歩によって、そこからも長く生きられる。選択肢が増えた分、どんなケアを受けて、どんな最期を迎えたいか、自分で考える時代になってきたと言えます。

 自分の考えや気持ちを、代理決定をするであろう家族などと十分話し合っておくことが大切です。」

 さらに緩和ケアの大切さを説いている。「緩和ケア医の重要な仕事は、患者に最期のときを充実して過ごしてもらうこと。その目的のために、患者が望む生活や受けたい治療を調整し、痛みやつらさを和らげる」だという。

 しかし、日本の緩和ケアはガンに偏りすぎていると指摘する。2015年に日本で亡くなった約129万人のうち、7割はガン以外だという。癌患者は人生の最終段階でも緩和ケア病棟や在宅で手厚いケアが受けられるが、癌以外の患者では難しい。この状況を改善するべきだと指摘している。

 癌以外の患者は緩和ケアが受けられないとは知らなかった。日本の医療は遅れているのだ。一日も早く改善してほしい。

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コメント

私も家内も70歳を越えたので今年は終活を実践しようと誓いました。昨今、終活という言葉は市民権を得ましたが、そもそも楽しい話しではないので一向に進展せず、目下のところ近所にオープンした葬儀場ティアの会員になっただけです。本来、終活とは病気になったらどんな治療を受けるのか、葬儀は、お墓はその後の供養は。財産があれば相続はどうするかを生前にきちんと決めておくことです。私の知人は息子から、親父、そんなことは心配しなくても自分がきちんとやるからと言われたそうです。
頼りがいのある息子ですね。私の場合は一人娘で嫁に行っているので、きちんとしておきたいと切実に思っています。手元にあるエンディングノートを何とか認めておきたいと思う毎日です。

投稿: toshi | 2017年7月11日 (火) 15時35分

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