憲法を考える「70年変わらない意味」を読んで―②―
慶応義塾大学の駒村圭吾教授は、次のように語っている。
日本国憲法の字数が少ないことについて、「そのことが『憲法』の規範としての密度の低さに直結するものではない」という。憲法は本来、理念や原理を定めるものだからだ。
憲法に書かれている理念を制度化して、統治の仕組みを組み立てていくための制定法、つまり法律や条約などが必要だ。
もう一つ必要なのが、理念の意味を明らかにする解釈法、すなわち最高裁判例や政府解釈だ。憲法典の下、制定法、解釈法が一体となって「憲法」が出来上がっているのだという。
日本の場合、最高裁は、具体的な訴訟を起こされないと憲法解釈を示せないという。だから必然的に、政府が行う解釈が重要な位置を占めることになるのだ。あの忌まわしい集団的自衛権行使容認の閣議決定が改憲に匹敵するのはそのためだというのだ。
70年間、日本の憲法典は変わっていないが、「憲法」は細かいところで変動しているという。憲法9条は、PKO参加、集団的自衛権行使容認など、外装は変わったが、「必要最小限度の実力しかもたない」「戦力と自衛力を区別する」という最も革新的な部分は一貫して変わっていないという。
本当にそうだろうか?南スーダンでも駆けつけ警護や米補給艦への「いづも」の防護などは戦争に引き込まれる危険性がなしとは言えない。
最近では、内閣法制局など、解釈を担う機関が脆弱になっている。そうなると、解釈法が骨抜きになり、意味のない文言の変更でも、それこそ忖度を通じて、政権にとって都合のいい解釈が垂れ流されることになりかねないという。
内閣法制局長官を任命するのは首相だから、安保法制のときでも政府に都合の良い解釈を示したではないか。垂れ流しもいいところである。
憲法は「押しつけで正統性がない」と言われるが、日本国憲法の正統性とは、70年間生き延びてきた、そのことこの重みに求めるべきだと述べている。
我々多くの国民が人権や平和に配慮した憲法をよしとして受け入れ、守ってきたという70年の年月をしっかりと振り返るべきであろう。
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