共謀罪法は一般市民に無縁ではない―⑥―
♦♦世界的な規模でみれば、身体データによって最も厳しく行動を監視されているのはいまだに旧植民地地域とその出身者たちだ。日本や米国のIT企業が開発した生体認証技術は、第三世界の国民IDカード向けに大々的に売り込まれ、現実に導入されている。
人権意識の高い欧米の市民に指紋や顔認証を強制することは政府にとって困難であろうし、だからこそNSAシステムは米国で極秘裏に構築された。一見、科学的で客観的に見えるIDカードや指紋という手法は、けっして中立でも平等でもない。
道具に過ぎないようにみえる技術は、歴史をさかのぼれば当然のことながら、主たる目的をもって開発されている。IDカードや指紋は、それを所持している人物が権力にとって「望ましいか」「望ましくないか」を振り分ける目的をもって開発され、いきつくところ「望ましくない」人物を排除してきた。
大英帝国下のインドで、日本占領下の中国東北部で、米軍統治下のアフガニスタンやイラクで、そしていままた中東で激しさを増す戦争を逃れてきた人々の行き着く先々で。
権力にとって望ましくない人間を振り分けるのが主たる目的であったとは知らなかった。
♦♦民主主義に内包された植民地支配
では、旧植民地とその出身者が最も厳しい監視の標的となっているのならば、それはスノーデンが暴いた「すべて」を標的にする世界監視網と、どのような関係にあると考えればいいのだろう? ここで理論の助けを借りてみよう。
♦政治学者のハンナ・アーレントや思想家のミシェル・フーコーはそれぞれ、国民国家であると同時に帝国主義国家であった近代西欧が、植民地で実践した支配方法が本国に影響を与える現象を「ブーメラン現象」と呼んでいる。
欧米から見れば、初めは植民地で適用した管理手法が本国に舞い戻り、拡散していく様は、まさに自らが放ったブーメランの軌道にみえるかもしれない。
欧米の国民国家では民主主義的な法概念が発達して市民権が確立し、市民を国家の直接的介入から守る法律ができていくなか、植民地はその原則から切り離され、外部とされた。
植民地の人々は宗主国の臣民ではあっても市民ではなかった。政治的、経済的に宗主国のシステムに組み込まれても、権力から身を守る権利規定はなかった。
その意味で、欧米が民主主義の外部である植民地で市民権の縛りを受けずに開発した監視の手法が、いま民主主義の内部へと帰還し、地球上のすべての人々を監視対象とするようになったともいえよう。
植民地で開発した監視技術がブーメランとして戻りすべての人々を監視対象とするようになったのか。
♦だがイタリアの哲学者ジョルジュ・アガンベンはもう一歩踏み込んで、このような法の例外状態が実は西欧民主主義システムの内部に最初から存在し、常に民主主義国家の一部とされてきたのではないか、と考える。彼の指摘は、植民地を民主主義の外部としてよりも、欠くべからざる内部としてとらえることを示唆する。
植民地の例外状態は、安い労働力と資源を供給するという点で、宗主国にとって経済的な繁栄の源泉であると同時に、政治的な優位をも確立した。
一般に「ベル・エポック」(古きよき時代)として懐古されるような西欧の繁栄期が、植民地を搾取していた時代でもあったことはほとんど思い起こされない。
西欧の「原則」と植民地の「例外状態」は結びつけて考えられてこなかった。しかし、植民地で人々を暴力的にあるいは差別的に扱う例外状態があってこそ、西欧は富を蓄積し、生活水準を向上させ、選挙権と市民的自由を確立する法制度を備えていった。
西欧の権力は本国で人権保障という縛りを受けても、植民地では軍事力と警察力を思うままに行使し、ひいては本国での支配基盤を強化することができた。言葉を換えれば、民主主義国の野蛮な暴力は、例外状態を帝国の内部に保つことで合法的に温存されてきた。
西欧の民主主義国が法の支配を原則としながら、緊急事態を名目に個人をこの原則から引きはがした例は、対テロ戦争下で枚挙にいとまがない。(159ページ)
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