着々と進む戦前回帰への地ならし
文部科学省は新しい道徳教科書の検定で、東京書籍の1年用の道徳教科書の教材「にちようびのさんぽみち」の中にあった記述を「パンや」から「和菓子屋」に変えさせた。「我が国や郷土愛」の要素が不足しているというのが理由であった。
東京書籍は文部省の意見を「忖度」して、「パンやさんは、おなじ1年生のおともだちのいえでした」という原文を「前後の文脈を変えて「にほんのおかしやで、わがしというんだよ」などと修正したというのだ。
「和菓子屋」に比べて「パンや」がどうして「郷土愛不足だというのであろうか。街では和菓子屋はあまり見かけず、洋菓子屋の方が多いし、我が家の近辺の和菓子屋でも洋菓子と両方を売るようになって久しい。子どもたちも和菓子よりケーキなどの洋菓子の方を好むと思われる。
パンは日本では多様なパンがつくられ、アンパンなどはフランスでも人気があると聞く。サンドイッチでも日本風にアレンジされて大量に売られている。日常生活に定着したパンが和菓子より郷土愛にもとるとは屁理屈である。
また、学研教育みらいの1年生用教科書では、「アスレチックの公園」が「和楽器店」に入れ替えられて合格したという。やはり「忖度」したのだ。
外国から来たものではなく、「和」がつけば日本的なものとみなすという短絡的な発想である。文部科学省の役人の頭は単細胞だとしか言いようがない。「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ」を育むのはそうした発想では無理というものである。
また、「武道」に「銃剣道」を取りいれるというニュースがあった。「銃剣道」と言えば戦前の学校には模擬銃があってそれを使って訓練されていた。私は幸か不幸か、その年齢になっていなかったので経験していないが。女子は長刀だったと記憶する。
銃剣道といえば、白兵戦を想定したものである。戦争そのものの訓練である。それを復活するというのだから時代錯誤もいいところである。
極めつけは、「教育勅語」の復権である。安倍政権は、教育勅語を学校で取りあげることを容認する閣議決定をした。とうとうここまで来たかと戦慄を覚える。
しかし、教育勅語は明治天皇によって臣民に与えられた心構えなのだ。親に孝行をし、兄弟仲良く、夫婦睦合い、友達を大切にしなさいという儒教の徳目を並べている。稲田防衛相のように、教育勅語のこうした中身は肯定できるというのが自民党議員たちの大半の意見であると思われる。
そうであろうか。教育勅語の要諦は、臣民がこうした徳目をしっかりと身に着け行うことで、「一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」にこそあるのだ。天皇に忠良な臣民を育て、何か危急のときには身命を擲って天皇のために死ぬということを説いたものである。
実際戦前はその通り実行され、1銭5厘の赤紙1枚で戦地に狩り出された臣民は、「天皇陛下万歳」と死んでいったのである。「身を鴻毛の軽きにおく」ことをよしとされたのだ。そこには人権もなにもなかったのである。
今、自民党と公明党が手を組んで安倍政権が進める戦前回帰の政策の数々は、気が付いたときはすでに遅しとなるであろう。そのことに気付くべきである。
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森友問題でもそうであるが、自民党員の誰からも政府の対応に意意義、異論はでないのである。今をときめく小泉進次郎氏もノーコメントである。余計なことを言い、官邸から睨まれると、公認されないかもしれない。ひたすら保身のために沈黙を続けるのである。一致団結金太郎飴、これでは中国や北朝鮮と何ら変わらない。国民はどんな問題も時間が経てば忘れてしまう。これが政権の本音であり、事実そのように動いている。自分の尻に火がつかない限り、所詮他人事なのだ。小池百合子さんに期待する以外に現状打破は無理かも?
投稿: toshi | 2017年4月 3日 (月) 07時27分