共謀罪法は一般市民に無縁ではない―⑧―
4月6日に「共謀罪法案」が衆議院で審議に付された。安倍政権は国会での多数をたのんでこの国会で成立させようとしている。紹介して来た論文の続きを取り上げる。
♦♦こうして近代法と民主主義の例外として開発された監視の技法は、「コレクト・イット・オール」を公にうたってはいなくても、いまやすべての人口を照準に入れる方向を目指している。これはスノーデンが監視によって権利状況が悪化することを正しく感じ取ったように、権力が個人を取り巻く法の守りを解き、人口を振り分け、状況に応じて意のままに介入しやすくするためのツールなのだ。
NSA監視システムは、米国由来の情報通信技術と一体化した点で、他のシステムと比べて群を抜く情報収集能力を実現したといえるだろう。
この点に関しては映画「スノーデン」の克明に描かれている。
♦♦しかし現代の監視技術が新しいのは「すべてを収集する」点だけではない。情報通信技術、特にインターネットは世界をつなぎ、自由と平和をもたらすという夢をいまでも多くの人々に見せている。
「つながる」ことへの肯定感は、人類がこれまで機械やコンピュータに対して抱いてきた警戒心を、ほとんど払拭してしまったと言ってもいいだろう。技術は中立的なイメージを超えて、便利で心地のよいものとして受けとめられ、アップルが新製品を発売するたびに店頭に長い行列ができ、ポケモンGOにポケモンファンとも思えない大人が雪崩を打つ。家族といても友人といても一人でいても、みんなが手元の四角い画面を見つめている。
インターネットによって、世界の誰とでもいつでもつながれるというこの便利さ、快適さは我々の警戒心を薄めてしまったとというのは指摘の通りだ。
その画面で名前や電話番号を登録することも、便利さを享受するには当然のことだし、番号を振られることも快適さには欠かせない、と慣らされていく。技術を批判的に認識することは、日を追って困難になっている。人々の脳に休まず流れ込むデジタル技術の実は自閉的な心地よさが、現在の監視システムを強固に支えている。
多くの人がポケモンGOに動かされている自分の体がデータを提供しているとか、監視されているなんて想像もしないし、仮に頭をかすめたとしても、自分に害悪をもたらすとは信じられない。その心地よさが、人々に自ら率先して、ときには楽しく喜んで、データを提供させ続けている。だからこそ「べつに監視されても構わない」という受容の態度がいつの間にか広がっているのだろう。
パソコンやスマホにアップグレードなどの名目で自由に入り込んで来る他者。本当は不気味なことなのだが、慣らされてしまったのか、警戒心がなくなりやらせ放題である。
♦♦監視はなぜ世界を危険にするか 冒頭の仮説に戻ろう。
監視によって世界はなぜますます危険になるか。テロ防止のために構築された大量監視システムは世界を安全にする約束だった。が、過去15年におよぶ対テロ戦争は世界中で暴力を拡大再生産させている。この事実だけでも監視システムが平和をもたらさないことを示してあまりあるが、監視の根源的な作用は歴史をさかのぼることで真に浮き彫りになる。
テロ防止ということで大量監視システムによって各国が躍起になっているにも拘わらずテロが無くならない。それどころか広がりを見せている。日本ではそれに乗じて「テロ防止」という名目で、今「共謀罪」法案が作られようとしている。とんでもないことである。
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