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2017年2月12日 (日)

話題の「福島県民お断り」という作文

 友人が送ってくれたもので、「福島県民お断り」というタイトルの作文がネット上で話題になっているそうだ。

 下記に紹介するのは「第36回全国中学生人権作文コンテスト」に応募した宮城県女川町の中学3年生「門馬瑠々 (もんまるる)」さんの作品で、仙台法務局長賞を受賞している。

「福島県民お断り」。

 それは、福島県民の私に大きなショックを与えるものでした。小学校三年生まで、私は福島県南相馬市で生まれ育ちました。南相馬といえば野馬追が有名で、昔からの歴史を大切にしてる町です、私は、そんな南相馬の町や人が大好きでした。

 しかし、五年前、東日本大震災の影響で原子力発電所が爆発し、全てが変わりました。放射能の影響から、南相馬市は一夜にして人の住めない町になってしまいました。

 この事故の影響で、私は家族と一緒に、親戚がいる栃木県に避難することになりました。ところが、その途中に寄った店で、とても衝撃的なものを見てしまいました。

 それは、駐車場に停めてあった車に、

「福島県民お断り」

と書かれたステッカーを貼った車があったのです。

 私はそれを見て、これからのことが不安だったこともあり、「え?」とただただパニックになり、意味を理解したとき、悲しい気持ちになりました。

 震災から5年が経過した現在でも、福島県に対する偏見はまだまだ消えていません。それは、祖母の知人が熊本地震の際に、支援物資を届けに行ったときのことでした。

 決して近いとはいえない熊本に、福島から行ったのにも関わらず、「福島の物資はいらない」と現地の方々に拒否されたそうです。

 現地の方々も、放射能の被害を恐れての発言だったのでしょう。しかし、被災した方々のために、直接届けてにきてくれた人に向かってどうしてそのような心ない言葉が言えるのだろうとむなしさがこみ上げてきました。

 結局、その場所では物資は受け取ってもらえず、別の場所で受け取ってもらったそうです。

 この話を聞き福島県の風評被害は今なお続いているのだと恐ろしい気持ちになりました。

 同じ日本人なのに、どうして福島県から来ただけで、このような酷い言葉をかけられなければならないのでしょうか。

 私が育った町や人が否定されるならば、私の今までの人生までも否定されている気がしました。

 震災後、私は自分の気持ちを人に話すことが苦手になっていました。「福島県民だ」という周りの人達の視線がとても気になったからです。しかし、そんな私の心を新たな出会いが変えてくれました。

 小学校五年生の時、私は宮城県の女川町に引っ越してきました。見知らぬ土地での生活はとても不安で、これからどんなことが待っているのか心配でたまりませんでした。

 また「福島県民だ」と悪者扱いでもされるのかと思っていました。自己紹介を終えて指定された席に着くと、周りは男の子達でした。

 するとその中の一人が、私に「福島から来たんでしょ?」と聞いてきました。私はその質問にひどく動揺し、この後何か言われるのだろうかと思いました。

 しかし、聞こえてきたのは私の想像するものではなく「大変だったね」という気づかいの言葉でした。

 他の子達も「友達にならない?」「一緒に遊ぼう」などと、とても優しく接してくれました。

 女川町もまた、震災で大変な被害を受けました。友人の中にも、津波で家や家族を亡くした人がたくさんいました。それでも、明るく毎日を過ごしている友人を見て、女川の人たちの力強さを感じました。

 同時に、苦しい思いをしているのは自分だとばかり主張して、ふさぎ込んでいたのが「なんだこの人達の方が辛かったんじゃないか」と思い、自分が情けなくなりました。女川町の人達は、本当に強い人ばかりで、何度も助けられました。

 私がここまでの体験で感じたこと、それは「偏見」と「共感」です。「偏見」とは、自分の勝手なものさしで周りのものを判断することです。相手の気持ちを無視した、とても自分勝手な行動だと思います。

 みなさんは、人と関わるとき、偏見を持って接することはないでしょうか?「あの人はテストの点数が悪いから頭が悪い」や「あの人は口数が少ない人だから暗い人だ」など、ちょっとした偏見で他人を見ることは誰にでもあることだと思います。

 しかし、その偏見が無意識のうちに人を傷つけるということを忘れてはならないと思います。

 逆に「共感」とは、相手のことを思いやり、相手の立場に立って行動することです。私が女川に来てから、私の心に寄り添ってくれた友人たち。

 私の痛みを自分の痛みとして捉え共に乗り越えようとしてくれたことにとても感謝しています。だからこそ、自分もまた、傷ついている人がいたら共感し、手を差し伸べることができる人間になりたいと思うようになりました。

 私は将来、自分を救ってくれた人達のように、苦しむ人の助けになりたいです。

 
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