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2017年1月 8日 (日)

朝日新聞「経済成長ゼロは悪なのか」という記事を読んで―②

 「数字ひとつで財政や金融政策を動かし、人々の景況感にも影響するGDP。その歴史は長い人類史の中では意外と短い」と記事はいう。GDPがまるで水戸黄門の印形のように、数値で一喜一憂している。

  現在のようなGDPが使われるようになったのは、1930年代に英国、米国で大恐慌の対策を探り、第二次世界大戦に向けた生産力の分析を進めるためだった(『GDP』ダイアン・コイル)そうだ。

  戦争は武器・弾薬や装備・食糧そして輸送手段など大量の需要が見込まれるからGDPに貢献したのではないか。しかし、その後に疲弊が来るからGDPはぐんと落ちてしまうだろう。

  一般的には1760年代の英国産業革命が成長の起点とされるが、一人当たりGDPがはっきり伸び始めたのは1820年頃だった(経済学者アンガス・マディソン)という。記事には大きなグラフを載せている。それによると、1820年の667$からグラフはまっすぐ上に伸びて1913年1526$、2003年6516$となっている。

  「なぜ成長が必要なのかという根源的な問いに、経済理論は実は答えがない」と佐伯啓思京都大学名誉教授は言っているそうだ。経済学者は成長の必要性についての根拠を示していると思っていたが意外であった。

  佐伯教授によると、国家が成長を必要としたのは、冷戦期に資本主義陣営が社会主義陣営に勝つためだったというのだ。冷戦が終わっても成長への渇望だけが残ったのだという。なーんだそんなことかと気が抜けた。だだGreedyなだけではないか。資本主義はGreedyを基定に行動していると思う。だから別に不思議ではないのだが。新自由主義経済はその行きついたところである。

 記事は「むしろ成長の限界や弊害について、以前より語られなくなったのかも知れない」と遠慮がちに書いている。

 「1970年代初頭、世界の科学者や経済学者たちが集まるローマクラブの報告書『成長の限界』は、経済成長を謳歌する人類への警告だった。」と書いている。

 「人口が増え、先進国経済が膨張し過ぎると、資源の使いすぎや環境悪化などからいずれ限界が生じる、という問題提起だった」

 1974年には世界人口は40億人であったのが、現在は73億人を超えて増え続けている。先進国経済の膨張だけでなく、その後中国経済が今や世界第2位となり、インドやブラジルなどの途上国と言われた国も大きく発展している。

  あの頃石油が間もなく枯渇すると言われたが、今のところまだ保っているが、化石燃料による地球温暖化や熱帯雨林の伐採や砂漠化や中国のスモッグなど環境悪化は酷いものである。限界が生じるというのは素人でも予測できることである。(それでもトランプ氏は認めようとしないが)

  佐伯教授は、「ローマクラブが指摘した問題の重要性は今も変わらない。これから無理やり市場を膨張させ、成長させようとする試みは競争や格差を激しくして、人間にとってますます生きにくい社会にしてしまうのではないか」と話しているそうだ。

  記事は「主要国の成長戦略、金融政策は往々にして強く富めるものを、さらに強くさらに富ませる傾向がある。それがトリクルダウンで中間層、低所得層に広がるという想定だ。現実にはそうなっていない」と指摘する。

  安倍首相は、伊勢神宮の記者会見で「アベノミクスをますますふかせる」と述べた。まだアベノミクスの破綻を認めようとしない。

  米国を見ても、日本を見ても、中国や韓国を見ても、競争や格差を激しくし、一部の勝ち組と大多数の負け組に分裂し続けている。その断層地震が英国のEU離脱であり、米国のトランプ大統領ではないのか。

  経済成長は本当に必要なのか。GDPを押し上げることが大事なのか。私はNOだと言いたい。ブータンのようにGNH(Gross National Happiness)を大事にすべきではないかと思う。地球は一部の大金持ちのものではない。全ての動植物も含めてのものなのだ。

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

経済のパイが膨らまないと社会保障に回す金も増えず、インフラも拡充できないというのが為政者の言い分である。確かにそのロジックには一定の説得力はある。しかしながら経済が成長してもその果実が国民全般にいきわたらない実態がある。所得の再配分政策が不十分であるのが最大の問題なのだ。政治は極論すれば弱者の立場に立って所得再配分政策を推進することに尽きるともいえる。貧乏も自己責任といっているようでは問題は解決しないのである。

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