汽車があった時代、人の荷物を持ってあげるということは普通
朝日新聞に、原節子さんのエッセイが見つかったという記事が載っていた。原節子さんが26歳のときに、久留米市の「想苑」(1946年)という雑誌に掲載されたものだという。
エッセイは省線電車(旧国鉄)でのエピソードを紹介したものである。その一つは、赤ん坊の激しい泣き声に、「やかましいゾッ!」などの怒声が上がったが、突然「母親の身にもなってみよ。心で泣いてるぞ!」との声で静まり返り、その声は「烈々たる気迫に充ちていた」という。
二つ目は、座席の若い女性が、乳児を抱いて立つ母親にだっこさせてください」と手をさしのべたが、ある紳士が「抱いてあげる親切があったら、席を譲り給え」と怒鳴る光景に、原さんは「紳士は『善』を知っているといえよう。けれども『善』を行えないたぐいであろう」と皮肉っているという。
これを読んだとき、私が高校生の頃でも、大学に入ってからでも、電車や汽車など乗り物で座っている人が、自分の前に荷物を持っている人が立っていたら「荷物をお持ちしましょう」と言って膝の上にのせる光景をよく見たことを思い出した。
人に席を譲ったり、荷物を持ってあげたり、席を詰めて座れるようにしたり・・・ということは、当たり前のことであった。汽車では座席が向かい合いであったから、遠くに行くとき、前の人と話をしたり、食べ物を貰ったり、上げたりしたことが普通に見られた。私は大人になったら何かを上げたいと思い、それを楽しみにしていたものであった。
また、見知らぬ人の振舞に注意をする大人もよく見かけたものであった。今では注意をしようものなら何をされるか分からないという恐怖感があって、見て見ぬふりをしている自分である。
このブログで以前に「道を尋ねること」について書いたが、それに対し、「人の気持ちも考えずに道を聞くな!」というコメントを何度も繰り返されたことがあった。以来、道を尋ねることについてトラウマになってしまった。
日本人が育んできたよい習慣はどこにいってしまったのであろうか。汽車がなくなったことと時期的におなじくしているような気がしないでもない。汽車はスピードが遅く、揺れや音が大きく、煤をまき散らすから快適ではなかったが、乗客をのんびりさせるものであったように思う。だから客席が社交の場にもなったのだろう。
電車になって、スピードが速くなり、人を目的地に早く着きたいという気持ちにさせる。新幹線ものぞみになってさらに所要時間が短縮された。今や目的地に速く運ぶ手段となってしまった。かつての汽車の時代の様に人々をつなげ、思いやりあう側面がなくなってしまった。
物事には必ず表裏があるから、よいように思われることでも、別の見方をすればよくない面が見えるものだ。席を詰めて上げる、譲ってあげる、物を持ってあげる・・・などのあった時代が懐かしい。
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人間関係が希薄になってきたのか、他人に対して疑い深くなってきたのか、とても寂しい時代ですね。SNSの普及で友達が50人いるとか100人いるとか言う話も聞きますが、どこまで友達と呼べる関係なのか、自分と他人との関係においてジェネレーションギャップが大きくなったと感じます。人は疑えばきりがないし、信じ過ぎれば騙されたり裏切られたり犯罪に巻き込まれたりする可能性もあるでしょう。かと言ってすべての見知らぬ人を疑っていては、見知らぬ人と一切関わりが無くなりますね。自分の身を守ることは大切だと思いますが、何も騙すつもりのない人まで疑うのは、疑われた人の身になれば悲しい想いをされるでしょうね。自分が困った人の立場になればわかると思いますが、すべてスマホがあれば解決するものでもありませんね。せめて自分よりも体力的にも弱い立場の高齢者や妊婦さんや体の不自由な方には親切にしたいですね。
投稿: danny | 2016年12月 8日 (木) 13時29分