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2016年8月22日 (月)

増谷文雄「仏教入門」―㊲―

 釈尊は成道後ほどなくして、菩提樹の下を去って、西の方に赴き、波羅捺國の仙人随所、鹿野苑において、五比丘に対して最初の説法―初転法輪―を試みた。その説法は、かの中道の宣言にはじまり、それにつづいて四つの真理―四諦―に就いての説明が行われた。

 「比丘等よ、苦聖諦とはかくの如し。生は苦なり、老は苦なり、病は苦なり、死は苦なり、怨憎するものに会うは苦なり、愛するものと別離するは苦なり、求めて得ざるは苦なり、略説するに五取蘊は苦なり」

 四つの真理の中でまず第一の真理は、苦の諦すなわち「人生は苦なり」という真理であった。これが釈尊の宗教における第一着歩、出発点をなしているのである。

 古来、「四苦八苦」という言葉が存するが、これは釈尊がこの苦の諦を説いた時の言葉に出づるのである。生も苦である。死も苦である。老いるも苦であり、病むも苦である。これが四苦であって、いろいろの苦しみの中でも、もっとも普遍的且つ根本的な苦である。これらの苦しみは、いかなる幸福の星の下に生まれたものでも、これを免れることはできない。

 多くの仏教経典は、出家前の釈尊がいかに幸福な生活を享受していたかを強調しておる。彼は王族の嫡子として生まれ、邸のうちには三つの池があって、そこには一面に青蓮、紅蓮、白蓮が浮かんでいた。夏と冬と秋に適した三つの別邸もあった。衣物には波羅捺産の美服をまとい、食物には米と肉とを主とした最上の珍味が供せられた。だが、かかる生活の中にあっても、結局、生老病死の反省がなされずには済まされなかった。のちに、弟子たちに語った往時の追懐は、つぎのごとく記されておる。

 「比丘衆よ、我は是の如く富裕にして、又是の如く究竟して無苦なりしにかかわらず、思惟しらく、―無聞の畢生(無智凡庸の者)は自ら老いるものにて、未だ老いを免れざるに、他の老衰者を見て悩み、己を越えて慚じ嫌う。我もまた老ゆべきなり。未だ老いを免れず。我もまた老ゆべきものにて、未だ老を免れざるに、他の老衰を見て悩み慚じ嫌うべきか。これ我に応(ふさわ)しからずと。比丘衆よ、我は是の如く観察せしとき、あらゆる壮年時に於ける壮年の憍何時逸は悉く断たれり」

 そして病に就いても、死についても、また同じことが繰り返されておる。鈍感無反省の人間は、老死が直接彼をつかむまでは、知らざるもののごとくである。だが、人間はしべて生まれてはまた死んでいくのである。その生と死との間には、またさまざまな苦が介在しておる。それが人間の運命であって、この運命の上にそそがれた人類の涙は、大海の水もこれに及ばすと言われた。

 この初転法輪は後の者が釈迦の教えを整理組織した思想体系であろうとする説もあるが、四諦説が釈尊の思想体系の基本的なものであることに異論はないと増谷氏は言う。

 生・老・病・死は人間のみならず、生きとし生けるものすべてに逃れることが出来ないものである。他の動物や植物はどうなのか知らないが、脳が発達した人間には原始の昔から最大の悩みであったに違いない。

 釈尊は生・老・病・死をしっかりと捉えて明らかにすること(諦)を説かれたのである。ここに釈迦が説いた真理の根本があるのだ。

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コメント

「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如く也、一度生を得て 滅せぬ者の有るべきか」とは織田信長が好んだ一節とされている。また西洋には「メメントモリ」、ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句があり「死を記憶せよ」などと訳され、芸術作品のモチーフとして広く使われてきた。いずれも死は避けられない人間の運命を強く表現している。がんに罹病すればいとも簡単に余命告知がなされるようになった昨今、揺るぎのない死生観を持ちたいものだが、凡人にとっては至難であると思うこのごろである。

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