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2016年8月28日 (日)

所変われば葬儀も変わる?簡素化の時代?

 親戚筋の葬儀に出席するため東京へ行ってきた。葬儀は東京から車で2時間の神奈川県であった。

 葬儀は今一般的になってきた感がある「家族葬」であった。小さなホールを借りて行われた。和室でもよいのだが、畳に座るのは大変なので有難かった。

 亡くなったのは日曜日であったが、月曜日が友引であったのと、この時期に亡くなられた方が多くて、火葬場の予約が思うように取れなくて、葬儀は木曜日の午後2時になってしまったそうだ。

 水曜日の夜お通夜をしたのだが、普通お通夜のお経は30分が多いが、ここでは40分余りもあった。また線香がたくさん用意されていて、何度も線香を立ててお参りした。驚いたのは、お通夜と言いながら、読経とお焼香が終わると故人の棺をホールに置いて家族が家に帰ってしまったことであった。葬儀場の係りの説明ではそれでいいのだということであった。

 次の日また2時間かけて葬儀場まで行った。葬儀が終わると、「引き続いて初七日の儀を行わせて頂きます」と導師が言い、初七日の経が始まったのでびっくりしてしまった。それが終わると花をお棺に入れて飾った。

 火葬場に着くと、遺体を焼く前の最後の読経があり、それから1時間20分ぐらい待合室で待機した。火葬場は近隣のいくつかの市が共同で造ったものでまだ新しかった。誰かが「煙もでないし匂いも全くないね」と感心していた。

 電話で連絡があり、お骨を拾う部屋に行った。焼台が運ばれてきて型どおり二人で箸を持って骨を骨壺に入れた。

 亡くなった人は背骨にボルトを2つ入れてあったのでそのまま残っていた。驚いたのは骨壺が陶器製なのはいいとして、バケツのように大きいものであったことだ。どうしてそんなに大きいのかと思いながら見ていたら、係りが砂糖をすくうシャベルのようなもので残った骨を全部骨壺に入れてしまった。骨は押しつぶして蓋をかぶせ箱に入れた。

 全身の灰を全て持ち帰るのは火葬場にとっては都合がよいだろうが、持ち帰る家庭では大変困るだろうと思った。太平洋に散骨をするとか樹木の下に埋めるのならよいが、普通の墓にはとても収められない。ましてや今流行の納骨堂ではたまったものではないだろう。

 その後係りが「これで終わりです。ここで解散になります」と言った。初七日の経は終わっているので火葬場で散会ということになる。

 宗旨は我が家と同じであったが、通夜、葬儀、初七日のやり方や骨拾いなど、更にはお経の内容も違っているようであった。所変われば何とやら・・・葬儀の仕方も時代に連れて変化して来たのかと思った。私は愛知県の葬儀しか知らないので、まるで異文化体験をした気持ちになった。

 お経に就いて言えば、いつも法事や葬儀のたびに感ずることであるが、どうして誰にでもよく解る現代文にしないのかということである。誰が聞いても全くチンプンカンプンの漢語のお経や古い文語文のお経ではただ儀式をしているという意味しかない。

 有難いお経ならなおのこと誰にでもよく解るものにすべきだと言うのが私の意見である。お通夜で聞き取れたのは、やたらでて来た「観世音菩薩」という言葉とときどき唱えられた「般若波羅密多」ぐらいであった。

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コメント

遠くまでご参列お疲れ様でした。
私の身の回りでも家族葬が増えて、亡くなったことをごく近い身内にしか知らせない人が増えてきています。何か月もしてから初めて亡くなったことを知ることも多いです。最近はドライブスルーの葬儀場までできているそうですね。
<葬儀場の専用通路に入ったら、誘導灯の指示に従って専用受付の横に車をつける。受付にはタッチパネルがあり、車から降りずに窓から手を出して氏名・住所などを入力し、焼香ゾーンへ。ここでの焼香は抹香を指でつまむ通常のものではなく、焼香台に置かれた「焼香ボタン」を押す。すると、葬儀場の祭壇の遺影下に置かれた花形ランプに明かりがともり、焼香があったことを知らせる。車内で手を合わせ拝礼している姿は、遺影近くに配置されたスクリーンに映し出される。焼香が済んだら、ゲート用ボタンを押す。前方の自動ゲートが上がり、あとは前進して通路を抜けるだけ。香典はタッチパネルのところにいる係員に手渡しする。>
こんな具合だそうですが、ここまで便利さを追求するとは驚きです。故人のご家族や友人と故人を偲んで語り合うとか涙を流したり、慰めたりということも一切なくなるなら、葬式参列がただの社交儀礼になってしまうような気がします。

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