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2016年8月

2016年8月31日 (水)

凄い労作―参院選テレビ報道の検証―③

2、争点の伝え方――改憲問題

 

 今回の選挙で、改憲を目指す勢力が3分の2以上を占めれば、戦後初めて衆参両院で改憲勢力が3分の2を超え、憲法改定の動きが一気に加速することが予想された。

 

 民進党、共産党など野党4党は、安保法制を廃止し、立憲主義を取り戻す、という基本的合意に基づき、全国321人区の選挙区で野党統一候補を実現させた。戦後例をみない選挙の取り組みであり、その共通政策には憲法改定に反対する、という確認が含まれていた。

 

 こうしたことからみても、選挙の重大な争点が「憲法改正」であることは明白だった。

 

しかし、自民・公明両党は、改憲問題は争点ではない、と主張、街頭演説でも全く触れなかった。

 

 この「改憲隠し」にたいして、テレビニュースはどのような姿勢で臨んだのだろうか。

 

 各局の争点の設定の内容を見てみよう。

 

「ニュースウオッチ9」は、6月27日に「経済対策・アベノミクス」28日に「社会保障」29日に「安全保障と憲法」という3つの争点をあげた。

 

「報道ステーション」は、620日「憲法」23日「社会保障と財源」27日「イギリスEU離脱への対応」28日「低年金・無年金問題」75日「経済、アベノミクス」76日「安保」と、6つの争点を設定した。

 

「NEWS23」は、629日に「憲法」77日に「経済」、「NEWS ZERO」71日に「アベノミクス」8日に「憲法」を取り上げている。

 

「ニュース7」では、「改憲問題」を争点と設定した企画はなかった。また「みんなのニュース」はアベノミクスが選挙の争点という姿勢が基本で、改憲問題を独自に扱っていない。

 

 とくに「ニュース7」622日、公示日の放送で冒頭、武田キャスターが「安倍政権の経済政策、アベノミクスなどが争点になる第24回参議院選挙」と述べた。これは政権の主張と重なる表現で、この番組では争点としての改憲問題が意識されていないことを示していた。

 

 

 

 これらの争点設定を見る限り、4つの番組が自公の「改憲隠し」には従わず、改憲問題を一応の争点として掲げていたと言える。

 

 以下、改憲問題を扱った番組の内容を振り返ってみる。

 

 

 

 「報道ステーション」620日、参院選の争点シリーズのトップに「憲法改正」を挙げ、10分近くで報じた。

 

番組はまず「憲法改正」が投票先を決める決め手になるかという問いに、51%が「そう思う」と答え、「思わない」33%を上回ったという世論調査の結果を伝え、「今日は『憲法改正』について考える、とした。

 

続いて、1月の記者会見での首相の「憲法改正については参院選でしっかり訴えてまいります」という発言のVTRを挿入、ナレーションで「40回の街頭演説で憲法改正について全く触れていない」と指摘した。前言を平然と翻す首相の態度を端的に示す編集だった。

 

このあと、自民党草案の「日本国は天皇を戴く国家とする」、という前文、「国防軍の創設」「国旗、国歌の尊重、家族の助け合い、憲法尊重等々、国民の義務の規定」の増加など、草案の重要部分を画面上に示した上で、各党の主張を整理、紹介した。

 

最後に後藤謙次コメンテーターが、「安倍首相は選挙後憲法調査会を動かしていく、と言った。本音が出てきた。どんどん憲法問題の議論を深めていきたい」と指摘、富川キャスターは「ここ最近の選挙のあとに、秘密保護法や安保法制とか、あれっ国民の信を問うてないじゃないか、ということもありましたからね。ちゃんと争点にしてくれればね」などと述べている。改憲を争点にしない傾向を暗に批判したと受け取れるコメントだった。

 

 このほか「報道ステーション」は、621日のスタジオ党首討論で、冒頭から20分近く憲法を争点にした。77日は東京選挙区の候補に改憲問題にしぼってインタビューしている。

 

 自民党の改憲草案にまで踏み込むニュースが少ないなかで、こうした「報道ステーション」の姿勢は評価に値する。

 

 

 

 「ニュースウオッチ9」は、6月29日、参院選の争点のひとつとして「安全保障と憲法」をあげ、全体で11分、うち改憲については7分弱で伝えた。

 

憲法記念日の改憲派、護憲派の集会のVTRのあと、各党の主張を記者が整理して約5分で解説している。

 

キャスターが「私たちは今回の選挙で、憲法についても大きな選択を問われているということか?」と尋ねたのに対し、記者が「国の大きな方向性を決めるという意味では、子や孫の世代に深く関わる問題といえる」と答えている。このコメントは評価できるが、それほどの問題を、各党の主張を5分間羅列して終わるだけの放送ではあまりに簡略に過ぎた。

 

 このコーナーでは、自民党の改憲草案の内容は紹介されていない。また、「報道ステーション」で紹介された安倍首相の「……参院選でしっかり訴えてまいります」という記者会見の発言は組み込まれていない。この発言を紹介することは選挙中の安倍首相の姿勢を批判することになる。避けたのではないかという疑いを持たざるを得ない。自民党が目指す改憲の方向と具体的な内容を伝えないことと併せて、「ニュースウオッチ9」の「改憲」の争点解説は腰の引けたものとなっていた。

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2016年8月30日 (火)

凄い労作―参院選テレビ報道の検証―②

1、 質量ともに貧弱な選挙報道

 今回の参院選報道で、モニター担当者から一斉に上がったのは「なぜこんなに選挙報道が少ないのか」という声だった。

 本報告末尾の付表1を見ていただきたい。622日の公示日から19日間、番組によっては選挙関連項目が無い放送日がかなりある。

  HK「ニュース7」は、公示日から18回の放送のうち、実に9回、関連報道が無い日だった。この期間、半分は選挙報道をしていないことになる。とくに投票日前の1週間で見ると、7月5日から8日までの4日間、選挙関連ニュースは見当たらない。

 「ニュースウオッチ9」は投票日直前の7月7日、8日、選挙関連放送をしていない。

  日本テレビ「NEWS ZERO」13回のうち6回は関連放送が無かった。

  フジテレビ「みんなのニュース」は、18回の放送中選挙報道があったのはわずか6回で、3分の1にとどまっている。

 これらに比べ、この期間、「報道ステーション」は関連項目が無かったのは1回にとどまり、「NEWS23」も2回だけである。この二つの番組は7月に入ってからは選挙報道を休まず続けている。

 ここからは、「みんなのニュース」「NEWS ZERO」は論外として、選挙終盤でNHKの2番組に関連報道のない日が続いたことは疑問であり、公共放送の任務から言って批判は免れない。

 回数だけでなく、各回の時間量も問題であった。短い時間に9党の政策や主張を盛り込むことから、断片的な主張が羅列されるだけのケースが数多くみられた。

 典型的な例は、7月3日の「ニュース7」で、各党党首の街頭演説の秒数と主張したテーマはつぎのようなものだった。

 安倍首相「テロから内外の日本人の命を守るために万全を尽くす」(42秒)、民進党岡田代表「子供の6人に1人が貧困。政策が間違っているからこうなる」(30秒)、公明党山口代表「政権が安定しているから政治が進む。民進・共産に将来の政治を任せるわけにはいかない」(24秒)共産党志位委員長「自衛隊の合憲・違憲が問われているのではない。自衛隊を海外の戦争に派遣するのがいいかどうかだ」(22秒)、おおさか維新の会松井代表「大阪でやっている改革を全国に広げる」(20秒)、社民党吉田党首「安倍政治の暴走を止める選挙。改憲勢力に3分の2を与えない」(18秒)、生活の党小沢代表「安倍内閣成立以来、国民の実質所得は減少。これを変えないといけない」(16秒)、日本のこころ中山代表「所得が増える経済政策を。公共事業を全国で広げる」(15秒)、新党改革荒井代表「何でも反対の野党と違う。威張る与党に歯止めをかける新党改革」(10秒)

 

 

 

「みんなのニュース」625日は、公示後最初の週末の各党党首の街頭演説を並べている。

 

時間量は、自民安倍23秒、公明山口20秒、民進岡田20秒、共産志位20秒、社民吉田14

 

秒、生活小沢19秒、改革荒井15秒、維新松井15秒、こころ中山17秒、となっていた。

 

 

 このように、ひとり10秒とか15秒とかの主張を並べる方法は、選挙戦の雰囲気を象徴的に伝える演出としてはないわけではない。

 

しかし、この種の主張の羅列はこの二つの放送だけではない。選挙報道ではいわば定式化されている。はたしてこれで有権者の判断に役立つ選挙報道といえるだろうか。

 

 

 

デイリーニュースでは時間が十分とれない、という局側の釈明も予想される。たしかにデイリーニュースの宿命として、その日に発生した事件や、災害をまず伝えなければならない、という事情がある。しかし、さして重要と思われないような項目を選挙報道よりも長く伝えるという例は少なくないのである。

 

選挙報道の拡充については最終章で提起したい。

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2016年8月29日 (月)

凄い労作―参院選報道の検証―①

 友人から送られてきた下記の資料が凄い。参議院選のテレビ各局の放送をモニターし分析したものである。

 

2016年参院選・テレビニュースはどう伝えたか

 

~憂うべき選挙報道の現状~

 

 2016818日 放送を語る会

 

 
 

目次

 

 はじめに

 

1、質量ともに貧弱な選挙報道

 

2、争点の伝え方――改憲問題

 

3、争点の伝え方――アベノミクス、社会保障ほか

 

4、選挙「情勢報道」の偏重 「18歳選挙権」関連報道の問題

 

5、政治的公平性への疑い――大政党に有利な扱い

 

6、選挙報道に望まれること――抜本的に考え直すべき番組編成

 

付表1、モニター番組の選挙関連項目の有無と時間量、内容一覧

 

付表2、モニター番組選挙関連項目総放送時間

 

 【資料】モニター担当者の番組評価と批判

 

はじめに

 2016年参議院選挙は、与党が勝利し、いわゆる改憲勢力が3分の2を占めるという結果となった。歴史の岐路となったこの重大な選挙戦をテレビニュースがどのように伝えたか、放送を語る会は、NHKと在京民放4局の代表的なニュース番組をモニターし、その結果を本報告にまとめた。

 当会としては、安保法案報道の検証に続き、これが18回目のモニター活動となる。

 対象としたニュース番組は次の6番組である。モニター期間は、投票日までの約1か月間、6月13日(月)から7月10日(日)までと設定した。

  ○NHK「ニュース7」

  ○NHK「ニュースウオッチ9」

  ○日本テレビ「NEWS ZERO」

  ○テレビ朝日「報道ステーション」

  ○TBS「NEWS23」

  ○フジテレビ「みんなのニュース」

 いずれもデイリーの番組(月~金、月~土、または毎日放送)で、ウイークリーの番組やこの期間中の特集番組等は対象としていない。したがって、本報告書の内容は上記ニュース番組に限ってのものであることをお断りしておきたい。

 しかし、毎日のニュース番組は視聴者の生活の中に溶け込んでおり、日常的な視聴が習慣化している。その影響力は強いと考えられる。

 当会がモニターに当って強く意識したのは、上記ニュース番組が、選挙の争点に関して、有権者の政治的判断、政党選択に役立つような情報を多様かつ掘り下げて提示しえたかどうか、また政党、候補者の扱いで政治的公平性が貫かれていたかどうか、であった。

 結論的に言えば、これらの点で今回の参院選報道には大きな問題が残る。その内容を以下の報告で述べたい

 モニターの方法は、それぞれの番組に1名から数名の担当者を決め、放送日ごとに選挙関連内容の記録と担当者のコメントの報告を求めるというものである。その報告をメンバー全体で共有し、本報告書を作成した。これはこれまでの当会のモニター方法と変わりはない。

 担当メンバーは、録画した番組内容を書き起こし、録画機器のカウンターをみて放送時間量を計算するという全くの手作業で報告を作成した。専門機関の大がかりな調査ではないが、この間のニュース番組の基本的な傾向は明らかにできたと考える。

 

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2016年8月28日 (日)

所変われば葬儀も変わる?簡素化の時代?

 親戚筋の葬儀に出席するため東京へ行ってきた。葬儀は東京から車で2時間の神奈川県であった。

 葬儀は今一般的になってきた感がある「家族葬」であった。小さなホールを借りて行われた。和室でもよいのだが、畳に座るのは大変なので有難かった。

 亡くなったのは日曜日であったが、月曜日が友引であったのと、この時期に亡くなられた方が多くて、火葬場の予約が思うように取れなくて、葬儀は木曜日の午後2時になってしまったそうだ。

 水曜日の夜お通夜をしたのだが、普通お通夜のお経は30分が多いが、ここでは40分余りもあった。また線香がたくさん用意されていて、何度も線香を立ててお参りした。驚いたのは、お通夜と言いながら、読経とお焼香が終わると故人の棺をホールに置いて家族が家に帰ってしまったことであった。葬儀場の係りの説明ではそれでいいのだということであった。

 次の日また2時間かけて葬儀場まで行った。葬儀が終わると、「引き続いて初七日の儀を行わせて頂きます」と導師が言い、初七日の経が始まったのでびっくりしてしまった。それが終わると花をお棺に入れて飾った。

 火葬場に着くと、遺体を焼く前の最後の読経があり、それから1時間20分ぐらい待合室で待機した。火葬場は近隣のいくつかの市が共同で造ったものでまだ新しかった。誰かが「煙もでないし匂いも全くないね」と感心していた。

 電話で連絡があり、お骨を拾う部屋に行った。焼台が運ばれてきて型どおり二人で箸を持って骨を骨壺に入れた。

 亡くなった人は背骨にボルトを2つ入れてあったのでそのまま残っていた。驚いたのは骨壺が陶器製なのはいいとして、バケツのように大きいものであったことだ。どうしてそんなに大きいのかと思いながら見ていたら、係りが砂糖をすくうシャベルのようなもので残った骨を全部骨壺に入れてしまった。骨は押しつぶして蓋をかぶせ箱に入れた。

 全身の灰を全て持ち帰るのは火葬場にとっては都合がよいだろうが、持ち帰る家庭では大変困るだろうと思った。太平洋に散骨をするとか樹木の下に埋めるのならよいが、普通の墓にはとても収められない。ましてや今流行の納骨堂ではたまったものではないだろう。

 その後係りが「これで終わりです。ここで解散になります」と言った。初七日の経は終わっているので火葬場で散会ということになる。

 宗旨は我が家と同じであったが、通夜、葬儀、初七日のやり方や骨拾いなど、更にはお経の内容も違っているようであった。所変われば何とやら・・・葬儀の仕方も時代に連れて変化して来たのかと思った。私は愛知県の葬儀しか知らないので、まるで異文化体験をした気持ちになった。

 お経に就いて言えば、いつも法事や葬儀のたびに感ずることであるが、どうして誰にでもよく解る現代文にしないのかということである。誰が聞いても全くチンプンカンプンの漢語のお経や古い文語文のお経ではただ儀式をしているという意味しかない。

 有難いお経ならなおのこと誰にでもよく解るものにすべきだと言うのが私の意見である。お通夜で聞き取れたのは、やたらでて来た「観世音菩薩」という言葉とときどき唱えられた「般若波羅密多」ぐらいであった。

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2016年8月27日 (土)

木村草太教授が語る改憲問題とメディア―②―

★③安保法制のポイント・・・ポイントを五つにまとめると、

(1)在留邦人の保護(自衛隊法84条の3) 従来、輸送のみ可能⇒法案、警護、救出が可能

(2)平時における米軍等との協力(自衛隊法95条の2) 従来、自衛隊の武器等防護⇒法案、外国軍の武器等防護も可能。従来、米軍協力は一定の範囲⇒法案、米軍協力の幅を拡大

(3)PKO(PKO協力法) 従来、自己保存型の武器使用のみ⇒法案、任務遂行型の武器使用も可能。従来、住民警護、駆け付け警護不可⇒法案、同左可能。

(4)外国軍の後方支援(重要影響事態法)(国際平和支援法) 従来、周辺事態でない場合は、特別措置法を規定する必要あり⇒法案、重要影響事態か国際平和共同対処事態なら後方支援可能。 従来、非戦闘地域でのみ可能⇒法案、現に戦闘が行われていない地域なら可能。 従来、弾薬提供、戦闘行為への給油は禁止⇒法案、弾薬提供、戦闘行為への給油を解禁

(5)防衛出動の新要件(自衛隊法76条) 従来、武力攻撃事態のみ防衛出動⇒法案、存立危機事態も防衛出動可能。

 安保法制そもそも論、提案の仕方に問題がある。賛成派は米国との(同盟)協力を、反対派は違憲部分を、要すれば二つのことを抱き合わせ販売、全載せラーメンみたいで、同一法案と求められる。

武力行使・後方支援については、事前の手続きも重要だが、事後的な検証も重要である。国会の事前承認、確かに公明党はワイワイやったが、やっている活動をどのように監視するか、その検証はどうか?

イラク戦争(2003年)の反省。日本政府は武力行使(航空自衛隊機が多国籍の武装兵を輸送した)、イラク特措法違反、憲法・9条違反である。(名古屋高裁の2008年4月17日の判決)。外務省の2012年報告は(ペーパーはA4版の4頁)には固有名詞も出て来ず、誰がどう判断したかも白紙である。欧米は検証が終わり、大量破壊兵器は見つからず、日本は、それで済んだことに、なぜそれで済まされるのか。安保法制廃止の可否、この部分はと具体的に指摘し、議論をやるべきだった野党、イラク戦争を踏まえた教訓を踏まえたか?メディアも途中で気付いた。

 安保法制成立以降、報道は憲法問題に注目しているが、緊急事態条項のモニタリング、私は、2015年7月13日、衆院に参考人とし呼び出された。我が国の存立危機状態とは何か、意味不明、憲法9条違反だと意見を述べた。交通信号が赤・青ではなく、“赤っぽい”から渡るな!そんな曖昧さでは、まともな議論は成り立たない。与党の姿勢は、“ヤバっぽい”。赤っぽい、危機っぽい、自衛隊は出動して良いと。

 安保法制で報じるべきことを要約すれば、ポイント①、存立危機事態は、実用に耐え得るほど明確と言えるのだろうか、ポイント②、安保法制の附帯決議・閣議決定をどう報じるかである。

♦♦附帯決議について、正にドサクサ紛れの決議、賛成派はあまり記事に書かず(読売)、反対派は歯止め、強行採決を問題視し、附帯決議に言及するところは少なかった。山田太郎候補は30万票得票しながら落選となったが、元気の会、新党改革などの三党が附帯決議をつけさせた。もっと評価すべきだ。参院選で三党支持に繋がらず残念だだが。

TBS報道ステーションでは、附帯決議の第2項、例外なく国会の事前承認を求めること、閣議決定にせっかく歯止めしたわけで法律に盛り込むことを指摘した。第5項、(終了措置)何かあったら、自衛隊は帰ってこい!と決議。国会監視は、特定秘密保護法を作って、海外の枠組みに見習う・・・と、この第5項は、メディアは、もっと注目してもらっていたらと思う。総じて、よく食いつき、報道してくれた。違憲・合憲を巡り、もっと報道を期待したい。=== ===以上=== ===

 ※このまとめは竹山克則氏によるものである。

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2016年8月26日 (金)

木村草太教授が語る改憲問題とメディア―①―

友人が送ってくれた講演のまとめである。作成者は竹山克則氏。8月13日(土)、13時~16時半、JCJ(日本ジャーナリスト会議)・8月集会・JCJ賞贈賞式で行われた記念講演、「改憲問題とメディア」で、講演者憲法学者、木村草太・首都圏大学教授。

★①憲法問題をどう報じるか?・・・憲法問題を報じる場合、法律は専門的で一般の人には難しく、馴染みにくい。専門知が求められる。日本の場合は、どろどろした感情問題もあり、二重苦である。それだけに、「ぶれずに正確に発信する」ことが必要である。

 憲法9条を中心に改憲勢力は三分の二を占めた。そのように一括りには纏められない。例を上げれば、おおさか維新の会も、公明も改憲に反対、自民がやると言えばついていくかもしれないが・・・先の選挙戦では消極的であった。緊急事態条項が今後改憲の中心か?!おおさか維新の松井代表は7月の記者会見で面白い発言、反対を表明した。一種のポーズかも?しれないが、知事として、地方自治に反し、中央集権的な緊急事態条項は、真正面から地方自治に対峙するわけで、単純化は実態にそぐわない。

 改憲に賛成か、反対か、賛否を問う世論調査は無意味、むしろ有害とさえ考える。毎日新聞の取材、憲法のどこについて、なにを変えることになるのか?を訊かずして・・・訊き方に問題がある。「伊勢丹に行って欲しいものがあるか」と訊くようなものだ。憲法9条が定着化した時期であれば、9条の賛否を問うのは意味があった。いまは、もっと幅広く、個別具体的に考えないと意味がない。

 教育無償化(おおさか維新の)問題も、憲法で禁止していない。憲法を変える必要はない。法律を定め、予算をつければいいだけのこと。おおさか維新は自信の無さを露呈したのか・・・。ともかく、国民投票に600億円、改憲全体で少なくとも850億円掛かるという試算がある。その金を奨学金に充てるとか、そんなに使うほど、国民的に論争点があるか?改憲の発議についてだけでもメディアは相当な紙面を割ける。大したことしていない、コスト対価値を考えれば、大きな社会的損失である。

 憲法9条改正は安保法制成立でやりにくくなった。「憲法を改正すべきだと思いますか?]世論調査の無意味さについて、講師は次のデータを示した。

♦♦毎日新聞世論調査(2016年7月16日・17日)~憲法9条改正~

「改正には反対だ」=39%、「改正して自衛隊の役割や限界を明記すべきだ」=38%、「改正して、自衛隊を他国同様『国防軍』にすべきだ」=8%

 全面的改正は殆ど支持なし、『国防軍』創設は絶望的、自衛隊の現状を憲法に書き込む、安保法制は専守防衛まで、個別的自衛権で改憲は難しい。集団的自衛権は合憲とする合憲性は打ち消されている。

♦♦朝日新聞世論調査(2016年3月)~「集団的自衛権を使えるようにしたり、自衛隊の海外活動を広げたりする安全保障関連法に、賛成ですか?反対ですか?」

賛成=34%、反対=53%

♦♦憲法9条改正論議の現状、主要三点

(改憲提案の種類)⇒①個別的自衛権・自衛隊を明記、(国民投票における争点)⇒否決・可決いずれも現状維持なので争点が不明、(可決の見通し)⇒可決可能性あり。

(改憲提案の種類)⇒②個別的自衛権・自衛隊+集団的自衛権限定容認、(国民投票における争点)⇒2015年安保法制を承認するかどうか?(可決の見通し)⇒厳しい。

(改憲提案の種類)⇒③国防軍の創設、(国民投票における争点)⇒多国籍軍参加を承認するかどうか?(可決の見通し)⇒絶望的

前述の通り、改憲問題を取り扱う場合は、論点を明確にする必要がある。本当に改憲勢力三分の二なのか??

★②集団的自衛権と憲法をどう報じるか?・・・憲法9条をどう報ずべきか?毎日新聞の5月3日の対談、(毎日の悪口ばかりになるが)著作「憲法の涙」にリベラル、リベラリズムについての下り、井上さんは恩師でもあり、沖縄問題もいっしょなら、自衛隊は憲法9条違反、集団的自衛権も・・・井上論そのものであり、これまでの政府解釈をまったく勉強していないことがよくわかる。9条ではなく、13条、集団的自衛権に行政権は入らない、それを御存じない。相手に誤魔化されてしまう。

♦♦集団的自衛権も個別的自衛権も、国際法上、国家又は国家に準ずる実力行使、いっさいの武力行使は不行使とされ、違法である(国連憲章2条4項)。国連安保理の42条と51条に例外規定*がある。集団的・個別的と区別するのは日本のみであり、メディアはもっと突っ込みを。簡単に言うと、発動要件は被害国からの要請があってのこと。縄文土器と、がんもどきと、語尾は同じ“ドキ”であるように、自衛権と語尾はいっしょである、国際法の教科書に明確に書いてあることだ。

武力不行使の例外規定、①集団的安全保障措置(憲章・42条)の発動要件⇒国連安保理の決議(決議の内容が不明確な場合も多い) ②個別的自衛権の行使(憲章・51条)の発動要件⇒武力攻撃の発生⇒被害国独自の判断 ③集団的自衛権の行使(憲章・51条)の発動要件⇒武力攻撃の発生、被害国の要請⇒各国独自の判断

♦♦憲法9条の説明の仕方・・・政権の説明は日替わりメニュー、論点が安定しない。憲法の原則、作用法的な根拠規定の不在がある。

9条1項=国際紛争解決のための武力行使・戦争の放棄、9条2項=軍編成権の否定、戦力不保持、交戦権の否定。次の三つの論点で整理すると、

♦♦(1)憲法9条の禁止範囲は?・・・「国際紛争解決のための」、武力行使、戦力保有の禁止、(「国際紛争解決のため」ではない武力行使は禁止されていない)というA説。武力行使一般を禁じているというB説。殆ど支持がない、安倍政権はあらゆる事態の武力行使全般をと、9条2項の修正説(芦田首相)を採らないとしているが、上手く伝わっていない。

♦♦(2)憲法9条の一般禁止の例外はあるか?(B説を採る場合)・・・例外はないとの見解(個別的自衛権違憲説)もあるが、政府は例外あり、13条を根拠に、その範囲ないとして説明してきた(個別的自衛権合憲説)。

 合憲か否かの争点は、歯が痛むからと歯科医院に行ったら歯を削られた、傷害罪だ(204条)、否、正当業務行為だ(35条)という類の議論だ。13条は、日本政府に対し、国内の安全(国民の生命・自由・幸福追求の権利)を保護する義務を課している。

 他国防衛について、例外を許容した条文は存在しない。(集団的自衛権、国連軍参加は憲法違反)

♦♦(3)憲法13条で根拠づけられる範囲に、限定的な集団的自衛権の行使は含まれているか?(個別的自衛権合憲説を採る場合)・・・含まれていないという説、含まれているという説(安倍政権の見解)。政府は13条に集団的自衛権も含まれると、個別的治自衛権13条を白抜きにした。幸福追求権(13条を例外に)、2015年の集団的自衛権など、メディアは論点整理が必要である。

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2016年8月25日 (木)

むのたけじさんが亡くなった今

 むのたけじさんが101歳で亡くなられた。朝日新聞によると、今年5月3日に東京都江東区での憲法集会で「日本国憲法があったおかげで戦後71年間、日本人は1人も戦死せず、相手も戦死させなかった」と話された。

  また、22日の社説では、若い方々に申しあげたいと、「戦場では従軍記者も兵士と同じ心境になる。それは死にたくなければ相手を殺せ。正気を保てるのはせいぜい3日。それからは道徳観が崩れ、女性に乱暴したり、物を盗んだり、証拠を消すために火をつけたりする。こういう戦争で社会の正義が実現できるでしょうか。できるわけありません。だからこそ、戦争は決して許されない。それを私たち古い世代は許してしまった」と熱く訴えたことを引用している。 

  その同じ日の下段の社説では「南スーダン 人道危機を食い止めよ」という見出しで次のように書いている。

  「アフリカの南スーダンで7月、大統領派と副大統領はの武力衝突が起きた。慄然とさせられるのは、国連機関や人権団体が現地から伝える民間人の被害である。

  両派の戦闘に住民が巻き込まれただけではない。大勢が避難した国連の避難施設を狙った銃撃や砲撃。対立民族出身と判明した住民の殺害。未成年を含む女性に対する性的暴行。商店や倉庫の略奪―。蛮行の数々が国民を守るべき兵士によってくり広げられているという」

  まさにむのたけじしさんが訴えた、戦争による人間の狂気が今も行われているのである。

  むのたけじさんは、戦時中従軍記者として戦地を取材しながら、真実を伝えられなかった自責の念から、終戦の日に朝日新聞を退社したという。この日に即刻退社したことを凄い決断だと思う。花森安治氏がその日に筆を折ったのと同じである。

 その後故郷の秋田県に戻り、48年に「たいまつ」を創刊し、地方を拠点に反戦、平和、民主主義を守る執筆と運動を続けたのだ。

  社説ではこう書いている。「むのさんはかつて、戦時中の朝日新聞社の空気をこう振り返っている。検閲官が社に来た記憶はない。軍部におもねる記者は1割に満たなかった。残る9割は自己規制で筆を曲げた。」

  私は朝日などマスコミは、厳しい検閲下に置かれて、社には検閲官が来たと思っていた。NHKは放送原稿を事前にチェックされていたことをNHKの朝ドラ「花子とアン」でやっていた。

 しかし、むのさんの話では自主規制を徹底していたのだ。彼は「権力と問題を起こすまいと自分たちの原稿に自分たちで検閲を加える。検閲よりはるかに有害であった」と言ってる。まさにその通りである。

  現在多くの良識ある人たちは、昨今の安倍政権によるマスコミへの圧力とNHKに見るような介入で自主規制が強まっていることを憂慮している。またマスコミの自殺行為が始まったのだ。

  朝日新聞の社説は「戦火を交えるのは、戦争の最後の段階である。報道が真実を伝えることをためらい、民衆がものを言いにくくなった時、戦争は静かに始まる」と書く。

 そして、「だから、権力の過ちを見逃さない目と、抑圧される者の声を聞き逃さない耳を持ち、時代の空気に抗して声をあげ続けねばならない」と結んでいる。

 朝日新聞よ、その言やよし。決して忘れるなと言いたい。そして他のマスコミにも権力に屈しない、おもねない、反骨のジャーナリズムであってほしいと切に願う。むのたけじ氏も最後までそれを訴え続けられたのだ。

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2016年8月24日 (水)

増谷文雄「仏教入門」―㊴―

 四つの真理のうちの第二の真理は、続いて次のように述べておる。

「比丘等よ、苦集聖諦とは此の如し。後有を齎し、喜貪俱行にして、随処に歓喜する渇愛なり。謂く、欲愛、有愛、無有愛なり。」

 人生はすべて苦であることは、第一の真理として説かれた。その苦の原因は何であろうか。それに対する答えが、この第二の真理である。集とは集起の義、苦集とは苦の因となるもの、苦を生起するものの意である。釈尊は、すべての苦はみな人間の渇愛によって生起せらるものであると考えた。渇愛とは、今日の言葉では、欲望といってもよく、もっと適切には、欲望をあらしめる生命衝動とでも言うべきものである。

 これを大別すれば三つの渇愛がある。欲愛すなわち情欲の渇愛、有愛すなわち生存への渇愛、無有愛すなわち安息への欲愛がそれであって、それらが相率いて、充足をもとめ、欲貪をかきたて、歓喜に酔い、転生の因をつくる。この人間欲望の本質に対して無智であり、したがって、欲境に対して執着をもつ、そこからすべての苦は生れて来るのだと教えられる。

 我々はさまざまの欲望をもっておる。富貴をのぞむ欲望もある。美人を愛せんとする欲望もある。いつまでも生きたいという欲望もある。死んで後には彼の世に安穏を得たいと言うのも欲望である。だが、静かに考える者には解ることだ。人間はいつまでも生きられるものではない。美人の愛すべき容色もいつまでも存するものではない。富貴は浮雲のように果敢ないものであると言われている。支那の詩人も詠って言ったことがある。

    百川日夜に逝き

    物々相隨って去る

    惟だ宿昔の心あり

    依然として故処を守る

 万物はつねに流転して止まるところを知らぬ。一切は念々刻々に変化していく。昨日満開を誇った花は、明日は散りゆく花である。諸行は無常である。一切は変化する。変化するが故に存在しないのではなく、一切のもののあり方は変化であるということ、すべては時間的に存在するということである。このことわりを知らぬ人間のみが、いつまでも富貴にとらわれ、生存にとらわれ、情欲にとらわれている。それが執着である。

 しかも、いくら執着したからとて、いかに煩悩の焔をもやしたからとて、移ろうものは移ろう。流転するものは流転する。したがって執着する人間の心は、念々刻々裏切られねばならぬ。人生の苦しみはかくのごとくして生ずる。これが釈尊の考え方であって、この考え方が四つの真理の第二、佛教術語でこれを集諦となづける。

 苦は渇愛(欲望)にとらわれること(執着)から生ずるという。万物は無常(常なるものはない)つまり変化する。欲望の対象となるものもすべて変化する。それが釈迦が説いた第二の真理だというのだ。「いろはにほへとちりぬるをわがよたれそつねならむ・・・」といういろは歌はその真理を詠ったものである。平家物語の「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり・・・」も同様である。方丈記の「ゆく川の流れは絶えずしてしかも元の水にはあらず・・・という名文章は解りやすく無常を説いている。

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2016年8月23日 (火)

増谷文雄「仏教入門」―㊳―

 生老病死の四つの苦のほかに、釈尊はもう四つの苦をあげておる。愛する者んい別れるのも苦、これを漢訳では愛別離苦という。愛せざる者に会うも苦、これを怨憎会苦という。願うところの達せざるも苦、これは求不得苦と言われる。そして最後には、人間のさまざまの執着はみな苦であるとする。これを五蘊集苦という。そして、この四つに前の四つを加えて八苦となし、前に四苦に、全部の八苦、それを四苦八苦というのである。

  無論、人間の苦しみは、この四苦や八苦に限ったものではない。時代が移り、世の中が複雑になって来ると、苦の様式にもいろいろと新しいものを生ずるであろう。それは兎も角、人生は苦しみの多いところである。その事実を見極めることが、釈尊の宗教における出発点となるのである。

  むろん、この世の中には悦ばしいこともあり楽しいこともある。それは釈尊もまたもとより知らないではなかった。だが、本当に人生の真相を洞見したものは、ただ悦ばしい楽しいでは済まされない。

  時間の世界に於いては、一切が無常である。ここに因縁理法の核心がある。これを人生の喜怒、哀楽、得失、利害と、あらゆる位相に当ててみると、そこに人生の真相の洞察が生まれてくる。

  愛する者に会うよろこびがあればこそ、愛するものと別れる悲しみもあるというものだ。歓楽きわまるところに、哀感はおのづから湧いてくるものである。楽しいと思うからこそ、楽しみに執着する心がやがて苦しみを齎すのである。この人生の機微が理解さるれば、やがて、人生は結局苦しみだということが、しみじみと解って来る。また、それとともに、人生の苦しみはどおからくるかということも、ほのかに見当がついて来るであろう。それが解って来れば、四つの真理における第二のものも、おのづから理解せらるる筈である。

 四苦八苦という語句は日常生活において何かをしようとしてうまくいかず苦労するとき出る言葉である。でも、この語句が釈迦が説いた根本原理に由来することを知っている人はどのくらいいるであろうか。四苦も八苦も生を受けて死ぬまでついて回るのである。

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2016年8月22日 (月)

増谷文雄「仏教入門」―㊲―

 釈尊は成道後ほどなくして、菩提樹の下を去って、西の方に赴き、波羅捺國の仙人随所、鹿野苑において、五比丘に対して最初の説法―初転法輪―を試みた。その説法は、かの中道の宣言にはじまり、それにつづいて四つの真理―四諦―に就いての説明が行われた。

 「比丘等よ、苦聖諦とはかくの如し。生は苦なり、老は苦なり、病は苦なり、死は苦なり、怨憎するものに会うは苦なり、愛するものと別離するは苦なり、求めて得ざるは苦なり、略説するに五取蘊は苦なり」

 四つの真理の中でまず第一の真理は、苦の諦すなわち「人生は苦なり」という真理であった。これが釈尊の宗教における第一着歩、出発点をなしているのである。

 古来、「四苦八苦」という言葉が存するが、これは釈尊がこの苦の諦を説いた時の言葉に出づるのである。生も苦である。死も苦である。老いるも苦であり、病むも苦である。これが四苦であって、いろいろの苦しみの中でも、もっとも普遍的且つ根本的な苦である。これらの苦しみは、いかなる幸福の星の下に生まれたものでも、これを免れることはできない。

 多くの仏教経典は、出家前の釈尊がいかに幸福な生活を享受していたかを強調しておる。彼は王族の嫡子として生まれ、邸のうちには三つの池があって、そこには一面に青蓮、紅蓮、白蓮が浮かんでいた。夏と冬と秋に適した三つの別邸もあった。衣物には波羅捺産の美服をまとい、食物には米と肉とを主とした最上の珍味が供せられた。だが、かかる生活の中にあっても、結局、生老病死の反省がなされずには済まされなかった。のちに、弟子たちに語った往時の追懐は、つぎのごとく記されておる。

 「比丘衆よ、我は是の如く富裕にして、又是の如く究竟して無苦なりしにかかわらず、思惟しらく、―無聞の畢生(無智凡庸の者)は自ら老いるものにて、未だ老いを免れざるに、他の老衰者を見て悩み、己を越えて慚じ嫌う。我もまた老ゆべきなり。未だ老いを免れず。我もまた老ゆべきものにて、未だ老を免れざるに、他の老衰を見て悩み慚じ嫌うべきか。これ我に応(ふさわ)しからずと。比丘衆よ、我は是の如く観察せしとき、あらゆる壮年時に於ける壮年の憍何時逸は悉く断たれり」

 そして病に就いても、死についても、また同じことが繰り返されておる。鈍感無反省の人間は、老死が直接彼をつかむまでは、知らざるもののごとくである。だが、人間はしべて生まれてはまた死んでいくのである。その生と死との間には、またさまざまな苦が介在しておる。それが人間の運命であって、この運命の上にそそがれた人類の涙は、大海の水もこれに及ばすと言われた。

 この初転法輪は後の者が釈迦の教えを整理組織した思想体系であろうとする説もあるが、四諦説が釈尊の思想体系の基本的なものであることに異論はないと増谷氏は言う。

 生・老・病・死は人間のみならず、生きとし生けるものすべてに逃れることが出来ないものである。他の動物や植物はどうなのか知らないが、脳が発達した人間には原始の昔から最大の悩みであったに違いない。

 釈尊は生・老・病・死をしっかりと捉えて明らかにすること(諦)を説かれたのである。ここに釈迦が説いた真理の根本があるのだ。

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2016年8月21日 (日)

NHKの経営委員長に「日本会議」の石原氏が意味するもの

 NHKの新経営委員長に石原進JR九州相談役が就いた。石原氏はこれまでNHK経営委員で、内部昇格である。

 それはいいとして、彼は籾井勝人NHK会長を強く推した人物である。籾井会長は「(放送内容が)政府とかけ離れたものであってはならない」など言った。NHKは政府広報機関化し、クローズアップ現代の国谷裕子キャスターを事実上首を切るなどした。

 おどろいたことに、石原氏は「日本会議福岡」の名誉顧問だという。NHKは政治的に公正中立であることが求められるが、公共放送の経営委員長にそのような人物を選んだということは偏向ではないのか。

 もっとも安倍内閣の閣僚の大半が日本会議の会員だから問題はないというのであろう。

 18日の朝日新聞の「笑いにのせて」という欄で、服飾評論家のピーコさんが、次のように語っていた。

 「NHKの(永六輔さん)追悼番組に出て、『永さんは戦争が嫌いだと思っている。戦争はしちゃいけないと。世の中がそっちの方に向かっているので、それを言いたいのでしょうね』と言ったら、そこがばっさり抜かれていた。放送を見て力が抜けちゃって・・・。」と。

 ピーコさんが話したのは、永さんが伝えたかったことを代弁しただけなのだ。そのどこがいけないのかと思うのだが、NHKは「戦争に向かう」というのがまずいと判断したのである。

 これは自民党がホームページで戦争や平和について指導している教員を密告せよとしたのと軌を一にしている。吉永小百合さんが憂えたように戦争とか平和について語ることがはばかられる空気が作られているのだ。NHKはまさにその先頭に立っているのだといえよう。

 経営委員長に石原氏を据えたということは、安倍政権に都合が悪いことは全て封じてしまうという強固な布陣をしいたということである。心ある経営委員はみな辞めて行ったと言われるから、NHKに公正中立の報道を望めなくなった。

 戦時中、国策に沿った放送と戦意高揚と大本営発表を放送したNHKにまた逆戻りしていくことを深く憂える。

 

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2016年8月20日 (土)

バースデーケーキの灯を付けたらハッピーバースデイが流れるミステリー

 8月12日に放送された探偵ナイトスクープに面白いものがあった。それは「誕生日のお祝いのケーキのローソクに灯をともしたら、突然ハッピーバースデーの歌が流れだした」というものである。依頼者はその謎を解いてほしいというのである。

 石田探偵は依頼者宅で、実際にそうしたことが起こるのを確かめた。テーブルの上にバースデーケーキを置いて、ケーキに灯をつけるライターで灯をつけると確かにハッピーバースデーの歌が流れるのである。

 曲はその前の年の誕生日に母親が送ったバースデーカードにあるもので、そのカードはテーブルの引出しに入れてあったのだ。それにしてもライターで灯をつけると鳴り出すというのは不思議である。

 何度か試すと直ぐには鳴らないケースもあったが、ローソクに灯をつけていくと必ず鳴るのだ。

 探偵は先ず超常現象研究家を呼んで実際の現象を見てもらい意見を聞いた。研究家の判断は、「ポルターガイスト」であるということであった。そして座敷童の仕業かまたは狸囃子の仕業だと言った。

 探偵は次にUFOの研究家に電話をした。するとその人は、「電気製品は宇宙人が使った部品を使っているのでそういうことが起きるのです。発信元は南米のブラジル辺りでしょう」と断言した。

 電気製品に宇宙人の使い古しが使われていると真面目にいうのでびっくりした。最初の超常現象研究家にしても、座敷童だと真面目にいうのであった。

 次に探偵は、探偵ナイトスクープの物理担当の内田先生を呼んだ。実際に現象を見て先生は放電だと言った。ライターで灯をを付けるときに電流が起き、それがテーブルの中のバースデーカードに流れて、曲が流れだすのだと図を描いて説明した。

 そしてスクーターのエンジンを掛けても曲が流れると言い、実際にやったらその通り曲が流れた。

 この番組で面白いと思ったのは、超常現象研究家とUFO研究家の反応であった。彼らは大真面目に自分の分野の見解を述べたのだ。テレビでときどき超常現象やUFOを取り上げることがあるが、まともに取り上げるような現象ではないと思った。科学で説明できる不思議な現象について、いかにももっともらしく説明しているのだ。その説は検証できないことを承知で。

 百均で売っている点火用ライターで上記のような不思議な現象が起きること、またその原理を知ったことは面白かった。

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2016年8月19日 (金)

反戦平和や反核や9条を守れを言えない空気

 前に自民党がホームページで教員の指導について調査をしたことを取上げた。平和教育などを偏向教育とみなし、そういう指導をしている教員を知らせるようにと密告の記入ホームを設置したのだ。

  自民党が平和、反戦、反核などの動きを警戒するのは分かる。彼らがやってきた特別機密保護法、集団的自衛権行使容認閣議決定、安保法制強行採決、武器輸出三原則改定、原発推進などに反対を唱えるということだからだ。

  第3次安倍政権になって、稲田防衛庁長官や高市総務相や丸川五輪相を始めとして、極右と評される人物を閣僚に配し、憲法改定や安保法の実行に万全の態勢をとった。

  そうした中で反戦、平和、反核などを掲げたり、言ったりするには勇気がいるような状況が作られてきているようだ。

  現在発売中の「女性自身」誌の「みんな、声をあげて! 命が押し潰される前に」の中で、、あの吉永小百合さんが政治思想学者・姜尚中氏の対談。冒頭、吉永さんは自身のこんな体験を語っている。
 「私は若いころ、母に『なぜ戦争は起こったの? 反対はできなかったの?』と質問したことがあるのです。
 そしたら母は、ひと言『言えなかったのよ……』って。言えないってどういうことなんだろうと、その時には理解できなかった。けれど最近、母の言っていた意味がわかります。今の世の中を見ていると息苦しい感じがして」永小百合さんは、週刊女性自身誌でそうした空気について語っている。

  戦争前、戦時中は、反戦を唱えれば「危険思想の持ち主」として、すぐに特高がきてしょっ引かれたのだ。家族の間でも話すことはできなかった。

  この8月、東京・東池袋の新文芸坐では「反戦・反核映画祭」と題して、21日までの期間中、戦争や原爆の実態を描いた日本映画約30本を上映している。劇場支配人はマスコミの取材に対し「反戦・反核という言葉を使うことにも勇気がいるような、嫌なムードになってきています」と語っている(中日新聞7月19日付)。

  吉永さんはそうした話を姜尚中さんに紹介して、「そんな時代になったのか、と改めてショックでした」と心境を吐露している。姜尚中氏も「政治や平和を口にする人は、特別な主義主張を持った人ではないかと思われてしまう。言論の自由があるのに、政府に反対の意志を示すようなことを言ってはいけないのではないかと」と応じている。

  8月9日の長崎平和祈念式典で、安倍首相が登壇したときに参列者席から「改憲反対」の声が上がった。その人はマスコミも見ている中で警察に連行されたのだ。首相の演説に野次を飛ばすのは広島でもあったが、警察に連行されることはなかったという。

  非常に残念なのは、一部始終を見ていたマスコミが、ただ1紙長崎新聞を除いて何も報道しなかったことだ。読売・産経は無視するだろうが、朝日も毎日も中日も知らん顔であったことだ。マスコミもこ最近ではここまで堕ちてしまったかと嘆かわしい。

  その他にも、最近では、奈良市で毎年開かれる「平和のための奈良市戦争展」に対し、市側が例年行ってきた「後援」を取り消すという事態も起きているそうだ。その理由は「米軍『NO』などと記した挿絵があり教育的中立性が順守されない」ということだ。言論の自由、表現の自由はどこに行ってしまったのか。

  戦前もそうであったように、こうして平和・反戦・反核・憲法9条を守れなどを叫ぶ人たちを「偏向」と決めつけ、あたかもいけないことをしているように扱う風潮が、次第にエスカレートして物を言えない状況をつくりだしていくのだ。

 そうなってからでは手遅れである。だから吉永さんは「私たちが『戦争は、嫌だ!!』としっかり言わないといけない。そう思っている方たちは声に出して!と願っています」と訴えている。

 市井の一個人である私がblogで平和・反戦。反核・9条を守れと訴えるのも吉永さんと同じ気持ちだからだ。そういう声が広がって行くことを願ってやまない。

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2016年8月18日 (木)

憲法9条はアメリカの押しつけではない―東京新聞のスクープ

 前に憲法9条は幣原喜重郎首相が提案してマッカーサー元帥が受け入れたということをこのblogで取り上げた。今回は東京新聞がそれに関連したマッカーサー元帥の書簡をスクープ記事として書いていた。8月12日の朝刊である。

 タイトルは、「『9条は幣原首相が提案』マッカーサー、書簡に明記 『押しつけ憲法』否定の新史料」と書いている。

 日本国憲法の成立過程で、戦争の放棄をうたった九条は、幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)首相(当時、以下同じ)が連合国軍総司令部(GHQ)側に提案したという学説を補強する新たな史料を堀尾輝久・東大名誉教授が見つけた。史料が事実なら、一部の改憲勢力が主張する「今の憲法は戦勝国の押しつけ」との根拠は弱まる。今秋から各党による憲法論議が始まった場合、制定過程が議論される可能性がある。 (安藤美由紀、北條香子)

 九条は、一九四六年一月二十四日に幣原首相とマッカーサーGHQ最高司令官が会談した結果生まれたとされるが、どちらが提案したかは両説がある。マッカーサーは米上院などで幣原首相の発案と証言しているが、「信用できない」とする識者もいる。

 堀尾氏は五七年に岸内閣の下で議論が始まった憲法調査会の高柳賢三会長が、憲法の成立過程を調査するため五八年に渡米し、マッカーサーと書簡を交わした事実に着目。高柳は「『九条は、幣原首相の先見の明と英知とステーツマンシップ(政治家の資質)を表徴する不朽の記念塔』といったマ元帥の言葉は正しい」と論文に書き残しており、幣原の発案と結論づけたとみられている。だが、書簡に具体的に何が書かれているかは知られていなかった。

 堀尾氏は国会図書館収蔵の憲法調査会関係資料を探索。今年一月に見つけた英文の書簡と調査会による和訳によると、高柳は五八年十二月十日付で、マッカーサーに宛てて「幣原首相は、新憲法起草の際に戦争と武力の保持を禁止する条文をいれるように提案しましたか。それとも貴下が憲法に入れるよう勧告されたのか」と手紙を送った。

 マッカーサーから十五日付で返信があり、「戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原首相が行ったのです」と明記。「提案に驚きましたが、わたくしも心から賛成であると言うと、首相は、明らかに安どの表情を示され、わたくしを感動させました」と結んでいる。

 九条一項の戦争放棄は諸外国の憲法にもみられる。しかし、二項の戦力不保持と交戦権の否認は世界に類を見ない斬新な規定として評価されてきた。堀尾氏が見つけたマッカーサーから高柳に宛てた別の手紙では「本条は(中略)世界に対して精神的な指導力を与えようと意図したもの」とあり、堀尾氏は二項も含めて幣原の発案と推測する。

 改憲を目指す安倍晋三首相は「(今の憲法は)極めて短期間にGHQによって作られた」などと強調してきた。堀尾氏は「この書簡で、幣原発案を否定する理由はなくなった」と話す。

 <しではら・きじゅうろう> 1872~1951年。外交官から政界に転じ、大正から昭和初期にかけ外相を4度務めた。国際協調、軍縮路線で知られる。軍部独走を受けて政界を退いたが、終戦後の45年10月から半年余り首相に就き、現憲法の制定にかかわった。

 

 

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2016年8月17日 (水)

詰まらないテレビ番組その②

 つまらないテレビ番組のその②は8月14日に放送された「たけしのTVタックル」である。日曜日でたまたま暇があったし、「小池都知事VS田島陽子」というサブタイトルに惹かれて期待を持って観ることにした。

 私の予想では、スタジオに小池知事が出演し、田島陽子と渡り合うことであった。田島陽子が参議院議員であったときに小池百合子とスタジオで対決したことがあったので、今回はそれ以来だという前振りがあった。

 ところが対決というのは、臨時TV記者となった田島が、小池知事の最初の記者会見に乗り込み質問をするということであった。その質問たるや、「小池知事の都議会幹部での挨拶には95%が男性であったが、女性を増やすことを考えているか」というものであった。記者会見の質問は一人1回と限られているそうだが、田島はそのことも知らずに臨んだというお粗末なものであった。

 結局スタジオに集まったのは、たけし、MCの阿川佐和子、大竹まこと、自民党松田衆議院議員、小池を応援して名を売った自民党若松衆議院議員(元特捜部検事)、北川元三重県知事、宇都宮健児、もう一人若手の男、そして田島陽子であった。

 話し合われたのは、小池知事が都政改革をできるかということ、自民党都議会のドン内田氏のこと、自民党が流した小池を応援した者ははとこまで罰するという文書ついて、森オリンピック会長と小池知事がうまくやれるかということ、オリンピックの利権の疑惑や小池知事がどこまで透明性を確保できるかということ、などであった。

 参加者は勝手に持論を主張するだけで、議論の深まりは全くなかった。いったい何を明らかにするために集まったのか疑問だらけであった。ただ「たけし」という冠番組に時間を金を使っただけであった。たけしはたまに口をはさみ茶化すだけだ。

 「この後田島陽子が吼えます」という大げさなサブタイトルがあったが、田島が言ったのは1年後を見るしかないということであった。

 「小池都知事VS田島陽子」は羊頭を掲げて狗肉を売るの類で実に無駄な面白くない番組であった。こんな番組を作るようではテレビ離れが進むのも無理がない。大矢壮一の「一億総白痴化」から何十年、来るところまで来たという感じである。

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2016年8月16日 (火)

詰まらないテレビ番組その①

 8月13日夜7時から放送された「池上彰が伝えたい宗教、世界と日本の違いSP」を見た。池上彰の冠番組はこれまでに2回しか見たことがないのだが、タイトルに惹かれて観たのだ。

 2時間の番組であったが、最後まで観てがっかりした。仏教、キリスト教、イスラム教の世界三大宗教についての解説であったが、高校までの教育を受け多少主教に関心のある人なら誰でも知っている程度のものであった。

 しかし、ゲストの若い人たちは、そうした知識すらあまりないらしくて感心していた。室井佑月さんも出ていたが、常識的なことに感心していたので意外であった。

 日本の仏教について、現在ある6つほどの宗派の名前をあげていたが、南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経の違いを取り上げただけで、真言宗や禅宗については言及しなかった。

 わざわざインドの仏教発祥の地ブッダガヤまで行って現地からの録画を放送したが、その内容は、ブッダガヤにあるレリーフ壁画を使って釈迦の悟りへの道を簡単に説明しただけであった。

 悟りを開いた菩提樹のある場所の映像とかスジャータの試食とかブッダガヤにはタイやスリランカや日本が建てた仏教寺院があることとかそうした映像を見せていた。

 一番驚いたのは、釈迦が説いた仏教思想は「輪廻転生」であり、「解脱」とはそこから外にでることであると解説していたことである。私はそれは違うと思っている。釈迦の時代に広く信じられていたのが、輪廻転生であった。釈迦は輪廻転生ではなく、人間の様々な欲望やそれによる苦をしっかりと見極めて心の平安を得る道を説いたのであった。

 また釈迦は浄土思想についても触れていない。浄土思想が加わったのはずっと後のことである。さらに釈迦は仏像のような偶像信仰にも言及していない。仏像が造られるのも釈迦が亡くなってかなり後のことである。

 イスラム教の解説のために、わざわざアラブ首長国連合のドバイにまで行き、モスクや礼拝の様子やあるモスレムの家庭を訪問したりしているが、これもそこまでやるほどのことではない内容であった。

 番組では、「神道」についても触れていた。日本に古来からある土着の宗教であり、神道はもともと八百万の神があるので、外来の仏教もその一つとして受け入れられたのだと説明していた。

 誕生後の宮参り、七五三の祝い、初詣は神社やお寺で、結婚式は教会で、お守りは神社のでもお寺のでもOK,、葬式は仏教でというように、日本人が宗教について寛容であるのは、日本人は宗教に関心がないのではなく、染みついているからだと結論付けていた。

 この番組を見て、宗教についての知識や関心がない人に非常に大まかな知識を与える程度のもので、それ以上のものではないと感じた。

 

 

 

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2016年8月15日 (月)

71回終戦の日に思う

 今日8月15日は71回目の終戦の日である。この日が日本にとって特別な日であるにもかかわらず、普通の日と同じ扱いになっているのが不思議でならない。

  私は戦中、戦後を通して南紀新宮市で育った。前にもこのblogで書いたが、米軍がサイパン島やグアム島を占領して以後、毎日B29が日本を空襲するようになった。新宮の上空は大阪方面や名古屋方面に空襲に向かうB29の通り道となっており、昼間であれば銀色に光る機体が見えた。夜は嫌な爆音がゆうゆうと空を飛んで行った。

  新宮市が空襲されたのは、ネットで調べたら昭和20年1月19日だと書いてあるblogがあった。南紀新聞によると、この夜、熊の地、大浜、三輪崎などに焼夷弾が投下され焼かれたとある。

  私はその空襲があった夜、防空壕の入り口から熊の地方面の空を見ていた。無数の焼夷弾がキラキラと輝いて落ちていくのを見た。その下で多くの市民が家を焼かれ逃げ惑っていたのだが、子どもの私にはそこまでは思いを巡らすことはなかった。ただ自分の方には落とさないようにと祈っていたのだ。

  2、3日後に熊の地を見に行ったら無残に焼かれていた。阿須賀神社など200余戸が焼かれ、死者31人、負傷者239人だったと南紀新聞は伝えている。

  熊の地には王子製紙の工場はあったが、それ以外は一般市民の住宅地であった。それなのに米軍のB29は焼夷弾で街を焼き、罪なき市民を犠牲にしたのだ。

  新宮が空襲されてから、米軍の空襲はますます激しくなり、名古屋、東京を始め全国の都市が焦土と化していったのであった。そして忌まわしい広島と長崎への原爆投下とソ連の卑怯な参戦が日本にとどめを刺すことになったのであった。

  新宮空襲後8月15日の終戦まで、それこそ気が休まる日はなかった。日中に学校への行き帰りは何時敵機が襲ってくるかもしれない恐怖感があり、警戒警報のなるたびに防空壕に飛び込んだ。夜は黒い布で覆った懐中電灯よりも暗い電燈の下で過ごした。

 我が家には格子をはめた窓があったが、父はその格子の一部を鋸で切り、いざというときには簡単に壊せるようにしていた。

 平和であればのんびりした、山紫水明の南紀の街なのだが、戦争の間は毎日がいつ死ぬか知れないと思って暮らしていたのである。

 終戦の昭和20年8月15日は天気がよく暑い日であった。前にも書いたが、その日は父は勤めていた商業学校に行った。帰ってきたらいつものように遠くの山に開墾した畑に行くことになっていた。

 私は玉音放送があるのを知らなかった。我が家にはラジオはあったのだが、母もラジオをつけなかった。田舎なので徹底していなかったのかも知れない。だから聞くことはなかった。

 父が帰宅して「今日は畑には行かない」と言って、部屋で力を落としたようにぐったりしていた。私は戦争に負けたことを知った。

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2016年8月14日 (日)

平和ということ

 戦後71年、幸いというか日本は武器を使っての戦争には参加しなかった。イラク戦争のときはアメリカにOn The Bootと言われたが、サマワに自衛隊をPKOとして派遣しただけであった。発砲する事件が起きなかったのはラッキーであった。

 しかし、安倍政権による安保法制改定で、集団的自衛権行使ができるとされ、これまでは憲法9条を盾に戦争参加を拒否できたが、、これからは米国などの要請があれば断れなくなってしまった。アフリカのスーダンでも駆けつけ警護の命令が出されれば自衛隊は銃器を持って出かけなければならい。

 怖いのは戦争に参加することだけではない。昨日も書いた様に、憲法に「緊急事態条項」をいれることによって、憲法を自由に変えることができるようにされることである。かつてドイツのヒトラーが使った手法である。それについては昨日のblogに取り上げた。

 8月12日の朝日新聞の「文化・文芸」欄に瀬戸内寂聴さんのエッセイが載った。題名は「平和だからこそ阿波踊り」であった。徳島出身の寂聴さんは、59歳のときに徳島に寂聴文学塾を開設した。その塾生たちが阿波踊りに参加して、大変人気を呼んだというのである。もちろん寂聴さんも参加した。

 阿波踊りは戦況が悪化した1944年と45年は中止され、1946年に復活したのだという。太平洋戦争の時には、阿波踊りもきっと「戦意高揚」に利用されたに違いない。寂聴さんは「平和だからこそ阿波踊りは続けられるのである」と結んである。

 その通りだと思う。平和だからこそ、阿波踊りなどの各地の踊りも、名古屋で盛んになった「ど祭り」も、その他文化事業などやスポーツなども平和だからできるのである。

 しかし、ちょっと待てよと私は思った。戦争がない状態を普通平和というが、仮に戦争がなくても、政治による圧力のもとでは平和ではないのだ。安倍政権がやろうとしている憲法改悪によって、国民の自由や権利が抑えられ、特別秘密保護法によって知る権利が奪われ、戦前のようにマスコミも翼賛化してしまうと、一億総動員が復活しかねない。安倍政権が掲げる「一億総活躍」というのは一億総動員のことではないか?と私には思えるのである。

 安倍首相らが唱える「美しい日本」は明治憲法にあるような天皇制のもとでの富国強兵の日本である。そこでは人権が制約され、民主主義が抑圧されるのだ。道徳の教科化により、姿を変えた「修身」が強制されようとしている。国家管理と統制が強化された社会は「平和」であるとは言えないと思うのだ。平和は単に戦争がない状態ではないことを肝に銘ずるべきである。

 

 

 

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2016年8月13日 (土)

緊急事態条項が必要というチラシに騙されてはいけない

 下の写真は美しい日本の憲法をつくる国民の会」が調布駅で配布していたという「緊急事態条項が必要」というチラシである。このチラシによると、憲法に「緊急事態条項」が必要な理由は、大規模な自然災害発生した時に、政府が速やかにスムーズに対応できるようにするものであると説明している。

 しかし、これは以前にもこのblogで指摘したように、あくまでも国民の生活を守るためのもので、何も恐れることは全くないと国民に思わせるための手口である。この説明を信じてもし憲法に「緊急事態条項」を入れたらどうなるか。かつてナチスがやったのと同じことが民主的な手続きのもとで行われ、気づいたときには手遅れになるのである。美しい日本の憲法どころか地獄の日本の憲法である。以下引用する。

 引用元:http://iwj.co.jp/wj/open/archives/309102

 憲法改正論議といえば、改憲賛成派も改憲反対派(護憲派)も、憲法9条を前提にしてきた。しかし、安倍政権がもくろむのは、憲法9条の改正ではなく、緊急事態宣言の創設である。

 2015年11月10、11日両日行われた衆参での予算委員会において、安倍晋三首相は、「緊急事態条項」の新設を重視すると明言した。

 「緊急事態」は、自民党改憲草案で新たに付け加えられた1章であり、その第99条として「緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」「緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない」と明記されている。

 つまり、自民党改憲草案に示されている緊急事態条項とは、国会の事前同意を必ずしも必要とせずに、国民の各基本権が停止させられ、公権力が制限なく全権を振るえるものであり、国会は完全に形骸化され、言論報道機関も統制され、行政府が立法府を兼ね、法律と同じ効力を持つ政令を国会にはかることなく乱発できて、予算措置も取れ、期間の延長もできるという、事実上無制限の権力を行使できるものである。

 これはかつてナチスが利用した「全権委任法」と極めて酷似している。「緊急事態」の名の下で、我々の人権は制限され、憲法を変えることなく様々な法案が内閣のみで決定されていくことになってしまう。

 たとえ激甚災害であれ、災害のために、こんな危険な国家緊急権が必要なはずはない。災害時に公的機関が出動する被災地域は範囲が限定的であり、国土全土や社会の全領域を覆う必要はない。

 これは非常時にかこつけて、全権を手にする危険な非常事態宣言である。これさえ手に入れてしまえば憲法9条の改正すら必要ない。現行憲法を無効化する立法は簡単にできてしまう。

 ドイツで1933年に国会放火事件が起きた直後に出された緊急事態宣言によって、ナチスへの抵抗勢力は根こそぎにされ、そののちに全権委任法が成立した。全権委任法の導入前に、緊急事態宣言の段階で、勝負は決していたと考えられる。

 ナチスの当時の緊急事態宣言と比較しても、自民党が導入するという緊急事態宣言条項は極めて強力なもので、ナチスが全権掌握していったその轍を踏む危険性が現実的にありうる。帝国の「属国」でありながら、ファシズムという最悪の政体が成立しかねない。

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2016年8月12日 (金)

「もののけ姫」を見たが、難解で面白さが分からなかった

 先日テレビで放映された「もののけ姫」を録画しておいて観た。このアニメはスタジオジブリの名作だということで名前は昔から知っていたが、観たことはなかったので観てみようと思ったのだ。

  見始めたが、まずストーリーや登場人物の関係をとらえることが出来なかった。アシタカが呪いをかけられる場面があったが、どうして呪われたのか分からなかった。ただ、呪いを解くために旅に出たのだと思った。

  イノシシの大群が襲ったり、大きな複雑な角を持ったトナカイのような動物が現れたり、製鉄所が出てきたり、その長のエボシ御前も分かりにくかった。もののけ姫は何時現れるのだろうと思っていたら、大きな犬に乗った女の子がそれらしいと分かった。ストーリーの展開を追ってもどうして争うのか、戦うのか非常に分かりづらかった。

  「千と千尋の神隠し」や「崖の上のポニョ」など、宮崎駿の作品は風景がきれいに描かれていて好きである。またこれらの作品はストーリーが難解ということもなく楽しめた。しかし、「もののけ姫」は極めて難解であったし、絵も呪いのものがグロテスクで決してきれいではなかった。

  大人が観て分からないのだから、子どもが観て分かることはないだろうと感じた。それでネットで「もののけ姫のどこがいいのか」と書いて検索をかけたら、どこがいいのか分からないとか難解だとかいうサイトがいっぱい出てきた。それでやはり難しいのだと納得した。

  「もののけ姫」は1997年に公開された長編アニメ映画で、宮崎駿が16年の歳月をかけて構想し、制作に3年を要したものだと分かった。複雑に絡み合う人間界ともののけの世界を壮大なスケールで描き出しているという。

  興行収入193億円で、世界中から高く評価されていて、ジブリの人気を確固たるものにしたと書いてあった。

  そんなすごい作品なのに、一度観て理解できず、それでももう一度観てみたいとは思わなかった。「千と千尋の神隠し」や「崖の上のポニョ」は2度観たというのに。

  ネットでストーリーを調べたら分かると思い検索したら、下記のサイトでよく解った。

http://ciatr.jp/topics/46657

 結局このアニメ映画はあらかじめストーリーを頭に入れておいて観ないと分からないのだと思った。多くの人が難解だと言っている「もののけ姫」はいったい何がよくて名作なのかを解説してほしいと思う。

 それから「もののけ姫」という題名だが、主役はアシタカだと思うのに「もののけ姫」になっているのは何故だろうかと思う。

 

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2016年8月11日 (木)

増谷文雄「仏教入門」―㊱―

 釈尊の説法は、かくの如く、時に臨み機に応じてなされた。

 釈尊の弟子の中に、朱利槃特という頭のわるい弟子があった。よく物を忘れる彼は、どうかすると、自分の姓名さえも忘れることがあった。お前はもの覚えが悪いからというので、釈尊は彼に、つぎのような極く簡単な文句を教えた。

「三業に悪を造らず。有情を傷めず。正念に空を観ずれば、無益の苦しみを免れるべし」

 ともかくこれだけを暗誦するように命ぜられた。この短い文句の中にも、一応は仏教の根本精神がつくされている。だが彼は、たったこれだけの文句がとうしても覚えられなかった。毎日彼は、人のいない野原へ行って、「三業に悪を造らず・・・」とやるのだが、どうしても暗誦できない。近くで聞いている牛飼いの子供が覚えてしまっても、まだ彼は覚えられぬ。自分で自分に愛憎がつきて来た。そしてある日のこと、彼は祇園精舎の門前にしょんぼりと立っていた。その姿を見て釈尊は静かに彼に歩み寄った。

「おまえは、そこで何をしているのか」

「師よ、私はどうしてこんな愚かな人間でございましょうか。私にはとても・・・」

すると師は、彼の言葉を制して、慈悲のこもった言葉で仰せられた。

「いやお前は、決して真のおろか者lではない。愚者でありながら自分の愚かさを知らぬのが本当のおろか者である。お前はそうではない。決して真のおろか者ではない」

そう言って労わりながら、師は彼に1本の箒を与え、あらためて一句を教えた。

「塵を払わん、垢を除かん」

 それから彼は毎日、この一句を誦しながら庭の掃除をはじめた。塵を箒きながら彼は、一生懸命にこの句を考えた。そして幾年かの後には、ついに自心の塵垢を除き去って、愚鈍第一の朱利槃特が神通説法第一の阿羅漢と言われるまでになったという。

 かくのごとく、釈尊の説法はいつも時に臨み機に応じてなされた。山の上から火の燃えさかるのを見ると、世間は煩悩に燃えているのだと教えた。女を探している若者たちに合うと、自分自身をさがすことの大切さを説いた。愚かなるものに対しては愚かなものに適うように教え、賢いものには賢いものに応ずるように説いた。したがって、その説法には数の限りがなかった。だが、その数かぎりのない説法の様式にも、おのづから臨機応変的なものと基本的なものとの差別が見られる。そして、その最も基本的なものは、かの四諦八正道のおしえであった。

 次からはいよいよ釈迦の教えの中核となる四諦八正道が解説される。

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2016年8月10日 (水)

増谷文雄「仏教入門」―㉟―

 3.四つの真理(四諦)

 涅槃という理想目標がさだまり、また中道といふ根本態度がたつと、今度はその基本の上に展開せられる思想と実践の体系が説かれねばならぬ。

 仏教には八万四千の法門があるといふ。八万四千といふは無論実践ではなく、一種の理想的数字であって、佛教には種々様々な説き方が存したといふほどの意味に解して差し支へない。世の中には賢いものもあるし、愚かなものもある。善良なるものもあり、邪悪なものもある。人間はひとりとして同一のものはない。釈尊は一々それを分別して、その人にあひ、その時にあふやうに説法した。これを時機相応といふ。時とは時の塾せるや否やをいひ、機とは人の機縁をいふ。釈尊の明智はあよくこの時と機とを洞察して、説法の効果を挙げることを得た。

 ある時、釈尊は、眼を泣きはらして死児を抱いた女の訪問を受けたことがあった。

「私には、この児がこのまま死んでしまうなんて、堪へられません。この児が生きかへらねば、私も一緒に死んでしまひます。何かこの児の蘇る法を、どうぞ教えてくださいますように」

 女は気狂ひのやうになっていた。ここで生死の諦観などを説いても、この女の耳には入りさうもなかった。そこで釈尊は、それでは芥子粒を貰っておいで、それも昔から死んだ者のない家でもらって来なさい。さうすればそれで、この児の蘇へるくすりをつくって上げようと教へた。

 女は喜んで釈尊のもとを辞し、死児を抱いたまま、家から家へと、教へられた芥子粒を求めて歩いた。だが、何処にいってみても、昔から不幸のなかった家などといふものはなかった。釈尊の教えた芥子粒はどこに行ってもえられなかった。太陽はやうやく西に没せんとしていた。足は疲れて棒のやうになった。失望と疲労に堪えかねて、じっと佇んでいるとき、彼女の心の中に霊感がもたらされた。彼女は、人生の真相をしり得たやうに思った。そこで釈尊の教団に入って比丘尼となり、仏道の修行につとめることになったといふ。

 釈尊の説法は、かくの如く、時に臨み機に応じてなされた。

 このエピソードは分かりやすくて腑に落ちる。この後にもう一例続くがそれは次回にする。

 

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2016年8月 9日 (火)

NHKスペシャル「決断無き原爆投下」が伝える真実

 6日のヒロシマの日に放送された、NHKスペシャル「決断なき原爆投下~米大統領 71年目の真実~」を見た。
 原爆投下はトルーマンが明確な意思のもとに決断したという説が、歴史家たちによって見直されようとしているという。

 トルーマン大統領は、ルーズベルト大統領が1945年4月に急死したのを受けて、副大統領から大統領になった。しかし、トルーマンはそれまでマンハッタン原爆計画について知らされていなかった。マンハッタン計画はルーズベルト大統領の下で、レスリー・グローブス准将が中心となって進められていたのだ。

 グローブス准将は、原爆計画を進めるため詳細は報告書を持ってトルーマン大統領に会った。が、トルーマンは「私は報告書を読むのは嫌いだ」と答えたという。それでグローブスは大統領が暗黙の了解を与えたのだと解釈した。その後ネバダでの核実験が成功した。

 グローブス准将らは日本の都市への原爆の投下を進言した。日本の都市が10ほど候補になり、その中から広島と京都に絞られた。まだ通常爆弾の被害がなく、原爆の効果がしっかりと出る都市ということであった。

 グローブスらは京都に拘ったが、ヘンリー・スチーブンスン陸軍長官は京都は文化都市だとして反対をした。トルーマン大統領は一般市民や子どもが犠牲になることを心配し、またナチスドイツのユダヤ人虐殺のような受け止めをされることを恐れた。それで結局軍関係や軍需施設が多くあるという牽強付会の論証によって広島に決まった。

 グローブス准将らは巨額な費用を使いマンハッタン計画を進めてきて、その効果を確かめずに戦争が終わることを恐れていた。それで広島と長崎への投下を実行したのだ。3発目も用意されていたが、それはこれ以上の犠牲を出さないようにということで止めたのだという。

 トルーマン大統領は、投下後、「日本の市民やアメリカの兵士のこれ以上の犠牲を止めるために投下した」とラジオで放送した。それが原爆投下を正当化するアメリカ人の共通の理解となって今日に至っているのだ。

 グローブス准将の証言は2時間ものテープに残されている。准将はその証言の4か月後に亡くなったというから、非常にきわどいところで残された貴重な証言だと言える。

 「大統領には何も出来なかった」。NHKが独自に入手した、米軍の原爆計画責任者のインタビューテープは、赤裸々に原爆投下をめぐる事実を語っている。それらをもとに番組では日本人が知らない事実を、次々と明らかにしている。

 世界でただ2か所、広島と長崎に原爆が投下された。その後はどこにも原爆は使われることなく71年が過ぎた。原爆はこれからも未来永劫に地球上に使われてはならない。日本はこのことを世界に向けて訴え続けなければならない。それこそが真の「積極的平和主義」と言えるのだ。

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2016年8月 8日 (月)

坪畑で凄い収穫をする人

 近所に新築の家を建て引っ越してきた人がいる。その家には2畳半、つまり1坪半程度の庭があり、そこに野菜を育てている。ナス、きゅうり、ミニトマト、小玉西瓜が植えてある。

 私は毎朝ウオーキングの行き帰りにその坪畑を見ている。金網の垣根に3mぐらい西瓜の蔓をはわしてあって、小玉西瓜が4つ赤いネットの袋を被ってなっている。きゅうりは大きな実が一杯なり、まだ花もつけている。ナスもみごとな30cmぐらいの長ナスがぶら下がっている。もう一つすごいのは、ミニトマトである。大きな実が数珠なりになっているのだ。

 この家には男の老人が家族と住んでいるようで、畑の世話をしているのはその老人である。

 5日の朝、ウオーキングの帰りにトマトを見たら、たわわに実をつけていた。余りに見事なので写真に撮ろうと思ってスマホを出して構えたら、奥に老人が立っていた。それで写真を撮ったもよいかと尋ねたらよいと言った。

 写真を撮ってそれがきっかけで少し話をした。まず知りたかったのはどうしてこんな狭いところで何種類もの野菜を見事に育てられるのかであった。

 その人の話では、有機肥料を使っているからだということであった。その肥料は家で出る生ごみをたい肥にして使っていると言った。多分コンポストのような家庭用たい肥製造器具なのだろう。

 肥料がよいので土の力が強く、野菜がしっかりと育つのだと言っていた。ミニトマトの幹の丈は、延ばすと3mぐらいにはなるだろうと言った。それでは収穫が大変なのでぐるぐると引き回して高さを低くしてあるのだそうが。

 小玉西瓜はなっているのが4個だと思っていたら9個だと言った。指さすところを数えたら確かに9個なっていたので驚いた。スイカは受粉をさせたのだそうだ。それでないとできないという。980円ぐらいに育ったのが4個、その他にまだ小さいのが5個もある。

 ナスもたくさん獲りましたよ言った。あまりにも素晴らしいのでただただ感心するだけであった。私はミニトマトを鉢に2鉢植えたが、ホームセンターで買ってきた肥料入りの土に植えただけである。小さな実が10個ほどなっただけで、葉っぱはちりじりになってしまった。この差は何であろう。我ながら惨めである。

 野菜を育てるのも教育と同じだと痛感した。まずしっかりとした畑を作り、適当な肥料と水をやり、野菜自身が持っている育つ力を引き出してやらなくてはいけないのだ。来年はミニトマトをうまく育てようと思った。

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                       見事なミニトマト

                    赤いネットには2個のスイカ

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2016年8月 7日 (日)

アマゾンで本を売ろうとしたが結局叶わず

 河村さんが作った「末期ガンからの生還 0円でガン撲滅」をアマゾンで売りたいというので手伝った。

  以前にYAHOOに出店をするのを手伝ったことがあるが、AMAZONは初めてであった。AMAZONのホームページに行き、いろいろ調べたが、やり方が分かり難かった。

  大口出品登録と小口出品登録があることは分かった。大口の出品は毎月5000円ほどの費用がかかり、その他に売り上げに応じて何%かの費用や手数料がかかる。それではとても無理なので小口でやることにした。

  登録の費用はかからないが、基本成約料が100円と販売手数料が本の場合15%かかることが分かった。

  それで小口出品登録をすることにした。ところが登録の仕方が非常に分かり難かった。いろいろ調べて小口登録をした。ところが出品の仕方が分からない。それで電話で聞けないかと思い探していたら、テクニカルサポートに電話をすればよさそうだと分かった。電話は「今すぐ応答」というのを「5分以内に応答」というのがあったので、ためしに「今すぐ」に電話をしたら本当に直ぐにつながったので有難かった。

  電話でサポートをしてもらうと、私がやったのは購入者としての登録だということであった。そこで出品者としての登録をすることになった。サポートの指示に従っていろいろやったのだが、それが容易ではなかった。とても自分ひとりでできるものではなかった。

  結局30分以上かかって何とか登録を終えたが、購入者の登録と出品者の登録のIDとパスワードは同じでよかった。

  その日はそこまでにして、出品は別の日にすることにした。2日後出品のためにAMAZONを開いたが、どうしても分からなかった。それでまたサポートに電話をした。サポートは直ぐにつながり教えてもらいながら進めた。

  いろいろ話していると「相乗りでなければ売ることができない」と言った。それで同じような題名で探すことにして「末期ガンからの生還」と入れて検索すると13冊出た。その中の一つに相乗りをすることにした。後は自分ですることにして電話を切った。

  「出品する」というボタンをクリックしたら、価格、新品か中古か、本の汚れ、割引などの項目があった。そうしたものに記入をして行って、本の題名や写真を入れるところがないことに気が付いた。大事なことが分からないので、またサポートに電話をした。

  今度は女性のサポーターが出た。その人が言うには、大口出品登録でなければ写真や本の題名をいれられないと分かった。しかも書籍のISBN(国際標準図書番号)がないと駄目だというのであった。河村さんの本はISBNを取得していなかった。だからAMAZONでは売れないのだ。

 また「相乗り」というのは、同じ書籍を持っていて売るときに使う手段であって、全く違う本は使えないということであった。

 前の男性のサポーターはそうした大事な説明は何もしなかった。それでああでもないこうでもないとかれこれ3時間ほどの無駄な時間を費やしてしまったのだ。その女性は明快に説明してくれたので褒めてあげた。

 それにしてもAMAZONに出品するのは非常に分かり難いので驚いた。電話のサポートがなかったらどうしようもない。(もっともあってもサポータの能力で無駄な時間を使うことになるが)

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2016年8月 6日 (土)

NHK終戦の日スペシャルドラマ「百合子さんの絵本」がよかった

 7月30日にNHKで放送された終戦の日スペシャルドラマ「百合子さんの絵本」―陸軍武官小野寺夫婦の戦争―を見たが、とてもよかった。戦後71年、こういう戦時中の知られざる事実がまだあったということを知り、それを発掘してドラマ化したことを歓迎する。

 小野寺大佐は陸軍参謀本部ロシア課に所属した情報士官であった。参謀本部と意見が合わないことがあって、永世中立国のスエーデン大使館の武官にさせられる。彼はロシア語とドイツ語が堪能であった。当初単身赴任でスエーデンに行くのだが、上層部から奥さんを呼ぶように言われて、奥さんは末っ子だけを連れて夫の所に向かう。

 着いた日からすぐにやらされたことは、暗号の電報を送る仕事と、参謀本部から送られてきた暗号電文の解読であった。奥さんを送ったのは、一番信頼を置ける人物として、重要な暗号作業を担わさせるためであったのだ。

 暗号を解読するための乱数表の管理は厳重で、外出するときには肌に付けてでるのであった。また、武官は情報を集めるいわばスパイであるから、外に出てもいつも危険が隣り合わせであった。

 小野寺武官は誠実な人柄で、各国のスパイから信頼され、貴重な情報を手に入れることができたそうだ。小野寺武官を香川照之が好演した。

 小野寺大佐の奥さんが百合子さんで、祖父は陸軍大将という家系に育ち、語学も堪能であったようだ。原文の絵本を子どもたちに読み聞かせるシーンが出て来る。その役を薬師丸ひろ子が演じたがこれも好演であった。若い頃から年をとるまでを巧みに演じていた。

 小野寺はナチスドイツ追われたポーランド人のイワノフを雇っていた。イワノフはロシアの情報を手に入れ小野寺に渡していた。日本にドイツがロシアを攻めるなどの大事な情報を送り続けるのだが、ことごとく無視される。日本が真珠湾攻撃をし、アメリカが参戦したことを非常に憂えていた。戦況が不利になりやがて日本は負けると信じていた。

 そんなある日、小野寺武官は信頼するイワノフから連合国がヤルタ会談で交わした秘密を知る。それは「ソ連が対日戦に参加を決めた」というものであった。百合子は夫に従い、その情報を本部に送り続けた。本国が受け取れば必ず和平に動くと信じていたのだ。しかし、一億総玉砕さえ叫ぶ軍部は受け入れるはずはなく、その情報は活かされることなく、米国による原爆投下、ソ連の参戦となり、敗戦の日を迎えるのであった。

 日本がアメリカの圧倒的な物量と戦力の前に、米軍による沖縄上陸、B29による日本本土焦土作戦、原爆投下などで惨めな負け方をし、はかりしれない犠牲を出した。そうなる前になぜ戦争を終わらせることができなかったのか。

 小野寺武官のような情報源もあったのにそれを無視して8月15日まで戦争を引きずった軍部の責任は極めて重大である。それにしてもあの戦時中に情報の正確な判断をして参謀本部に送り続けた軍人がいたことはすごいことだ。

 小野寺武官は戦後はそうしたことを語ろうとしなっかったが、最後に子どもたちに話すことにした。百合子さんは戦後、 「ムーミンパパの思い出」などムーミンシリーズや児童文学の翻訳をした。私はムーミンが大好きで娘と一緒にテレビを見たが、それを翻訳したのが小野寺百合子さんで、戦時中このドラマにあるような戦争の最前線で働いていたということも初めて知った。

 改めて戦争の非情な一面を知ることが出来、戦争の過酷さを、戦争を指導する連中の非道さを考えさせられた。

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2016年8月 5日 (金)

山崎川、土手の夏草を刈る必要があるのか?

 8月4日の朝、いつものように山崎川沿いの下流に向かって右側の道を歩いていた。萩山橋を過ぎると土手の草がきれいに刈られていた。昨日見たササユリは・と思って注意して歩いて行ったが、そこここで花を咲かせ始めていたササユリはきれいに刈り取られていた。

  ササユリが咲いてるのを見つけたのは、7月の終わりであった。下の最初の写真がそれである。始め私は時期外れの狂い咲きだと思っていた。だが、それからところどころでササユリのつぼみや咲き始めを見るようになった。

  この炎天の夏に白いラッパ状の花を凛として咲かせているササユリを私は愛でている。山崎川の土手にはところどころササユリが咲くのだが、球根のササユリだどうして離れたところで咲くのか不思議に思っている。

  花の命は短いというが、ササユリは1週間ぐらいは咲いていると思う。つぼみからだともっと長いかもしれない。暑い夏にけなげに咲き私たちの目を楽しませてくれる。

  ササユリが1本残らず切られてしまったので歩きながら考えた。ササユリを残しておくことができなかったのか。だが、ササユリだけがきれいだから大事なのではないと気付いた。生い茂って邪魔者にされている他のさまざまな雑草だって命ある生き物であり、自然を形作っているのだ。

  そうした雑草の叢には昆虫などのさまざまな生き物が生活している筈である。秋になるとコオロギの声を聞くが、なぜか夏のキリギリスは聞かない。でもバッタやクモやいろいろな生き物が住んでいるはずだ。

  それを人間は身勝手なもので、夏草が茂るのは見た目によくないからと機械できれいに刈ってしまって喜んでいる。確かに見た目にはサッパリした感じになるがそこには多様な生物が息をしている自然が消えてしまっている。人間の目のために自然を破壊し、命を奪ってよいものであろうか。

  ササユリだけを残して、他の草は狩り取ってしまえばよいというものではないと思うのだ。土木事務所に電話したが、1年に1回刈り取っているという返事であった。

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                  最初に咲いた花昨日もさいていた。
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                   きれいに刈り取られた土手

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                  まだ刈り取られていない側の土手

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                   茂っている手前の土手ときれいに

                   された向う側の土手  

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2016年8月 4日 (木)

小池東京都知事に思うこと

 東京都知事は小池百合子氏に決まった。自民・公明推薦の増田氏と4野党推薦の鳥越氏を抑えての当選であった。 

 小池氏は都知事選に真っ先に手を挙げ、その後自民・公明が増田氏を推すと分かったのちも下りなかった。そして都議会を冒頭解散するとぶち上げた。そうしたパフォーマンスが多くの人に強烈なインパクトを与えたのだ。

 また女性であったのもよかった。女性候補は他にもいたが、何と言っても元環境大臣や女性初の防衛大臣経験者であり、知名度も抜群であった。

 金の問題で2度のやり直し都知事選となり、3度目はあり得ないという状況で、彼女自身政治資金の使い方について疑惑がありながら、小池氏ならば大丈夫だと思わせたのがよかったのだろう。

 また、小池氏は「日本会議」の有力メンバーであることや「歴史教科書の書き換えを勧める団体」を応援し、知事選ではその支持を受けていた。小池氏は安倍首相と同じように自民党の中の極右である。しかし、選挙を通じてそれを一般都民が知ることはなかった。

 先の参議院議員選挙で自民党が単独過半数を獲得し、憲法改正勢力が2/3以上となった。先日も大阪維新の橋下氏と安倍首相の3時間にも及ぶ会談が開かれ、憲法改正への根回しが進んでいる。そうした中で東京都知事にリベラルでない右翼の小池氏がなったということを注目している。

 今や世界的に右翼勢力が力を伸ばしてきている。アメリカ、オーストリア、スペイン、フランス、ドイツ等・・・。日本も例外ではない。この傾向を私は憂えている。

 民進党・共産党など野党4党と市民グループが推したリベラルの鳥越氏は当初の予想を裏切って惨敗した。その敗因を私は、

①あまりにも突然の立候補で政策をきちんと立ててなかったこと。選挙中にも政策

 を具体化できなかったこと。

②年齢が高いうえに、ガンという病歴があり、選挙運動でも小池氏のように精力的

 に動けなかったこと。

③4野党の運動が今一つ弱かったこと。

④何と言っても選挙妨害ともいえる鳥越氏のスキャンダル報道が2度もなされ、

 ダーティなイメージを拭えなかったことが非常に影響している。

 小池氏は弁舌が長けていて、イメージ作りも巧みであったと評されている。鳥越氏は余りにも地味過ぎ、知名度だけに頼ったのがいけなかった。

 新都知事の小池氏は東京オリンピックや待機児自動問題や災害対策など喫緊の課題にどう対処していくのか、都民の要望に耳を傾けることができるのか、伏魔殿と言われる都議会とどう向き合っていくのか、これからが見ものである。

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2016年8月 3日 (水)

山陰旅行―⑤―出雲大社

 9時11分玉造温泉駅発の快速に乗るために車で駅まで送ってもらった。右手に宍道湖が望まれた。列車を降りるとき、少し早めに乗降口にいたら、Dさんが年配の女性と話し始めた。その女性は友だちの家でトマトをたくさんもらってきたと言っていた。そして新鮮だから上げると言って鞄の中を探したが、直ぐには見つからなかった。駅に着いたので諦めた。残念であった。

  出雲市駅に着くと、荷物をロッカーに預けてバス乗り場に行った。運賃は一人500円だったので、Dさんがタクシーで行こうと言った。タクシーの運転手に出雲大社までいくらぐらいかかるか尋ねたら、3000円以上と言ったので10時発のバスで行くことにした。

  10時30分ごろに出雲大社正門前で降りた。ところが大社にどう行けばよいか分からなかった。それで近くの店の人に尋ねたら、「そこに鳥居が見えるからその道をまっすぐに行けばよい」と言った。よく見ると鳥居の頭が見えていた。なあんだと思って鳥居の前に行くと大社までまっすぐな参道があった。途中松並木があるところもあった。松の参道というらしかった。

  手水舎のあるところで、口と手を浄めた。そのやり方をMさんに教えた。正門の近くでどこかの中学校の一団と出くわした。7クラスぐらいある大きな学校であった。これは大変と思ったが、社殿に行くと彼らはまだ来ていなかったのでよっかった。

  参拝殿でMさんに、二拝二拍手一拝と教えて参拝したら、隣の人は4拍手していたのでおやっと思った。後で分かったのだが、出雲では二拝四拍手一拝だったのだ。

 次に本殿の前に行って参拝をした。そのあと出雲大社は社殿の周りを1周出来るので向かって右の方に行った。そこには東十九社があった。その細長い建物は10月になると、全国神が出雲にやってきて泊まると言われる宿泊施設である。10月は神無月というのは神様がみんな出雲に行くから。それで出雲では神在月と言っている。神様が集まって会議をするのだという。その話をしたらMさんたちは面白いと言っていた。

 社殿の屋根を見ながら周りを回った。西側に出ると西十九社があった。それも神様が泊まる所だ。 それから神楽殿を見に行った。

 そのあと、大国主の尊の像があったのでそこで大国主の尊や直刀、みずら、当時の服装について説明をした。

 戻りに西側の道を歩いたら、途中に石で作った可愛いウサギの像がたくさんあった。鳥居を出てお茶にしようと言った。ソフトクリームを食べようと店に入ったら、その店は持ち帰りは400円だが、店内で食べると550円だと言った。それで外で食べることにした。ずいぶん変わった商法だと思った。大社周辺の店はみな値段が高いようであった。

 13時の正門前発のバスで出雲市駅に戻った。大社にいたのは2時間半ぐらいであった。駅に着くと食事をしている時間がないので売店で列車に持ち込めるものを買った。私はおにぎりを2個買った。Mさんは助六を買った。

 13時31分の特急やくもに乗った。岡山で新幹線ひかりがうまく接続しているか調べたがなかった。結局最初の計画の18時23分のひかりになった。のぞみならたくさんあるのだが、JRパスではひかりとこだましか乗れないのでやむを得なかった。

 出雲大社から名古屋までは遠いので大社での滞在時間が短かったが、今回の旅は松江城、足立美術館、玉造温泉、出雲大社と島根の観光スポットを回ってDさん、Mさんに喜んでもらえた。

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                      正門大鳥居
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                      松の参道
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                      社殿の東側
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                     奥に見えるのが東十九社

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                    店内では値段が高い店
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                       大国主の尊像

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                       可愛いウサギ

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2016年8月 2日 (火)

山陰旅行―④―玉造温泉

 玉造温泉駅で、その日の夜泊まる予定の「山の井」旅館に迎えに来てくれるように電話をした。10分ぐらいで行くということだった。

  温泉街に入ると車は狭い川沿いの道を走った。今夜ここでショーがあると教えてくれた。旅館に着くと、チェックインをしたが、その時、同じ経営の保性館に行くと露天風呂があり女性は午後に入れるという説明があった。それで部屋に荷物を置くとそちらの温泉に行くことになった。Dさんたちは温泉が好きで特に露天風呂が好きだからだ。

  男性の風呂は広くて、大きな岩石をしつらえて自然の感じを出していた。まるで露天風呂の雰囲気もあった。ゆっくりと入り外に出てDさんが出て来るのを待った。なかなか出てこなかった。中で日本の女性と話をしていたのであった。Dさんはどこででも気楽に話しかけるのだ。

  旅館のスタッフと話をしていると、「小泉八雲の絵があるから見ますか」と言った。その人の後について2階に行くと、踊り場の壁に大きな絵が掛けてあり、絵は八雲と奥さんが描かれていた。八雲の写真は全て左側からなのにその絵は悪い眼の右からであった。そのことを言うと画家はわざわざそのように描いたのだと言った。右からの八雲像はおそらくそれだけだろうと言っていた。とても珍しい絵を見ることが出来た。

  1階のフロアに戻ると、「この旅館には昭和天皇がお泊りになった部屋があります。」と言ったので驚いた。保性館は一番古い旅館で昭和22年ごろ昭和天皇が泊まったのだという。その部屋は立派な独立した建物の中にあり幾つもの部屋があって大変広々としていた。

  もちろん身近なお世話をするおつきの人たちも泊まったのだ。私は昔四国に行ったとき、天皇が使用した漆塗りのトイレを見たことがあるので、その話をしたら、トイレは現在は今風に改良してしまったそうであった。

  その部屋には客を受け入れているそうで、グループで泊まると1万9千円ぐらいで泊まれると言っていた。想像より安かった。

  夕食は山の井に戻って食べた。とても広い大部屋に用意されていた。年配の仲居さんがとても応対がよく、楽しく話をすることができた。松江城の近くから通っているという話であった。料理もとても美味しくバラエティに富んでいた。特別な作り方の茶碗蒸しはDさんが特に気に入ったようであった。酒粕を使った魚も2種類あり味が優れていた。

 翌日の朝食のバイキングは30種類あり、しかも和食で野菜類を調理したものが多く味もよかった。私は食べてみたい性分なのでいろいろと皿にのせて食べた。

 料理のことをスタッフに褒めたら、この旅館の自慢なのですと言った。和食のことを言ったら、この旅館はホテルではなく旅館だと言った。てっきりホテルだと思っていた。そのことをDさんたちに話した。

 朝風呂は山の井旅館で入った。何と露天風呂が付属していて、しかもその造りが自然の山から水が流れて落ちるようになっていて素晴らしかった。温度も快適であった。私は5時の開門と同時に入ったのでたった一人でのんびりと楽しんだ。部屋に戻るとMさんたちはまだ寝ていたので起こして素晴らしい露天風呂だから入るように勧めた。

 旅館のスタッフに露天風呂を褒めたら、皆さんにそう言われますと言っていた。数々の露天風呂に入ったが本当に良い風呂であった。前日は説明不足で山の井にも露天風呂があることを言わなかったのだ。

 山の井旅館と保性館は経営が同じなのでどちらの風呂も利用できる。山の井旅館はインターネットで見つけたのだが、料金も2食付で一人1万1千200円(和室すべて込み)でリーゾナブルな料金であった。

 夜は川に造った舞台でのショーを見に行った。2部に分かれていて、一部は若い人向けの歌と演奏で、2部は安来節のチャンピオンたちの歌とドジョウ掬いであった。本場の安来節が見られてとてもよかった。

玉造温泉はその名の如く、古代にはこの辺りで産出した瑪瑙を使って勾玉を造った。緑と茶色の瑪瑙が採れたそうだ。、昔来たときには瑪瑙をカフスを買ったことを宿の人に話したら、今は全く採れなくなってしまったそうだ。名前だけの温泉になってしまったのは残念である。

 

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                    保性館男湯

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                八雲に怪談を聞かせる奥さん
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                保性館天皇が泊まった部屋
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                  山の井旅館正面

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                    夕飯の一部

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                 おもてなしの仲居さん

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                    ショー第1部歌謡
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              ショー第2部 安来節とドジョウ掬い

 

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2016年8月 1日 (月)

山陰旅行―③―足立美術館

 山陰旅行2日目は、足立美術館に行くのだ。松江駅に行くバスは、県民会館前のバス停で乗るのだが、数が多いので便利である。

  松江駅で安来駅までの切符を500円で買い、9時28分の各駅停車に乗った。YASUKIだと思っていたら、YASUGIであった。9時58分に着くと、10時発のシャトルバスが待っていた。無料だが帰りのバスの予約券を受け付けでもらうようにと注意があった。

  20分ぐらい乗って山際の足立美術館に着いた。非常に有名な美術館で特に庭園が素晴らしいというので、前から観たいと思っていたのがやっと実現した。観光バスで来る客で溢れているだろうと予想していたが、幸いそれほどでもなかった。入館料は2300円だが外国人は半額であった。受付脇で帰りのバス予約券を取った。

  入るといきなり大きなガラスの部屋があり、庭園が目に入ってきた。ガラス越しに見るらしかった。ガラスの前の椅子に座って庭園を見、写真を撮った。庭園は想像通り大変良く手入れをされていた。遠方の山を借景にして、岩や石で作った石庭も巧みに造られていた。大きい岩は山や木立を表し、砂や小石のところは流れ出た川の水を表しているそうだ。

  本物の水が流れているところや池もあり、きれいに刈り込まれた盆栽のような木々が美しい。何といってもそのスケールが大きい。アメリカの庭園の評価で8年連続1位だというのもうなずける。

  喫茶室で庭園を見ながらお茶やコーヒーを楽しめるところもあったが、コーヒー1杯1000円なので入らなかった。レストランも同じように高い。

  「林義男と鈴木寿雄の子どもの夢をえがく童画家たち」という展覧会をやっていた。ほのぼのとした童画や陶器の作品であった。

  この美術館は、矢印の案内に従って歩いて行くと、自然に庭や展示物を見ることができる回廊式になっていることが分かった。3時間ほどかけてゆっくりと順番に観ていき最後は新館の現代美術展を見て入口に戻った。

  足立美術館の目玉は庭園の他に、横山大観の日本画のコレクションである。それは途中、2階に特別展示室があった。館内は撮影禁止だが、庭園は自由に撮影できた。

 バスの券は予定より30分ほど早くなったので早い券に換えた。

  後で駅前の観光案内所で聞いて分かったのだが、美術館のすぐ近くに安来節のショーをやっているところがあるそうだ。もし知っていたら見られたのにと思うと残念であった。

  昼食を安来駅前でと思ったのだが、駅前にはレストランが一つしかなかった。それで玉造温泉駅まで行くとたくさんあると思ってそこまで辛抱をした。

  玉造温泉駅までは快速列車で行った。駅に着くと想像とは全く違いレストランは一つもなく、店が一つあるだけだった。Dさんがお菓子買ってそれを食べた。

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