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2016年8月15日 (月)

71回終戦の日に思う

 今日8月15日は71回目の終戦の日である。この日が日本にとって特別な日であるにもかかわらず、普通の日と同じ扱いになっているのが不思議でならない。

  私は戦中、戦後を通して南紀新宮市で育った。前にもこのblogで書いたが、米軍がサイパン島やグアム島を占領して以後、毎日B29が日本を空襲するようになった。新宮の上空は大阪方面や名古屋方面に空襲に向かうB29の通り道となっており、昼間であれば銀色に光る機体が見えた。夜は嫌な爆音がゆうゆうと空を飛んで行った。

  新宮市が空襲されたのは、ネットで調べたら昭和20年1月19日だと書いてあるblogがあった。南紀新聞によると、この夜、熊の地、大浜、三輪崎などに焼夷弾が投下され焼かれたとある。

  私はその空襲があった夜、防空壕の入り口から熊の地方面の空を見ていた。無数の焼夷弾がキラキラと輝いて落ちていくのを見た。その下で多くの市民が家を焼かれ逃げ惑っていたのだが、子どもの私にはそこまでは思いを巡らすことはなかった。ただ自分の方には落とさないようにと祈っていたのだ。

  2、3日後に熊の地を見に行ったら無残に焼かれていた。阿須賀神社など200余戸が焼かれ、死者31人、負傷者239人だったと南紀新聞は伝えている。

  熊の地には王子製紙の工場はあったが、それ以外は一般市民の住宅地であった。それなのに米軍のB29は焼夷弾で街を焼き、罪なき市民を犠牲にしたのだ。

  新宮が空襲されてから、米軍の空襲はますます激しくなり、名古屋、東京を始め全国の都市が焦土と化していったのであった。そして忌まわしい広島と長崎への原爆投下とソ連の卑怯な参戦が日本にとどめを刺すことになったのであった。

  新宮空襲後8月15日の終戦まで、それこそ気が休まる日はなかった。日中に学校への行き帰りは何時敵機が襲ってくるかもしれない恐怖感があり、警戒警報のなるたびに防空壕に飛び込んだ。夜は黒い布で覆った懐中電灯よりも暗い電燈の下で過ごした。

 我が家には格子をはめた窓があったが、父はその格子の一部を鋸で切り、いざというときには簡単に壊せるようにしていた。

 平和であればのんびりした、山紫水明の南紀の街なのだが、戦争の間は毎日がいつ死ぬか知れないと思って暮らしていたのである。

 終戦の昭和20年8月15日は天気がよく暑い日であった。前にも書いたが、その日は父は勤めていた商業学校に行った。帰ってきたらいつものように遠くの山に開墾した畑に行くことになっていた。

 私は玉音放送があるのを知らなかった。我が家にはラジオはあったのだが、母もラジオをつけなかった。田舎なので徹底していなかったのかも知れない。だから聞くことはなかった。

 父が帰宅して「今日は畑には行かない」と言って、部屋で力を落としたようにぐったりしていた。私は戦争に負けたことを知った。

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コメント

私は中日新聞は見ていませんが、山田監督の言う通りです。文法的に解説しますと「落ちてきた」は自動詞です。あたかも自然現象のように表現するのは誤魔化しです。
 他国を侵略して多大の損害を与えた日本軍の行為を謝罪するのは当然です。そしてアメリカのホロコストを弾劾すべきだと思います。

投稿: らら | 2016年8月15日 (月) 11時59分

今日は終戦記念日で中日新聞も例年通り、終戦にまつわる特集記事が掲載されていた。その中で映画監督山田洋次氏の対談記事が私の注目を引いた。先のオバマ大統領の広島での演説は歴史に残る名演説として人々に感銘を与えたというのが一般の評価である。しかしながら、山田監督は冒頭の「死が空から落ちてきた」とはなんとも不思議な表現でごまかしであったと。自然災害ではないのだ。アメリカ軍によって落とされたのだ。(中略)広島と長崎の犠牲者に謝って当然だと思う。しかし大切なことはそれを日本人が批判する場合、同時に日本の軍隊が戦争で犯した中国を始めとするアジアの国民に対する恐るべき殺害についても謝罪する態度がないと、均衡を欠くのではないでしょういか」とある。山田監督は子供の頃、父の勤めの関係で戦時中満州で生活し
大連で敗戦を迎えただけに説得力がある。

投稿: toshi | 2016年8月15日 (月) 08時49分

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