増谷文雄「仏教入門」―㉜―
ここに説かれておるものは、釈尊の思想の根本的な立場であり、またそのながい生涯の全体を貫く態度である。当時の印度には、さまざまな思想家があった。ある経典はそれらの思想をおよそ八項六十二種に分類しておる。これを六十二見という。
またある経典は当時の特に有力な思想家を六人あげて説いておる。これを6師外道と呼ぶ。それらの中には、唯物論的、感覚論的な思想家たちが、殊の外に有力な存在であった。釈尊が諸欲に貪著を事とするものとして、2辺の一にあげておるのがそれ等であった。
それらに対して有力な唯心論者もあり、また、さまzまの苦行を修して、民衆の畏敬を得ておる思想家も少なくなかった。釈尊が、自ら煩苦を事とする者として、2辺の一に数えたのはそれであった。而して、釈尊の思想的立場は、そのいずれにも属さざるもの、中道に立てるものであった。
なお、釈尊自身の過去を振りかえってみると、そこにもまた、快楽主義があり、苦行主義があった。王族の家に生まれた若いころの釈尊は、心ゆくまで悦楽の生活にしたることが出来た。だが、如何に快楽の生活をたのしんでみても、そこには少しも真の満足はなく、心の安穏は得られなかった。
そこで釈尊は断乎として家を捨てて、苦行主義に生活に入ったのであった。釈尊にとっては、言わば、快楽主義の生活はすでに試験済みのものであった。彼の苦行主義の生活だ緯度は、ほぼ七年間つづけられた。
だが、苦行の生活もまた、結局は内心の平和をもたらす道でないことが解って来た。釈尊にとっては、苦行主義の生活もまた試験済みのものであった。そしてこの体験の上から割り出されたものが即ち中道であって、釈尊は自らこの中道によって大覚を成就し、また人々にこの道を説いて、佛教の大道となしたのである。では中道とは、そもそもいかなる道であろうか。
釈迦は王族として快楽を経験し、それを捨てて7年間の苦行を重ねてそれも心の平和ともたらさないことが解って、「中道」が大事だと知ったというのだ。次は「中道」についてである。
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