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2016年5月20日 (金)

増谷文雄「仏教入門」―㉕―

 「汝等比丘、わが滅後に於いて、常に波羅提木又(戒本)を尊重し珍啓すべし。闇に明に遇い、貧人の宝を得るが如し。常に知るべし、これは則ち是れ汝等が大師なり。若し我、世に住するとも、これに異なること無けん」

 そして、釈尊滅後の仏教教団に於いては、まず何よりも戒律に背むかざらんことが強調された。放逸の行いなく仏道修行に専念すべきことが力説された。

 「若し経と論とを亡失するも、

  律を失せずば教は住す」

 戒律が厳粛に守られる限りは、決して正法の滅する憂いはないとさえ教えられた。

 かかる宗教生活を展開する仏教比丘にとっては、当然神に祈祷をささげることも必要でなく、祭祀を営むことも必要でなく、また儀式を厳粛にすることも必要でなかった。古い経典によると、仏弟子たちは釈尊自身によって、釈尊の遺身遺骨を供養することすら不必要であると教えられておる。それは釈尊臨終のときのことであった。阿難陀は、師のなきがらの処置について質ねて言った。

 「世尊、我等は如来の舎利を如何に処理すべきや」

すると釈尊の答えは、つぎのごとくでなった。

 「阿難よ、汝等は如来の舎利供養のために煩わされざれ。いざ阿難よ、汝等は最高善にどりょくせよ。最善を修せよ。最高善に於いて、不放逸にて、熱心精懃にして住せよ。阿難よ、如来に信心を懐く刹利帝の学者も、婆羅門の学者も、居士の学者もありて、彼らは如来の舎利供養を為すべし」

 この釈尊の教訓は、他のもろもろの宗教の人々にとっては、不思議な言葉に思われないであろうか。いな、後世の仏教の人々にとってすらも、おどろくべき言葉ではないであろうか。しかも、佛教生活の本領はまさしくこの言葉の中に存する。仏教徒にとって本当に必要なことは、ただ法を知り、法を行ずることである。眼を開き、法を見て、律によって正道を歩むことができるならば、そのほかには、何事も必要ではなかった。私はさきに、佛教は「自覚の宗教」といい、また「真理の宗教」と称したが、これに加うるに、更に「修行の宗教」の一項を以てするならば、ほぼ仏教の輪郭は完成するのである。

 ※釈迦が自分の死後遺骨・遺体の供養は不必要と教えたということは興味深い。現在タイなど南方の仏教でも日本や中国の仏教でも釈迦の涅槃像などが造られ、また仏舎利というものも信仰の対象となっている。釈迦が甦ったらどんなに驚くことであろうか。

 「自覚の宗教」「真理の宗教」「修行の宗教」が本来の仏教の本質であるという増谷氏の指摘には同感である。

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