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2016年5月19日 (木)

増谷文雄「仏教入門」―㉔―

 

  人間の欲望解決に対して、かかる態度をとった仏教は、当然その宗教生活の内容においても、世のもろもろの宗教とは大いに異なるものがあった。およそ、世のもろもろの宗教においてあ、祈祷をささげることと祭祀をいとなむこととが、重要な宗教生活の内容をなすものである。人々は祈祷によって神々を歓請し、また祭祀の神秘な力によって、多くの欲望の満足をはからんとした。

  だが、釈尊の宗教においては、欲望の満足をはかるかわりに、欲望の断滅が策せらるべきであった。したがって、釈尊のともがらは、祈祷によって神々を歓請する必要もなく、また祭祀の力をかりる必要もなかった。

  かくて、本来の仏教生活のなかには、すでに述べたごとく、祈祷というももがなく、祭祀というものがなく、また儀式というほどのものもなかった。

  それでは、原始仏教の人々にとっては、どんな宗教生活が営まれるべきであったか。理論的に言えば、正法に信順し正法を尊重して、これに違わざる生活こそ、理想の仏教生活であったに相違ないが、更にこれを実践の面から言えば、かかる理想の宗教生活を実現するための道行の分類として、通常「七科」と称せられる七つの修行の方策が存しておった。

 四念処、四正断、四如意足、五根、五力、七菩提分並びに八正道がそれであって、釈尊は、時に応じて、その何れかの方策を示したのであるが、中に就き、八正道はその基本的なものであった。

 また、これを更に具体的にいって、かかる理想の宗教生活を僧伽の中に具現するという点から見れば、釈尊の制定した戒律に従って生活することが重要な意味をもって来るのであって、戒を具足することが、そのまま正法に随順する生活の実現であると考えられた。

 『大涅槃経』によると、釈尊は入滅の直前、阿難陀を召して次のように教えたという。

 「阿難よ、或いは汝等かかる念あるべし。『教主の言は終われり。我らの教主はなし』と。阿難よ、そをかく見るべからず。阿難よ、我に依りて説かれ、教えられたる法と律とは、我が亡き後に汝等らの師なり」

 ここに、釈尊なき後における仏教生活の中心は、ただ正法と戒律とであることが釈尊自身の言葉として説かれているのであるが、この中に存する戒律尊重の思想は、さらに『仏遺教経』によると、つぎのごとく強調せられておる。

 ※釈迦の説いた仏教では、祈祷と祭祀を否定し、正法と戒律依拠した生活が重要であった。しかし、釈迦なきあと法と律を師とせよとの遺言はいつのまにか変質して、中国を経て日本にわたってきた仏教は、祈祷と祭祀を重んじるものとなっていたのだ。

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