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2016年5月

2016年5月31日 (火)

日本人の貯蓄額は?平均でみるか、中央値で見るかで大きな差

 先日の新聞に、2015年に日本の家計が保有していた金融資産は1世帯あたり平均1805万円で、3年連続の増加となった(総務省統計局「家計調査(貯蓄・負債編)」)と書いてあった。この金額が多いか少ないかは見る人によって違うだろう。友人はこんなにあるとは信じられないと言っていた。私も思ったよりあるのだなと感じた。

 Yahooニュースをを見ていたら、ニッセイ基礎研究所の櫨浩一専務理事が「普通の家計の貯蓄額は1805万円か997万円か」という論を展開していた。

 仮に1400万円の貯蓄がある人が見ると、自分の貯蓄は少ないと思うだろう。しかし、1400万円は日本の国内で多い方から上位4割程度の位置になるというのだ。

この人は平均額の4分の3程度の金融資産しか保有していないが、全体の中ではむしろお金持ちの方で、6割の世帯が自分よりも保有している貯蓄額が少ないのだ。

 日常よく使われる平均という言葉について、

 「身長がクラスの平均値の近くの人は、身長の順番に並べば大体真ん中あたりに位置する。テストの点数なども平均点であれば、成績の順位はクラスの真ん中あたりで、ごく普通の成績という評価になる。

 しかし資産や所得については、金額が平均値だということは平均的だということではない。」という。

 こういう時は、統計の本によると、平均値ではなく、中央値を使うべきだと言っているそうだ。

 家計調査で見た家計の貯蓄額は、平均で1805万円だ。しかし、保有している貯蓄額の多い順に世帯を並べたときに真ん中になる世帯の貯蓄額(中央値)は997万円となっており(*1)、平均値の1805万円を大きく下回っている。これは高額の貯蓄を持っている世帯が、平均を押し上げてしまうためだ。

 「平均的な日本の家計」が保有している金融資産の金額として中央値を採用すると、日本の家計が保有している金融資産の平均値を使った場合とでは大きな違いがでてくると指摘しているがそのとおりである。

 けれどもマスコミは中央値について言及したものはなく、みな政府発表の平均値で報道しているそうだ。

 米国では商務省が発表している家計の所得や貧困に関する資料では、中央値が最も重要な統計数値として扱われているのに比べると、日本では中央値はほとんど注目されることがないそうだ。日本の統計で中央値が発表されているものはほとんど無いのが実情だという。

 貯蓄が平均値の1805万円とみるのと、中央値の997万円とみるのとでは、この数値をもとに政策を打ち出すときに大きな違いが出て来る。だからより現実に近い数値を採用すべきである。櫨氏がいうように中央値に注目する必要があるだろう。

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2016年5月30日 (月)

海外にみすかされた安倍首相の牽強付会の経済認識

 G7サミットで安倍首相は、「世界は現在あの多くの国がマイナス成長に転落したリーマンショックの前の状況になっている」と、データを示してリスクを強調した。そしてG7による「危機対応」を強く求めた。

 これに対し、メリケル独首相は「危機ととまで言うのはいかがなものか」と反論した。安倍首相の世界経済が危機に陥るということには他の首脳も賛同しなかった。

 この点について毎日新聞は海外のメディアの伝えたことを紹介した。これは適切であると思った。以下に一部を載せた。

 「英紙フィナンシャル・タイムズ(FT)は「世界経済が着実に成長する中、安倍氏が説得力のない(リーマン・ショックが起きた)2008年との比較を持ち出したのは、安倍氏の増税延期計画を意味している」と指摘した。

 首相はサミット初日の26日、商品価格の下落や新興国経済の低調ぶりを示す統計などを示し、自らの景気認識に根拠を持たせようとした。しかし、年明けに急落した原油価格がやや持ち直すなど、金融市場の動揺は一服している。米国は追加利上げを探る段階だ。英国のキャメロン首相は26日の討議で「危機とは言えない」と反論。FTは英政府幹部の話として「キャメロン氏は安倍氏と同じ意見ではない」と指摘した。

 英BBCは27日付のコラムで「G7での安倍氏の使命は、一段の財政出動に賛成するよう各国首脳を説得することだったが、失敗した」と断じた。そのうえで「安倍氏はG7首脳を納得させられなかった。今度は(日本の)有権者が安倍氏に賛同するか見守ろう」と結んだ。

 仏ルモンド紙は「安倍氏は『深刻なリスク』の存在を訴え、悲観主義で驚かせた」と報じた。首相が、リーマン・ショックのような事態が起こらない限り消費税増税に踏み切ると繰り返し述べてきたことを説明し、「自国経済への不安を国民に訴える手段にG7を利用した」との専門家の分析を紹介した。首相が提唱した財政出動での協調については、「メンバー国全ての同意は得られなかった」と総括した。

 米経済メディアCNBCは「増税延期計画の一環」「あまりに芝居がかっている」などとする市場関係者らのコメントを伝えた。

 一方、中国国営新華社通信は「巨額の財政赤字を抱える日本が、他国に財政出動を求める資格があるのか?」と皮肉った。首相が新興国経済の減速を世界経済のリスクに挙げたことへの反発とみられ、「日本の巨額債務は巨大なリスクで、世界経済をかく乱しかねない」とも指摘した。」

 ルモンド紙が書いたように、安倍首相はサミット前に、消費税増税は「リーマンショックや大地震のようなことが起きない限り実施する」と強調してきた。安倍首相はサミットでリーマン危機と同じリスクがあると認めてもらってそれを増税の理由にしようとしたのだ。

 しかし、首脳たちの反応は期待に反するものであった。それにも拘らず安倍首相は「世界経済が通常の循環を超えて危機に陥る大きなリスクに直面している」ことでG7が認識を共有していると述べた。また記者会見でも「リーマンショック以来の落ち込み」との説明を連発した。

 安倍首相の主張は昔の4字熟語では「牽強付会(けんきょうふかい)」という。G7の首脳宣言の基本認識に関する文言は「世界経済の回復は継続している。成長は緩やかでばらつきがある」となっているのだ。ネットでは世界の信頼を失うと憂うものもあった。

 そしてここにきて消費税増税は19年10月まで延期すると決めた。民進党や共産党はアベノミクスの失敗であると強く批判している。アベノミクスの失敗にされないようにリーマンショック前夜の経済危機をこじつけたのである。

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2016年5月29日 (日)

オバマ大統領、原爆資料館を見てほしかった

 現職のアメリカ大統領が原爆投下71年にしてやっと広島を訪れた。ケリー国務長官の広島訪問の後、オバマ大統領の広島訪問が実現するかどうかいろいろ言われていただけに訪問が実現してよかった。

 来る前から原爆投下については謝罪をしないと言っていた通り、謝罪はなかった。原爆を広島と長崎に投下し一般の市民を巻き添えにして多大の被害を蒙らせたことは、酷いと思うが、酷いのは原爆投下だけではない。

 マッカーサー元帥は、原爆を投下しなくても戦争を終わらせることが出来たといったそうだが、アメリカのB29爆撃機などが大挙日本全土に襲来して、田舎の小都市まで破壊し焼け野原にした。無差別爆撃であったのだ。

 爆薬の規模が小さいというだけで、無差別爆撃は原爆より小さいからと免罪するわけには行かない。無差別爆撃という考えかたそのものが間違っているのだ。私は原爆投下だけでなく、アメリカのじゅうたん爆撃も非難されるべきであると思う。

 しかし日本も他国に対して同じような無辜の市民を殺し、或いは財産を破壊したのだ。だから日本も謝罪すべきである。

 オバマ大統領は、核兵器をなくすことだけでなく、戦争そのものについても言及したが、その点はよかったと思う。戦争がある限り人間は無慈悲になるのだ。核兵器を廃絶するだけでなく、戦争そのものもなくす努力をすべきである。

 日本はその点、憲法9条によって戦争を放棄したのだが、安倍政権によって戦争ができるように解釈で改憲されてしまった。

 安倍首相は広島で核をなくす努力をすることが大切だと述べたが、空々しい感じがする。世界で唯一の被爆国として、核の三原則を強力にすすめると誓って、その先頭に立って欲しかった。核をなくすと言いながら、一方では原子力発電設備を買ってもらうトップセールスをしているのは矛盾も甚だしい。原発もゼロにずべきなのだ。

 ところでNHKニュースによると、オバマ大統領の広島訪問は内外から好感をもって迎えられているようである。被爆者もアメリカの人たちも一応よかったと言っている。

 しかしながら、NHKのニュースによると、オバマ大統領は原爆資料館には入口付近を10分ほど見ただけだったという。せめて1時間ぐらいの時間をかけて、見てほしかった。そして感覚を通して原爆の悲惨さを感じ取ってほしかった。時間がないというのは言い訳に過ぎないと思う。

 また、原爆ドームは川のこちら側から眺めてだけだった。これも残念なことである。

 オバマ大統領の任期はあと8か月足らずである。大統領を退任した後は世界から核兵器と原発をなくす先頭にたって活動してもらいたいと思う。今度は広島と長崎にも来てゆっくりと原爆の惨状を見てもらいたい。

 就任早々にプラハでの演説だけでノーベル平和賞を貰ったが、その栄誉が本物であることを態度で示して欲しい。退任後もライフワークとして核と戦争を地球上からなくす旗振りをして欲しい。

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2016年5月28日 (土)

増谷文雄「仏教入門」―㉗―

 

  釈尊が火をもって喩えたものは、要するに煩悩であった。煩悩とは、貪欲瞋恚愚痴等を因として生起する惑いである。この煩悩の焔に焼きさいなまれておるのが、つまりこの世のすがたであり、またこの身のすがたである。黄金を見ればこれを得んことを思う。美衣を見ればこれを着んことを思う。美人を見ればこれを抱かんことを思う。

  これは眼が煩悩の焔に燃えているのである。眼ばかりではない、耳も、舌も、鼻も、手足もおなじように煩悩の焔にもえておる。そしってこの煩悩のために、いつまでも煩悩はつきない。内心の平和はやってこない。恐るべきものは煩悩である。煩悩の恐るべきことは火をもって喩えるもなお足らぬ。釈尊はそう考えていたのである。

  『中阿含経』のなかに『木積喩経』というよく知られた経典があり、それと同本のものが、南伝大蔵経では『増支部経典』の中に見えておるが、その中には、つぎのような釈尊の説法のことが記されておる。

  拘薩羅国の平原は、水清く、草青く、あちこちには鬱蒼たる森林があった。釈尊は多くの弟子たちをつれて、この平原の大道をゆっくりと遊歩しておったが、ふと見ると、むこうの方で大木を積みかさねたものがしきりと焼けておる。ものすごい煙の間からはめらめらを大木をなめる火焔が見える。釈尊は、しばらくそれを見ておったが、やがて並木のもとに坐を設け、弟子たちを顧みて言った。

 「大木が焼けておる。すごい火焔だ。ところで諸君は、あの大木を抱いて坐っているのと、優しく美しい女子を抱いて坐っているのと、どちらがよいと思う」

 「それは矢張り、美しい女の子を抱いて坐る方がよいので、燃える大木を抱くのでは堪りません」

  釈尊はしぶい顔をなされた。重苦しい沈黙がしばし一行の上をおおっていた。その沈黙をはね返すように、釈尊は声を励まして叱咤して言った。

  「それは間違っておる。諸君は、美しい女の子を抱いて坐るよりは、むしろあの燃えさかる大木を抱くほどの覚悟をもっていなくてはならぬ」

 弟子たちは、師がこんなに興奮して物を言うのは初めてであると思った。みんな顔を見合わせて黙っていた。すると釈尊は、今度はいくらか言葉の調子を和らげて続けた。

 「忘れてはならぬ。煩悩にかられて、戒を破り、不善をなすことは、何よりも恐ろしいことである。焔をかぶるよりももっと恐ろしいことである。焔の大木を抱いたからとて、その苦しみはせいぜい死の苦しみにすぎない、だが、破戒不浄のやからは永劫の苦しみを受けねばならぬであろう。だから諸君はいつでも、美しい女の子を抱かんよりは、むしろかの燃えさかる大木をいだくほどの覚悟をもつべきである」

 平常の釈尊の説法の態度は、いつもは至って物静かなものであった。諄々という形容詞がそのまま当嵌まるような態度であった。だが、この『木積喩経』に於ける釈尊の説法の態度は、まことに烈々たるものがあった。いつもの物静かな態度になれていた弟子たちは、みなこの釈尊の態度には驚き戦いたものであった。経典の記すところによると、その時六十人の弟子たちは口から熱血を吐き、六十人の弟子たちは修道をおそれて在家に帰り、また六十人の弟子たちは即座に執着をはなれ煩悩を解脱することが出来たといわれておる。この経典における説法の態度は、釈尊の数おおい説法の中でも最も異彩のあるものであった。

 釈迦は煩悩を燃えさかる火に譬え説法をした。私たち凡人はまさに煩悩の焔に包まれていると言ってよい。煩悩からの解脱をするにはどうすればよいのか、これ以後にそれが説明されるであろう。

 

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2016年5月27日 (金)

「SPOTLIGHT世紀のスクープ」を観た

 新聞の映画評で読んで観たいと思っていた「SPOTLIGHT世紀のスクープ」をやっと観に行ってきた。日曜日なので混むかと思ったが意外にもそうではなかった。もう長い間上映しているからであろう。

  この映画は、ボストンにある地方新聞の僅か5名のスタッフが地道な取材を重ねて大スクープの記事を作り上げるまでを描いたもので、実話を元にしている。

  この新聞社の「SPOTLIGHT」という特別な事件などに焦点を当てて、連続して真相を追及していく部署は、男性4人に女性が1人の小さなものである。

  この部署は、カソリック教会の神父が10歳~13歳ぐらいの少年少女をターゲットに性的虐待をしたことを取上げようとするのだ。当初は13人の神父が関わったということを掴むのだが、その犠牲になった子どもで生きているのは1人しかいない。成人になっているその人に取材をすると自殺をしたり、精神がおかしくなったりしている者が多いことが分かった。

  記者たちは、被害を扱った弁護士に聞こうとするのだが、彼らは教えてくれない。被害者を助ける活動をしているところなどにも取材をし、どんな神父がどのように性的虐待をしたのかを知ろうといろいろしらべようとするのだが、その壁は厚い。

  虐待は1975年ごろに起きていて、それを被害者は新聞社に持ち込んだが、小さな記事にしかならなかったという。

  教会は性的虐待をした神父を転勤させるだけで、権力でもって蓋をしてしまうのだ。弁護士も教会の巨大な力に屈して犠牲者に僅かな慰謝料で手を打たせるという酷いやり方だ。

  新しく新聞社の局長になったロビンは、個々の神父の罪行を暴くのではなく、教会のシステムの悪行を暴かなければ、いつまでも性的虐待をなくすことは出来ないという。

  5人の記者は様々な圧力と闘いながら取材を重ねる。そして弁護士から90名いるということを聞きだし、87名の名前と現在の様子を調べ上げる。

  そしてある年の年末にスクープ記事として発表することが出来た。 その記事が出る2日前にも2件の性的虐待があったと報告される。新聞が発売されると嫌がらせや抗議の電話やデモなどがあると恐れていたが、電話は被害者からのものが多く、デモはなかった。それをきっかけに性的虐待をした神父は290名にものぼることがわかり、しかも、ボストンだけでなく全米に広がっていた。

 聖職者として神の教えを説く神父が、あろうことか子どもを性的に虐待していたというのは驚愕である。しかし、こうしたことは今に始まったことではなく、ローマの時代から続いていたことに違いない。ただ巧みに隠されて来たのだ。

  ボストン地区には1500名もの神父がいるということで驚いた。また隠ぺいをした枢機卿は何とローマ本山の高い位に出世したというのだから呆れてものが言えない。

   第88回アカデミー賞の作品賞と脚本賞を受賞した作品であるが、社会派の映画で最初のうち登場人物やストーリーを追うのに大変苦労をした。難解な映画である。予め登場人物の役割の概略を頭に入れておいて見る方がよいと思う。

  日本では安倍政権によってマスコミ対策が取られ、報道の自由度が76位に下がり、真実を追求する報道がなくなってきている。

  カソリックという巨大な宗教組織の中で、神父や司祭という聖職者が性的虐待を重ねていたという驚きの事実。それが教会の中で隠ぺいされ誰も知ることがなかったのを、地道な取材を重ねて白日の下に晒した記者たちがいたということは素晴らしいことである。カソリックはローマに本山をもつ世界にまたがる巨大な宗教組織である。その権力は強大なものである。それに立ち向かって行ったという凄い記者がいたということに感動をした。

 

地方紙の記者たちが、巨大権力を相手に戦いを挑む社会派エンターテインメント!

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2016年5月26日 (木)

増谷文雄「仏教入門」―㉖―《二 仏教の原理》

1.内心の平和(涅槃)

  釈尊は、その説法の中に譬喩をひくことが得意であった。その中でも火による譬をよく用いた。古い経文には、火についてのたとえがよく出て来る。

  あるとき釈尊は、新しく帰依した多数の弟子たちを伴れて、王舎城のほどちかい象頭山に登った。春風駘蕩たるのどかな日であった。山頂に立って見はるかせば、村落があり、野原があり、森林があり、牧場があり、そのむこうの方には、なだらかな起伏の山がかすんでいた。その大きな眺めをたのしみながら、釈尊は何時もの物静かな態度で語りはじめた。

  「すばらしい眺めだ。ひろい世間だ。だが、このひろい世間は、みな焔の上にあるのだ。」

  弟子たちもみな、その素晴らしい眺望を楽しみながら、のどかに釈尊の言葉に耳を傾けていた。

  「あの村も燃えているのだ。あの森も燃えているのだ。世間はみな燃えているのだ」

  燃えているという釈尊の言葉の意味が、弟子たちにはよく解っていた。みな肯いて こっくりをしながら、眺望をたのしみ続けていた。

  「だが、燃えているのは世間ばかりではない。諸君たちは、いつも自分自身が燃えていることを忘れてはならぬ。眼も燃えているし、耳も燃えているそ、鼻も、舌も、からだも燃えているのだ。貪りの焔、瞋りの焔、痴かさの焔が、熾然(シゼン)として燃えているのである。諸君は、はやくわが身の焔を消すように、せいぜい精進を怠ってはならない」

  みんなはそこで、すこしは緊張したらしい面持ちで、またこっくりと深く肯いたことであった。

  ヨーロッパの仏教学者の中には、この教訓を、キリストの「山上の垂訓」になぞらえて、仏陀の「山上の聖訓」などといっておるものもある。

  そのほかにも、世間はみな焔の中にあるという譬喩や、或いは貪瞋痴等わが身を焼きさいなむ焔であるという言い方を、釈尊はいろいろの場合に用いておる。それはそのまま、仏弟子の心のなかにも止まって生きていた。

     世はすべて火を放たれ、

     世はすべて燃え拡がり、

     世はすべて焔を挙げ、

     世は全て震い撼かさる。

  これは『長老尼偈』にのこる尸羅婆遮羅(シースーバチャーラー)という比丘尼の述懐であった。

     刃を以て刺さるるが如く、

     頭を燒かるるが如し。

     欲貪を捨離せんがために、

     比丘は正念にして出遊すべきなり。

  これは『長老偈』に記さるる長老帝須が、師のおしえの思い出を語れるものであった。そして、この釈尊得意の譬喩は、やがて後には「法華経」の作者もこれを学んで、三界は火宅であるとする有名な譬えをもって、三乗の道の説明を試みたこともあった。

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2016年5月25日 (水)

英国「エコノミスト」誌が見た伊勢志摩サミット

 下記の記事はDさんが送って下さった英国の「エコノミスト」誌が取り上げた伊勢志摩サミットであるとても興味深い見方をしている。

 

 憲法改変への序曲、伊勢志摩サミット開催の​裏に隠された政治意図

  広島と長崎に原爆が投下され、第二次世界大戦に日本が降伏してからそれほど日数も過ぎていないある日、アメリカ軍兵士の一団が日本の本州にある三重県の伊勢市にある、この国で最も神聖視されている神社の一つにやってきました。

 彼らは貴重なイトスギ材で造られた長さ100メートルの宇治橋をジープで渡り、そのまま神社の境内に入ろうとしたため、一人の警備員が押しとどめようとしました。

 しかし彼はピストルを突きつけられ、退くように脅されました。
この1,300年の歴史を持つ伊勢神宮の本殿は遷宮と言って20年ごとに作り直されますが、宇治橋も同様に20年ごとに作り直されるため、損害を被ってもいずれ修復されることにはなっていました。

 日本は敗戦国として戦後様々な屈辱的な目にあいましたが、これなどは些細な出来事であり、いつのほどか忘れられてしまいました。

 世界の中でも富裕な国々のクラブである主要先進7カ国の年次サミットが伊勢神宮近くの島で開催され、5月26日に安倍晋三首相がその仲間のリーダーたちを歓迎するために宇治橋を使うことになっており、その時こそかつての屈辱が拭いさられることになるでしょう。 

 伊勢神宮は人里離れた目立たない場所にあり、海外ではほとんど知られておらず、戦後その神聖特権が廃止された神道により守られてきました。1947年に施行された日本国憲法はいかなる宗教的特権も認めていません。「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」
憲法第20条にはこう明記されています。

 伊勢市、志摩市を中心に三重県はほぼ無競争でサミットの会場に選ばれましたが、その背景には安倍氏が率いる首相官邸の強い意向がありました。安倍首相は自らの政治的使命について「戦後体制からの脱却」と規定し、日本を再び誇り高い強力な国家として蘇らせることを主張しており、今回の選択については隠された意図がほの見えます。

 いずれにせよ今回のサミット開催は、特にバラク・オバマが広島を訪問する初のアメリカの大統領になることにより、安倍首相にさらなる政治的恩恵をもたらすことになるでしょう。

 ホワイトハウスは、オバマ大統領は1945年8月6日に広島に、そしてその3日後に長崎に課された大量虐殺と大量破壊について謝罪はしないという方針を明確に示しました。しかし、世論調査の果は、日本人の90パーセントがオバマ大統領の広島訪問を歓迎する意思があることを明らかにしました。

 左派にとってこの訪問は戦争の悲惨さと、平和憲法に基づく日本のあり方の重要性を再認識させるものです。

 右派の多くにとっては、日本に対して数々の戦時犯罪に対する謝罪や賠償を求めておきながら、日本が被った犠牲についてはほとんど顧慮することのない国際社会の不公正さを象徴するものです。

 今回、オバマ大統領が広島を訪問する下地を整えたものとして、昨年12月の日韓両政府による従軍慰安婦問題  - 日本陸軍による女性の強制徴用と売春の強要 -  の取り扱いに関する合意の達成を挙げるべきかもしれません。
今回の広島訪問でオバマ大統領がどのような発言・行動をしても、中国が反発することは避けられないでしょう。

 中国は、そして相当な数のアメリカ人も、日本が過去の歴史を正当化しようとしていることを強く警戒しています。

 原爆の投下が第二次世界大戦を終了させるための正当な行為だったと考えるアメリカ人は、1945年の85パーセントから2015年には56パーセントに減少しましたが、『過半数』であることに依然変わりはありません。


 今年後半、安倍首相は『答礼』のため真珠湾攻撃の記念施設を訪問する可能性があります。この施設はアメリカを参戦に踏み切らせた、史上悪名高い日本の不意打ちを記憶にとどめるためのものです。

 これら戦争に直接関わる施設と比較して、伊勢神宮のすぐそばで先進国首脳会議が開催されることは論争の的にはなりません。しかし安倍首相の支持基盤の大きい部分を占める国家主義者たちは拍手を送っています。

 オバマ首相は一般の参拝者が求められる参拝のための儀式は行わないかもしれません。柄杓で手水の水を汲み、口をすすぎ、手を洗い、神殿の前で二礼二拍手の手順に沿って深々とお辞儀をし、日本の天皇家の祖先である天照大神  - 日本の太陽の女神と祖先の霊にぬかずくことはないでしょう。

 それでも  先進国の首脳たちは日本の神道に、正統性を証明する国際的なバッジを与えることになります。神道は戦前の日本において、帝国主義的侵略を積極的に推進した政治家たちが、その道具として鍛え上げたものです。

 靖国神社でサミットを開催し、14人のA級戦犯を含む日本の戦没者に主要先進国の首脳たちが敬意を表することは考えられません。靖国神社については、2013年12月に参拝してアジア各国の激怒を誘発して以来、安倍首相も参拝はしていません。

 安倍首相は神道そのものに対する深い関心を持っているわけではない、神道の将来の聖職者が学んでいる東京の大学の学者がこう語りました。しかし安倍首相は神道政治連盟のメンバーであり、この組織は戦前の宗教的、社会的・政治的秩序を甦らせようとして運動を続けています。

 安倍氏は伊勢神宮の遷宮の儀式が行われた際、2013年神道の古代の式典に参加した史上2人目の首相になりました。この時安倍首相は9人の閣僚も同行させ、宗教的な儀式を政治声明に変えてしまいました。

 こうして見てみれば、伊勢志摩サミットの開催が安倍首相の長期の国家主義のプロジェクトに適合ししていることがわかります。

 安倍政権はこれまで防衛費を一方的に増額し、武器輸出禁止を緩め、日本が集団的自衛権を行使できるように憲法の解釈変更を行ってきました。
こうした動きをアメリカは全面的に歓迎しています。

 今や日本はアジアに対する中国の野心についての不安を共有する点に関し、アメリカの強力な盟国になっています。オバマ大統領自身はサミットの中身についてさほど悩んでいる様子はありませんが、広島訪問は安倍首相に対し大きな政治的メリットをプレゼントすることになります。

 それを証拠立てるように、オバマ大統領の広島訪問が明らかになると安倍政権の支持率はこの数ヶ月間で初めて50パーセントを超えました。

 サミット開催は来年4月に予定されている消費税の8パーセントから10パーセントへの引き上げの約束を反故にする際にも、安倍首相の援護をするかもしれません。

 まだまだ世界経済の先行きが不透明な中、財政刺激策ばやりの先進各国からの声明は、日本の指導者に増税延期のための弁解材料を提供するかもしれません。

 こうした方向転換を自分にとって有利な材料として利用するため、安倍首相は今年7月に予定されている参議院議員選挙に合わせて衆議院を解散し、衆参同日選挙に踏み切る可能性があります。「衆参同日選挙」についてはその可能性が現実に近づいているとして、ますます熱心に語られるようになっています。
 

 サミット開催によって政治家としてのイメージを演出する機会を得て、安倍首相は野党の無秩序状態をこれまで以上に自分に有利に利用しようとするでしょう。

▽  戦後体制のさらなる破壊

 安倍首相とうまく折り合いをつけていくためにアメリカにとっての問題は、安倍首相の周囲にいるつまらない人間たちが掲げる国家主義的主張だけを切り離してしまうことは不可能な点にあります。

 そこには歴史を書き換えてしまおうとする取り組みもあります。彼らにとって第二次世界大戦の敗戦の際に犯した唯一の重要なミスは、アメリカ人に平和憲法を『強要され』た際、戦争を放棄するという一文を拒否しそこねたことです。
そして神道を国教として復活させることも…

 その方針に従わせるため安倍首相の援護を続けているアメリカは、アジア各国が恐れている方向に、そしてなにより多くの国民自身が恐れている方向に日本を向かわせているのみならず、加速させてさえいるのです。

(訳: 星の金貨プロジェクト)

※英語の原文

21699165-g7-gathers-japan-religion-politics-and-bomb-will-all-help-shinzo-abe-rebuilding

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2016年5月24日 (火)

殿、利息でござるを見て

 公開されたばかりの映画「殿、利息でござる」を見た。最初チラシを貰ってこの題名を見たとき、変な題だなと思った。殿に利息を差し上げるのかと思ったら、逆で殿に金を貸し付けて利息を貰おうという話であった。

 それだけなら別段見ようという気にはならなかったが、それが実話であったというのを知って興味が湧いた。しかも、村人たちが力を合わせて何年もかかって金を作り、殿に貸し付けることができたというのだ。

 この話は実話だが、江戸時代を通して人に語ることをしてはいけないとされてきた。しかし、この実話を後世に残そうとお寺の住職が記録にとどめていたのだ。

 「武士の家計簿」で知られる歴史家・磯田道史による評伝「無私の日本人」に収録されている一編、「穀田屋十三郎」を映画化したものである。

 物語は江戸中期、財政難のため民衆に重税を課す仙台藩では、破産や夜逃げが相次いでいた。寂れ果てた宿場町の吉岡宿でも年貢の取り立てや馬を出して荷物を運ぶ転馬という労役で人々が困窮していた。

 長男なのに養子に出された造り酒屋を営む穀田屋十三郎は、吉岡宿の行く末を案じていた。そんなある日、十三郎は、町一番の知恵者である茶師・菅原屋篤平治から、藩に1000両という大金を貸し付けて藩から毎年1割の利息をもらい、それによって労役の負担を軽減するという、宿場復興のための秘策を打ち明けられる。計画が明るみになれば打ち首は免れないが、それでも十三郎と仲間たちは、町を守るために私財を投げ打ち、計画を進める。

 私は最初、村民がみな応分の金を出すのかと思っていたが、そうではなかった。金を出せそうな人を説得し1人500貫という金を出してもらおうというのである。説得が難しいと思われていた肝いり、大肝いりなどが賛成し、家財道具を売ってまで金を出すのだ。村の資産家ともいえる連中が私財を投げ打って吉岡宿の苦境を救おうとするのである。

 その金集めは何年もかかる。8年近くたって金ができ、藩に上申するが、最初は却下される。しかし、それがきっかけでドケチとか金亡者とか言われていた十三郎の実家が、実はそうではなく先代がコツコツと金を貯め吉岡宿の苦しみを救おうとしていたことが分かるのだ。

 自分のことは横に置いても他の人のことを考え、しかもその行為を決して誇らないという、吉岡宿の資産家の人たちの行動に観ていて涙が出た。私の近くの観客も感動していることが伝わってきた。安倍首相や麻生大臣などにも観てもらいたい映画である。そして私利私欲を離れて国民の苦しみを軽減する政治をしてもらいたいものである。仙台藩は金を借りて利息を払ったが、苦役には配慮しなかったようである。為政者というのはそういうものだ。

 時代劇では初主演となる阿部サダヲほか、瑛太、妻夫木聡、竹内結子、松田龍平ら豪華キャストが共演。物語の舞台となる仙台出身のフィギュアスケート選手・羽生結弦が、仙台藩の第7代藩主・伊達重村役で映画に初出演を果たした。「白ゆき姫殺人事件」「予告犯」の中村義洋監督がメガホンをとり、時代劇に本格初挑戦である。

ポスター画像

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2016年5月23日 (月)

国民を愚弄した舛添都知事の記者会見

 5月20日の舛添東京都知事の記者会見は2時間15分も続いたが、肝心のことは何も答えず、「第3者の専門家に委ねる」という答えに終始した。

 朝日新聞によると、「第三者」という発言は40回以上、尾木氏は60回と言い、Yahooニュースでは、45回というのもあった。どれが正しいのかは定かではないが、そんなことは問題ではない。要するに少なくとも40回~60回は「第三者」を持ち出したということだ。それ以外には肝心の事には何も答えていないのだ。

 「第三者の厳しい公正な目に任せたい」というが、第三者を選ぶのは舛添氏自身であり、調査してもらう範囲も舛添氏が決めるので、公正な調査ができるか疑問であると指摘する人もいる。

 外部の専門家に調査を委ねる理由についてえ、舛添氏は、「私自身が信頼を非常に失っている」「一生懸命調べたが、多くの都民が納得していない。第三者で調べるほうがはるかにいい」と言ったそうだ。

 「信頼を失った」のはきちんとした説明が何一つできていないからだ。「一生懸命調べたが納得していない」には本当に調べたのかと言いたい。もしそうならきちんと調べて分かったことを説明できるはずだが、何も説明していないのだ。だから誰もがいい加減で無責任だと怒っているのだ。

 舛添都知事に関する疑惑は、政治資金の使い道だけで、家族旅行のホテル代、絵画・版画の購入、家賃、政党交付金の移し替え、似顔絵まんじゅうのお土産、中古のエスティマ2台の購入などである。

 また、公用車の使用についても、都庁から自宅に寄り、湯河原の別荘に行っている回数が49回の公用車使用のうち44回あるという。

 こうした疑惑のどの一つにも「一生懸命調べた」のに、何も説明できないのだ。そして20日の記者会見である。あんな記者会見なら2時間以上もやる必要がない。たった一言「第三者に厳しい目ですべてを調査して明らかにします」というだけで済むことである。

 ぐだぐだと40回以上も同じ言を繰り返すのは、記者たちや国民を愚弄しているとしか言いようがない。東大を出て大学教授をして政治評論家になり、国会議員や都知事なった人間がこんな浅はかで欲深くてセコイ人間であったとは。東京都民よ、しっかりした人物を選んでくれよと言いたい。

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2016年5月22日 (日)

河村市長と減税日本は改憲派、戦争法賛成派

 5月19日朝のNHKニュースで、「減税日本は大阪維新の党と合流を目指す」と言っていた。河村市長が映り、「参議院選に候補者を立てているので、大阪の名前で闘う訳にはいかんでしょう。参議院選挙が終わってからだわな」とコメントしていた。

 大阪維新の党と減税日本の党とが一緒になる話は、度々出ており、橋下氏が代表をしていた頃は、河村市長が呼びかけても断られた経緯がある。その後も一緒にやろうという話があり、今年だったと思うが滋賀県で大阪維新の松井氏と河村氏が会って、合流話が出たと新聞に報じられた。

 大阪維新の党は、民進党を作った連中が抜けたので、残っているのは憲法改正を掲げている連中である。憲法改正をしたい安倍首相は絶えず秋波を送り、期待している。また大阪維新もそれに応えようとしている。

 河村市長や減税日本はこれまでに、特別機密保護法についても、集団的自衛権行使容認閣議決定についても、戦争を認める安保法制についても、一度も反対の意思表示をしたことはなく、だんまりを決め込んできた。黙っていたということは、賛成であったということだ。

 大阪維新の党は安保法に賛成であり、憲法改正を主張している。その党と合流するということは憲法改正賛成派であり、戦争法である安保法制にも賛成あるということだ。

 河村市長と減税日本は、最初市長と議員の給与を大幅に削減することで人気を博した。あれは猫だましである。そんなものに騙されてはいけない。世界に誇る憲法9条を含む現行憲法を変えようということはもっと根幹に関わることである。

 名古屋は道路が広いことで有名であるが、それができたのは、名古屋大空襲で名古屋が焼け野原になったからだ。アメリカによる無差別の爆撃によって街が焼かれ多くの人が死んだのだ。戦争はもう絶対にしてはならないというのがあの第二次世界大戦の教訓である。

 それを幣原喜重郎首相が憲法九条として入れたのである。決してアメリカに押し付けられたのではない。日本は戦争はしないと世界に誓ったのだ。

 それを自民党・公明党は勝手に変えてしまい、集団的自衛権行使により、世界の何処にでも行って戦争ができるようにした。河村市長と減税日本はそれに反対をせず、今また憲法改正勢力に力を貸そうとしているのだ。

 河村市長は元民主党なので、自民党よりちょっとはましかと思っている人が多いと思うのだが、とんでもないことである。大阪維新と合流するなら、憲法に対する態度を明確に市民に示すべきである。

 

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2016年5月21日 (土)

沖縄でまた米軍関係者が女性を殺す事件、怒りに震える

 沖縄県うるま市で行方不明となっていた女性(20)の遺体が見つかり、米軍属の男が死体遺棄容疑で逮捕された。米兵や米軍関係者による事件は後を絶たない。

 今年3月には那覇市で、女性を暴行したとして、準強姦(ごうかん)容疑で米兵が逮捕されたばかりである。米軍基地の過重な負担にあえぐ県民の気持ちを思うとやりきれない。

 どうして米軍関係者のこうした犯罪が無くならないのであろうか。ある人は、沖縄に日本の基地の7割がある以上こうした事件はまた起きるとコメントしていた。

 安倍首相は、20日午前、今度の事件に関し、「非常に強い憤りを覚える。今後、徹底的な再発防止など厳正な対応を米国側に求めたい」と強調したそうだ。
 首相官邸で記者団の取材に応じ、首相は「(亡くなった女性は)さぞ無念だったと思う。ご家族のことを思うと、言葉もない」とも語った。

 当然の憤りであるが、なぜ沖縄の基地をなくせとか、せめて減らせとかを米国に言えないのであろうか。残念でならない。安倍首相は、これからも粛々と辺野古基地移転を進めるのだ。

 1995年9月に起きた米兵による少女暴行事件では、米軍当局が容疑者の米兵の身柄の引き渡しを拒否。沖縄県民の反発は大きく、県民総決起大会では8万5000人が集まり地位協定の見直しを要求した。
 少女暴行事件後、米軍人・軍属の身柄引き渡しに関し、日米地位協定の運用上、殺人や強姦(ごうかん)事件については、起訴前の段階での日本側への引き渡しが可能になった。ただ、米側の裁量に委ねられており、地位協定の抜本的な改善は実現していない。
 その後も、女性に対する暴行事件は繰り返されている。事件のたびに在日米軍は夜間外出禁止令を出したり、兵士への教育を強化したりしているが、綱紀粛正は米軍関係者に浸透していないのが現状だ。

 沖縄県の翁長知事は19日、「痛恨の極み」「言葉出ない」と語った。そして、「県民に大きな衝撃を与え、新たな不安を招くものであり、断じて許せない」などとコメントした。
 県幹部は「(6月5日投開票の)県議選か参院選の前に県民大会を開くことになるだろう」と話し、県民の怒りがこれまで以上に広がると指摘した。

 沖縄の基地を撤去せよと声を大にして叫びたい。

 
 

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2016年5月20日 (金)

増谷文雄「仏教入門」―㉕―

 「汝等比丘、わが滅後に於いて、常に波羅提木又(戒本)を尊重し珍啓すべし。闇に明に遇い、貧人の宝を得るが如し。常に知るべし、これは則ち是れ汝等が大師なり。若し我、世に住するとも、これに異なること無けん」

 そして、釈尊滅後の仏教教団に於いては、まず何よりも戒律に背むかざらんことが強調された。放逸の行いなく仏道修行に専念すべきことが力説された。

 「若し経と論とを亡失するも、

  律を失せずば教は住す」

 戒律が厳粛に守られる限りは、決して正法の滅する憂いはないとさえ教えられた。

 かかる宗教生活を展開する仏教比丘にとっては、当然神に祈祷をささげることも必要でなく、祭祀を営むことも必要でなく、また儀式を厳粛にすることも必要でなかった。古い経典によると、仏弟子たちは釈尊自身によって、釈尊の遺身遺骨を供養することすら不必要であると教えられておる。それは釈尊臨終のときのことであった。阿難陀は、師のなきがらの処置について質ねて言った。

 「世尊、我等は如来の舎利を如何に処理すべきや」

すると釈尊の答えは、つぎのごとくでなった。

 「阿難よ、汝等は如来の舎利供養のために煩わされざれ。いざ阿難よ、汝等は最高善にどりょくせよ。最善を修せよ。最高善に於いて、不放逸にて、熱心精懃にして住せよ。阿難よ、如来に信心を懐く刹利帝の学者も、婆羅門の学者も、居士の学者もありて、彼らは如来の舎利供養を為すべし」

 この釈尊の教訓は、他のもろもろの宗教の人々にとっては、不思議な言葉に思われないであろうか。いな、後世の仏教の人々にとってすらも、おどろくべき言葉ではないであろうか。しかも、佛教生活の本領はまさしくこの言葉の中に存する。仏教徒にとって本当に必要なことは、ただ法を知り、法を行ずることである。眼を開き、法を見て、律によって正道を歩むことができるならば、そのほかには、何事も必要ではなかった。私はさきに、佛教は「自覚の宗教」といい、また「真理の宗教」と称したが、これに加うるに、更に「修行の宗教」の一項を以てするならば、ほぼ仏教の輪郭は完成するのである。

 ※釈迦が自分の死後遺骨・遺体の供養は不必要と教えたということは興味深い。現在タイなど南方の仏教でも日本や中国の仏教でも釈迦の涅槃像などが造られ、また仏舎利というものも信仰の対象となっている。釈迦が甦ったらどんなに驚くことであろうか。

 「自覚の宗教」「真理の宗教」「修行の宗教」が本来の仏教の本質であるという増谷氏の指摘には同感である。

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2016年5月19日 (木)

増谷文雄「仏教入門」―㉔―

 

  人間の欲望解決に対して、かかる態度をとった仏教は、当然その宗教生活の内容においても、世のもろもろの宗教とは大いに異なるものがあった。およそ、世のもろもろの宗教においてあ、祈祷をささげることと祭祀をいとなむこととが、重要な宗教生活の内容をなすものである。人々は祈祷によって神々を歓請し、また祭祀の神秘な力によって、多くの欲望の満足をはからんとした。

  だが、釈尊の宗教においては、欲望の満足をはかるかわりに、欲望の断滅が策せらるべきであった。したがって、釈尊のともがらは、祈祷によって神々を歓請する必要もなく、また祭祀の力をかりる必要もなかった。

  かくて、本来の仏教生活のなかには、すでに述べたごとく、祈祷というももがなく、祭祀というものがなく、また儀式というほどのものもなかった。

  それでは、原始仏教の人々にとっては、どんな宗教生活が営まれるべきであったか。理論的に言えば、正法に信順し正法を尊重して、これに違わざる生活こそ、理想の仏教生活であったに相違ないが、更にこれを実践の面から言えば、かかる理想の宗教生活を実現するための道行の分類として、通常「七科」と称せられる七つの修行の方策が存しておった。

 四念処、四正断、四如意足、五根、五力、七菩提分並びに八正道がそれであって、釈尊は、時に応じて、その何れかの方策を示したのであるが、中に就き、八正道はその基本的なものであった。

 また、これを更に具体的にいって、かかる理想の宗教生活を僧伽の中に具現するという点から見れば、釈尊の制定した戒律に従って生活することが重要な意味をもって来るのであって、戒を具足することが、そのまま正法に随順する生活の実現であると考えられた。

 『大涅槃経』によると、釈尊は入滅の直前、阿難陀を召して次のように教えたという。

 「阿難よ、或いは汝等かかる念あるべし。『教主の言は終われり。我らの教主はなし』と。阿難よ、そをかく見るべからず。阿難よ、我に依りて説かれ、教えられたる法と律とは、我が亡き後に汝等らの師なり」

 ここに、釈尊なき後における仏教生活の中心は、ただ正法と戒律とであることが釈尊自身の言葉として説かれているのであるが、この中に存する戒律尊重の思想は、さらに『仏遺教経』によると、つぎのごとく強調せられておる。

 ※釈迦の説いた仏教では、祈祷と祭祀を否定し、正法と戒律依拠した生活が重要であった。しかし、釈迦なきあと法と律を師とせよとの遺言はいつのまにか変質して、中国を経て日本にわたってきた仏教は、祈祷と祭祀を重んじるものとなっていたのだ。

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2016年5月18日 (水)

アベノミクスの失敗、相変わらずの低価格指向

 先日の朝日新聞に、「格安小売・外食 積極出店」という記事があった。それによると、低価格をうたう小売店や外食チェーン店が店舗網拡大に動くという。ユニクロと並ぶ「しまむら」が今後3年間で出店数を270店増やす。100円ショップのセリアは150店増やす。ダイエーは傘下のディスカウントショップ「ビッグ・エー」を年100店ずつふやしていく。

  外食業界でも安い豚丼が好調な吉野家が出店数を増やし、焼き鳥チェーンの鳥貴族は首都圏を中心に100店出店する。

  こうした動きの背景は、所得の伸び悩みや景気の先行きへの不安から、消費者が節約志向を強めていることがある。「15年秋から年末にかけて消費者の価格志向が強まった」(ビッグ・エー社長)と見ているからだ。

  働く世帯がどのくらい消費に振り向けたかを示す指標も15年は14年から低下した。デフレ脱却をめざす安倍政権の「アベノミクス」が始まった12年の水準に戻ったという。

  アベノミクスで安倍首相は、円安に向かい大企業は大きな利益を得たと胸を張った。やがておこぼれが下に滴り落ちて、中小企業や一般の働く人の収入も改善されると予言した。しかし、現実はトリクルダウンは起こらなかった。

  ごく一部の中企業にはよい効果が見られたが、大多数の国民には何のメリットもないどころか、非正社員が増え、介護・保育など重要な職場に、低賃金のため人が集まらなくなった。生活保護を貰う人も増えて行った。

  貧困女子、子どもの貧困、貧困化する老人、などがマスコミを賑わすようになった。介護保険料や健康保険料の支出が増え、年金は毎年減額されるため、年金生活者も支出を抑えざるを得なくなっている。

 アベノミクスは、マイナス金利を導入したが、NHKニュースではその効果は出ていない報じていた。アベノミクスは大企業と富裕層を喜ばせるだけだと当初から批判されていた。その通りになったのだ。

 消費者が低価格指向を強め、若者は自動車を買わなくなったといわれるが、自動車のようは高価なものを買って維持するだけの収入がないのだ。

 今やシャープのような一流電化製品の企業も台湾の企業に吸収され、三菱自動車も自らの不正が原因とはいえ、日産自動車の傘下に入った。ソニーもパナソニックもアップアップだ。

 ソニーやシャープでは大量の首切りが行われた。その労働者はどこに職を見つけたのであろうか。

 安倍首相がいうデフレ脱却どころか、デフレはこれからも続くのだ。働く人の収入を増やさない限り改善できないが、安倍政権がやってきたことは、金持ちや大企業優先の施策だけである。

 法人税大幅減税、相続税、孫への教育資金贈与、ふるさと納税・・・・どれをとっても富裕層だけが恩恵を得ているのだ。

 この上来年度に消費税を10%にすれば、ますます消費は落ち込むであろう。だからいかに安倍政権であろうとも、消費税増税はできまい。

 

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2016年5月17日 (火)

吉田文さん主宰 今期オルガンコンサート案内

   吉田文さんのパイプオルガンコンサートの案内が届きましたので下にコピペしました。市民芸術祭特別賞受賞おめでとうございます。

  若葉が 美しい季節となりました。みなさまにおかれましては益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。

 本日は、今年来週から始まります名古屋オ ルガ ンの春シリーズ、そして622日 から始まりますブランチコンサートのお知らせをいたしたく、メールを差し上げました。最後までおつきあいいただければ幸いです。

1. 名古屋オルガンの春

チラシ表 http://aya-yoshida.de/web/wp-content/uploads/2016/04/2016Orgelfruehling-1.jpg

チラシ裏 http://aya-yoshida.de/web/wp-content/uploads/2016/04/2016Orgelfruehling-2.jpg

 ●522日(日)15:3016:30@カトリック五反城教会

  ヴォルフガング・シュトック マイ ヤー追悼演奏会

  私の恩師の作品を解説ととも にご 紹介します。現代音楽ですが、怖くありません、面白いです。彼が補作を 行っ たバッハの未完成作品も合わせてご紹介します。

  パイプオルガン 吉田文

 ●619日(日)15:3016:30カトリック五反城教会

  フルートとパイプオルガン

 元N響主席フルート奏者の小出信 也さ んをお迎えしてのコンサートです。

  小出さんとはバッハを中心に アン サンブルをします。私はソロでフランス後期ロマン派の作品を演奏します。

 フルート 小出信也 パイプ オル ガン 吉田文

 

  両コンサートとも入場無料で す。 コンサート後に任意のご寄金をお願いしています

  なるべくたくさんの方にいら して 頂くことにより、私たちの活動の継続が可能となっています。

  パイプオルガンの響きがいら して くださった方の心の充実感とつながり、ほんの少しでも世界に幸せと平和が 増え るよことを願って活動しています。日程が迫っており恐縮で すが、多くのみなさまにお越しいただけますようお願い申し上げます。

2. パイプオルガンブランチコ  サートシリーズ

表 http://aya-yoshida.de/web/wp-content/uploads/2016/04/2016Brunch-1.jpg

裏 http://aya-yoshida.de/web/wp-content/uploads/2016/04/2016Brunch-2.jpg

 ●622日(水)10:3011:30愛知県芸術劇場コンサート ホー ル

 

  星・月・太陽、そして宇宙へ

  幻想的なオルガン曲をたくさ んお 聴きいただけます。芸文の大オルガンを目一杯使い、みなさまをつかの間の宇 宙旅 行へとご招待したいと思っています。

 ●810日(水)10:3011:30愛知県芸術劇場コンサート ホー ル

  異国情緒

 以前多くリクエストいただい てい ましたリベルタンゴを中心にプログラムを組みました。普段パイプオ ルガ ンでは聴くことのできないラテンナンバーなど、楽しく魅惑的なプログラ ムを 予定しています。

 その他12月、20172月にも予定していますので、 どう ぞチラシの方をご参照ください。

 パイプオルガンブランチコン サー トは、パイプオルガンの魅力を多面的に多くの方にご紹介したく始めたもの で す。午前中のコンサートで1000円というお得入場料で気軽に入れるコン サート を目指しています。たくさんの方にパイプオルガンを楽しい!と感じて頂け ます ように願っています。

3. あいちトリエンナーレ公募プ ログ ラム(チラシは現在作成中で す。)

 ●924日(土)夕方の時間@愛知県 芸術 劇場コンサートホール

 本年開催されるあいちトリエ ン ナーレに伴い、愛知県民より舞台芸術プログラムを公募されていたものに応募 しま したところ、コンサートホールで開催される2枠のうちの1つとして選ばれました。

 パイプオルガンだけではな く、舞 踊、松本喜臣さんの朗読、照明芸術が 入り す。また、マイヤー=フィー ビッ ヒの新曲もピアノ、ソプラノを取り混ぜて発表いたします。

 人間の祈りと創造にまつわる9つのエピソードを、アボリジ ニの 祈り、グレゴリオ聖歌、日本語最古の聖書翻 訳、 マヤの賢者の言葉、ウパニシャッドからなど取り入れ、一つの舞台芸術と して 提示します。ぜひぜひ多くの方にご高覧頂きたく思っています。お忙しい 中と は重々存じあげますが、どうかご予定いたければ 幸いです。

  また、お知り合いの方にもお 知ら せいただければ大変助かります。

 

 チラシが必要な方にはお送り いた しますので、どうぞお気軽にお申し付けください。

 末筆となりましたが、吉田の方、2015年度名古屋市民芸術祭の特別 賞を 拝受いたしました。これは、私だけの もの ではなく、今までオルガン文化を名古屋で築き上げることが できたみなさまのお陰と思っております。心よりのお礼を申し上げます。

  以上長々と失礼いたしました。

 風薫る爽やかな時節、皆様のますますのご健勝を心よりお祈り申し上げます。

                吉田文

 

 

 

 

 

 

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2016年5月16日 (月)

とと姉ちゃん

 NHKの連続テレビ小説「とと姉ちゃん」が、相変わらず高視聴率を続けているようだ。前回の「あさが来た」は広岡浅子という幕末生まれで、明治・大正の女性企業家をモデルにして好評であった。今回も2匹目の泥鰌を狙ったのかどうかは定かではないが、実在の大橋鎮子さんをモデルにしている。

  ただ、大橋さん一家は浜松には行ってないのだが、ドラマでは浜松を舞台にした。どうしてだろうと思った。もちろんフィクションだからそれでもよいのだが。

  最初はユニークなというか、暖かい家庭を描いていたが10日ほどで終わって、西嶋秀俊の「とと」が死んでしまった。もう少し生かしておいてほしかった。向井理演じる「とと」の弟というのが出没していたが、それが「とと」とは正反対のいい加減な男である。

  また、常子たちが東京深川に来て、材木商の青柳家に世話になったが、祖母役の太地真央が美人で、常子の母君子の木村多江と親子とは思えないぐらい若いので違和感がある。でも、太地真央はかたくなな江戸っ子祖母を上手に演じている。木村多江は常子たちの母親君子役としてぴったりで、やさしくて芯の強が強く礼儀正しい君子を巧みに演じている。私は木村多江を知らなかったが好きになった。

  青柳の家を出て森田屋という仕出し屋に住み込むが、その初めの日の女将や板前のきつい態度と言い方にも違和感を感じた。しかし、その後一家が馴染んでいってからは正常になった。江戸っ子らしい気の強さや、正義感のようなものをピエール瀧や秋野暢子がうまく演じている。

  ピエール瀧は「あまちゃん」の時の寿司職人以来の板前だがキャラクターは正反対。存在感はある。秋野暢子は昔、美人女優だったので最初は違う人かと思ったが、さすがに演技はうまい。

  演技といえば、片岡鶴太郎の隈井という青柳の番頭役は出色である。今回はピッタリとはまっている。

  常子の上の妹の鞠子は、常子と年がいくつ違うのか知らないが、鞠子役の相良樹の方が背が高くて、顔つきも姉のように見える。常子役の高畑充希が小柄で女学生でもはまっているので、これから成長していく中でどう変わるか楽しみである。高畑は常子役をとても上手に演じていると思う。

  叔父の小橋哲郎と同じぐらい違和感があるのは、青柳家の養子清である。あの立居振舞にも厳しい青柳瀧子の養子らしからぬ人物として登場した。へなへなした男でこれも違和感があった。最近はシッカリした面も見せてはいるが。

  帝大生の植物研究家星野武蔵は異色のキャラクターだが、新種を発見したといったとき、すでに新種として新聞にまで載っていたのを知らなかったというのはいただけない。あれほどの勉強家なら当然マークしていなければおかしい。

  恋の芽のようなものをちらつかせたり、対立場面をいくつか設定したりして、ドラマの視聴者をハラハラさせているのはよい。ただ、極端なキャラクターを作って違和感を抱かせるのはどんなものであろうか。

  「とと姉ちゃん」が「暮らしの手帖」を作った大橋さんがモデルのフィクションということで、モデルがどこまで描かれるかも興味のあるところである。

  これまでのNHK連続朝ドラでは、「あさが来た」「マッサン」「ゲゲゲの女房」など実在のモデルがあるものは成功している。「とと姉ちゃん」も期待できるであろうか。

とと姉ちゃん:ポエムもどきの画像(プリ画像)

 

説明文見てね♩の画像(プリ画像)

「木村多江 画像」の画像検索結果

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2016年5月15日 (日)

東京旅行⑧―皇居東御苑(江戸城本丸跡)

 東京最終日は、高尾山に行きたいと思っていたが、婿が連休中は大変な混雑が予想されるから別の機会にしたら・・・と言ったので、諦めることにした。荷物を預ける関係もあって、東京駅方面がよいということで、初日に行く予定であった皇居東御苑に行くことにした。婿も娘も行ったことがないというのでちょうどよかった。

 東京駅に着くと、丸の内側地下のコインロッカーがたくさんあるところに行った。しかし、コインロッカーは全て埋まっていて、手荷物預かり所に長い列ができていた。それで我々も並ぶことにした。

 しばらくすると、ロッカーを開ける人がいて、婿が声を掛けると、そのロッカーはもう使わないと言った。非常にラッキーであった。荷物を入れて500円でカギを掛けた。

 改札を出て地下道を皇居方面に歩いたが、娘が地上の方が分かりやすいというので、地上に出たら新丸ビルの角であった。歩いて行くとCafeがあったのでそこで休むことにした。大変混雑していた。すぐには席が見つからなかったので驚いた。

 一休みの後歩いて行くと、大手門方面に向かう道路にでた。後は一直線であった。大手門までは地図で見たより近く、地下鉄を利用するまでもなかった。

 皇居東御苑は入場無料である。大手門をくぐり直ぐ傍にある「宮内庁三の丸尚蔵館」に入った。宮内庁が所有する書画などを展示しているのだ。若冲も所有していて若冲展に貸し出しているそうだ。

 小さい同心番所や大きな同心番所などを眺めて歩いた。苑地にはいろんな花が咲いていた。コアジサイ、ヒメウツギなどと植物には名札をつけてあった。昭和天皇が植物学者だったからだろう。

 桃華楽堂という大きな建物があったが、まるで新興宗教の建物みたいで御苑に似合わないと思った。

 少し行くと天守閣跡天守台があった。江戸城は天守閣があったのだが、すぐに大火で焼け落ちてそれ以後は作られなかったのだとか。天下の幕府なのにどうして再建しなかったのだろうと思った。徳川300年の平和を見越しての自信であったのだろうか。

 「松の廊下」があったという場所があった。歴史ドラマではよく出てくるがこんなところにあったのかと思った。諏訪の茶屋を通り、広い芝生の場所に出た。それから二の丸庭園に向かったがその辺りは武蔵野の面影を残していた。どうやら武蔵野を再現したものらしい。

 二の丸庭園は回遊式で池もあり、小さな藤棚に藤が咲いていた。外国人が写真を撮っていた。

 皇居東御苑というのは、江戸城の跡だということを初めて知った。大奥があったという場所は芝生になっていた。東御苑に来て江戸城の概略を知ることが出来た。名前を「江戸城本丸跡公園」にしたら分かりやすくてよいのに・・・と思った。

 東御苑には国立公文書館の方に出る北桔橋門と東西線竹橋駅に出る平川門があるが、私たちは東京駅に行くので大手門に戻った。でも、皇居東御苑のなかをぐるっと一回りした形となった。

 今回北側を回ったので後行ってないのは、千鳥が淵や国立近代美術館や科学技術館などである。

 東京駅で婿と娘に別れて八重洲口まで行った。金券ショップで安い券を買うつもりが、たった100円しか安くならないのでがっかりした。八重洲口に来たのは20数年ぶりであった。

 東京駅は通路が四通八通していて荷物預けた場所に行くのが大変だった。近くの預かり所で尋ねたがよくは知らない様子であった。

 自由席券であったが帰りも楽に座れてよかった。

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                                          大手門

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                     大番所

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                    天守台跡

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                      桃華堂Cimg0821
                   武蔵野の面影

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                   二の丸庭園


 

 

 

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2016年5月14日 (土)

ゲスの極み舛添東京都知事

 舛添東京都知事の金銭問題がマスコミを賑わしている。もともとは、海外旅行に巨額に税金を使ったことを東京都議会の共産党から指摘されたのが始まりであった。

 その後小田原にある別荘に公用車を使っていたことが、週刊文春で取り上げられた。公用車での別荘通いは年48回にも上る。最初は「全く問題ない」と開き直っていたが、「いろんな批判があり、今後は別荘通いには公用車は使わない」と述べた。

 自家用車を使うとかタクシーで行くならいいが、公用車を私用に使うのはもっての外で、都知事はそんなに偉いのかと言いたい。この点は軽自動車を使っていると言われる河村名古屋市長を見習うべきである。

 しかも、批判が巻き起こったので仕方なく公用車使用を止めるという釈明はなっとらん。公私混同もいい加減にせよと言いたい。

 海外旅行への大金の支出については、「できるだけ経費削減に努めるが、何もかも削減すれいいということではない。」「遊びに行っているわけではない」と強弁している。

 海外旅行では、例えば、15年10月のパリでは、197200円のスイートルームに、ロンドンでも198000円のスイートルームに泊まっている。このときが最高額だが、都条例の知事の宿泊費上限額の4.9倍である。

 2014年のソチでは15万1800円だが、知事限度額の5.6倍となっている。舛添知事の海外出張は、就任した2014年2月から今年3月まで8回あり、総額2億1305万円にのぼる。

知事の費用支出の上限額があるのに何故それを無視することができるのであろうか。何のための上限なのか。仮に目安としても、その何倍も使うのはおかしい。上限額を超えた分は返却させるべきである。

 航空運賃が往復ファーストクラスである。我々庶民は生涯に一度もビジネスクラスさえ乗れないというのに、公費で王侯貴族の振舞である。

 海外出張で空港貴賓室を借り切ったことも2度あるという。スイートルームの宿泊は「要人との急な面談のため」としているが、共産党都議団の調べでは、要人と面談した記録はないそうだ。

 8回の海外出張の随行員は98名もいるが、まるで大名旅行である。マスコミに取り上げられたあとの4月12日~18日の米国出張でも、15名が随行し、1泊15万円のスイートルームに泊まり、ファーストクラスの航空運賃と宿泊費だけで298万円の支出をした。口では経費削減と言いながら全く反省の色も見られない。

 以前石原元都知事の海外旅行の大金支出が問題になったことがあったが、舛添知事のはそれ以上である。

 猪瀬元東京都知事は、海外旅行にそんな大金を支出する必要は全くないと切り捨てている。公用車の使用についてももっての外だと言っている。

 今年度の都知事出張費予算は、何と3億3500万円だという。いったい舛添知事やその予算を認めた都議会はどういう金銭感覚なのだろう。

このblogを公開したら今朝のニュースは舛添知事の政治資金不正使用問題が大きく扱われていた。知事は私的な支出を計上していたと認め、返金し記載を改めると言った。公金に鈍感であると認めたそうだが、いやしくも都知事を務める者がいう言葉ではない。知事の資格なしである。

 日本の人口の1割以上が居住する東京都には、生活保護を受ける人、僅かな年金で暮らす人、年収200万円余りの低賃金でこき使われる人、貧困な母子家庭や、貧困女子などがいっぱいいる。保育所や介護施設問題も深刻である。そうした都民の暮らしのために税金は使われるべきである。都知事は最高の給与をもらい、その他の収入もいろいろあるはずだ。そんな高収入なのに、自分の快適のために税金を使う舛添都知事は、ゲスの極みであると言っていい。

「東京都 舛添 画像」の画像検索結果

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2016年5月13日 (金)

東京旅行⑦―桜田門から二重橋

 国会議事堂前の坂を下って交差点を渡って行くと警察関係のビルがあり、「警視庁」という看板があった。「ああ、警視庁はこんなところにあるのか」と思いながら歩いて行った。

 皇居側に門が見え、交差点の表示に「桜田門」と書いてあったので、桜田門へ行った。この門の近辺で井伊大老が水戸浪士に暗殺されたのだ。どこかにその案内があるかと思ったが、何もなかった。

  大きな門をくぐると、道路が続いていた。この門は24時間解放しているのかと思った。お濠(凱旋濠)に沿って歩いて行ったら、見覚えのある場所に出た。よく見ると二重橋であった。2年前に見に来たことがあるのだ。

  今回偶然に二重橋に出たことで全体の位置関係がつかめた。前に来たときは中国人などの団体が大勢いたが、この日は少なかった。

  二重橋前の広い通りを歩いて馬場先門交差点を渡るとき、先方にシャトルバスが停まっていたので、「あれに乗ろう」と言ったが、交差点を渡ったらバスは動き始めていた。前回来たときには間に合って乗れたのだが残念であった。

 「丸の内MY PLAZA」の地下に入って行った。レストランの案内を見て、和食がいいと思ったので「博多漁家 磯貝」にした。休日のせいか客は2人しかいなかった。和食の店というより大きな居酒屋の感じであった。

 刺身の盛り合わせを注文し、他に3点ほど注文した。刺身の盛り合わせはマグロ、アジ、トロサーモン、タイなど6種類が細長い器に盛ってあり、一人2切れであった。

 新鮮でおいしかった。一番安い日本酒を注文して飲んだ。刺身を肴に日本酒を飲むのはよく合う。この店は大きな店できっと平日は客が多いのだろうが、1人3500円の値段と量的には名古屋の方がいいと思った。

 東京駅周辺は地下道が四通八通しているようで、お上りさんは迷うだろうと思ったが、私たちには婿という道案内がいるので安心であった。

 東京駅から中央線で三鷹まで行き、三鷹駅を降りると、駅前のスーパーに寄った。このスーパーは名古屋で私がよく行く「八百鮮」や「たちや」と同じぐらいの安い値がついていたので驚いた。8時ごろだったので値引きをしている食品がたくさんあった。東京にもこんな店があるのかと思った。

 表参道、谷中、議事堂、皇居回り、東京駅付近など、この日もよく歩いた。次のバスまでは時間があったので、タクシーで帰った。

桜田門外の変想像図

            万延元年(1860年)3月3日桜田門外の変 想像図

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                        桜田門

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                         凱旋濠

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                     刺身盛り合わせ4人分

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                       店内の様子

 

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2016年5月12日 (木)

東京旅行⑥―国会議事堂

 私の記憶の中には国会議事堂を見た覚えがない。福島第一原発事故以来、毎週金曜日には国会前で集会やデモが行われていたし、特別秘密保護法や集団的自衛権閣議決定、安保法制などに反対する集会も頻繁に開かれていた。それで一度国会議事堂周辺を見てみたいと思っていた。 

 4月29日が金曜日なのでこの日に行けばよいと思っていた。ところが娘がネットで調べてくれたら夜7時からだという。帰るのが遅くなるのでその日は諦めることにした。

 30日に千駄木まで行ったので、その帰りに国会議事堂を見ることにした。同じ千代田線に「国会議事堂前」の駅があるからだ。

 国会議事堂前駅に降りるとプラットホームには端から端まで長い壁があり、ところどころに警官の詰め所があったので驚いた。出口も端にあった。

 出たら議事堂だと思ったら、反対側まで回って行かなければならなかった。ところどころに若い警官が立っていた。角を曲がるとき警官に挨拶をしたら意外にもにこやかな返事が返ってきた。

 私たちは「きっとあちこちに隠しカメラがあって撮られているね」と話しながら歩いた。やっと議事堂の前に出たが鉄の門で閉ざされていた。警官が見ているので気が引けたが鉄格子の間から写真を撮った。警官は何も言わなかった。

 議事堂の前が広い道で下り坂になっていたので、この辺りで集会をするのだろうかと思った。この日も機動隊の車やパトカーが停まっているところがあった。

 議事堂の前に公園のようなものがあったのでその中を歩いたが、他には誰もいなかった。この日は6時半ごろになると人々が来るのだろうが、5時ごろなのでほとんど人は歩いていなかった。

 夕日を背にした議事堂を見ながら、この中で安保法制や特別秘密保護法や教育基本法の改正や武器輸出原則の緩和や・・・・多くの悪法が次々に決められたのだと思うと悔しかった。

 来るべき参議院選挙では、良心のある野党が協力して、多数を占めて欲しいと切に願った。その参議院は議事堂に向かって右であった。戦後70年、戦争で殺したり殺されたりしなかった歴史の時間を、これからも積み重ねて行かなければならない。

 そして立憲主義を取り返し、憲法を守らなっければならない。現時点で今の憲法を変えなければならない状況はどこにもないのだ。

※東京の有明公園で開催された5月3日の憲法集会の動画のサイト

 101歳のむのたけじ氏のスピーチが素晴らしい。

  https://youtu.be/wqYMUf2k72M

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2016年5月11日 (水)

北朝鮮国民の不幸

 テレビや新聞で連日北朝鮮の第7回労働党大会について報道された。外国のメディアを呼びながら、肝心のところは取材させないという頓珍漢なものであった。いきおい、メディアが報じるのは北朝鮮の国営テレビで放映されたものと、北朝鮮が取材を許したところだけであった。

 

 北朝鮮の国民の大半は非常に貧しい生活をしいられ、労働党大会開催を祝って支給された食糧も、上層部の家庭だけであるようだ。テレビで見せていたのは、高級幹部の立派な部屋と冷蔵庫の中身であった。金正恩様のお蔭ですと自慢げに見せていた。

 

 金正恩書記は労働党委員長に推戴されたが、これは祖父の金日成主席にならったものだといい、権威づけであるという。身内を含む数々の、自らを脅かすと思う人物を粛清し、言うことを聞く側近だけで周りを固めたのであろう。

 

 党大会は例によって、すべて大きな拍手で包まれていた。きっと拍手の打ち方が弱いと後で叱責を食うのであろう。全ては作られたやらせである。面従腹背が多いに違いない。ただ強権と脅迫で抑え付けているだけである。

 

 金正恩は閉会の辞で「歴史的な第7回党大会で大きな成果を得た。社会主義完成の新たな里程標として記されるだろう。非常に満足している」と述べた。

 

 北朝鮮がやっていることは社会主義ではない。社会主義は独裁体制下で行うものではない。北朝鮮の政治体制は世襲による専制王政である。国民は幸せになるどころか貧困に喘ぎ、たまらなくて次々と脱北している。

 金正恩は核開発とミサイル開発を成功したと誇り、経済再生を同時に進める「並進路線」を今後も進めると決定した。

 党大会前には核実験やミサイルの発射実験を繰り返した。日本海に何発のミサイルが沈んだか知らないが、ミサイルが発射される度に北朝鮮の国民の生活を思った。こうした開発に巨額の資金を使うより、国民の生活のために使うべきだと。大多数の国民が疲弊しているのに、アメリカに対抗するために、見栄をはって無駄な金を使うのをよしとしている。これは社会主義を標ぼうする者のやることではない。社会主義は国民皆の生活を豊かにするものであるはずなのだ。

 朝鮮金王国は、日本を始め世界の各地から、人を拉致して度重なる返還要求にも耳を貸さない。それどころか日本に対して、調査をして返事をすると約束したのに、反故にしてしまって知らぬ顔である。何という厚顔無恥な支配者であろう。

 金王国が続く限り拉致被害者が返されることはないだろうと思われる。親や身内の方々は年をとるばかりである。一日も早く帰国を実現させてほしいのだが。

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2016年5月10日 (火)

東京旅行⑤―指人形笑吉

 野良ベンダーの個展を見たら指人形笑吉の予約に間に合うように戻った。中に入ると予約であることを告げ、500円を払った。これから一人の高齢者の似顔絵を描き始めるところであった。

  「鶴瓶の家族に乾杯」で見たように人形が所狭しと飾ってあった。それらをカメラに収めた。似顔絵は簾の向うに隠れて人形だけを出して描くのだ。最初はペンで輪郭を描き、その後色を絵具でつけていくのだが、実に巧みに人形を動かしていた。描き終ったのをみんなに見せた。そっくりに描けていた。番組で鶴瓶を描いていたが鶴瓶に渡したのかと思ったら壁に貼ってあった。

  3時半過ぎから指人形公演が始まった。本人が出てきて説明をした。壁にプログラムが貼ってあり11演目が書いてあった。

  一番は「笑い上戸」で、指人形を両手で操って二人登場させ演じた。笑うところを面白く演じ皆も大笑いであった。2番目は酔っ払いで、ぐでんぐでんに酔った顔が赤い人形をもう一人が介抱する形で飛んだり跳ねたり面白く演じた。

  3番は「魚釣り」。4番は「ピアニスト」であった。玩具のピアノを使っていたが自動演奏だとタネを明かした。5番目が「あんた」。6番は「ウオーターボーイズ」で男のシンクロナイズドスイミングであった。7番はお餅つき、おじいさんが杵を持ち、おばあさんが返しをやるのだ。小さな木の臼で面白おかしく演じた。

  8番は「瓦割」で空手で瓦を割るのだが瓦に使われたのは瓦せんべいであった。そして割ったせんべいを皆に配った。9番が「けん玉」で玉を先にのせたのだが糸を引いて瞬間にのせる仕組みのようだ。

  10番が「曲芸」で太神楽を演じた。最後の11番は、「50年後の冬のソナタ」であった。50年後というのは爺婆になったということだ。笑吉の指人形はほとんどが年寄りの人形であった。おそらく表情が豊かに面白く作れるからであろう。

  最初に店に行ったとき、若い人が「面白すぎて笑い通しだった」と言いながら出て行った。人形を使い分けて動作も表情も巧みに演じていたが、確かに笑いのツボをよく抑えていた。

  舞台がある一番上の壇にはプレスリーや八代亜紀や寅さんや鶴瓶などが10人並べてあった。

 人形はすべて指で動かせるようになっている。笑吉さんは勤めを辞めた後好きな人形制作を始めて人形劇を演じるようになったようだ。

 小さい時から絵を描くのが好きで、物心がついたときから絵ばかり描いている子どもだったそうだ。サラリーマンになってからも油絵を描き、子どもの絵画教室を開いたりしていたという。

  絵画教室では、ときたま、工作のようなこともやるので指人形を作る機会があったという。子どものために見本を作りはじめると、自分自身が楽しくて仕方がなかったそうだ。そして油絵をやるよりも人形作りの方が自分に向いていると実感したといい、運命的なものを感じたという。

 指人形師笑吉はこれまでにテレビなどの出演を何回もしてきたというが、鶴瓶の家族に乾杯を見るまで全く知らなかった。先回谷中から上野まで歩いたとき、近くを通ったのだが、引っ込んでいるので気づかなかったのだ。今回はわざわざ見に行ったのだが行ってよかったと思った。

 

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2016年5月 9日 (月)

NHKクローズアップ現代「密着ルポ 私たちと憲法」を見て

 籾井体制によって権力寄りに大きく変わりつつあると言われるNHK。クローズアップ現代も放送時間が後退し、名物キャスターの国谷裕子さんが降板させられた。それで4月以後は新しくなった「クローズアップ現代+」は一度も見ていなかった。

  5月2日の「クローズアップ現代+」は、「密着ルポ 私たちと憲法」というテーマで憲法が取り上げられることを知り、録画して見ることにした。

  番組は、改憲派の動きから報じられた。その後護憲派について報じられ、改憲、護憲・・・・と目まぐるしく交互に報じられた。タイトルの通り、いずれも改憲派、護憲派に出かけて取材したものであった。

  改憲派は戦後早くから始まったことや、その中で運動が統合されたことなどを取り上げていた。改憲を進める安倍首相を応援して実現させたと言っていた。

  この番組でよかったと思うのは改憲派の動きを伝えたことであった。改憲派の中心である桜井氏が大写しになり、「大日本会議」の様子や彼らが進めている1000万署名運動などの他に、日本青年会議所や財界や全国8万社を擁する神社本庁などが改憲運動の中心になっていることが分かった。また国家神道をめざそうというのであろうか。

  日本会議には多くの国会議員も参加と言っていたが、はっきりと280名ものと数字をあげてほしかった。

  改憲派は、天皇を中心とした日本国の歴史を大事にして、公を個の上に置き、家族を大事にし、自衛隊を軍隊にするなどを憲法に明記するべきだと主張していた。彼らが大日本国憲法にノスタルジーを感じ、「美しい日本を再建する」と言っている。集会で「天皇陛下万歳」を三唱していた。神社本庁の宮司や日本会議のメンバーが「国柄」とか「国のかたち」と言っていたが、これは戦前に言われた「国体」のことだ。天皇中心で富国強兵の明治時代に戻ろうというのであろう。

  それに対して、護憲派は、9条の会が2000万人の署名を集めていることや、商社9条の会、障がい者9条の会、損保9条の会などさまざまな9条の会が全国に7000も作られていることを取り上げていた。

  護憲派も歴史を知ることが大事だと言っていたが、こちらは戦争の時の悲惨さについてであった。

 戦争中は障がい者は「米食い虫」などと蔑視されたと言い、障がい者は状況が悪くなると真っ先に犠牲になるからカナリアだと言っていた。

  損保関係の人は戦前出征する兵士に生命保険を勧めたが、戦死者が多すぎてパンクしたと話していた。

  クローズアップ現代+で問題だったのは、安保関連法を巡って、SEALDsや高校生のティーンズやママさんグループなど幅広い運動に広がったことを取り上げなかったことと、憲法9条以外に「立憲主義」がクローズアップされたことが無視されていたことである。

 日本は自民党・公明党に支えられた安倍政権によって、戦争が出来る国になっただけでなく、立憲主義が踏みにじられたのである。まずは立憲主義を取り戻すことが喫緊の課題である。

 番組も指摘していたように、改憲、護憲の言い分をよく知り、憲法について関心を持って考えることが大事である。

 ※クローズアップ現代を見るには

  http://blog.livedoor.jp/gataroclone/archives/47475570.html

 

 

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2016年5月 8日 (日)

東京旅行④―谷中で出会った「猫を描く野良サイダー」

 表参道から千代田線で千駄木まで行った。前の週にNHK「鶴瓶の家族に乾杯」で鶴瓶が訪れた指人形師笑吉の人形を見たかったからだ。

  千駄木駅を出るとすぐの路地を入ったところに指人形笑吉の小さな店があった。表に幟が立っていて、店の前に8人ほどの人がいた。店の中は満員であった。係りの人が3時半からの予約を勧めたので予約をした。

  1時間半ほど時間があるので近くを見て歩き、小さな店に入った。中には手作りの小さな物を売っていた。その2階で藍染を売っているというので2階に上がった。婿が藍染のショールを買った。金を払うために1階に降りて、私と娘は外で待っていた。

  そこへ通りかかかった60歳位の男性が「藍染はいいね」などと話しかけてきた。話していると、彼は猫を主題に絵を描いていて、さらにきれいな女性も描いているということが分かった。小さい時から絵が好きで、特に猫が好きなので猫の絵をボールペンと修正液で描いていると話した。そして近くで個展をやっていると言った。個展の場所を尋ねたら、「まるひ」という店だと言って、手を伸ばしてそこの細い道を行ってちょっと曲がったところだとあいまいな教え方だった。でも、暇があるし面白そうなので見に行くことにした。

  細い道はヘビ道と言われているところで以前に通ったことがあった。歩いて行ってもどこにもそれらしいところがなかった。あるCafeで尋ねた。そこでも猫の絵の展覧会をしていた。「まるひ」を尋ねたら教えてくれた。藍染通りから細い路地を入ったところに古い民家があり、○の中に「ひ」と書いた看板が出ていた。

  受付に男の人が座っていた。民家の部屋の壁に絵がたくさんかけて展示してあった。見ると猫を描いた絵だが非常にユニークな独創的な絵であった。女性は猫と一緒に描かれていた。

  男の人の話では、描いたのは藤沢マサヒロさんという人で、ある時スケッチブックを持って来て見せてもらったらとてもいい絵なので紹介することにしたのだという。「まるひ」というギャラリーはその人と友人がやっているもので、その人が藤沢さんを発掘したのであった。

  個展は4月23日から5月1日までやっていて、紹介文には次のように書いてあった。「野良で活動するアウトサイダー『野良サイダー/藤沢マサヒロ』の創作場所は町や公園などの野外です。カラーボールペンと修正液を使い、ハッチングという点描を織り込んだ幻想画を描き出します」

  ボールペンで描いたとは思えない独特の描画法の素晴らしいものであった。

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2016年5月 7日 (土)

東京旅行③―渋谷スクランブル交差点・表参道―

 4月30日には吉祥寺駅から京王電鉄井の頭線で渋谷に出た。この線に乗るのは初めてであった。出発時は空いていたが次の駅ぐらいから込み始めた。身動きできないくらいになるよと聞いていたがその通りであった。

 

 渋谷に着くとまっすぐ進みMark Cityと書いてある2階に上がった。婿はここから渋谷交差点を眺めると全体の様子がよく分かると言った。スクランブル交差点をガラス越しに俯瞰できた。そこで写真を撮ったが、残念ながら期待したほどの人は歩いていなかった。

 

 その後下に降りて忠犬ハチ公の銅像を見た。外国人がいっぱい見ていた。スクランブル交差点は今や世界的に有名になり、ネットでは人々が整然と渡ることが驚異の眼で見られているという。この日は人出は少なかったが渡ってみた。

 

 外国人が写真を撮りながら渡っていた。真っ白のウエディング衣装を着たカップルが写真をスクランブルの中で撮っていた。「おめでとう!」と声を掛けたら「ありがとう」と答えてくれた。

 

 駅前の交差点で太鼓を叩いている僧がいたので、お布施を集めているのかと思ったら、戦争法反対のタスキを掛けた日本山妙法寺の僧であった。たった一人でこういう形のアッピールがあるのかと感心した。

 

 渋谷から一駅の原宿竹下口で降り、竹下通りを見るつもりであったが、通りの入り口で人々が立ち止まっていた。そこまで行ってみると見下ろす竹下通りは先まで人で身動きができないくらいで埋まっていた。若い人たちが次々に来ていた。それで諦めて、表参道の方に行った。

 

 表参道も大変な人出で次々と人が湧いてきて歩いていた。Cafeで休もうとしたが満席だった。しばらく歩いて同潤館の後にできたモルの地下に入った。AlpsというCafeに入った。値段はホテルより高いくらいであった。

 このモルは高級ブチックなどが入っていた。ウインドウショッピングで済ませて外に出た。歩いて行くと新潟県のアンテナショップがあったので入った。いろいろな物産を売っていた。妻は喜んで買っていた。

 休憩所の前で1個160円で柏餅を売っていたので買って食べたらとってもおいしかった。おいしいと店主に言ったら、「ことらの方がもっとおいしいですよ」と言って、笹餅を1個くれた。食べてみるともちもちして本当においしかった。ヨモギは本物を使用しているそうだ。娘が笹餅を買った。1個やはり160円であった。ちなみに東京駅では笹餅を1個230円で売っていたし、名古屋のスーパーで柏餅は230円で売っている。妻は東京に行ったらこのサテライトショップにまた行きたいと言っていた。

 表参道にある有名な建築家がデザインしたガラスのビルとその向かいにあるシンプルな建物を見て駅に戻った。竹下通りは言わずもがな、表参道の賑わいも大変なものでさすが東京だと思った。

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                   渋谷スクランブル交差点

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                      竹下通り入口
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                      変わった造りのモル

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                 手前が一部残された同潤館の面影
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                      表参道の人ごみ

 

 

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2016年5月 6日 (金)

東京旅行②―六義園・旧古川庭園―

 東京第2日は、駒込へ行った。駒込駅を出て陸橋を渡った角に六義園がある。池庭回遊式の大名庭園である。五代将軍綱吉の側用人の柳沢吉保が造営した。

  1695年(元禄8年)に加賀藩の旧下屋敷跡地を綱吉から拝領した柳沢は、約2万7千坪の平坦な土地に土を盛って丘を築き、千川上水を引いて池を掘り、7年の歳月をかけて起伏のある景観をもつ回遊式築山泉水庭園を現出させた。

  「六義園」の名称は、紀貫之が『古今和歌集』の序文に書いた「六義」(むくさ)という和歌の六つの基調を表す語に由来する。六義とはもともと「詩経」における詩の六種の分類で、内容上の風、雅、頌と表現上の賦、比、興である。それを貫之が和歌に用いたものである。

  六義園は自らも和歌に造詣が深かった柳沢が、この「六義」を『古今和歌集』にある和歌が詠うままに庭園として再現しようとしたもので、紀州の和歌浦を中心とした美しい歌枕の風景を写して、庭園を造ろうと思い立った。その設計は柳沢本人によるものと伝えられている。(Wikipediaなど)

  庭園の一角に和歌山市のコーナーがあり、庭園と和歌の浦など紀州和歌山の名勝との関連を説明した写真パネルがあった。

  そこにちょっとした広場があり、12時から丸一扇翁社中太神楽のショーをやると書いてあったので観ることにした。風がものすごく強い日で、木々を揺らしていたのでこんな日にやれるであろうかと心配していたら、12時近くに演技者が現れた。三味線と演技者の二人で、神楽を演じるのは40代ぐらいの若い男性であった。

 始める前に使用する毬を触らせてもらったが、重いものであった。それを使って手の間や扇子で挟んで自由に操った。

 次は鉄の輪を傘の上で回す演技であった。自由自在に回した。その次は四角の五合枡を傘の上で回した。演技者は口上がとてもうまく、臨機応変に口上を述べながら演技をした。

 長い竿の上にコップを載せる演技では、観客の中に可愛い女の子を見つけて手伝わせた。笑顔もとてもいいアシスタントになった。

 最後は竿の上に水が入ったどんぶりをのせて回し、水を振りまいたあと紙ふぶきを撒いた。どれも大変素晴らしい演技で、30分余り強い風の中演じきったので観客は大満足であった。大道芸なので投げ銭を集めたが、枡の中には千円札が溢れた。娘の話では1万円札もあったそうだ。

 太神楽を観て、池の方に行き見て歩いた。ツツジが盛りで至る所きれいに咲いていた。よい時に来たと思った。池の傍の茶屋で抹茶を飲んだ。久しぶりの抹茶でおいしくいただいた。それからちょっとした庭園を見渡せる丘に登った。

 六義園を見た後反対の方角にある旧古川庭園に行った。駅前通りにあるAlpsというケーキ屋でケーキを食べコーヒーを飲んで一休みをした。おいしいケーキであった。

 旧古川庭園は、やや登りの通りを12分ぐらい歩いて曲がったところにあった。洋館が立っていて洋式庭園であった。イギリス人の庭園師が設計したものであった。バラが売り物であったが、まだつぼみが多く見ごろには間があったのが残念であった。下半分は雑木林になっていた。

 今回は日本式庭園と洋式庭園を見ることができてよかった。ちなみに入園料は敬老で六義園が150円、古川庭園は70円であった。一般は通しの券が割引になる。

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2016年5月 5日 (木)

憲法施行69周年 市民のつどい@名古屋市公会堂

 憲法記念日の3日、恒例の愛知憲法会議主催の市民の集いが名古屋市公会堂で開催された。12時10分ぐらいに鶴舞公園に出ると人々の長い列があった。昨年の安保法強行採決と安保法の施行もあって、例年より人の出足が早いと感じた。

 開会は1時であったが、会場は3階まで埋め尽くされていた。後で主催者が発表したところによると、2000名の収容に2496名の入場があったそうだ。会場は4階講堂にも設けられ、溢れた人はそちらに回ったが、1300円のチケットを買って入った人がこれだけいるというのは大きな力を感じさせた。

 6月には参議院選挙があり、立憲主義を破壊し、戦争への道を開いた安倍政権の、改憲のたくらみを打ち破らなければならないという人々の思いがあるのだ。

 今年のテーマは、「立憲・民主・平和と憲法」であった。今回初めて「立憲」が入った。これまでは「9条を守る」であったが、「立憲」が大きくクローズアップされた。

 オープニングは弁護士会会長の挨拶のあと、組曲「砂川」が演奏された。力強い合唱曲であった。安倍政権が2014年7月に、集団的自衛権行使容認の閣議決定をしたとき、砂川判決を捻じ曲げて援用した。

 メインの講演は、学習院大学の青井美帆教授の「今、何が問われているか。立憲主義・平和主義から考える」であった。

 安倍政権の閣議決定と強行採決によって、それまでの自民党政権が守ってきた憲法解釈が、いとも簡単に変更され、立憲主義が破壊されてしまった。青井教授は壊れた立憲主義を元に戻すには時間がかかると話した。長い闘いが必要になるというのだ。

 安保法制によって、何が変わったかというと、日本が戦争が出来ない国から戦争が出来る国になったということだと指摘した。そして、軍事優先となり、国防が国民の生活より重視されるようになるというのだ。そのためには安倍政権は憲法を改正しなければならないと、ことあるごとに叫んでいる。

 憲法9条があることで、これまで専守防衛、武器輸出3原則、非核3原則、防衛費GDP1%枠、ODA予算の武器への制限などが守られていたが、安倍政権はそれらを全て覆してしまった。それによって日本の外交が変わったのである。しかし、安保法による変化はまだ途上にあり、これから更に変わっていく。

 憲法9条は戦わないことを宣言している。武力行使は違法である。立憲主義とは権力を縛ることである。

 この先何が変わるのか。法が変わり、社会のありようが変わるのだ。たとえば土地収用法というのがあるが、軍のために収用できないことになっている。それができるようになる。それにより市民生活も影響を受ける。港湾法というので地方自治体に任されているが国が関与するようになるだろう。

 軍事産業は宣伝に軍との関わりを入れることをためらっていたが、おっぴらい宣伝するようになる。

 国民の生命・自由・幸福の追求が脅かされるとき、他国の軍を助けることができるというがおかしな話である。

 自民党の改正憲法でどうなるのか。天皇を戴き、自ら国を守り、国家や和を尊び、家族を大切にということを憲法に謳っている。また行きすぎた個人主義の弊害をただすとして、個人の自由や権利を制限し、公の下に置こうというのだ。こうしたことを憲法に明記することで正しいことであると示そうというのだ。

 こうした流れを食い止めるには国民の責任も重大である。ひとりひとりがよく考えて行動に移すことが大事である。

 講演の後は、ウクライナの歌姫、ナターシャ・グジー コンサートであった。日本の曲、ウクライナの曲、オリジナルの曲をバンドゥーラというウクライナの民族楽器を弾きながら歌った。

 水晶の歌声といわれる彼女の声は、透明感に溢れるもので心地よく響いた。バンドゥーラというのは、大きな弦楽器で、60本の弦を持ち8kgの重さがあるという。それを膝にのせて指ではじいて音を出す。

 歌の合間に、チェルノヴイリ原発事故で6歳のときに被爆したと当時の様子を話した。広島の折り鶴少女定子さんが折った、小さな赤い折り鶴を大切にしていたが、30周年の4月29日にウクライナの記念館に寄贈したと話した。

 また、平和のために広島とウクライナの子どもたちが折る鶴に、平和のメッセージを込めて交換するプロジェクトをしているそうだ。

 終了後ロビーでCDの販売とサイン会があり、私も彼女のファーストアルバムのCDを買ってサインをしてもらった。背が高くて美人で笑顔の素敵なナターシャである。

 集会のあとデモに向かうグループと4階での憲法寺子屋があったが、私は寺子屋に参加した。

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2016年5月 3日 (火)

東京旅行①―若冲展

 昨年は東京に行く機会がなかったので、2年ぶりに東京へ出かけた。連休の前半は娘と婿が都合がよいというので、28日に名古屋を出た。

  前日に名古屋駅地下の金券ショップで新幹線の自由席を行だけ買った。正規に買うと10015円だが9000円だった。往復買っておけばよかったのだが、片道にしたので後で後悔をする羽目になった。というのは、帰りに八重洲口の大黒屋という金券ショップに行ったのだが、たった100円しか安くならないと言われた。それで帰りは正規の切符を買ったのだ。でも、勉強になったからよしとした。

  名古屋駅に行くと「のぞみ」が停まっていた。次のにしようかと思ったら、妻がガラガラだと言ったので急いで乗ったら、本当に客がまばらであった。

  東京に近づくと細かな雨が降っていたので、この日の予定を変更して、上野の東京都立美術館でやっている若冲展を見に行くことにした。

  上野駅公園口で降りると、雨なのに人がいっぱいであった。一体何があるのだろうと思った。取りあえず駅の上にある「ぶんか亭」というレストランンで食事をすることにした。どんなレストランか分からなかったが、人が次々に入って行くのでそれについて行った。

  1300円のランチを頼んだが、量が名古屋より少なくちょっと高いかなと思った。昼時だったせいか出るときには40人ぐらい待っていたので驚いた。

  都立美術館には前回も来たことがあるので見当が着いていた。動物園の隣にあった。でも、その付近に傘をさした人が群れていたので「エッ、若冲展にこんなに見に来るの?」と思った。

  近づいて行くと、案の定若冲展を見るために並んでいる人たちであった。いったいどのくらいなのか、係りの人は「4列で並んでください!」と叫んでいた。別の人が「40分待ち」という札を持っていた。また、入場券を別のところで買わなくてはならないと分かった。特設の小屋があってそこで売っていた。その列に並ばなくてはならなかった。

  やっと券を買ってもそれからが大変であった。人は次々と来るし、列は地下に行って館の中でも続いていた。都立美術館の会場入り口はかなり中にあるのだ。中に入って進んでもまだ20分待ちであった。

 結局45分ぐらい待ってようやく入口に到着した。画廊のフロアには人があふれていた。こんな状態で観ることができるのかと心配であった。人の背中越しに観た。その内、ガラスケースの中に巻物があるところではじっくりと見ることができた。

 若冲の展覧会を観るのは初めてであったが、素晴らしい絵が多いので魅了された。江戸時代の絵は浮世絵は別として、狩野派の絵とか墨絵とか文人画とかはどれも流派に一つの型があるようだが、若冲はそういうものにとらわれていない自由奔放さがあった。襖絵、掛け軸、屏風などに描かれた絵は、動物、植物、釈迦三尊などがあったが、とりわけ鶏や鶴や鳳凰、孔雀などが多く、水族館のような魚や貝類など、絵の対象が広く、色彩が鮮やかで、強い動きのある絵であった。中には漫画のようなもの、イラストのような絵もあった。

 雨の中を長い間待って観た甲斐がある作品ばかりであった。入場料は65歳以上が1000円であった。

 説明によると、若冲は京都の青物問屋の長男で、裕福な暮らしであったという。40歳で家督を弟に譲って、85歳まで長生きをして、最後まで楽しんで作品を作り続けたそうだ。観ている者にもそうした息吹が感じられる。

 NHK総合テレビで取り上げられたが、そのせいもあって凄い人で賑わったのであろう。NHKの放送は見なかったのが残念である。

 若冲展は22日までだが、こんなに人気があるのなら、全国を巡回してほしいものだと思った。

 ※4日にNHKで「若冲」の絵の秘密についての再放送があり、それを見て改めて若冲の素晴らしさを感じた。

 若冲は下書きをせずに色を重ねて絵に仕上げていったようだがどうやって描いたのから分からないようだ。とにかく1ミリの1/4というような精緻な線や微妙な変化の色彩を作りでしている。さらにフランスの印象派より100年も前に光を取りいれて描いたという。

 若冲は「千載具眼の徒を俟つ」を言ったそうだが、若冲の魅力は300年たって現代の科学の眼によって明らかにされた部分がある。

「若冲 絵 画像」の画像検索結果

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                   長い列上が地上、下が地下、

                   室内に入っても長い列

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増谷文雄「仏教入門」―23―

 生死の諦観とは、生をあきらめ、死をあきらめることである。あきらめるとは、真実を見きわめることである。古来の注釈家は「諦」を釈して「真実不虚(コ)」の義であるとした。すなわち、真実にして虚しからざることが諦であって、これを動詞に使用し、「諦める」というは、真実を見極めることと考えられる。そこでこの「真実を見極める」態度を、生死の解決に当てて見るとどうであるか。

  死を免れんことを希うのは人情であろう。だが、死は結局において免れ得べきものではない。仏教とはまずこの点に置いては真実を見きわめなければならぬ。

 不老長寿をねがうことも人情であろう。だが、それが決して到達し得ないねがいであることを、佛教徒は見きわめなければならぬ。

 現世において不死のねがいを到達しえないがゆえに、これを来世において求めんとすることもまた人情であろう。だが、釈尊の徒はそれが単なる幻想にすぎないことを見極めねばならぬ。

 また、最後には思うとて甲斐なく願うて甲斐なき死の問題のために苦しみ悩むのは、要するに、生に対する愛着があるからであるという真実を見極めねばならぬ。

 そして、釈尊の示せる縁起の理法によって、「生あるが故に老死あし、生に縁りて老死あり」との真実を見極め、これを種々の修行によって有愛―生存への渇愛―の断滅にまで齎すとき、そこに生死の諦観は実現する。ここに欲望に対する仏教的解決の方法の形式が存しておる。

 あきらめるとは、真実を見極めることというのは最も重要な概念である。別の表現で真実不虚といっている。真実を見極めることによって生死の諦観が実現すると言っている。

 世間でいう諦めるは間違って使われている。「進学を諦める」「結婚を諦める」などというとき、進学できないのは何故かを突き詰めて判断をする訳ではない。結婚についても同じである。どうして結婚できないかを突き詰めて諦めるのではない。そうした諦めは本来の諦めではないのだ。

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2016年5月 2日 (月)

増田文雄「仏教入門」―22―

 それでは、生死の問題に対する仏教の解答は何であったかというに、一言でいえば、「生死の諦観」がそれであったと言えるであろう。

  ある時、釈尊は舎衞城の祇園精舎に止住しておった。夕刻のことであったが、ふと近侍の阿難は尋ねて言った。

  「世尊の母様はどうしてあんなに御短命であられましたことか。不思議なことに想われます」

  「左様、自分の母はまことに短命であられた。自分が生まれてから7日の後には命を終られた」

  そう言って釈尊は答えるともなく、次のように頌を説いた。

  「如何なる生類たりとも、凡そ世にあらんもの、すべて体をすてて未来世にいかん。これ等すべての失わることを知りて、熱意ある善巧の士は梵行を修すべきなり」

  この頌の中には、簡明に、死に対する釈尊の解決方法がとかれている。釈尊はまた、その解決をつぎのように説いたこともあった。

  釈尊が舎衞城の東園なる鹿母講堂におった時のことである。鹿母毘舎佉(キョ)という優婆夷が、最愛の孫を死なせて、涙にそぼぬれて釈尊のもとにやって来た。経文はその姿を「濡れたる衣服、濡れたる毛髪のままにて」とえがいておる。それを見て、釈尊は彼女に尋ねて言った。

  「毘舎佉よ、舎衞城でえは日々、いくばくの人が死ぬるであろうか」

  「世尊よ、舎衞城では日に10人の人々が死ぬることがあり、9人の人々が死ぬることがあり、8人の人々が死ぬることがあり、・・・・一人も死なぬという日はないでありましょう」

  「毘舎佉よ。汝はそれを如何に考えるか。百の愛するものを持てる人には百の苦しみあり。十の愛するものを持てるひとには十の苦しみあり。一の愛するものを持てる人には一の苦しみあり。愛するものを持たざる人にはまた苦しみもない」

  そう言って釈尊は、やがて優陀那―無問自説の説法―を説いて言った。

  「何人にもせよ。この世にて諸の形に於いて愛や悲や苦あるもの、これらは喜―愛著―を縁として存す。喜なき処にはこれ等もなし。それ故にこの世の何処にも喜なき彼らは安楽にして憂なし。されば無憂無塵をのぞむものは、この世の何処にも喜を生ずることなかれ」

  ここにも、釈尊の死の問題に対する解決の根本方式が示されておる。それは要するに、生死を諦観することであり、その基底をなすものは縁起の理法であった。

  愛や悲しみや苦は、みな愛着(喜)を縁として生ずると言い、愛着を絶てば憂いもなくなると説いている。生や死という人間最大の愛着を諦観することが大事だというのである。その方法については後に出てくる。

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2016年5月 1日 (日)

増谷文雄「仏教入門」―21―

 

 虚空に於いても、海中に於いても、山間の洞窟に入りても、そこに留まりて死の力の及ばざる処は世界になし。

 かの『法句経』の聖句にも、かく述べられておる。誰しも死を恐れないものはなく、死を厭わないものはなく、死を免れんことを希はないものはない。不死のねがいは人間の欲望の仲でも最大の欲望である。

 しかも、この欲望の解決に対しては、全く合理的な方法が見出されない。そのてめに、この欲望は必ず宗教の領域にまで齎される。

 今日にあっては、宗教の最大の目的は死の問題の解決であるとする者もすくなくない。しからば、世のもろもろの宗教は、いかなる死の解決策を持ち合わせているであろうか。

 不死のねがいは、まず永生の観念として宗教の世界に現れてくるのであるが、その観念の内容にはいろいろの種類がある。

 もっとも素朴な形においては、現世における永生、すなわち現在の生活の延長としての長寿のねがいがそれである。これは世界のどの民族の宗教においても見られるところである。だが、いかに長寿を得ようとも、結局は死を免れることの出来ないのが人間の運命である。

 そのことが反省されて来ると、不死のねがいは更に一転して、復活の欲求となって現れて来る。死してまた現世に再生することが出来るようにと、生前にもまた死後にも、いろいろと宗教的な方法を講ずることが行われた。

 また、おなじく現世に生まれ帰るにしても、人間として復活するだけでなく、そのほかの動物や植物などになって再生するかも知れぬと考えはじめると、そこに転生輪廻の思想も生まれてきた。それらの考え方は、ユダヤやエジプトやインドの宗教に多く見うけられるところである。

 かかる復活の観念が、さらに一転すると、死後における他界の生活ということが考えられてくる。すなわち、人間は死後においてもなお一種の生命をもち、現実の世界とはまた別の世界において特殊の生活をつづけるものと考えられる。つまり、天国や極楽や地獄という考え方がそれである。

 それには大抵、道徳的な賞罰応報の考え方もからんで、善悪別処の思想によって処理されている。文明社会の宗教には、この種の考え方を含んでおるものが多い。

 仏教にも後世の発達仏教においては、地獄、極楽の観念が極めて重要なる役割を演じておる。しかし、厳密な研究の結果によると、結局それらの観念は仏教本来のものではなく、釈尊は、少なくとも出家の弟子に対しては、むしろ天上の生活に対する執着をも破り去らねばならぬことを教えられたのであった。

 釈迦はインドで行われていた転生輪廻の考え方や、極楽往生の考え方をひていしたのであった。しかし、後世に仏教が広まるに連れて転生輪廻の考え方や極楽、地獄の考え方が付け加えられて変質していったのだ。

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