増田文雄「仏教入門」―22―
それでは、生死の問題に対する仏教の解答は何であったかというに、一言でいえば、「生死の諦観」がそれであったと言えるであろう。
ある時、釈尊は舎衞城の祇園精舎に止住しておった。夕刻のことであったが、ふと近侍の阿難は尋ねて言った。
「世尊の母様はどうしてあんなに御短命であられましたことか。不思議なことに想われます」
「左様、自分の母はまことに短命であられた。自分が生まれてから7日の後には命を終られた」
そう言って釈尊は答えるともなく、次のように頌を説いた。
「如何なる生類たりとも、凡そ世にあらんもの、すべて体をすてて未来世にいかん。これ等すべての失わることを知りて、熱意ある善巧の士は梵行を修すべきなり」
この頌の中には、簡明に、死に対する釈尊の解決方法がとかれている。釈尊はまた、その解決をつぎのように説いたこともあった。
釈尊が舎衞城の東園なる鹿母講堂におった時のことである。鹿母毘舎佉(キョ)という優婆夷が、最愛の孫を死なせて、涙にそぼぬれて釈尊のもとにやって来た。経文はその姿を「濡れたる衣服、濡れたる毛髪のままにて」とえがいておる。それを見て、釈尊は彼女に尋ねて言った。
「毘舎佉よ、舎衞城でえは日々、いくばくの人が死ぬるであろうか」
「世尊よ、舎衞城では日に10人の人々が死ぬることがあり、9人の人々が死ぬることがあり、8人の人々が死ぬることがあり、・・・・一人も死なぬという日はないでありましょう」
「毘舎佉よ。汝はそれを如何に考えるか。百の愛するものを持てる人には百の苦しみあり。十の愛するものを持てるひとには十の苦しみあり。一の愛するものを持てる人には一の苦しみあり。愛するものを持たざる人にはまた苦しみもない」
そう言って釈尊は、やがて優陀那―無問自説の説法―を説いて言った。
「何人にもせよ。この世にて諸の形に於いて愛や悲や苦あるもの、これらは喜―愛著―を縁として存す。喜なき処にはこれ等もなし。それ故にこの世の何処にも喜なき彼らは安楽にして憂なし。されば無憂無塵をのぞむものは、この世の何処にも喜を生ずることなかれ」
ここにも、釈尊の死の問題に対する解決の根本方式が示されておる。それは要するに、生死を諦観することであり、その基底をなすものは縁起の理法であった。
愛や悲しみや苦は、みな愛着(喜)を縁として生ずると言い、愛着を絶てば憂いもなくなると説いている。生や死という人間最大の愛着を諦観することが大事だというのである。その方法については後に出てくる。
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