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2016年4月 6日 (水)

増谷文雄「仏教入門」―⑰―

 それでは法とはそもそも如何なるものであるか。

  法は、梵音ダアルマdharma、その語根dharは「持す」「保つ」の意を有する。古来の仏教学者たちはこれを釈して、「法は軌持を謂う」といい、又これを解いて「能持自性、軌生勝解」といっておる。

  第一には、能く自らの性を保持して失わざること、第二には、軌範となって他物の理解を生ぜしめるじち、この軌と持を併せ持つものが法であるとするのである。今日の言葉でいえば、秩序、法則、軌範、道理等の言葉の持つ内容がおよそこれに当たるのである。

  だが、おなじく法といっても、仏教経典に於けるこの言葉の用法はかなり多様であった。また、今日の言葉で秩序といい法則といっても、いろいろの意味がある。例えば、法則に就いていえば、大きく分かって、自然の法則があり、道徳の法則がある。仏教でいうところの法は、およそを言えば、その両者の意味を兼ね合わせたものとしての法則であったということが出来る。即ち、釈尊の證知し教示したる法は、教法としての法であるとともに、また理法としての法でもあった。人生の法則、道徳の法則であるとともに、また自然の法則であり、存在の法則でもあったのである。

  またこれに一歩をすすめて考えてみると、理法としての法を認得して、それを基礎として、教法としての法を説いたのが、即ち仏教であったと言っても差し支えないと思う。また、教法としての法の基底として、さらに理法としての法の認得を存せしめるところに、哲学的な宗教としての仏教の出発点があると言うこともできるであろう。

 さて、それでは、釈尊が認得したところの理法としての法は、いかなる内容をもつものであったか。

 それは、一言にしていえば、「因縁の法」であったと言うことが出来る。ある時、釈尊の若い弟子阿説示が王舎城に入って托鉢をしておると、その物静かな立派な態度をみて、梵志舎利弗がたずねて言った。―あなたは誰を師とせられ、どんな思想を奉じておられるのか。―それに対して、阿説示は、―自分は釈尊を師とし、釈尊の思想を奉ずるものであるが、まだ出家してより日なお浅く、釈尊の思想をよく説明することもできないが―と言って、次のような偈を述べていった。。

   諸法は因縁より生ず

   如来はその因縁を説きたもう

   諸法の滅もまた

   大沙門は此のごとく説きたもう

 それを聞いて、舎利弗はたちまちに遠塵離苦の法眼を得、やがて、友人目犍連とともに、釈尊のいます処に詣り、釈尊によって出家したのであった。

 また、それからずっと後のことであるが、舎利弗は仏弟子中の上首として、舎衞城の祇園精舎で諸比丘にたいして法を説いたことがあった。経典は、その一句を次のごとく伝えておる。

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