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2016年4月18日 (月)

増谷文雄「仏教入門」―⑳―

 すでに述べたように、仏教は正法を中心とする宗教である。仏教に依りて生きる人々の生活実践は、つねに真理に従って行われなければならぬ。そしてまがった欲望をいだくことや、あり得ない欲望を追求することは、決して真理にしたがう生活実践ではない。

 また欲望を充たし得んがために宗教を信ずるというがごときことは、釈尊の断乎として呵責せらるるところであった。釈尊の教団がようやく世の人々の帰依をあつめてきた頃、一人の婆羅門が仏教教団に入った。彼は釈尊の弟子達にすぐれた食供養の多きを見て、彼もまたこれに与らんとて出家したのであった。

 釈尊はこれを知って、呵責して言った。

「愚人よ、如何ぞ汝は此の如くよく説かれたる法と律とに於いて、腹を満たさんがために出家するや」

 そして釈尊は、出家修行の身の依るべき四つの法、即ち四依を定められた。四依とは、一に常乞食、二に糞掃衣、三に樹下座、四に陳棄薬であって、出家の生活は原則としてこれに依ることを定めたものである。ここには、人間生活の最も簡易なる型が示され、また欲望充足の最小限度が示されている。

 仏教の術語では、欲望をつきあげて来る衝動に名づけて「渇愛」といった。そしてこの世の中はさまざまな苦しみに満ちているが、それらはみな渇愛に因るものであるとした。人間の生活にいつまでも心の平和がもたらされないのは、人々の心がいつまでも欲望でいっぱいになっているからである。だから人々は、真に心の平和をもとめるならば、まずこの渇愛を滅することから始めねばならぬ。

 仏教とは、この渇愛滅盡の法を説く宗教である。「欲愛を捨て、欲熱悩を除却して、以て喝を離脱し、内に心寂静に住する」ことが仏教の目的である。他の宗教にあっては、人間の欲望を満足せしむることを看板にしておるものさえあるに、釈尊の宗教では、人間の欲望をその根源から除いてしまう方法をおしえんとするのである。この欲望に対する態度を、つぎに、更に具体的に述べてみよう。

 人間の欲望を「渇愛」と名づけたのである。それは身体の中からつきあげて来る衝動だとした。これは制御し難いほど次々に起きてくる。それを制御しなければ心の平安を保つことはできないのは当然である。そのために釈迦はどうしたら欲望を離脱できるかを説いたのである。「仏教とは渇愛滅盡の法を説く宗教である」というのがそれである。

 人間は生きなければならない。そのために最低限の必要なものは、衣と食である。食は乞食のよるものとし、衣は糞掃衣(ふんぞうえ=捨てられた布を集めて縫い合わせて作った)としたのである。欲望を滅する型であった。そして樹下に坐して瞑想することで渇愛を滅したのである。最後の陳棄薬はネットで調べたら牛の大小便を腐らせて作った万能薬のことだそうだ。どんなものか知りたいものである。

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