桜の散りゆくを見てふと浮かんだ軍歌
3日見ぬまの桜かなというように、花の命は短い。今年の桜は例年より見頃が短かった印象であるがどうであろうか。
毎朝のウオーキングは日本桜の100名所の一つである山崎川に沿って歩いている。川岸の両側には桜並木があり、4月2,3,日は満開であった。5日の朝は4日の深夜からの大雨でかなりダメージを受けたようであった。
田辺公園の付近では、道の脇に溜まった桜の花びらをボランティアの人たちが清掃していた。どうせ土に帰るのだからそのままにしておいてもよいのにと思いながら通り過ぎた。ところどころの木から風に吹かれて花びらが落ちてきた。
桜は散り始めると早い。だから武士の潔さを象徴するものとして愛でられてきた一面がある。
今年は、なぜか戦時中によく歌われ、聞いたこともある軍歌が思い出された。もう何十年も思い出すことがなかった軍歌である。
それは「万朶の桜か襟の色 花は吉野に嵐吹く 大和男子(おのこ)と生まれなば 散兵線の花と散れ」という「歩兵の本領」という軍歌の一番の句だ。
「歩兵の本領」は調べてみると10番まであるのだが、なぜか覚えているのは1番だけである。この歌を歌って当時の中学生が行進をしたり、歌ったりしていた。私も自然に覚えてしまった。子どもの頃は将来は軍人になると決めていたから、いい歌だと思っていた。
その軍歌の一節が突然甦ったのは、安保法制が施行されていよいよ日本も戦争をする道を開いたからだ。この歌詞は大変潔く、勇ましいが、戦いに行って身を捧げよと言っている。「身を鴻毛の軽きにおく」という言葉が当時よく使われたが、まさにそれを表している。
敵と戦って桜の花のように潔く死ねというのである。あの忌まわしい戦争に赤紙1枚で強制的に狩り出されたのだ。もちろん自分から志願した若者や少年もいたが皇国のために死ぬことは恐れずと洗脳されていたのだろう。少年の私がそうであったように。
一般の臣民(国民)は人の命は鴻毛の軽さとして、物と同じように扱われた。命令する政権側の者は過酷な戦地に赴くことはなかった。
今、安保法制によって、集団的自衛権行使と称して、戦争のあるところ地球のどこにでも行かなくてはならなくなった。政府は限定的だと言っているが、それはまやかしであり、集団的自衛権行使を閣議決定し、憲法解釈を変えてしまった安倍政権だから、自由に解釈を変えることぐらい朝飯前である。
桜の花が散るのを見て、2度とあの戦時中の状況に戻してはならないとの思いを強くした。
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