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2016年3月11日 (金)

増谷文雄「仏教入門」―⑩―

 『大涅槃経』の有名な文句は、「一切衆生、悉有仏性」と教える。すべての人間はみな悉く仏性をもっておる。覚者たり知者たりうる素質を有している。

 だが、世の中には本当に仏陀となり得たる者は甚だ稀である。覚者知者の出現は極めて稀であった。それは何故であるか。

 古来の仏教学者は、仏性の性を説明して、性とは不改の義であるとしておる。因果の関係によってもなおその本質を改めることなきものとの意味である。すなわち、仏性は因果を貫いて、常にすべての人間の中に存するのである。

 しかも、人間の中に自覚人格成立がきわめて稀にしかお行われないのは何故であるか。それが、この輝ける素質がとかく貪欲や愛欲や無知や放逸によって蔽われているからである。蔽われ、縛され、穢されて、徒らに人間性のおくふかく埋もれているからである。

 

 「欲に盲目なるもの、網に蔽われしもの、愛欲の蔽いものに蔽われしもの、放逸の友に囚われしもの、・・・・」と、釈尊は歎いたこともあった。金を儲けたい欲望でいっぱいになっている者もあろう。名誉を求めることに夢中になっている者もあろう。歓楽を追うてとどまるところを知らぬものもあろう。

 また、かの30人の若者たちのように、女をさがすことに我を忘れているものもあろう。そして、自分自身の中に蔽われ埋もれている本当の宝を掘り出すことは、すっかり忘れてしまっている。

 それに対して、釈尊は、自分自身を探し出す方法を教えるのである。一方においては欲望のけがれを拭いとり、他方においては無知の蔽いものを払いしりぞけて、自分自身の有するすぐれたる素質―仏性―に自覚すべきことを教えるのである。

 かかる意味において、仏教とは即ち自覚人格を建設する道である。仏陀となる宗教がすなわち仏教であると言いうるのである。

 (P.18~P.20 ②段落になっているが、読みやすくするために段落をふやした)

 

 「一切衆生、悉有仏性」これは非常に有名な言葉で、種々の仏教関係の書物に引用されている。人間は誰でも仏陀(仏)となる素質を持っているという釈迦の教えの根本である。人間は誰でもいつでも仏陀となれるのである。その方法を説く宗教が仏教だというのである。

 

 人間のもつ「貪欲、愛欲、無知、放逸・・・・等々」の蔽いものを取り除き、自分が持つ真の性である仏性を見出す方法を教えるのである。

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