増谷文雄「仏教入門」―⑨―
仏教なる言葉は、これを文字の上より解けば、二つの意味に解することが出来る。その第一には仏教とは「仏陀所説の教法」という意味に解せられる。「仏陀の宗教」といういみである。ここで仏陀というのは、言うまでもなく、歴史的仏陀すなわち釈尊その人のことであって、釈尊の創唱によって成立したる宗教、それが仏教であるとなすのである。
その第二としては、仏教なる言葉は、もう一つ「仏陀となる宗教」という意味に解せられる。この場合に仏陀とは、その本来の意味のそれであって、釈尊その人のことを指すのではない。本来の意味に於ける仏陀とは、覚者または知者である。ある経典はこれを「西竺に仏陀と言う。これ覚者、知者を言う。迷に対して知と名づけ、愚に対して覚と名づく。」と説き、またある経典は、さらに覚知を釈して「既に自ら覚め、復たよく他を覚まし、覚行窮満、故に名づけて仏と為す」と述べておる。かかる自覚覚他の行の窮まり満ちたる人格、それがすなわち仏陀である。
今日の言葉でいっても、やはり自覚せる人格といってよいと思うが、この自覚人格すなわち仏陀となるべき道を教える宗教、それが仏教であると解せられるのである。
仏教はもちろん釈迦が説いた宗教であり、釈迦が説いたのは仏(仏陀)になる方法であった。まず自らが覚める(悟る)ことが大事であり、それを他の人にも伝えて共に仏陀となる(悟りを開く)という教えであると私は解している。
釈尊は、自ら大覚を成就してからまだ間もない頃、優留毘羅のある林の中で、30人の青年たちを教化したことがあった。その日、青年たちは、何かのお祝いでかその林で遊びの会を催したのであった。みんな美しく着飾って、夫人を伴って集まって来た。その中に1人だけまだ結婚していない青年があった。そこで、一人の娼婦をつれて来て、都合30組の男女が飲めや歌えの大騒ぎをやった。経文には「放逸に遊びたるに」とあるが、うつつをぬかしてア遊んでいたそのすきに、娼婦はみんなの財布や着物や装飾品などを掻っさらって逃げてしまった。気が付いた青年たちは、真っ青になって賞婦を探し歩いた末、釈尊が一樹の下に坐しておられるところまで来た。
「一人の女を見かけなかったでしょうか」彼らはそう言って、釈尊に事の一部始終を話した。それを聞いた釈尊は、やがて静かに、諭すような調子で質ねた。
「若い人たちよ、諸君はどう思われるか。女をさがすことと、自分自身をさがすことと、いずれが大切であろうか」
「それは、むろん、自分自身を探すことの方が大切であります」
「それでは、みんなここに坐るがよい。私は諸君のために、ひとつ自分自身をさがす法を説いてあげよう」
そして釈尊は、さまざまと人生の正しい見方、正しい生き方などに就いて説いた。浄らかな白布のような心の持ち主であった青年たちは、たちまち法に対する眼が開けて来た。やがて、30人の青年たちはみな出家して、釈尊に依って正法に精進することになったというのである。
この話は、なんでもない話のようであるが、その中には、仏教の根本的な態度が物語られていると思う。
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